息を吐いたそばから、冷たく凍ってしまいそうな寒い冬の日、少年は父親に連れられてここにやってきた。
冬なのにぞうきんにしか見えない薄汚れた粗末な着物を一枚はおり、指先はしもやけで真っ赤にだられている。風呂にも満足に入っていないのだろう、着物同様少年の身体は垢で真っ黒に汚れていた。
少年が逃げ出さないように手を握っている父親も同じような姿をしていて、この家族の暮らしぶりを如実に物語っていた。
今年は天候が不順で、農作物が上手く育たなかった。特に秋にやってきた台風が米に壊滅的な打撃を与えた。農家にとって米の不作は死活問題だ。米の取れ高が少なくても年貢はきっちりと納めなくてはならない。この親子の家族も例外ではないだろう。
こういう年の冬は多くの子供が男も女も性別に関係なく「売られて」くる。口減らしを兼ね、子供と引き換えにもらえる、わずかな金で家族が生き残える為に。現にこの少年は8人の兄弟姉妹の真ん中だ。丁稚奉公として商人の家に売られる子供は幸福だろう。しかしここは商人の家ではない。
ここは地位も名誉もある裕福な人間が、ひと時の快楽を求めてやってくる「花宿・海馬亭」
私はそこの主 海馬瀬人。
鳥かごの番人だ。
「この子か。」
「へえ……」
父親が少年の頭を押さえ、自分も同じく頭を下げた。
あわただしく行き交う使用人たちはこの親子を横目でるだけで、誰も立ち止まることはない。何度も見られた”ごく普通”の光景だったから。
「顔をよく見せなさい。」
私がそう言うと真っ先に少年が顔を上げた。栄養が足りていないのだろう、小さな身体は痩せ細り骨と皮しかない。
「歳は。」
「6つになったところです。」
少年に遅れて頭を上げた父親が答えた。
「6歳か……歳のわりには小さい。で、名前は何という。」
「か……っ…」
「克也です。城之内克也。」
父親が名を言う前に、少年…克也が口を開いた。おどおどした父親とは違い、凛とした良く通る声が、入り口広間に響き、ほんの一瞬そこに居たもの全員の視線が克也に集まった。
「……ほう。」
次の呼吸の時には皆それぞれ動き始めたが、一声で居るもの全ての気を掴んだ克也の存在感に私は目を細めた。
「威勢がいいことだ。」
私は手にしていた煙管を火鉢に置くと、親子の居る土間に降りた。下駄を引っ掛け、克也の側に歩みより、同じ目線にまで腰を屈める。
「克也と言ったな……お前はここがどういうところか理解しているか。」
6歳の少年にする質問としては酷なことだが私はあえて聞いた。この少年には籠の中の鳥しての生活が待っているからだ。
「はい。」
克也は真っ直ぐな視線で私を力強く見返すと、迷うことなく答える。
「そうか。ならば今日からは城之内の名はいならい。分かるな。」
克也は無言で頷いた。道すがら父親に言い聞かせられてきたのか、それとも、離れる家族から聞いたのか、克也は幼いながら自分がこれからどうなるのか理解しているようだ。
私は克也のまだ柔らかい髪を撫で、これから先、大事な商品になる少年をもう一度、間近で観察した。
遠目からだと薄汚れ貧相な姿に見えたけれど、こうしてよく見ると良い資質を持っていそうだ。垢を落としてしっかりと躾をすれば見られるものになりそうだった。
大きく開いた二重瞼。極貧の生活にも関わらず、血色のよい肌。人怖じしない気質と人を惹きつける存在感。
何よりも恐れを知らない気丈な瞳がいい。
「良い子だ。言い値をつけてやろう。いくらだ。」
克也の細い腕に見えないけれど、決して外れる事のない枷が着けられ、城之内克也がただの克也になった瞬間だった。
数枚の小判を懐に大事に納めた父親が、「宿」を後にする。これが最期。死ぬまで克也は親と再会することないのだ。
