リング・リング・リング




 ぎぃっ
少しさび付いた、重い鉄の扉を開けるとそこは俺だけの世界。

退屈な授業を抜け出して、指定席となった屋上に城之内がごろんと寝ころんで空を見上げている。
暑い夏を越えた空が青色を濃くしていた。城之内の心を捕らえて離さない青色。
教室の四角い窓からだと足りなくて、ここに来た。

ここで寝ころぶと視界を邪魔するのもは何もなく、雲一つない快晴の青を一人締めできた。秋のさわやかな風に吹かれてただ、ぼうっ、と空に包まれる。

「……せと……」

求めてやまない人の名を呼んでみた。
社長なあいつは忙しくて、自由に会うことは出来ない。
テレビで流れているあいつを見るほうが時間にして長いのかもしれなかった。現にもう何日顔を見ていないだろう。
あいつの立場を考えると、子供のようなわがままは言えない。寂しさを感じないように自分に言い聞かせて、ただ、空の青にあいつを重ねた。

「………。」

胸いっぱいに秋の空気を吸い込んで、寂しさに蓋をする。
その証拠に息を吐くときは、唇だけで名をたどるだけだった。


「呼んだか。」


聞き慣れた、心地よい低音が耳をくすぐった。そして、青い空をバックにあいつが視界の中に入って来る。

「うわっ!!……って、かいばぁ……!!!?」
がばっと、城之内が飛び起きると、そこにいるのは確かに海馬だ。移動途中に立ち寄ったのか、制服ではなくグレーのスーツに身を包んでいる。
「わわわ……っ!いきなり現れるんじゃねぇよ。心臓が止まるかと思ったぜ。」
気配を感じさせることなく、現れた海馬に城之内の鼓動が早くなっていた。
「ぼうっとしているのが悪い。」
足音を忍ばせる訳でも、気配を殺して来たわけでもない。普通に城之内の側に来ただけだと、無防備に空を見上げていた城之内が悪いのだと、青い目の恋人は言う。
「考え事でもしていたのか?………頭に良くないぞ。」
「…大きなお世話だ。」
お前の事を想ってたんだ。とは、絶対に言ってやらない。まだ、心臓がどきどきしていて、隣に座った海馬に聞こえてしまいそうで、城之内は目を反らした。


「仕事は…いいのかよ。」
「あぁ。少しならばな。大丈夫だ。」
「そっか。」

『少しならば』海馬が言うのだから、本当に少しなんだろう。しかし、絶対に会えないと想っていた海馬が側にいるという、それだけで城之内の胸の中にあった寂しさが霧散していった。
 次のチャイムが鳴るころにはここにいないと分かっていても、この時間を大切にしていたい。


「食べるか?」
海馬は手にしていた細長い紙製の箱を城之内に渡した。
「は?」
 城之内は海馬から受け取ったものを見て驚いた。それはあまりにも海馬のイメージからかけ離れていたからだ。
 一目でわかる、某ドーナツ店の箱。
「これって…」
「見てわからんのか?きさまの目はどこについているのだ。」
 少し早口になった海馬の声がうわずっているようだ。
 海馬とドーナツ。
 似つかわしくない組み合わせに笑いを堪えながら、城之内は箱を開けてみて更に絶句する。
「…………………………………ぉぃ。どうしたらこんな買い方になるんだよ。」
 細長い箱一列に綺麗に並べられたドーナツ10個。
 全て同じものだったから。
「以前、これが好きだと話していたではないか。他に何を選べばいいのか思い付かなかったのだ。」
 そういえば、少し前にこの店のこのドーナツが好きなんだと言った記憶が蘇ってきた。
「適当に他のも注文すればいいじゃんか……………って、お前が買ったのか??!!」
 てっきり磯野にでも買いに行かせたのだと想像していた城之内は改めて驚く。と、同時に甘い匂いが立ちこめる店内で、ガラスケースに並んだドーナツを注文する海馬の様子を想像してしまった。
 海馬とドーナツ。
 一体、どんな様子で買い物をしたんだろう。店員さんも驚いただろうな。
 ぷぷっと笑いが込み上げてくる。
「悪いか。」
 バツが悪いのか、照れるのか、恥ずかしいのか、普段顔色を変えることのない海馬の顔が真っ赤になっている。
「いや、悪いとかじゃなくてさ…………ぶはっ」
 照れ隠しに、城之内を睨む顔さえかわいく見えて、とうとう堪えきれずに、城之内は吹き出した。
 腹を抱えて笑う城之内。先ほどの寂しげな気配が消えて、険しかった海馬の表情も和らいでいった。

 寂しがり屋の琥珀色の恋人は決して弱音は吐かない。
 意地っ張りで、強がってばかりで、それでいておせっかいなほど周りに気遣ってばかりで、いつか倒れてしまうのではないかと、目が離せない愛しい存在。
 もっと素直に自分に頼ってほしいと願うが、逆に恋人は自分の心配ばかりしている。
 やさしくて強くて、淋しげな城之内に癒されているのは海馬のほうかも知れない。

