12月24日




 あったかい
 ふわふわする
 
 
「……ん……」

 とくん とくん 

  「んー」

 心臓の鼓動が聞こえる。

 柔らかくて、心地いいものに包まれている。
 気持よくて安心できて。
 掌の先に覚えた温もりを感じる。

「ん…?」

「おはよう。気分はどうだ?」

   すっごく、近くでアイツの声がして、俺は眠りから急速に覚めるのを感じた。

「?」
 俺…一人で寝てたよな…なんで、隣にこいつがいるんだ…?
 なんとなく、目を開くのが恐ろしくてもう少し寝たふりをしようとしたら、アイツが隣で動く気配がした。やばい…何かをしようとしてる…何をしようとしているのか分かってて、
「おっ…おはよう。かい  ぅわっ  」
 腕を突っ張ってアイツからの攻撃を阻止しようとしたけど、無駄だったみたいで、唇をふさがれてしまった。
「んっ…」
 いつものように、息が出来なくなるくらいまでされると思ったら、すぐに解放されて俺は目を開いた。
「…ぁ?」
 予想以上に海馬の顔が近くにあって我ながら間抜けな声が出たと思う。
「おはようの何とかというやつだ。目が覚めただろう。」
「###……」
 真顔で言われて、恥ずかしくて顔が赤くなるのが分かった。なんでこいつは恥ずかしくないのか?
「バッチり…覚めました。」
 すっと逃げようとしたらアイツの手がおでこに添えられる。熱を確かめているんだろう。
「下がったようだな。」
「ああ。全快だぜ。」
 念のためにと体温計を渡されて、大人しくそれを脇にはさんだ。一日ゆっくりと寝たから気分はスッキリとしている。風邪特有の倦怠感も、寒気も頭痛も治まっていた。
  「昨日、一日寝たから治ったみたいだ。」
「確かに…よく寝ていたからな。」
 一緒に夕食を食べているときも、うつらうつらと船をこいでいた城之内。食べている途中に完全に眠ってしまって、海馬がベッドまで運んだのだった。隣に横になっても一向に目覚める気配もなく、そのまま朝を迎えたのだ。
 うれしそうに体温を測る城之内の様子からは、昨日までのつらそうな影はどこにも見当たらない。青白かった顔色も今は普段と同じ肌の色に戻っている。
「ありがとな。海馬のおかげだぜ。」
 起き上がると城之内は大きく身体を伸ばす。と、お腹がぐうと鳴った。
  「朝ごはんにしよう。」