別れ際に父親は「すまない」と克也を胸に抱きしめた。子を売る駄目な親に許された最後の抱擁。克也は父親のぬくもりを記憶し、父親もまた克也の鼓動と息遣いを確かめた。
「とうちゃん…静香を頼んだぜ。」
父親の腕に包まれて克也は小さく言うと、父は頷いた。
「とうちゃん……俺…後悔してないから…とうちゃんのこと恨んでなんかないから…大丈夫だよ…」
父親の背中を震える両手でぎゅっと握り締めて言う克也の声は鼻声になっている。
「じゃ…な…とうちゃん…帰るわ…達者でな……いい子にして、かわいがってもらえ。ここでなら、メシはたんともらえるから……」
何度も何度も名残を惜しみ、父親は克也の頭を頬を両手で撫でている。克也もわかったと何度も頷き、首に巻いていた手ぬぐいを父親の首にひび割れて擦り切れた、細く小さな指で結んでいく。
「ありがとう。とうちゃん。暖かかったよ。」
気丈に振舞う克也は涙を一杯に溜めながらもこぼすことは無く、父親を送り出した。
*****
それから、5年の月日が流れていった。
人よりも小さくて貧相だった克也は、日ごと、年を追うごとに成長していった。その成長は誰もが目を見張るばかりで、しなやかな身体を思うぞんぶんに動かして宿を走りまわる姿は、客ばかりでなく宿のものを惹きつけて離さない。
売られてきた子供が客を取りはじめるのは12歳の誕生日を過ぎてからというのが海馬亭の通例だ。克也もそれにならい、今日まで、水汲みや風呂の支度、台所の手伝いなど下働きをしてきた。同じように売られてきた子供と共に寝起きをして、休むまもなく言いつけられる仕事をこなしていった。
元来活発で、負けず嫌いの性格なのだろう、初めのころは何かと揉め事を起こしていた。私も何度も手を妬かさせれたものだ。しかし、良く観察してみるとその行動には筋が通っていて、克也なりの尺度が働いていた。その証拠に1年が過ぎるころには宿で働く子供たちの中心的な存在になっていて、大人たちの信頼も得るようになっていた。
克也には人をひきつける強い力を生まれながらに備えていたのだ。
子供同士の諍いを納めていく見事な手腕に、私は男娼にするのは惜しいと考える。しかし、ここに売られて来たかぎり、運命は変えられない。
たとえ、鳥かごの番人の私であってもだ。籠の中の危うい拮抗を保つために、秩序を守っていかなければならないのだ。
親と離れたときから克也は1度も涙を見せることが無い。いつも笑顔を絶やさず働く姿に常連の客から、水揚げするときが楽しみだ、いつになるのだと、私は何度も客に突かれ曖昧に話を濁すことしか出来なかった。
今度の誕生日が過ぎれば、克也も表舞台に立たなければならない。師走が過ぎ年が明けたころから、私は言いようの無い焦燥に駆られることが多くなっていった。
「らしくないねぇ…泣く子も黙る瀬人ともあろうお方が。」
何度もそろばんを弾き返している私の後ろに座る御伽が煙管をふかしながら厭味を言っている。
長く伸ばした髪を横で無造作に束ね、色気の残る気だるさを紫煙に込めてふうっと吐き出した。
「夕べも遅くまで客が付いていたのだろう。休まなくていいのか。」
私は振り向きもせず、御伽に声を掛けた。この御伽は宿で一番の客をとっている花形だ。
「適当に手を抜いてるからね……フフッ…」
火鉢の縁を長い指先でなぞりながら、御伽は私の背中をじっと見つめているようだ。
「もうすぐ、あの子の誕生日がくるね。」
「ああ…」
言わなくても分かっている、克也のことだろう。私はそれ以上何も言わずただそろばんを弾く。朝から何度も計算していた。何回やっても最後が合わず、仕事が全く先に進んでいない。
宿の奥に位置する私の部屋には外の声や足音は届かない。静かな部屋には火鉢で湯気を立てる湯の音と、そろばんの音だけがしている。
「いいの?」
御伽は率直に質問を投げかけてくる。あぁ、また間違えてしまった。初めからやり直さないと。