「ははは…………っ、わりぃわりぃ。」
 まだ、笑い足りないのを無理矢理こらえて、城之内は箱からドーナツを取り出すと海馬に渡す。
「一緒に食おうぜ。これ、いけるんだから。」
 
 海馬の手の中にある、甘いドーナツ。
 たしか、なんとかリングという名前だった。
 甘い生地の上に砂糖でコーティングされたのもは、想像に難くないくらい甘いのだろう。
 ふと、隣の城之内を見るとすでに2個目に突入しようとしている。桜色の唇に砂糖を残して頬ばる様子に、海馬もドーナツを口にした。
「………………甘い」
「な、美味いだろ?俺、これが一番好きなんだよ。一見シンプルでいて、微妙にモチモチした食感が堪らないんだ。 何個でもいけるぜ。」
 確かに城之内の言うとおり、想像していた舌触りとは違う気がする。しかし、所詮はドーナツだ。何故、城之内がこんなに褒めるのが分からない。
「……?…」
「これって、何となく、唇の感じに似てるって思わねぇか?」
3個目に手を伸ばしながら、不意に城之内が言う。と、同時に海馬の手が止まった。
「このモチッとしたところがさ、なんとなく、唇を思い出させるんだよなぁ〜」
「…………。」  笑いながら素直に感想を言っていると、不意に海馬の顔が近づいてきて城之内の唇に重なった。
「………へっ………?………………………っ!」
 軽く触れているだけだと思っていたら、去り際に上唇を下唇を交互に咬まれた。
「…………………………」
 城之内の唇に付いた砂糖を舐め取るり、残りのドーナツを口に放り込み、城之内のそれと比べてみる海馬。
「城之内のほうが甘いな。俺はこちらが好みだ。」
「っ!!!」
 いたずらっ子のような笑みを浮かべると、もう一度城之内の唇を食した。今度は甘い中まで堪能する。
「ん……っ…か…ぁ…」
 お互いの唇が甘く溶けていく。
 城之内を味わいつつ、海馬はドーナツの入った箱を取り上げ、床に置いた。
 両手が開いて、手持ちぶたさになった城之内が海馬の背中に腕をまわす。ぐっと二人の距離が縮まり海馬のコロンの香りが城之内を包む。
 城之内の好きな海馬の匂い。
 スーツの下に隠されている鍛えられた身体が、城之内を包んだ。
 甘い口付けと混ざり合って、城之内の思考も溶けてしまいそうだ。
   
 自由に会えない制約が、わずかな二人の時間を濃密にしていった。
 
 ゆっくりと唇が離れる時、さっきのお返しとばかりに、海馬の唇を城之内は噛んだ。
「へへっ。俺もこっちが好きだ…ぜ。」
 背に回した腕に力を込めて、胸一杯に海馬を感じる。
「城之内。」
 海馬もまた、腕の中に納まる城之内を感じていた。
「なぁ、なんで10個も買ってきたんだ?」
 海馬の体温に包まれながら、疑問を投げかける。
「明日から10日間、日本にいられなくなった。」
 なるほど、だから10個なのか。
「ふぅん。」
 10日間…長いのか、短いのか。慣れてしまった時間に城之内は淋しげに笑う。
「じゃぁ、明日から毎日、ドーナツを食べとくぜ。食べながら海馬のこと思ってるよ。」
「では、俺もそうしよう。一つならば何とかなるだろうからな。」
  「無理すんなよ。」
「当たり前だ。」
 もし、許されるならこのまま一緒に連れて行きたい。そんな衝動を堪えて海馬は城之内を抱きしめた。
「……もう、時間切れだろ?」
 海馬のポケットの中で振動する携帯が、短い逢瀬の終わりを告げている。
「気をつけて行ってこいよな。」
「………。」
 城之内は笑顔を作ると、海馬の胸から離れた。
「待ってっからよ。じゃな。」
 名残おしそうにしている海馬の背をそっと押す。これ以上の時間は淋しすぎるから。
「あぁ。行ってくる。お前も無理するんじゃないぞ。」
 海馬も分かっているのか、もう一度だけ城之内の頬に唇を落とし、屋上を後にした。

 海馬が鉄の扉の向こうに消えるまで見送ると、城之内はドーナツを手に空を見上げる。
「10日なんて、すぐに過ぎるさ。」
 丸く切り取られた青い色に、恋人を重ねる。
 
「大丈夫。俺は大丈夫。」
 ズッと、鼻をすすりドーナツに噛り付いた。
 少ししょっぱい味が、砂糖の甘さに包まれていった。


 10日間、アイツを想ってドーナツを食べよう。
 






甘いのか甘くないのか、こんなのができました〜
いや〜最近全く、書けなくて……面目ない。
この二人、甘甘ですよ。砂はきそうなくらいですね。きふじんにしては珍しく(はじめてかも)スーィトラブな海城です(……たぶん)
書きながら、傷跡な二人で妄想してみました。要は、今の後な二人かな。きっとこんなんだろうと思いつつ、ドーナツを食べる海馬さまにうふっ。
では、では。