『J』5




海馬が城之内の病室を訪れるようになって、数週間が経ったある昼下がり。


 
 いつもよりも控えめに扉が叩かれた。



「?」
 窓際にもたれて雑誌を読んでいた城之内はいつもとは違う、音に首をかしげる。

 海馬が来る時間にも、家族が訪れる時間帯でもなかったからだ。


「開いてるぜ。」
 誰だろう?と思いながらも扉の向こうの人に答える。










 声をかけて、しばらくの間のあとためらいがちに扉が開いて、その隙間から一人の少年が顔を出す。
 モクバだった。


「失礼します………。」


 小さな声と共にモクバは病室に入り、兄と同じように暫し呆然と立ち尽くした。


 息を飲み込んで初めて見る部屋に戸惑うモクバに、城之内は雑誌を閉じると壁際に近づく。
「君は誰?部屋を間違えたのかい?」
 城之内の病室をたまに訪れる、部屋を間違えた見舞い客だろう。
「………。」
 モクバは無言で首を横に振った。
「オレはモクバ。海馬瀬人の弟………お前が『J』なんだろ?」
 緊張しているのか震える声で、モクバは聞いた。


「……。」


 城之内は少し驚いて、次に、海馬とは違う子供らしい弟に顔がにやけた。

「へぇ。海馬の弟か。
 そうだ。俺が『J』さ。」

 モクバは病室と城之内を興味の赴くままに眺めている。始めは海馬ですら戸惑っていたのだ。モクバならばなおさらなのだろうと、城之内はモクバの気の済むようにさせることにした。




「………………病気なのか?」



 
 長い時間視線を動かした後、モクバは城之内に聞く。病室にいるのだから当たり前な事だけど、聞いて見ないわけにはいかない。
 城之内は大げさに肩をすくめて、


「見ての通り。正真正銘の病人だぜ。」
 事も無げに答える。




「………。」
 モクバは兄が『J』のことを語りたがらなかったことと、正体を教えてくれなかった理由を悟る。
 そして、『J』が多くを語りたがらなかったことも……

「ごめんさない。」
 モクバは謝るとそのまま部屋を出て行こうとする。
 自分のしたことが恥ずかしくて、これ以上ここにいることが出来なかった。



「待てよ。デュエルしようぜ。」
 ガラスの向こうの城之内は眩しい笑顔で、モクバを呼び止めた。




 城之内にもう一人、友達が出来た。





******





 それからというもの、城之内の病室は賑やかになる。
 いつも間にか、モクバが連れて来た遊戯も加わり、放課後や休日は明るい歓声が部屋に響く。
 海馬と同じように、遊戯にも憧れを抱いていた城之内は、すぐに意気投合する。海馬対策のデッキを作ることに熱中したり、
 遊戯の持ってくる新しいゲームに夢中になった。




******





「………ゆ…うぎ?」


 たまたま時間の空いた海馬が、病室を訪れると、デュエルをしている遊戯と鉢合わせになる。
 城之内のことを洩らした覚えのない海馬は、驚きの余り一瞬声を失ってしまった。


「海馬!!仕事さぼってきたのかよ。」
 ガラスの向こうから、城之内が陽気に手を振る。
「……ばか者…俺が無責任なことをするわけなかろう……それより、どうしてここに遊戯がいるのだっ!」
 とにかく、遊戯がここにいることが不思議でならない。

「う〜ん……。」
 城之内は返答に困り、頭を掻く。
 モクバが遊戯を連れて来たと言っていいものかどうか…


「モクバか……仕方のないやつだ。」
 モクバが海馬の後をつけて『J』を見つけたと打ち明けられたのは最近のことだった。その時に、誰にも言わないようにと口止めはきつくきたつもりだったはずだけど。
「まだまだ、子供だ。仕方のない…」
 海馬は城之内に分からないようにため息をついた。


「もうすぐ終わるから、ちょっと待っててくれよ。」
 悪戯がばれた子供のように、ばつが悪くなるのを誤魔化すため、城之内はデュエルを再会させる。
「ああ。」
 遊戯も学校から直接ここに向かったのか、制服姿だ。
 城之内も始めは海馬を気にして、ちょこちょこと視線を送っていたが、やがてデュエルに集中していった。




 海馬とやるときと同じように、カードを引くたびに変わる表情。笑ったり、唸ったり、頭を抱えてみたり。

「………っ。」
 カードを手繰る指先。高揚している頬。シャツの間から覗く白い肌。
 海馬の胸に捉えようのない、感情が湧き上がってきた。

 あの、壁際の場所は海馬の指定席なのに。
 今、そこを占領しているのは、遊戯。
 無性に腹立たしくなった海馬は


 そっと気配を殺し、病室を出る。


 これ以上、あの空間にいたくなかった………


 城之内が他の人に向ける笑顔を見たくなかったから。



 