*****
 


「今日はどうするのだ。」
 海馬は城之内に今日の予定を聞く。
「ん〜風邪も治ったから、ばりばり働くぜ!2日間も休んじまったから、店長にも悪いしな。」
   ごく当然のことのように城之内は言う。
「もう一日、休むとか考えられないか。」
 予想していたとはいえ、昨日の今日だ。体力が回復していないだろう身体を気遣って、もう一日休むように言うが、
「お前だって、休まないだろ。俺も同じなんだぜ。来月の生活がかかってるんだ。」
「分かっている…だが…」
「平気だって。完全に治ったからさ。マジで心配しなくてもいいぜ。」
 海馬の看病のかいがあってか、すっかりいつもの姿に戻った城之内はテーブルの上に並べらた料理を片っ端から腹の中に入れていっていた。
「この卵焼きは最高に上手いぜ。」
 もぐもぐと動く口の端がまだ赤くなっている。城之内には当たり前のように喧嘩の跡が絶えなかった。待ちにたむろする不良から、父親まで。最近は不良との争いはしていないようだが、父親とは相変わらずのようだ。つまらないことはやめろと忠告すると、「向こうが絡んでくんだよ。売られた喧嘩はなぁ。」と、いつも言葉を濁す城之内。
「誰に…やられたのだ。」
 そして、今回も誰かと何かがあったのだ。
 海馬は傷口にそっと触れる。
  「いつものことさ。ってな。」
 ばつが悪そうに肩をすくめる仕草が、相手のことは言わないことが、父親にやられたんだと暗に語っている。
「いつものことか…まだ、援助のことは考えられないのか?」
 返ってくる言葉は分かっているけど、海馬はあえて重い口を開いた。
 高校生でありながら勉強ではなく働くことに、労力を費やさなければならない悪循環を断ち切る方法は一つしか思い浮かばない。
「悪りぃな……親父は…俺との問題だから…」
 城之内は視線を落とす。
 海馬からの助け手はありがたいことだと思う。この男に一言頼めば、城之内の環境は変化するだろう。だからこそ、頼ってはいけない気がする。ここで海馬の手をとってしまえば今までの自分が壊れてしまいそうで怖かった。怖くて一歩が踏み出せなかった。
「そんな顔すんなよ。」
 海馬の蒼い視線が痛くて、わざとらしくならない程度に明るく振舞う。
「大丈夫だって。これでもな、最近は少しだけど、日雇いだけど、働くようになったんだぜ。時間はかかるかもしれないけど、親父もそのうち立ち直ってくれるって信じてるからさ…」
   城之内の言葉に嘘はない。父親も自分の飲み代くらいは稼ぐようになっていた。が、酒の量は相変わらずだし、息子のことに関しては全くといっていいほど関心は無かった。
 学費や生活費を自分で捻出しなければならない生活は変わっていないけれど、仕方がないことだと城之内は半ば諦めていた。だらしのない人間だけど、親なのだ。
「あまり我慢するな。」
 本人は笑っているつもりかも知れないけれど、今にも泣き出してしまいそうな笑顔に海馬は苦しくなる。
 モクバが海馬を大切にするように、城之内もまた父親を慕っている。今はまだ、どうしていいのか分からず立ち止まったままの親子だけど、いつか必ず良い方向に変われる日が来るはずだ。海馬はその日が来ることを、城之内を信じて待つ。
「ありがとな…ごちそうさまでした。」
 時計を見れば仕事に向かわなければならない時間が迫ってきていた。

 

「じゃ、俺、もう行くからさ。」
「まて、今日はこれを着ていろ。」
 ジャンパーに袖を通そうとすると海馬がジャケットとマフラーと手袋を持ってくる。
  「かいば…」
「今日も一日冷えるらしい。風邪がぶり返さないように暖かくしておくんだ。サイズは城之内に合わせてあるし、これならば制服の上からでも着れるぞ。」
 冬はまだこれから。制服だけでは心もとない。
「もらえないよ…」
 海馬の気持はありがたいけど、
「ばか者がっ、この寒空に薄着でいるから風邪をひくのだ。医者も薬もだめなら、せめて、風邪をひかないようにしておけ。」
 風邪のことを言われると、さすがの城之内も言い返すことは出来ない。
「でもよ…高いんだろ?」
 海馬が用意したものだから、きっとブランド品なのだろう。
「値段は考えるなといいたいところだが、気にすると思って、量販店から選んできてあるぞ。」
 と、襟元のタグを見せる。
  「まあ、城之内ならば何を着ても安物にしか見えないから安心するがいい。」
「…んだと。海馬なら高級品なのかよ〜いやみだなぁ…まっ、いいか。バイト代出たら、金払うから貸しにしといてくれよ。」
「金はいらないと…」
 海馬なりの気遣いはうれしいけれど、城之内にもプライドがあった。海馬の言葉を途中で遮ると首をふる。
「とりあえず。借りとくぜ。」
 そう言うと、ジャケットをはおり、マフラーを巻いた。
「暖ったかいや。ありがとう海馬。」
「凡骨としては似合っている。」
 器用にマフラーを整えると、その腕で城之内を抱きとめる。身支度をした城之内からは海馬と同じシャンプーの香りがする。
「約束してくれ。今日は絶対に無茶なことはしないと。治ったといっても病み上がりなのだから。」
「わかってるって。」
 海馬の胸の中で城之内は頷いた。
  「今夜もここに帰ってこい。」
「はぁ?」
「待っている。」
「駄目だよ。今日は何の日か分かってるのかよ!クリスマスなんだぜ?」
「だからではないか。今夜は明けて置けといっただろ。」
 恋人がクリスマスの夜を共に過ごしたいと思うのはごく当たり前のことで、その思いは海馬も同じだ。
「海馬にはモクバがいるだろ。お前がいなくてどうすんだよ。」
「ならば貴様も邸に来るがいい。3人で過ごせば問題なかろう?」
「ばーか。やだって昨日も言ったじゃねーか。絶対にお前ん家はいかないからなっ。それに今日はめい一杯シフト入れてんだよ。」
 それはうそだった。城之内も今夜は居酒屋は休みにしてあった。店長からは『デートか?』とからかわれたが。友人とパーティをすると言っておいた。シフトを組むときにはまさか、父親に金を捕られてしまうとか、腕時計が無くなってしまうとか想像していなかった。
 海馬と一緒に過ごしたいとは考えていなくて、仕事帰りにちょっとだけ時間を貰って、海馬の驚ろかせたかった。その為にバイトを増やしたのだ。今となっては全てが水の泡。酒の泡に変わってしまった。
「クリスマスってだけで、今夜俺がココに来る理由にはならないよ。」
 モクバから兄を取り上げることは城之内は出来ない。海馬はモクバと共にクリスマスを過ごすのがふさわしいのだ。
「城之内…」
 思い込んだら最後。海馬より頑固な城之内にうんと頷くことは無かった。