「なにがだ。」
分からないようにため息をつき、私は御伽のほうに向き直った。ちゃんと答えなければ離れそうにない。ここの計算が合わないと、支払いが出来ないのだ。
「あの子のこと。克也のことだよ。」
御伽は火鉢で煙管を叩き、壁に掛けてある暦を目で追っている。
「明日は克也の誕生日じゃないか。いいのかい。もう、いくつか声が掛かっているんだろ。」
克也には昨年からいくつもの口利きあがあった。特に熱心だったのが、初物食いで有名な米問屋のダンナだった。
「それが克也の仕事だ。ここに来たところで運命は決まっているのだ。貴様もそうではないか。」
ここに売られてくる者は皆同じだ。多少の扱いの違いはあれど、やることは変わらない。客を満足させ、日々の糧を稼いでいくのだ。
「ん〜。俺は良いんだよ。これはこれで楽しんでいるんだからさ。でもね、あの子は違うよ。あの子は俺たちのほうに来ちゃいけないんだ。それを止められるのは瀬人しかいないんだよ。」
いつもは雲を掴むように飄々としている男が、今日は真剣な態度だ。そういえば御伽はことあるごとに克也を可愛がっていた。里に残してきた弟に重なるのだろう。
「瀬人だって、戯れに読み書きを教えていた訳じゃないよね。」
「別に教えていたのではない。克也が勝手に覚えて行ったのだ。」
言い訳ではなく本当のことだ。が、じわりと私の掌に汗が滲んでくる。
克也は時々私の処へ来ては、何をするでもなく私の仕事をする手を眺めていた。私は特に教えたわけでもないのに、気が付けば克也は読み書きを覚えていたのだ。もちろん私だけでなく弟のモクバもかなり手ほどきをしたのだろうが、それを差し引いても克也のもの覚えはいい。
「俺が克也くらいのときは部屋にも入れてもらえなかったさ。」
「あいつは勝手に入ってくるのだ。注意していっこうに聞かなくてな。」
「……ふうん……この宿で海馬瀬人を怖がらないのは克也だけってことか。」
克也は何故か私に懐いてしまった。ここで働く者はもちろん、モクバでさえ私の顔色を伺いながら話すのに、克也は違っていた。
部屋には勝手に上がりみ、廊下でいきなり抱きついてきたり、嵐の夜は眠れないからと布団の中に潜り込んでくる事だってあった。
初めのうちは他の者に示しが付かないからと叱るのだが、懲りない克也に根負けしたのは私のほうだった。最近では宿の者たちもわかっているようで、何か都合の悪い用のあるときは必ず克也を使いに立てる始末だ。
「瀬人のことを海馬って、呼べるのは克也だけだからね。初めて聞いたときは驚いたよ。」
「ああ、それも治らなかったな。何度も注意したのだが。」
ここに来た子供は仕事の他に行儀作法や芸事も覚えなくてはならない。座敷に上がり客の相手をするときに恥ずかしくないよう躾をされるのだ。克也も例外ではないのだが、本人に覚える気がないのか、性に合わないのか行儀は良くならず、最後は逃げ出す始末だった。
克也の躾に匙を投げた者の代わりに私が直々に克也に手ほどきをしたが、やはり徒労に終わってしまった。
「これでは先が思いやられるな…」
今度は御伽に分かるように大きくため息をついた。
「本当にそう思っているのかい?」
「当たり前だ。満足に客も取れなければただの無駄飯食いだ。どぶに金を捨てたのも同然だからな。」
「本当?」
「むろんだ。」
「じゃ、そういうことにしといてあげるよ。」
含み笑いをして御伽は緑茶を啜る。一口飲むとほうっと息をつく。
そして少し考えた後、慎重に言葉を探しながらこう言った。
「あの子はここに納まるべき子じゃないよ。ここにいるみんなが認めているんだ。あの子を見ているとね、なんとなく、この、馬鹿げた虚空に満ちた、嫌な世界を変えてくれる気がする。この鳥かごを壊して、僕たちを自由な世界に解放してくれるような、そんな夢が見えてくる。」