******








 その晩……


 屋敷で何やら作業をしている海馬の携帯が鳴る。


 相手は城之内。


 海馬と知り合ってから、城之内は携帯を持つようになっていた。
 
「おはよう」「お休み」など、会えない日は必ずと言って良いほど、電話を交わす。話込む時もあれば、簡単な挨拶だけの日もあったが、二人にはそれで十分だった。



「どうした?」
 海馬は通話ボタンを押す。
『………今日はごめん。』
 気弱な城之内の声が海馬の耳に届いた。
「なにを謝るのだ?別に城之内は何もしていないだろ?」
『だって、今日は何も言わずに居なくなってるし、電話もメールもしてこないし……俺なにか、したのかなって…遊戯のことか?』
「仕事を思い出したのだ。それに城之内はデュエルに夢中だったからな。中断させるわけにもいけないからな。」
『でもっ……!』

 海馬の苛立ちを敏感にキャッチしているのだろうか、戸惑っている城之内の姿が浮かぶ。変な誤解を解かないと、城之内は寝ずに朝を迎えてしまうかもしれない。


「今から、行って良いか?見せたものがある。」
『えっ…うん。待ってる。』


 城之内の承諾を得た海馬は携帯を切って、机の上に広げていたあるものをジュラルミンケースの中に大事にしまった。









*****






「なんだ?これ?」


 病室に着いた海馬はジュラルミンケースからいくつかの機材を並べ、持参したパソコンを開いた。
 海馬はパソコンと、機材をテストしながら設置していった。
 見たことのないものに、城之内は不思議そうに眺める。15分ほどの作業が終わると海馬は病室の照明を落とした。暗くなった病室を夜のドミノ町が照らす。


「まだ、試作段階だが城之内にどうしても見せたかった。」

「おれに…?」


 海馬はパソコンのキーを叩く。



 すると、城之内の隣に海馬が現れた。




「!!!!!!!!うわっ!!!ええっ!!!!!!!」



 城之内の隣に立つ海馬。突然のことに驚いた城之内は数歩後ろに下がり、目の前の海馬と、ガラスの向こうの海馬を交互に見つめる。
 

 同じ恰好に同じ立ち姿。



「もしかして、これって立体映像…?」



 城之内は目の前の海馬に存在を確かめようと手を伸ばした。
「やっぱり、そうだ!」
 城之内の手は海馬の身体をすり抜けた。目を凝らせば輪郭が曖昧になっている。




「デュエルシステムの応用だ。ガラス越しだからな。感度も落ちるし、まだ調整が必要なもののようだ。」
「でも、凄いぜ!!マジで、海馬がこっちにきたのかとびっくりしたんだぜ!」
 城之内は目の前の海馬に手を振る。
「驚くのはまだ早い。こちらを見てみろ。」
 海馬が手元のパソコンを操作すると、今度は反対に海馬の隣に城之内が現れる。


「えええええっ!!すげえっ!!」


 パジャマ姿の城之内がガラスの向こうに居る。
 城之内はもっとよく見ようとガラスを覗き込んだ。


「すごいよっ!!俺がそっちにいるじゃん!!」

 スリッパまで履いている、自分の立体映像に、城之内は技術の凄さに素直に驚いた。







「でも、なんで、こんなの俺に見せるんだ?」
 二人の海馬と城之内がいる不思議な光景に馴染んだ城之内にある一つの疑問が浮かんだ。

「城之内をこの大会に出すためだ。」
 海馬は一枚の紙を広げ、城之内に見せる。



「七夕デュエル?」


 海馬は何を言い出すのか。城之内はこの病室から出ることが出来ないのに。


「そうだ、城之内。この大会に出てみないか?」
「でも、俺はここから出れない。」

「だから、これを作ったのだ。ここから、城之内の映像を会場に転送する。そして、この部屋にも会場の映像を流す。どうだ?これなら城之内もデュエルが楽しめるだろ?」

海馬がまた手元のパソコンを操作すると、病室が決闘場に変わった。

「うわっ!!マジ?すげえっ!」

 突然現れた、決闘場。
 
「大会の当日はここが人で一杯になるのだ。会場に備え付けたカメラの映像をここに転送する。これから微調整をして、会場と変わらない熱気と興奮を再現するから楽しみにしてくれ。」

 
 今は人っ子一人いないがらんとした会場だけど、それでも、城之内は初めて感じる外の映像に興奮した。

「海馬って……やっぱり、スゴイ奴なんだな。」

「やっぱり は、余計だ。それにこのシステムはこれだけじゃないぞ。」

 海馬はもう一度、キーを叩いた。



 今度は、病室が草原に変わった。
 一面に広がる緑の大地。と、緑色の地平線。一直線の緑の上にあるのは真っ青な空。
 海馬と同じ色の青がどこまでも続く。
 どこからか聞こえてくる鳥のさえずりと、吹き抜ける風の音。自然の息吹まで感じられるようだ。