******

 

あーあ。なんでこんなふうになっちまうんだろう…
 先ほどの気まずい別れ方に城之内の気分が落ち込んでしまっていた。日本中が浮かれる日だから余計に感じてしまうのかもしれない。
   玄関先で、ひき止めようとする海馬を強引に振り切って飛び出した。そのまま仕事に行ってもよかったのだけど、父親のことが心配になって一旦家に帰ることにした。団地の自宅につくとポケットから鍵を取り出してドアを開ける。重く冷たい鉄の扉の向こうにあるものに、城之内の気分は更にへこんでいった。
 清潔で洗練された海馬のマンションとは違い正反対の自宅。袋につめられたまま、放置されているゴミの山。そして部屋にはタバコのヤニと、アルコールの匂いが充満していた。
「しゃねーか。これが俺の現実なんだもんな…」
 ぺしっと両頬を叩き、気合を入れると、城之内は靴を脱いだ。
 この家の惨状を見て海馬はどう思っただろうか。
「掃除しないとな…。」
 海馬をこの家に呼ぶつもりはさらさらなかったから、手をつけなかったがいい加減に限界かもなと、台所に向かった。
 カーテンの引かれた薄暗い部屋で、案の定、父親は酔いつぶれて大いびきをかいている。
 城之内は起こさないよう、足音と気配を消して父親へ近づくと、ポケットの中から財布を抜き出した。
「残っててくれよ…」
 全額は無理でも少しなら残っているかもしれない…少しだけ期待をして中を見る。
「―――――――はー。」
   中に入ってあるのは、数枚の千円札と小銭が少し…
「くそおやじっ」
 黒い財布を握りつぶした拳が怒りに震える。頭に血が上ってくるのが分かった。このろくでもない父親は城之内が2ヶ月働いた対価をたった2日で使い果たしてしまっていた。
「んだよっ!ざけんじゃねぇ。このっ!くそおやじ!!!」
 はらがたって、ムカついて、嫌になって、イラついて気が付いたとき、城之内は財布を床に叩きつけ、大声で怒鳴っていた。そして、思いっきり手加減なしで父親の腹を蹴りつけた。
「…ぐぅ…っ…」
 酔いに任せた安眠を妨げられて父親がのそりと目を覚ます。
「くそったれ!俺の金、返せよ!!」
 まだ、寝起きで動きの鈍い父親に飛び掛り馬乗りの体制になる。
「てめぇ。」
 息子に突然蹴り飛ばされ、暫し状況のつかめなかった父親も次第に戦闘態勢に入っていった。
「出せよ!!俺の金だ!!返しやがれ!!泥棒っ!!!」
   父親の胸倉を掴みぐらぐらとゆすぶった。
「克也 おめぇ 自分がなにやってんだかわかってんだろうな 」
 海馬の耳心地のいい、とろける低音とは違う、地の底を這うような重低音の父親のどすの利いた声。
 いつもならば怯んでしまうが、優位に立っている体制と怒りが城之内を占めていて、薄暗い部屋の中で琥珀の色が濃くなっていた。
「知るかよ。返せ!!!」
「馬鹿には身体で教えてやらんと…なっ!」
 シャツを掴んで、城之内の自由を奪うとお返しとばかりに下から腹に膝を入れる。
「がぁっ…」
 腹から鈍い痛みで、朝食べたものが逆流してきそうになったが、それを堪えて父親に頭付きくらわした。
「うるせえ 俺の 金 返せって 言ってんだよ!!」
 近所迷惑も考えずに城之内は叫んだ。
「 かね? しらんなぁ  何のことだぁ ?」
   分かりきっていることなのに、わざと知らない振りをする父親の顔が憎たらしくて仕方が無い。
「しらばっくれてんじゃねぇよ!!金だよ!!俺から盗んだ金を返せっていってんだろぅが!!」
「しらねえなあ」
 開きなおった父親はふてぶてしく言う。下から少しは成長した息子を濁った目で睨みつけると、舌で唇を舐めた。
「父親を泥棒呼ばわりする、馬鹿息子には教育してやらんとな。」
 力任せに城之内を投げ飛ばすと、ゆらりと立ち上がる。
「んだよっ!!どろぼー!!」 
 城之内も負けじと飛び掛った。父親を殴った所で金が返ってくるわけでもない、不毛な争いだと分かっているけれど、殴らずにはいられなかった。
   