「それこそ、夢の話、御伽噺だ。鳥かごは決して壊れることはない。」
夢見がちのうっとりとした感情を打ち消すために私は強い口調で御伽をたしなめる。籠の鳥たちは自由に羽ばたける空を求めてはいけない。
「そうだね。駄目なんだけどね。君たちを見ていると近い未来にそんなことが起こるような気がするよ。」
「夢物語は客にしてもらえばいい。ただし、鳥かごの中で見る夢は辛くなるだけだぞ。」
「ご忠告ありがとう。瀬人も籠の鳥だものね。」
「そうだ。」
私も御伽が入れた茶を口に運ぶ。そう……彼らがここから出られないように、私もまた、ここから離れることが出来ないのだ。鳥たちの世話をするために、私の足にも切れない足枷が鳥かごに結びつけられていた。
「でも、いつか君たちが世界を変えてくれる気がする……僕の勘はよく当たるんだ。」
「馬鹿なことを……」
キャー
はははっ。
どこからか子供の歓声が聞こえてきて、私は声のするほうの雪見障子をゆっくりとあげた。
「冷えると思ったら雪が降ってきたんだ。」
御伽も窓際に来ると、中庭で雪の降る中はしゃいでいる子供たちを眺めていた。
朝の用事を済ませたのか、子供たちはめいめいにふわりと空から落ちてくる白い雪と戯れている。その中に克也の姿を見つけて、私の鼓動が少し早くなった。
色素の薄い髪や肌が雲に隠れた太陽の下にいるのにもかかわらず、光っているように見えた。小さい弟分や妹たちと遊ぶ様子を私は知らず知らず目で追ってしまっていて、その私の横顔を御伽が観察していることに気が付かなかった。
私の視線に気が付いたのか、本能的な勘が鋭いのか中庭を走り回っていた克也が立ち止まるとこちらのほうへ手を振っている。いつもの人懐っこい顔をして、ここには似合わない太陽のように笑っている。
「克也がいるなら安心だね。きっと守っこを頼まれたんだよ。俺も行ってみようかな。」
「やめておけ。汚れる。」
意味ありげな御伽の視線をぶつかって、私は柄にもなく目を逸らしてしまった。私の知らない心の奥を覗かれてしまったような気がして、そそくさと障子を閉めた。
「はいはい。瀬人の言うことは絶対だからね。俺も少し休んでこようっと。」
御伽はいつもの飄々とした仕草で立ち上がると与えられた部屋に戻っていった。
襖が閉まり、ようやく一人になった和室にはまだ外の声が聞こえてきていた。私は無意識に克也の声を耳で拾いながら再び机に向かうことにした。今度は計算を間違えることはなさそうだ。
*****
昼までに支払いの計算を終えた私は外を散歩することにした。
自室に閉じこもっていると、嫌が追うにも克也の最初の客のことを考えてしまう。たった一人のことで頭が一杯になるとは私も焼きが回ったのかも知れない。
宿の門をくぐり表通りに出てゆっくりと川のほうへ足を向けた。午後になり街は人の往来で賑やかになってきた。あと数刻すれば夜がやってくる。
気が付けば川沿いを歩いていて、橋の欄干の下に見慣れた人物を見つけてしまった。色素の薄い髪を見間違えることはない。克也だ。
「何をしているのだ。」
用事を頼まれた帰りなのだろう。私はそっと足音を忍ばせて克也の元へと近づいていった。
ほら、食え。飯だぞ。
おいおい、あんまり舐めんな。くすぐってえからっ。
克也の足元で数匹の子犬がおむすびや卵焼きを食べていた。克也が宿から持ってきたものだろう。美味しそうに食べる子犬を克也は膝を抱えてじっと眺めている。
克也はその中の一匹を抱き上げるとぎゅっと抱きしめた。
「…………」
私は克也に声をかけようとして止めた。肩が震えているに気が付いたからだ。
抱き上げられた子犬が克也の薄い髪を舐めている。
……っ……っ
