『J』4









翌日ーーーーーー


 海馬は再び病室へ向かっていた。

 どうしても、『J』に謝りたかったから。

 当たり前だが、『J』は姿を現すことはなかった。うるさい者の相手をしながらも、心のどこかで『J』が現れることを待っていた。しかし、『J』は現れず朝を迎えた。


 
 今朝も『J』のことをしつこく聞いてくるモクバをなだめながら、午前中の予定を調整し、病院へ行く時間を作った。
 車に乗り込むまでモクバは追いかけてきたが、決して海馬は『J』のことを話すことはなかった。





「   ふぅ    」
 病室の前に立ち、一度、大きく息を吐き、ドアをノックする。


「…………空いてるぜ。」
 少し間を置いて、中から声が聞こえた。
「………。」
 海馬は音を立てないように静かにドアを開け、中へ入る。
 硝子のこちら側に、昨日持ってきた花束が花瓶に生けてあった。



「      かいば……?」
 海馬に驚いたのか、目を丸くした城之内がベッドから起き上がり、こちらへ向かってくる。 ラフながらも普段着を着ていた昨日とは違い、今はパジャマを着ている城之内。
 バツが悪そうに、寝癖を手串で整えている。
「朝早くから、何のようだ……。」
 海馬の正面に立つと、ガラス越しに海馬にきつい視線を送った。
「………いや…その……っ」
 城之内の真っ直ぐな琥珀に怯んでしまい、中々言葉が喉から出てこない。だけど、ここに来た目的は果たさなければならなかった。


「謝罪に……来た…のだ。」
 城之内からは見えない位置で拳を握り締めて海馬は口を開く。
「はぁ?……なんのことだ。別にお前に謝られることなんかないぞ?」
「俺が、つまらん賭けなどを吹っかけたから、貴様の立場が悪くなってしまった。」
 城之内から、表情が消える。
「顔の見えない世界の怖さを、甘く見ていたのだ。俺のつまらんプライドで、貴様を『J』を傷つけてしまった。」
 そういうと、海馬は頭をさげる。社長としての海馬ならばありえないことだけど、一人の人間として、謝罪をする。


 普通の生活を送っている人間ならいざしらず、この特殊な環境で生きている城之内に対してしてしまったことの罪の大きさに、海馬は深く謝罪した。
 簡単に許してもらえるとは考えていないけれど。




「……なんだ。そのことか。別に怒ってなんかいないぜ。」


「  ?   」

 陽気な声に顔を上げると、ガラス越しに穏やかな笑みの城之内がいる。

「だが、俺のせいで貴様の……っ」

「気にしすぎだぜ。たかが、ネットの世界だろ。」

「……!」

 『たかが』その単語が海馬の胸をちくりと刺す。城之内が傷ついていないはずはないのだ。

「まぁ、俺も何にも原因はあるわけなんだしよ。それよりも、うれしかったんだぜ。夕べ、お前が俺のこと、擁護してただろ。」

「やはり、いたのか……」
 海馬は爪が食い込むくらい、手を握り締める。

「居たよ。さすがに、入る勇気はなかったけどな。」
 バツが悪そうに頭を掻く。
「でも、ちゃんと見てた。絡んでくる奴らから、海馬が俺のことを庇ってるのをな。全部見てた。」
 今度は城之内が姿勢を正し、ちょこんと頭を下げる。
「ありがとう。うれしかった。」


 同じ年だと言っていたが、そこにいる城之内は幾分年下に感じてしまった。海馬が年相応でないといえばそうなのだけど、世間の毒に紛れていない姿はどこか、綺麗に海馬には映る。




「また、来てもいいか?」





 その言葉はごく自然に海馬の口から紡がれる。





「いいぜ。」





 城之内の頬が少し赤くなった。






*****






 その日から、海馬は城之内の病室へ頻繁に足を運ぶようになった。
 会社から近いところにあるのも理由の一つだが、何よりも城之内の何にも染まらない無垢な心に引かれたのかもしれない。