  *****



それから数時間後――

「いちちちっ  」
 サンタクロースの真っ赤な衣装に着替えた城之内が鏡の前で最後の仕上げの白いひげをつけている。
 少し前の父親との派手な乱闘で城之内の顔は見事に腫れあがっていて見るからに痛々しそうだ。
「……おい…また、派手にやったなぁ…」
 城之内の隣で同じく着替えをしている本田が、心配そうに鏡を覗き込んできた。
  「ああ…親父とやっちまってな…いったぁ…」
「相変わらずなんだな。」
「まあな。サンタクロースがひげ面の爺さんでよかったぜ。」
 余計な気遣いはいらないと、城之内は話をそらした。
「ははっ。そうだな。」
 本田も、中学のときから変わらない姿に見慣れているのか調子を合わせた。
 今日は臨時で商店街のクリスマスセールの宣伝を入れていた。夕方までサンタに扮して、チラシと風船を配って歩くのだった。
「できあがりっ…と。」
 目元を残して顔のほとんどを真っ白なひげで覆い隠した、2人のサンタクロースが出来上がった。
「どうかな?わかんないだろ?」
 最後に本田に顔を確認してもらう。
「OK!ばっちり隠れてる。」
  「おうっ。」



*****



 メリークリスマス
 メリークリスマス
 商店街でクリスマスセールをやっています。
 
 風船を子供に、チラシを大人に。二人のサンタは駅前や広場を歩いてまわった。
「サンタさんだ〜」
 サンタを見つけた子供たちは風船をねだる。
「はいどうぞ。」
「ありがとう。」

 子供の集団がひと段落すると、城之内は周りを見渡した。街にはたくさんの人が行き交っている。カップルや親子連れが皆、笑顔で一年で一番喜びの日を過ごしていた。
 クリスマスプレゼントを両手に抱えて子供たち。いつもより豪華な食事の支度をする母親。二人の時間に浸っている恋人。白いひげの向こうには城之内が得られることのない光景が広がっている。

おれはこんなの知らない…

   すれ違う人がみんな幸せに見えた。両手に抱えきれない見えないものを持っている。

「サンタさん風船ちょうだい。」
「えっ?」
 城之内の側に小さな女の子が駆けてきた。長い髪を赤と緑のリボンで二つに結んでいる。
 この子は城之内よりたくさんのものを持っているのだろうか…
 毎年サンタは当たり前のようにやってきて、夢と愛を枕元に残していくのだろうか?
 子供に夢と希望を与えることが、サンタクロースの役割ならば、城之内にはあげるものはない。
 空っぽの両手にある色とりどりの風船がむなしい…

