最悪の男 1


  俺はタイミングの悪い男だ。
 正確には『心臓』が。

 いつでも大事なときに悪くなる。
 きっかけは…



『最悪のおとこ』



 いつも、見る夢は同じ。
 白い白線のまぶしい横断歩道。
 前方には買ったばかりの紅い靴を履いた静香がいて、その隣には日傘を差した母さんがいる。
 二人とも俺を心配そうに見て、俺のほうへ近づいてくる。
 そして、俺は叫ぶんだ。

「来ちゃ駄目っ!!」

 って。
 喉が潰れるくらい大声を出すのに、出したいのに、声が出なくて…
 静香と母さんが駆け出した。

 ダメッ
 こっちに来ないで。
 俺のことは良いから。
 向こうに行って!!!

 俺は何回も叫ぶのに、静香と母さんはこっちに向かってくる。


 だめぇ


 次の瞬きのときには二人の姿は俺の前に、いない。
 変わりに見えるのは、大型トラックの大きなタイヤだった。





 ハァハァハァ…
 夏の交差点から目を覚ますと、そこは俺の部屋になっている。
 早朝の部屋はまだ薄暗く、黄色い灯りがぼんやりと部屋を照らしていた。

「夢…か…」

 まだ、春の足音が聞こえてきたばかりの、朝はまだ冬の冷たさを残している。なのに城之内は汗でパジャマを濡らしていた。

「また、同じ夢…」
 城之内は冷たくなってきている額の汗を拭うと、布団から起き上がった。
 いつもの配達の時間が迫ってきているのだ。
「あの日」以来、何度も繰り返し見てきた夢。
違う。夢ではない、現実を繰り返し擦り切れることのないフィルムが巻き戻されて、夜が来るごとに城之内の夢の中で再生されていた。

 
 城之内は未練のない生暖かい布団から出ると、台所へ行き米を研ぎ炊飯器へセットする。
 そして、和室に置かれている小さな仏壇に手を合わせ、新聞配達に行くために家を出る。

 雨の日も晴れの日も、毎日繰り返してきたことを今朝もして、城之内の早い一日が始まった。



   城之内が6年生の夏休み。
 家族で近くのデパートに買い物に行こうと家をでた。もうすぐ目的地という大通りの交差点で城之内の胸が急に締め付けられるように痛みだした。
 横断歩道の中ほどで城之内はうずくまり、先を歩いていた母親と静香が引き返してくる。
 信号は青。
 そこへ右折してきた大型トラックが二人を撥ねた。
 トラックの下敷きになった母親は即死。
 静香も一命は取り留めたが、意識は戻らないまま、病院のベッドに眠っている。

 あれから4年の月日が流れていった。
 中学を卒業した城之内は就職し、夜間学校に通ってる。
 新聞配達から始まり、昼間は現場で汗を流し、夜に勉強する。
 父親も昼は会社へ行き、仕事が終わった後は病院で過ごす。
 父親とは事故以来、まともに会話をしたことも、顔を合わせたこともなかった。

 そう、事故の全てを城之内の後ろで目撃してしまった父親は、城之内が転んだから母親と静香がトラックに轢かれてしまったと思っていたのだった。
 
 城之内が転んだから、愛する妻と娘がトラックに撥ねられた。
 もし、あの時、城之内が転びさえしなければ、二人は助かったはずなのだ。
 息子が転びさえしなければ…。
 それ以来、父は城之内を疎ましく思うようになっていた。
 城之内の卒業式にも出席しなかった。就職先も、夜間高校に行くことにも関心を示さない。だから、城之内の身体の変調にも気づくことは無い。
 もちろん城之内も母親殺しと静香の人生を大きく変えてしまったことへの罪悪感で、胸に走る痛みも、二人から与えられる罰だとして受け止め、病院へ行くことをしなかった。
 父と子が唯一、会話をするのは月一回の給料を渡すときだけだった。
 静香の入院費用がかかるのだ。

 
 俺が悪いから…


   その一言で城之内は父親のことも妹のことも自分の体のことも片付けてしまった。



******




 配達を終え、アパートの階段を登っている城之内の胸がちくりと痛み出す。
「……っ。」
 心臓を針で突くような痛みに城之内は顔をしかめると、2階と3階の真ん中の踊り場で大きく深呼吸をする。
「大丈夫……まだ…大丈夫。」
 ゆっくりと呼吸を整えて、次第に痛みが遠のいていくのをひたすら待った。
「静香はもっと辛いんだ…」
 大きく息を吐き、痛みが治まったことを確認して、城之内は再び階段を登り始めた。家まではあと少し。