 世間から隔離された場所にいる城之内にはお世辞も嘘も駆け引きも、何も必要なかった。空気を同じように清浄に保たれたところにいると、海馬の心まで洗い流されていくようだった。



「やった!!俺の勝ちだぜ!!」

 二人は病室でデュエルを何度もした。海馬が望んだ血の通ったデュエルを。
 相手の表情を読みとって、戦略を立てて、闘う。ネットの世界にはないものを二人は楽しんでいた。



「へへっ!俺って、結構強いよな。あの、海馬相手にほぼ互角だぜ!」
 手際よくカードを纏めながら、城之内はにこにこ顔だ。
「なんだと、俺様のほうが勝っているぞ。」
 向きになりつつ、海馬もカードを纏める。
「っんだとっ!絶対に次も負けないからな。次は降参させてるっ!!」
「だいたい、貴様は顔に出すぎなのだ。一発で何を引いたのか分かってしまうぞ。」
「るせぇ、この鉄面皮やろうがっ!」
 勝ち負け一つで一喜一憂している二人。


 ころころと表情を変える城之内が面白くて、海馬もついかまってしまう。仕事がら表情を表すことをしない海馬だけど、城之内を前にすると海馬の筋肉もゆるみがちになっていた。
 きっと、これをモクバや遊戯が見ればひっくり返ってしまいそうなことだけど、城之内は知るよしもない。


 病室に城之内と海馬の笑い声と明るい空気が流れていった。 





*****




「もう、こんな時間か。」
 時計を見て海馬は昼休みの時間が終わることに気が付いた。デュエルに熱中のあまり、時間が過ぎるのを忘れていた。
「いつも悪いな。楽しかったぜ。」
 ガラスの向こうの城之内が微笑んでいる。


「また、明日。」
「あんま、無理すんな。俺はべつにネットデュエルでもいいんだから。」

 海馬が城之内の正体を知ってから、ネットデュエルをすることはほとんどなくなり、城之内もまたネットの世界に上がることも少なくなっていた。


「俺が、来たいのだ。城之内とここでデュエルがしたい。」
 自分のことより、海馬の事を気遣う城之内に海馬の胸の奥が熱くなる。今にも消えてしまいそうな儚さに、手を伸ばし……



 分厚いガラスに阻まれる。
 決して触れることの出来ない存在。



「俺も、海馬とのデュエル、楽しいぜ。また、明日な。」






*****





 城之内の笑みに後ろ髪を引かれながらも病室を出た海馬は、廊下を歩いてくる少女とすれ違う。
 栗色の長い髪の少女は海馬に軽く会釈をした。海馬もつられて同じことをし、エレベータのボタンを押した。

 その時、すれ違ったばかりの少女が海馬を追いかけてきて声を掛けてきた。



「海馬……さん…ですよね。」



 チン。

 とエレベーターの扉が開き、誰も乗せないまま締まる。


「そうだが。君は?」
「静香です。城之内克也の妹です。」
 城之内よりも幾分色素の濃い瞳と髪の色。どこか、城之内の面影と重なるところがある。
「お時間、ありますか?」
 城之内と同じように微笑んだ。
「いいだろう。」
 海馬は午後の予定を思い出しながら、エレベータのボタンを再び押した。
 秘書に厭味を言われるだろうが、なんとかなるだろう。





*****




 場所を変えた海馬と静香は中庭のベンチに腰を降ろした。
 病棟の間にあるここには人の姿はなく、手入れされた芝生が鮮やかな色で太陽を反射している。




「いつも、お見舞いに来てくれているんですよね。ありがとうございます。」
 芝の緑に目を細める静香。
「海馬さんが来てくれるようになってから、お兄ちゃん、うれしそうなんです………………………………………お兄ちゃんの病気………知っていますか?」