「サンタさん どうしたの おなかいたいの?」
 女の子にそう言われて、城之内は自分が泣いていることに気が付いた。
  「ごめんね…ゴミが目に入ってしまったみたいだね。風船はどの色がいいかい?」
 慌てて涙を拭い風船を渡そうとした時
「わあっ!!!」
 両手から風船が空に舞い上がった。
「ふうせんが…きれい…」
 灰色の今にも泣き出しそうな空に赤・青・黄色…いろんな色も風船が風に吹かれて昇っていった。
「あっ…」
 もう、手を伸ばしても届かない、風船を見上げて城之内は立ち尽くす。
「まま〜サンタさんが泣いてるの〜」
 風船を貰うことが出来なかった女の子は母親のほうへと駆けて行った。


 
*****



 すっかり日が落ち、バイトを終えた城之内はイルミネーションの下をぼんやりと歩いている。
 売れ残りのケーキを手に、行く当てもな点灯する灯りを眺めていた。
 家には帰りたくないし、かといって遊戯のところへも行けない。きっと遊戯なら快く受け入れてくれるだろうけど、喧嘩の跡の残る顔を見られたくない。本田も同じだった。
『待っているぞ』
 ふと海馬の顔が浮かんだけど
「駄目だ。アイツにはモクバがいる。」
 行けるわけが無いと、城之内は無理やり海馬のことを頭から追い出した。
   子供にとって今日は特別な日。自分にはなかったからといって、海馬から家族を取り上げることは出来ない。海馬の幸せが俺の幸せであればいい。と自分に言い聞かせる。
「やっぱ帰るしかないか…」
 帰りたくは無いけれど、城之内のかえるところはそこしか無い。
「ケーキ食って寝よう。」
 いつもより重く感じる足を自宅のある方向に向ける。商店街を抜け、住宅地に入ったころとうとう雨が降り出した。
「うわっ降ってきた」
 ぽつりぽつりと雨粒を受けて、傘を持ってこなかった城之内は近道をしようと公園を駆けていく。
「?????」
 人影のない公園を中ほどまで行くと、街路灯の下の人がけが目に入った。
「   か  いば?」
 その人影が海馬と認識した城之内の足が止まる。
 なんで、ここにいるんだ???
  「病み上がりということを忘れたのか。」
 軽くパニックに陥って言葉を失った城之内のほうへ、海馬はゆっくりとやってくる。
「せっかく、治ったのに。傘も差さないで、またぶり返したいのか?」
 怒ったのか呆れたのか、城之内を傘の下に入れるとハンカチで雨粒を払う。
「傘は忘れたんだ。って、お前がなんでココにいるんだ?」
 てっきり、今頃は海馬邸でモクバとクリスマスを過ごしていると思っていた城之内は驚いている。
「モクバに邸を追い出されたのだ。」
 クラスの友人を招いてパーティーをするから、兄は邪魔だから、どこかに行ってきてねと、広い海馬邸を追い出された海馬。その証拠に海馬の手には料理のおすそ分けが重そうに下げられている。香ばしい香りが城之内の鼻をくすぐる。
「モクバからお前に渡すように頼まれた。読んでみろ。」
 海馬は内ポケットの中から一枚のカードを取り出し、城之内の手に乗せた。
「おれに…」
 どうして、モクバが俺なんかに?城之内は不思議に思いながらも、クリスマスツリーが表に描かれたカードを開いた。
   中には城之内よりも綺麗な文字がつづられている。そして、モクバらしい言葉で―――

今度、家に遊びに来てね。一緒にゲームをしよう。と書かれてある。最後には『にいさまをよろしくね』と添えられていた。

「モクバは俺たちが思っている以上に大人のようだ。」
 弟の成長に苦笑いをしながらも、カードを見つめたまま動けずにいる城之内の方をそっと抱き寄せた。
「年が明けたら、モクバのところへ行こう…」
 琥珀の瞳を潤ませた城之内は、小さく頷いた。
 