克也はこうして泣いていたのか。一人誰にも見られることのない場所を探して、誰にも見られることなく涙を流してきたのだ。
私にさえ見せたことの無い涙。
私は見てはいけないものを見てしまったと、その場を離れようとしたが下駄で小石を蹴ってしまった。
「!!!!!っ??かいば……?」
人の気配に驚いた克也は袖口で涙を拭い、慌てて立ち上がる。
「うわっ!!…んで、ここにいるんだ……わりっ……さぼるつもりは無かったんだ…。」
子犬をそっと降ろすと犬を追い払った。
「気にするな。明日は12歳の誕生日で特別な意味を持つからな。今日くらい多めに見てやろう。」
「ありがとう。」
克也はぺこりと頭をさげた。私も涙の意味は予想が付いたし、あえて聞くこともしない。
「少し歩かないか。」
「えっ??」
私の予想外の誘いに克也は驚いた様子で顔を上げた。
「たまにはいいだろう。そのほうが、言い訳もつくぞ。」
「俺のことかばってくれるのか。ありがとな。」
克也は少し頬を赤くして、いつもの笑顔を見せた。この笑顔の為にこの子はどれだけの涙を流してきたのだろう。
「おいで。何か買ってあげよう。」
「えっえっ??」
いつもと違う私に戸惑いながらも克也は着いてきた。いつもならば小走りになる克也の歩調も今日は普通に歩いている。彼は私がゆっくりと歩いていることに気が付いているだろうか。
それから私たちは街の中を遊び歩いた。私は克也に似合いそうなものを買えるだけ買っていった。別に買い物に意味はなく、宿に戻るのを先延ばしにしたかっただけのことだ。
持ちきれない荷物に困り果てている克也を見ていると、このまま時が止まって明日が永遠に来なければいいのにと、心の中で何度も呟いていた。
しかし、時は無常に過ぎ私たちは海馬亭に戻ってきた。
「いいのか。こんなに買ってもらって…」
「礼はいらない。これから必要になるものだろう。」
「……うん……」
己の運命を悟っている克也は笑顔を崩さない。これから待つ克也の日常を思うと何故か、私の胸が切なく痛んだ。
「今夜、夕食が済んだら、部屋に来なさい。」
顔を真っ赤にした克也がはいと頷くのを確認して、私は宿へともどっていく。
*****
その夜……克也11歳の最後の夜。
克也を私は部屋に呼んだ。もちろん明日のことを教えるためだ。
私と向き合う克也は正座をして背筋をぴんと伸ばしている。
行灯の灯りが部屋をぼんやりと照らし、克也の影を揺らしている。
「大きくなった。」
こうして克也と向き合っていると、父親に連れられて来た日のことが昨日のように甦ってきた。
『克也です。』
あのときの克也の声を私は今まで一度も忘れたことは無かったし、一生忘れることはないだろう。
「……5年も………明日で6年か…俺だって大きくなるよ。」
緊張しているのだろう、克也の声が小さく上ずっている。
「初めて見たときは小さくて汚い子供だったのに……。こんなに綺麗に成長するとは思わなかったぞ。」
「へっ…変な事言うなっ、海馬が俺のこと褒めるなんてさ……背中がむずむずするぜ。明日は雨になるんじゃないのか…」
いつもは真っ直ぐに見返してくる瞳が今日は俯いている。軽口とは反対に、膝に置いた両手が小刻みに震えていた。
「怖いか?」
明日の今頃は誰かの腕の中に居るのだ。怖くて当たり前だろう。
「怖くなんかないさ……ここに来たときから分かってたし…。」
図星をつかれたのが嫌なのか、克也は私の視線を正面から捕らえる。人を惹きつけて止まない瞳に覚悟が加わって、克也の持つ強さが輝きをまして、私の心を揺さぶった。
「お前は強い。だが……我慢しなくていい…」
「かいばっ!」
克也に逃げる間も、身構える間も与えず、私は震えている体を腕の中に納めた。
「明日の客が決まった。」
腕の中にいる克也の体が強ばる。
「誰……?」
「米問屋の……」