「……………。」
 海馬は無言で頷いた。




 ウィルスや菌に対して、闘うことの出来ない身体。世界でも数例しかない難病。
 健康な人間なら何て事ない菌でも、城之内には命取りになってしまうのだ。
 原因も不明で、治療法もない病気。
 ただ、ああして清浄な状態に保たれた無菌室にいるしかなかった。



「お兄ちゃんがあの年まで生きているのが奇跡なんです。」
 静香の大きな瞳が潤む。



 狭い部屋に押し込まれて、制限だらけの不自由な生活を生まれた時から余儀なくされ、一人孤独に耐えてきたのだと、静香は言った。



「お兄ちゃんは生まれてから一度もあの部屋から出たことが無い。ずっとずっと白い部屋で生きてきた……
 私が覚えているお兄ちゃんはいつも笑ってて冗談ばかり言ってました。
 お母さんが読んでくれる絵本をガラスにピッタリと張り付いて聞いてました。少しでもお母さんに触れたくて何度もガラスを撫でていたの。でも、触れなくて……
 お兄ちゃんは自分の病気のことは理解しているから、わがままを言ったことは一度もない。一度も、辛いとか、ここから出たいとか、泣き言も、泣いた事もないの。反対にお母さんや、私のことばっかり心配してて………………大丈夫だよって、いつでも、どんな時でも平気な顔をして、笑ってた…」


 静香の大きな瞳から涙が零れ落ちる。
 感情を全て押し殺している兄を見るのが辛いのだと静香は洩らした。



「けど、デュエルに出会ってから、お兄ちゃんは変わりました。
 パソコン越しだけど、引くカード一枚に一喜一憂して、怒ったり笑ったり、楽しそうにしているんです。雑誌もデュエルのものばかり買ってるし…最近の差仕入れはカードばかり。」


 鞄の中から、まだ封を切っていないカードの袋を取り出した。


 海馬の脳裏に白い部屋で、デュエルをする城之内が浮かぶ。なるほど、顔に出るわけだ。



「海馬さんはお兄ちゃんの憧れだったんですよ。年が同じということもあったみたいだけど、海馬さんの強さに惹かれたみたいですね。」



「……おれが…。」
 
 先ほどの涙はどこへやら、静香は海馬を正面からとらえ、にっこりと微笑んだ。

 
 その微笑が城之内と重なり、海馬の心臓がどきりと鼓動が少し早くなる。

 この娘も強いではないか。兄譲りだな……。


 兄と共に病気と闘う妹もまた、強く成長しているのだと海馬は思う。



「海馬さんがお兄ちゃんのところに来るようになってから、お兄ちゃん。とってもうれしそうなんです。病室が明るくなるような気がするくらい、楽しそう。窓から、海馬さんの会社を眺めたりしてて、なんだか見ているこっちも楽しくなるんです。」

「………。」


「だからっ!!お兄ちゃんとずっと友達で居てください。我がままなんですけどっ、お兄ちゃんのところに遊びに来てください。お願いします。」


 海馬が城之内の初めての友達なのだからと、静香は海馬に訴える。




 
 海馬は震える華奢な肩に手を置くと、ゆっくりと大きく頷いた。











*****











 ゆっくりと静かに扉がしまり、海馬の姿が見えなくなると、城之内はそっとガラスに触れる。

 さっき一瞬だけ海馬の手が触れた場所。


 海馬の温もりを探して指で辿るけれど、感じるのはひんやりとしたガラスの温度。







 かいば……







 城之内の小さな声が病室に吸い込まれていった。













 
 よんです。
 べたべたで申し訳ない……最悪さんとは趣き違うようになればと思っていますがね…
 そんなのありえない。と、子育て中のお母様からに突っ込みはかんべんしてくださいませ。きふじんもちょっと待てと突っ込んでますから…あと、病院関係のかたも多めにみてくださいませ。勢いで読んでいただければ幸いです。
 
 
 
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