最悪の男 10



ピ   ピ   ピ

 城之内が目を覚ますと、そこは知らない部屋だった。
 淡い色に塗られた壁と、ベッド。薬品の特有の匂いがしている。

「……。」

「気がついたかい?」

 天井から声のするほうへ視線を移すと、テーブルに向かう白衣の男性が心配そうに振り返った。

「ここ……は…?」
 記憶の混乱した城之内は状況が飲み込みきれない。
「病院だよ。木から落ちで気を失ってしまったみたいだね。」


 木…?
 おちた…っ!!


「モクバっ!!!モクバはどこにっ!!」
 城之内の脳裏に先ほどの光景が甦ってくる。
 枝に引っかかった飛行機を取ろうとして、胸が痛くなり、そして、落ちた。

 緑の地面が近づく先にモクバが腕を広げていて…


「モクバさまなら…手術中…」






 えっ……
 手術?

 静香のように…??




『骨が数本折れているから、固定するためにね………』



 医者がモクバの状態を説明しているが、城之内の耳にはもう届かなかい。


『それよりも、きみのほうが問題だよ。かかりつけの病院と先生を教えてもらえないかな……』


 今だベッドで眠ったままの妹のようにモクバも、そうなってしまうのだろうか。


『カルテを見せてもらわないとどうにもならない。すぐに連絡先を教えてもらえないかな。』
 医者は心電図の波形を目で追う。長い紙に刻まれる波形に目を奪われてしまい、一瞬城之内から気がそれてしまった。



「うそだっ!!!」
 城之内はベッドから飛び起きると、胸に繋がれたものを引っ剥がし、点滴の管も抜く。そして、籠に入れられていたシャツを手にすると、検査室を飛び出して行った。


「あっ!!!君っ!!!!」
 つむじ風のような早業に医者は唖然としたままだ。城之内を呼び止めるけれど、言葉が終わるころに病室に一人取り残された。


「待ちなさいっ!!!君はっ安静に!!」








******




 嘘だ!!!
 モクバが!!
 まさか、死んでしまうのか??

 静香のように 母さんのように…



 城之内は手術室まで走った。静香のいる病院と同じ処に搬送されたようで、城之内は迷うことなくモクバのいる手術室までたどり着くことが出来た。


「モクバっ!!」
 長い廊下の角を曲がるとそこは手術室で、赤いランプが点灯している扉の前に置かれた長いすに海馬が腕組みをして座っていた。
「……海馬っ…・・・モクバは??」
 乱れた息を整えることも頭になく、城之内は海馬の側に駆け寄る。
「……貴様…」
 海馬は伏せていた視線をゆっくりと上げると、城之内を睨む。そして、城之内が身構える間も与えず、その上気した頬を殴りつけた。
「っ!!」
 不意の衝撃に城之内は数歩後ろによろけた。殴られた方の頬が熱い。平手ではなく、拳で殴られたことに海馬の怒りの度合いがありありと分かる。
 ジンジンとする頬に思わず手をやり、城之内は立ち上がった海馬を見上げると、怒りの感情を隠さない青い視線が城之内より少し高いところから威圧的に見下ろしている。


「よくも…貴様は一体何をしていたのだっ!!
 何をしたのか分かっているのかっ!!
 明日はモクバとっても…会社にとっても重要な日だとっ!!
 貴様はモクバに何をしたのかっ!!
 分かっているのだろうなっ!!」
 海馬の握り締めた拳が震えている。
 部屋に閉じこもっていたモクバがやっと日の当たる場所に出て、海馬が待ち望んでいた学校へ行く日が来るのを目前に、全てを逆戻ししてしまう事に海馬の憤りが収まることはない。

「すみませんでした。」
 城之内は正座をすると、床に頭をつけて謝罪する。
 海馬が明日を待ち望んでいたのも、モクバが楽しみにしていたのは十分に知っていた。不可抗力だとはいえ自らの不注意でその日を台無しにしてしまった。
「すみませんでした。」
 今の海馬に言い訳は通じないだろうし、城之内もまた言い訳をするつもりもない。ただ、こうして謝罪するだけだ。

「信用していたのに、最悪の形で俺を裏切るとはっ!貴様は今日限りで…いや、今ここでクビだっ!!」
 当然のことだと城之内は受け止めると、はい。とだけ言う。
「貴様の顔は2度と見たくもない。即刻ここから消えろっ!!」
 海馬は城之内の来たほうを指差すと、再び長いすにどかっと腰を下ろした。モクバの手術が終わるまでここにいるつもりのようだ。
 城之内はゆっくりと立ち上がると、もう一度深く頭を下げ海馬の指差したほうへと向きを変える。
「もし、万が一、モクバに後遺症が残るようなことがあってみろ、俺は貴様を永久に許さない。そして、それ相応の償いはしてもらうから、覚悟しておけ。」
 海馬は手術室の扉を見据えたまま、城之内を見ることはない。
「はい。わかりました。」
 振り返って城之内は海馬を見たが、歪んだ琥珀に映ったのは海馬の冷たい横顔だった。


 もう、海馬の澄んだ綺麗な青に、城之内の姿が映ることはないだろう。




******



 城之内は項垂れたま、来たときとは打って変わった、おぼつかない足取りで廊下を進む。
 窓の外からオレンジ色の夕日が差し込み、廊下を赤く染めている。


 ごめん。もくば。海馬。
 俺はどうして、いつもこうなんだ。
 大事なときに、どうして……!!

 大切な人を傷つけてしまうんだ…っ
 俺はこんなこと望んでないのに…。

 どうして……っ…。


 
 海馬には本当のことを言えば良かったのだろうか?
 城之内の抱える病を海馬に告げておけばよかったかもしれないと、後悔するけど、もう遅い。


「くそっ!!」


 城之内は思いっきり、廊下の壁を殴った。


「ごめん。モクバ……海馬…」


 嗚咽が人のいない廊下にこだまする。






 そのとき、城之内のポケットの中に入っていた携帯が鳴り出した。
「???」
 携帯を取り出すと、ディスプレイに決して掛かってくるはずのない人物の名前が浮かび上がっていた。



「………はい。」





 父親からだった。