*****
 


「数時間見ないあいだで、ずいぶん派手な顔になったな。」
「いい男だろ。惚れ直したか。」
「馬鹿が…自慢になるものか。」
 マンションに帰ってくると、海馬は見事に腫れあがっている傷の手当をする。手早く傷口を消毒して絆創膏を貼って行く。
 城之内は自分で出来ると言い張ったが、海馬も許さない。どうしても自分の手で手当てをしたかった。
「どうして貴様は無茶ばかりするのだ。相手は誰だ。」
 最後の絆創膏を張る。
「おやじだよ。」
   城之内はボソッと吐き捨てるように言う。
「そうか」
「そんな顔すんなって。親父はぴんぴんしてるぜ。少なくとも俺よりは綺麗な顔をしているさ。」
 父親と何回か殴っていると、城之内の激高は嘘のように覚めていった。大きなはずの父親が急にしぼんで見えたから。あと、数発拳を振り下ろせば、父に勝ってしまうと、本能が感じたとき城之内の腕が止まった。その、一瞬の隙が今の城之内に繋がっている。
 予想通りの人物に海馬もそれ以上はなにも言わない。代わりにぎゅっと抱きしめた。
傷ついた城之内を癒す術を他には思いつかなかった。
 海馬の腕の中かが暖かくて居心地が良くて、城之内も拒否することが出来ずに海馬に身を任せた。


 二人は知り合ってから、初めてのクリスマスの夜をともに過ごした。
 厨房であわただしく皿洗いをするわけでもなく、暗く寒い部屋で一人眠ることもない。
 くだらない接待パーティーに出席するわけでもなければ、山のような書類とにらめっこをすることも無い。
 家族以外に出来た大切な愛しい人と過ごす夜には、特別な会話も音楽いらない。城之内と海馬がいればいい。

 
 おすそ分けの豪華な夕食でお腹が一杯になった城之内は、オレンジ色の間接照明の外に浮かぶ、巨大なイルミネーションと化したドミノ街を眺めている。
 音も無く降り注ぐ雨が灯りを滲ませていて、幻想的な様相を見せている。
「雨、まだ、降ってんだな。」
 雨粒の珠を追いながら、窓越しに海馬を見つめた。
 ソファーでくつろぐ海馬は綺麗だった。学生服でもスーツ姿でもない、ごく普通のベージュのセーターに黒いパンツを履いている姿は、俳優やモデルのようで、視線が外せない。
「雪にはならないらしいぞ。」
 視線の合った海馬は城之内の隣に歩みより、深みをました青に色を灯した。
「よかった。他の奴らには悪いけど、雪より雨のほうがいいよ。」
 人工光で灰色に照らしだされている雲を見上げる。
「夜の恋人は雪が…ホワイトクリスマスがいいと言うぞ。」
 耳障りなくらいに流れるクリスマスソングでも白い雪は定番だ。
「配達のとき雪は最悪なんだぜ。時間はかかるし、凍るしいいことなんて一つもないよ。去年は雪の当たり年で大変だったんだ。」
 去年という単語に城之内はふと去年の今頃は何をしていたんだろうと考える。
「………」
去年のクリスマスは一人で過ごした。本田や蛭谷まで浮かれるクリスマスがいやで、部屋に一人、タバコの火をぼんやりと見つめていた。
 あの頃の城之内は、親が友が世の中が、自分が嫌いだった。この世界に存在する全てが嫌いだった。
「城之内」
「…なんだ…」
 名前を呼ばれて隣にいる海馬を正面に捕らえる。
 高校生で社長で、頭が良くて難しいことを一杯しってて、ゲームが強くて…男からみてもカッコいい誰もがあこがれる人物が隣にいるなんて未だに信じられなかった。
「俺のどこがいいんだろうな…」
 海馬なら、綺麗な女性なんて、よりどりみどりで不自由しないのに。
  「どうした。ぼーっとして、気分が悪いのか?」
 頬を少し紅くして、元気のない様子に風邪がぶりかえしたのではないかと海馬は心配する。
「違うよ、風邪 は治ってる。」
 海馬に見とれていたなんていえない。
「ならいいんだ。お前は我慢しすぎるからな。   手を出してみろ。」
「   ?   」
 突然何を言い出すのかと城之内はきょとんとしている。
「いいから、手を出してみるんだ。」
「…………」
 海馬が何を意図しているか、見当もつかないが、とりあえず言われた通りにして見る。
「メリークリスマス。」
 広げられた手の上に一つの小さな箱が乗せられた。
  「メリークリ……ってこれっ?」
「開けてみてくれないか。」
 城之内に反論する間を与えずに箱を開けるよう促す。
「……うん。」
 断りきれなくて、城之内が仕方なくリボンを解き箱を開けると、
「   !   」
 中には一つの腕時計が入っていた。
「これっ!!」
 忘れるはずもないデザインに思わず箱を落としそうになる。
「気に入るかどうか分からんが…。」
「気に入るもなにもっ」
   城之内の手の中に在る腕時計は、商店街の時計店で見つけたものだ。ただ違うのは、埋め込まれている石の色。
 銀色の文字盤に埋め込まれていたのは青ではなく、紅い色をしている。
「俺の誕生日に城之内がくれたカードに書かれていた時計が、忘れられなくてな。たまたま同じものがあったから、買ったんだ。」
 海馬はセーターの袖をまくると既に腕にはめている時計を見せる。
「俺のは青だ。出来すぎかもしれんが、もらってくれるか。」
 海馬の手入れされた手首を飾っている時計は、確かに城之内が探していたものだった。