 がちゃり。
 とドアを開け、家の中に入ると父親はもう会社へと出勤してしまっている。玄関に父親の靴が無いことに、城之内は安堵した。
 あの事故以来、父親と疎遠になってしまっている。
 靴を脱ぎ城之内は朝食の支度を始めた。支度といっても特にすることはなく、ご飯を茶碗によそい、冷蔵庫から麦茶をだしてテーブルに着く。ご飯にふりかけをかけてそれで終わりだった。それを城之内はかき込んで胃に納めていった。
 父親同様、城之内も出勤しなければいけないのだ。



中学卒業後、城之内は新聞店の店長のコネで、近く工務店に勤めることになった。大工の職人として日々建築現場で汗を流すようになって1年が過ぎて行った。
 暑い日も寒い日も雨の日も、工期に間に合わせるために城之内は休む間もなく働き続けた。
 
 朝は配達。
 昼は現場。
 夜は学校に。

 環境にはすぐに順応していった城之内だったが、動きづめの生活によって疲労は確実に蓄積されていき、城之内の体力を奪っていった。
 昨年の秋辺りから、徐々に胸の痛みだす間隔が短くなっていき、痛む時間も長くなっていた。そして、年が明け春の気配を感じるようになったころには体力勝負の現場の仕事に支障をきたすようになっていた。

 城之内も自分の身体の変調を分かっていたが、医者にかかるという選択肢は無い。ただでさえ静香の入院でお金が足りない状態が続いている家計の中、城之内まで倒れることは出来なかった。


 確実に悪くなっている病魔が城之内の身体を蝕んでいて、社長や職人に病気のことを知られたくなかった城之内は転職をすることにした。
 城之内は履歴書を鞄に詰め込むと、指定された面接会場へと向かった。




*****




 城之内は柄にもなく緊張している。
 たぶん一ヶ月の家賃より高い椅子に座った城之内は背筋をぴんと伸ばして、無駄に大きいテーブルを挟んだ向こうに座る、面接官…初老の老人と対峙する。
 職安でこの求人を見つけたとき、城之内は思わず声を上げてしまった。それくらい、賃金や福利厚生が行き届いていたのだ。その分競争率は高いけれど、この面接を通れば明日から働くことが出来る。  何が何でもここで働かないといけない。城之内は老人の試すような意地悪な質問にそつなく答えていっていた。我ながら上出来だと、心の中で思っていたとき、バタンと大きな音をたてて扉が開き、長身の若い青年が入ってきた。
 自信のみなぎる歩みは、この部屋が絨毯張りでなければ高らかに足音を響かせていただろう。
 老人は青年が入室してきたとほぼ同時に椅子から立ち上がり、頭を垂れた。
「瀬人さま。どうされましたか?」
 老人はタイミングを計ったように頭を上げて瀬人に場所を譲る。
「少し、用を思い出して、戻ってきたところなのだ。ちょうど面接をしていると聞いたから、来て見ただけのことだ。」
 テーブルの上に履歴書を広げ、その中から、城之内の履歴書を手にする。
「名前は?」
 履歴書をざっと一読した瀬人は、城之内に問いかけた。どうやら面接官が変わったらしい。
「城之内克也です。」
「年は?」
「17歳です。」
「学校はどうしているのだ?」
 聞かれることは十分に予想していたので、城之内は驚くことなくありのままを答える。
「夜間に通っています。」
「なぜ、普通に通わないのだ?」
「妹が入院しているので、金銭的に無理ですから。」
「なるほど…」
 どうやら、瀬人は、城之内に興味を持ったようだった。
 履歴書をもう一度読み返すと、履歴書を老人に渡した。
「採用だ。」
 老人は城之内を不採用にしようと考えていたのか、一瞬、顔色を変えたが分かりましたと頷いた。 「では、明日からここで働いてもらいますよ。分かりましたか。」


「はい。ありがとうございます。がんばって働きます。」


 城之内は椅子から立ち上がり、深く頭を下げる。






 背景はこちらでお借りしました。

 拍手に置いていたものを、移動してきました。
 原作の設定を激しく弄ってますね〜〜
 都合よく設定をお借りしています〜〜
 この続きは拍手に置いています。また、こちらがたまれば、ここに移動させてきます〜〜。