私が明日の客の名を告げると、克也ははい。と諦めたようにうなづいた。
「すまない。断りきれなかったのだ。アイツは手荒いことで有名だから、克也の客にしたくなかったのだが……」
何故、この私が克也に対して言い訳をしなくてはならないのか、言いながら私の頭が真っ白になっていくのが分かった。
「謝まんなよ。それが俺の仕事なんだからさ。」
顔を上げた克也は少しだけ淋しく見える笑みを浮べていた。
「かつやっ。」
初めて見た克也の顔。読み書きを教えたときの真剣な顔。こっそりとおやつを食べたときの顔。喧嘩の後の気まずそうな顔。一生懸命に薪を運ぶ顔。そして、今日の橋の下での泣き顔。
今まで共にしてきた克也が私の中に一気に甦ってきて、気が付けば私は克也の唇を塞いでいた。
心の奥に押し込めてきた感情をとどめる術を私は持っていないようだ。
角度を変えて、深さを変えて、私は克也の柔らかで甘い口の中を貪っていた。性急な私について来れず、上がる吐息までも飲み込んで克也を求めた。
「、、、か、い、、ばっ、、、、」
初めてのことで息が苦しくなった克也が胸を叩くまで私は克也を離さなかった。
「……アイツに克也を渡したくない…あの男に克也を任せるのであれば…いっそ私が…」
「俺も、海馬が、、、、ぃぃ、、、」
頬を赤く染めた克也が小さな声で私を求め、背中に腕を回したのを合図に私は克也を抱き上げ、隣の部屋に用意してあった布団の上に降ろした。
「かいば…」
「いいのか。今拒まなければ、止めることは出来ない。」
横になる克也の隣に腰を下ろし、最後の選択のチャンスを私は与える。今なら、苦しいけれど引き返せるかもしれない。
「ううん。海馬じゃなきゃいやだ。」
克也は静かに首を振り両手を伸ばしてきた。
「後悔しても遅いぞ。」
それは私自身に言い聞かせた言葉かもしれない…
今度は私が克也の腕の中に身を投じる。
私は出来るだけ、時間をかけてゆっくりと克也の体を開いていった。
感じるところを見つけては、恥ずかしくないのだと教えて克也の体のあちこちに火を灯す。
しなやかで張りのある肌に朱を散らしては克也の鳴き声を引き出していった。
もっとも狭く窮屈なところは丁寧に慣らしていき、克也の体と心の準備が出来るまで、克也が求めてくるまで待った。
そして、ようやく小さな声で克也が私を求めてきたがやはり怖いのであろう、熱いものに克也は身を硬く強ばらせてしまった。
「力を抜け…」
「、、抜いてる、、、、っ」
「ばか者が…こんなに硬くなっては入るものも入らないぞ。慣らしてあるから…大丈夫なのだ…」
「だから、、、抜いてるって、、、」
本能の防御には言葉では説得できない。私は再び克也の唇を塞いだ。
「、、、っふ、、、、んん、、、っ、、」
互いの舌を絡めあい、唾液を混ぜあって、柔らかな唇の食む。そうして克也の緊張がほぐれた隙に私は克也の中にようやく入ることが出来た。
「、、、、はぁ、、、っ、、かい、ば、、、、、っ」
まだ、成熟していないそこに私を受け入れて、克也は息も絶え絶えになっている。しかし、私も止めることは出来なかった。克也にはまだ教えないといけないところがたくさんあるのだ。
*****
柔らかな朝日が和室を包み始めるころ、克也は私の腕の中で寝息をたてている。克也は初めてのことに関わらず、私の求めることに応じて、自ら進んで受け入れ、馴染んでいった。
背中を多少引っ掻かれたが、克也が私を受け入れた証拠だと思えば、痛みさえうれしく感じた。
まだ、和室の空気は数刻前までの甘い気配が残っているけれど、あと少し…克也が私の腕の中から出てゆけば元に戻るはずだ。
「……せと………」
克也が寝言を言っている。最後まで気を遣ることなく付いてきた体は疲れはて、睡魔に絶えられないようだ。