『さっき、若い男の人が…』
 時計店のおじいさんの声が甦ってくる。
 若い男って海馬のことだったんだ。
 あの日、城之内より一足早く時計を手に入れたのは海馬だった。しかも、隣に並べてあった色違いの城之内の為に購入していた。
   やっぱり、海馬はすごいや。俺は紅いのがあるなんて気が付かなかった。この時計を買うために俺も頑張ったんだけどなぁ…
 睡眠時間と生活費を節約して、2ヶ月間頑張った。でも結局時計を手に入れたのは海馬だった。
 働いた賃金は父親の酒とギャンブルに消えてしまったのに、探していた時計が城之内の手の中にある。
 なんかへんな感じ…
 想像した通り時計は海馬によく似合っているよ。でも、でも、俺には似合わない。
 痩せて荒れた肌の腕はそれを飾るのにふさわしくない気がする。

 これが、俺と海馬の差なんだ。
 でも、いつかいつか、これをつけて海馬の隣に立ちたい。
 海馬の隣に立つのに相応しい人間になるんだと、城之内は心に決める。
「絶対にここから這い上がってやる。」
 その為には出来ることから、はじめるんだ。
   今は相応しくないけどこの時計に誓っておくぜ。城之内はぐっと拳を握る。
「ありがとな。大切にするから。」
 少しだけ未来が見えた城之内は、腕時計をはめた。
「でも…な…その…おれ…何も用意してないんだ…恥ずかしくてさ…」
 海馬の腕にあるのを探していたと本当のことが言えるわけもなく、城之内は誤魔化す。
「気にしなくてもいい。それに、俺はお前からプレゼントはもう受け取っている。」
「????  はぁ??なんもやってねーぞ!」
「お前は何も覚えてないかもしれないがな。」
 ようやくいつもの調子の戻ってきた城之内につられて、海馬も意地悪そうにニヤリとする。
「なんだよっ―!ズルいぜ。マジわかんねえって!」
「覚えていないのならば、もう一つ貰おうとしよう。」
「へっ」
 だだをこねる、城之内を抱きとめると海馬は深く口付ける。
「んーっ…かぃっ…」
 城之内から、甘いケーキの味がする。
「外ではさせてもらえないからな。昨日の分もまとめて払ってもらうぞ。」
「えっ…勝手…ぅ…んん…」
 黄金色の髪を指で堪能しながら、城之内には反論する間も与えず2度目を奪っていった。