「………………」



 壮大な臨場感に城之内は言葉も時間も忘れて立ちつくした。
 琥珀に初めて映る緑の大地と青い空。

 今までは本の中や、テレビの中の映像でしかなかったものが目の前に広がっていて、城之内は無意識に両手を広げる。
 「すげえよっ!ほかに上手くいえないけど、とにかく凄いぜ!!こんなの初めてだ。夢みたいだぜっ!!」
 初めての体験に興奮した城之内が海馬のところへ走ってきて、ガラスに頭をぶつける。
「!!!!っ!!いてっ!!」
 派手な音と共に城之内のおでこが紅くなった。
「大丈夫かっ!!」 
 額を押さえる城之内を海馬は覗き込む。海馬にはなんともない怪我一つが城之内にとっては致命傷になることだってあるから。
「へへっ…大丈夫だ…ガラスがあるのを忘れてたぜ…」
 髪をかきあげて、舌をだす。
「心配させるな。ばか者が。」
 大事に至っていない様子に、海馬は胸を撫で下ろし、再びパソコンを操作すると




「うわあっ!!!!」




 城之内の歓声が部屋に響いた。
 

 病室が宇宙空間に変わる。
 天井も壁も床も360度が宇宙になり、数え切れない無数の星が部屋を埋め尽くす。


「きれい……」
 城之内は壁にもたれると果てのない宙を見上げた。
「どうだ。気に入ったか?」
「うん。」
 背後から海馬の声が聞こえて、城之内は頷く。四角い窓から見える夜空は、ドミノ町のネオンにかき消されて、白く霞んでいたから、本当の夜空がこんなに美しいなんて知らなかった。
「ありがとう……海馬……。」

 城之内の声が震えている。





「……俺…ここから出たい。
 本当の風を自然を、街を感じたい。」


 海馬が持ち込んだ、バーチャルなリアルが城之内が心の奥にしまいこんでいたものを呼び起こした。


「海馬の本当の声を聞きたい。ガラス越しじゃなくて、スピーカー越しじゃない本当の声。
 自分のじゃない、温度を感じたい。」

 宇宙空間に水滴が落ちる。


「こっちを向け。城之内。」
 震える背中が愛おしくて哀しくて、ガラスを叩いた。
 城之内は肩を震わせるだけで動かない。
「頼む。こちらを向くんだ。」
 海馬のいつにもない真剣な声に、城之内がゆっくりと振り返る。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。


 この、四角い空間が城之内の全てだった。
 ここでしか生きることの出来ない、壊れた身体と折り合いをつけ、
 全てのことを諦めてきた城之内。

 友を持つことも、
 辛いと投げ出すことも自暴自棄になることも許されず、
 夢を見る自由でさえ奪われ生きてきた。

 止まる事のない涙が、城之内の苦悩を如実に表している。
 海馬の胸がぎゅっと締め付けられる。

「俺が、お前をここから出してやる。
 お前の病気を治して、どこへでも連れて行く。
 だから、城之内も病気を治してここから出るんだ。」

 城之内の苦しみを少しでもいいから、拭い取りたかった。傷ついた魂を癒したい。
 友として。
 海馬の青が滲んでこぼれていった。
 城之内に触れたいと願うのは海馬も同じで、少しでも近づくためにガラスに掌をあてる。
 

 「海馬……」
 城之内はその掌に自分の手を重ねる。


 1分…2分……


 じっと目を閉じて神経を集中させ、海馬の温もりを感じ取れるまでガラスに触れていた。


「どうだ。分かるか。それが俺の体温だ。」
 城之内と海馬の涙が乾いた頃、二人の掌にお互いの体温が交じり合う。
「うん。あったかい…」
「俺も城之内の体温が分かる。」
「照れくさいこというなよ…」
 顔を真っ赤にさせながらも、城之内は海馬の熱が伝わるところから手を離さない。

「城之内。俺が必ずここから出してやる。
 約束する。
 これが第一歩だ。」
 海馬もまた手を重ね合わせて、指きり代わりの約束を交わした。


「ありがとう。海馬。俺も、がんばって病気を治して、ここから出るぜ!」
 先ほどの涙はどこへ行ったのか、そこには太陽の笑顔が戻っていた。






*****





 海馬を見送り、一人になった城之内はまだそこから動くことが出来ないままだ。

 海馬の体温が残るガラスを何度も繰り返したどり、






 そっと










 唇を寄せる。

















 城之内にとって初めての大切な友が








 最愛の人に変わるのは仕方のないことなのかもしれない。







「海馬……。」




 

 城之内の頬に一筋の涙が伝っていった……

 
 














 
 ごです。
 BL風・海馬さんと城之内くんです。
 やはり、城之内くんらしくないです。
 BLBLBLBLBLって唱えると、いいかもしれませんね。
 さらりと流して突っ走りたいです。
 
 背景はこちらでお借りしました。
 LOSTPIA