私はそっと体を起こすと、前髪を除けて普段は見ることのない額に唇を落とした。
「克也……」
まだ、行為の名残の残る、火照り桜色になっている頬をなで、艶やかな唇を親指でなぞる。
「かつや……」
指の後を追い、唇を這わせていった。
なんということだろう。
誕生を迎える今日になって、こんなに克也が愛おしく想えるとは。
どんなに金を積まれても、克也を誰にも渡したくない。
克也の全部を私のものにしたい……
違う。私の側にいてほしい。
今頃、自分の気持に気が付くなんて、
私は大ばか者だ。
「克也…許せ。」
私の着物のすそを握り締めている手を解き、その手の甲に私は唇をつけた。
店に出したが最後、宿の主である私でさえ商品には手を触れてはいけなくなってしまう。
「克也。私の克也…」
胸が苦しい。張り裂けてしまいそうだった。
この想いを吐き出せば楽になれるのだろうかと自問自答しながら、私は克也の名を呼ぶことしか出来なかった。
「海馬。」
「!!!」
いつの間に起きたのだろうか、力のもどった克也の柔らかく暖かな手が、私の頬を包んでいた。
「すまない。起こしてしまったな……私は起きるけれど……夕べは無理をさせてしまったからもう少し眠るといい。」
私はその後の言葉を続けることが出来なかった。
『今夜からは眠れなくなるから。』
むごい言葉を最愛のものに言えるわけがない。
「海馬は寝なくてもいいのか?」
「私のことは良い。慣れているから気にするな。克也は休みなさい。」
「嫌だっ!海馬が休まないなら…俺も起きる。」
私の頬を包んでいた手を首に回し、克也は起き上がった。
「……っ!!」
加減をしたつもりだったが、酷使した場所が痛んだようで克也の顔が歪む。
「すまない。加減したつもりだったのだけど。痛むか?」
私の首に縋りついて体を起こすと克也は首を振った。
「大丈夫……俺、初めてが……その……海馬でよかった……です。」
克也は私を真っ直ぐに見てそういった。
初めて会ったときと、なんら、変わらない克也が私の腕の中に存在している。
「克也っ」
私は克也を力を込めて抱きしめた。
「…………。」
克也も何も言わず、私に身を任せている。
ああ。
克也を渡したくない……
あの子は違うよ。あの子は俺たちのほうに来ちゃいけないんだ。それを止められるのは瀬人しかいないんだよ。
あの子はここに納まるべき子じゃないよ。ここにいるみんなが認めているんだ。あの子を見ているとね、なんとなく、この、馬鹿げた虚空に満ちた、嫌な世界を変えてくれる気がする。この鳥かごを壊して、僕たちを自由な世界に解放してくれるような、そんな夢が見えてくる。
克也の確かな温もりを腕に感じていると、ふと、御伽の言葉が頭の中に甦ってきた。
止められるのは、瀬人しか……
いない。
私でいいのだろうか……
鳥かごを開けてもいいのだろうか……
克也と共にならば鳥かごを壊せるのだろうか。
「……くるしっ……」
克也が息苦しさに身じろぐ。
「克也、良く聞きなさい。」
「……はい?」
克也が布団の上でちょこんと正座をする。
「今、私は仕事がたくさん合って忙しい。モクバが手伝ってくれるが、とても追いつかないくらいなんだ。そこで、私とともに仕事をしてくれる人間を探している。」
「は……ぁ……」
私の真面目な表情に克也の緊張して、ごくりと唾を飲み込んだ。
「私の仕事を手伝って欲しい。」
「えっ???」
克也の目が大きく見開かれ、驚きのあまり口を閉じることを忘てしまっている。
「おれが……?」
「そうだ。克也に手伝ってほしい。これは命令ではないぞ。私からの頼みだ。」
「俺が…海馬と……」
私は大きく頷いた。
「かいばっ!!」
「おっと。」
克也が勢い良く私の胸に飛び込んできて、その勢いで後ろに倒れてしまった。
ばふん。と布団の海に倒された私は克也を見上げた。