 『俺は海馬が好きだから―――
   モクバのこともちゃんとしたいんだ―――』

 熱にうなされていたとはいえ、めったに聞けない、城之内の真実の言葉を貰った海馬。
   傷つけられ、踏まれても、それでも人を思いやる愛することを恐れない高潔な城之内の魂に海馬の心が震えた。
 そして、城之内に出会えたことを、見たことのない神に感謝する。


*****


二人の夜は短く過ぎて行く。気が付けばいつもの配達の時間になっていた。
城之内は火照りの覚めない身体を起こすと、海馬の隣からすり抜けて、手早く脱がされた服を身に着けていった。
「もう時間か。」
海馬は早く過ぎる時間に、忌々しそうに時計を見る。
「まあな。」
海馬に貰ったジャケットをはおり身支度を整えると、海馬の隣に腰を下ろす。
「なあ。海馬に頼みがあるんだ。」
 おちゃらけたいつもと違う声のトーンと真面目な城之内の表情に海馬も起き上がる。
「めずらしい…」
 言いにくいのか、緊張しているのか、城之内は一度唇を舐めて湿らすと、
「あのな…とうさんを施設にいれようと思う。アルコールから父さんを取り戻したい。」
 海馬の隣に立つために、城之内は父親を更生させることを決めた。父親と縁を切るのではなくて、父と共にここからスタートを切りたい。
 同じ労力を使うのならば、不毛な諍いではなく、未来に向かうために力を使う。
 海馬に頼るとか頼らないとか、つまらないプライドはここで捨ててしまえばいい。海馬との未来を手にするために。
「すっごく大変だと思うけど…いいところがあったら教えて欲しいんだ。」
「ようやく、その気になったな。既にいくつか抑えてある。いつでも受け入れてくれるぞ。なんなら今日でもOKだ。」
「えっ???」
 海馬の予想外の返事に城之内の琥珀が大きくなった。
「準備が出来次第だな。」
 気持ちを決めたとはいえ、急展開に戸惑いを隠せない城之内を安心させるように、海馬は微笑む。
「アルコールを抜くのは一日でも早いのがいいぞ。」
「うん。分かってる。ありがとう。海馬。」
 立ち上がる城之内の表情は晴れやかで一杯だ。
「じゃぁ、俺、配達に行ってくるよ。海馬はもう一回寝ろよ。」
「ここに帰ってくるならば。」
「…わかった。朝ごはんを一緒に食べようぜ。」
 マフラーを巻き、ポケットに手袋があるか確認すると、城之内は片手を上げて部屋を出て行った。
「気をつけて行って来い。」


 今度は海馬が城之内を見送っている。肌を刺す冷たい空気が海馬の息を白くしている。テラスから地上を見れば街路灯の下を、黄金色の髪をなびかせて城之内が駆けていくのが見える。
 空はまだ真っ暗で太陽が上るのはまだ先だ。しかし、朝の気配を敏感に感じ取る鳥の鳴き声がどこかから聞こえてくる。


 自らの鎖を断ち切ろうとしている城之内は大空を飛ぶ鳥と同じだ。
 その自由な羽で空を翔け、望むものを手にし、望むところへ飛び立っていくだろう。
 それならば、
 海馬は大きな木になればいい。
 この大地に根をはり、嵐にも折れることのないしなやかで、太い枝を広げて、城之内の羽を休める所を作ろう。
いつでも城之内が帰ってこられるように。



 海馬はガラスを閉めると、朝食のメニューを決めるために冷蔵庫を開いた。





聖夜に冷たい雨が降る  《了》






ひえ〜っ!!!!なんとか間に合いました。無理やり押し込んだ感じは否めないけれど。
でもでも、これで完結です。甘甘なのか、甘くないのか…
クリスマスに相応しくないかもしれないけど……っ…こんなクリスマスを過ごす二人もいいかなって思ってもらえればうれしいです。
海馬がじじくさいとか言わないでくださいね…
では、みなさま。メリークリスマス☆

  背景はこちらからお借りしました〜
NEO HIMEISM