「おれ……おれ…海馬と仕事がしたいっ!!海馬の手伝いをするっ。」
男娼の身に落ちなければならなかった運命の急展開に、克也の薄い色の瞳が輝いている。興奮の余り私の上に乗っていることにも気が付いていないようだ。
昨日までの暗い色が消えた、克也の晴れ晴れとした顔に私の心も鬱積したものも吹き飛んでいく。
「その言葉に嘘はないな。もう、取り消せないぞ。」
「はいっ。俺、がんばるぜ!!」
「私の仕事は厳しいぞ。弱音を吐くのは許さないからな。」
落ちてくる克也の涙を掌に受け止めて頬を撫でる。
「びしびしやって下さい。俺、負けないからっ!!」
私の掌に頬ずりする克也の顔は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「それと、もう一つ。俺から離れるな。」
「おれ……??」
「俺と共に居て欲しい。俺の側に居てほしい。」
克也が目をしばたかせた。
「海馬……」
俺は克也を胸に抱きとめる。
「好きだ。お前が愛おしい。離したくないのだ。」
「海馬…の心臓の音が聞こえる。」
俺の胸に耳を乗せて、俺の早くなった鼓動を聞いている。
とくん。
とくん。
「海馬の心臓の音は大っきいな。」
当たり前だ。克也がここにいるのに、小さくなるはずがないだろうが。
「俺のも……感じて欲しい……たぶん……早くなっているから……」
克也は私の手をとり、はだけた胸の上に導いていった。
上下する体温の高い肌の下から、掌に伝わってくる確かな鼓動が、俺と同じように早くなっている。
「俺も……海馬のこと……大好き………。」
凛とした声が俺の耳に心地よく響いた。
初めて会ったときより、その声は綺麗で澄み切って聞こえる。
かつや
かいば
克也は目を閉じると、ゆっくりと俺に唇を寄せてきた。
桜色の柔らかで、少し震えている唇がそっと触れると、俺は待ちきれなかったように、克也の全てを受け止めていった。
何度も口付けを交わして、克也が上がってきた息遣いの中で今夜の客のことを思い出す。
「あっ、、、米問屋の、、、、、んんっん」
「気にするな。俺が何とかしておこう……」
それこそ私の腕の見せ所というのもだ。
克也の体を抱き込むと、本腰を入れるために体制を変えた。
朝餉の支度が出来てきたのだろう、奥の部屋にもご飯の炊ける匂いと味噌汁の良い匂いが届いてきた。しかし、克也と瀬人の朝食はもっと遅い時間になりそうだ。
〜〜僕の勘は当たるんだよ。ね。〜〜
城之内くん誕生日おめでとう!!
はぁはぁ・・・城之内くん誕生日企画の小話、いかがでしたか?楽しんでいただけたでしょうか?今回はエッチは控えめです〜〜貴女のお好みの画像でお楽しみください。
どこが誕生日やねん!!社長がおらへんぞ!!!っていう突っ込みは無しにしてください(懇願)
とにかく、オンリーで「甘いのを書け」「砂糖10杯入れなさい」「ちゅーはロマンだ」と海城のもだえポイントを脳内にメモりつつ、それを自分なりに実行してみましたが、甘くなってるだろうか・・・めっちゃ不安です〜〜
誕生=男娼
がんばってこじつけてみました。リテークは不可です。(心の叫び)
今回は初めて海馬目線でのお話になりまして、乙女でヘタレな海馬になりました。(だって、ヘタレな社長が好きなもので・・・)書きながらこのシャチョはいくつなんだろうと想像しました。理想は城之内12才・海馬22才(終了時)の10歳のがいいなあ…ビバ☆年の差ラブ☆
書き終わってから言うのもなんですが、これを城之内目線で書いたら、年の差に悩む片思い小話になりそうです。
全然関係ないけれど、米問屋のダンナの名前は「屁我差」ペガサス・・・・すかしっ屁 野郎です。
素材はこちらからお借りしました〜この桜の使ってみたかったんです☆