誰もいなくなった斎場で海馬はぽつんと一人、スチールの椅子に座っている。 時折、スタッフが海馬を遠目に見るが、誰一人として声をかけるものはいない。 「はぁ…っ…。」 もう、何度目のため息だろうか。 腹に溜まる苛立ちを吐き出すように大きく息を吐くと、腕時計を見て時間を確認する。そろそろ、城之内たちが帰ってきても良い頃だった。 結局葬儀の間、城之内は一度も泣くことは無かった。疲労の溜まった華奢な背中が痛々しくて、感情を表に出さないようにしている分、余計に海馬の心を揺さぶった。 海馬はモクバが怪我をしたということだけで、ひどく取り乱し、その感情の高まりを全て城之内にぶつけてしまっていた。しかし、城之内は海馬の知る限り一度もトラックの運転手のことを愚痴ったことも恨み言も言ったことは無い。誰を責めるわけでもなく、妹を目覚めさせるために出来る限りの努力をしていたに違いない。 俺は何と言うことをしてしまったのだ… おそらく、城之内は自分の病気のことも知っていたはずだ。 悲しみも恨みも押し殺して痛みに耐えながら、妹を優先して、学校も諦めて働いてきた。 もっと早くに気づいてやれれば……っ… あの陽だまりの中での一冊の参考書の違和感にもっと注意すればよかった… モクバのことばかりではなく、城之内のことに気を配ればよかったのだ。 城之内はいつも海馬やモクバのことを優先してきたのだから。 医者の言っていた、「次の大きな発作」が起こる前に城之内を病院に連れて行かなければならない。本当ならば昨日、強引にでも病院につれて行かなければならなかったのだ。しかし、海馬には妹との最期の時間を裂く権利はどこにも無かった。 だから、こうして城之内が帰ってくるのを待っている。 今度こそ城之内を病院に連れて行くつもりだった。 ******* その頃、城之内はマイクロバスに乗っていた。 白い抱えきれるほどの大きさの木の箱に入った妹を抱えて。 「城之内くん……」 城之内の隣に座る遊戯がこちらをのぞきこんできた。 「……ん?」 「顔色が悪いんだけど、気持ち悪いの?」 貧血を起こしたように真っ青な顔色の城之内は、誰がどう見ても調子が悪そうだ。 「ん…なんとも無いぜ。」 城之内は心配要らないと、微笑んだ。 城之内が気が付かないのは無理も無くて、今、心臓は規則正しく動いている。ここ最近何度も起きていた発作が起こっていなかった。 「本当?夕べはちゃんと寝たの?」 今にも溶けて消えてしまいそうな笑顔が怖くて、遊戯は不安で一杯になった。 「あぁ。寝てるぜ。さすがに2日間も徹夜は出来ないさ。」 城之内は遊戯に心配をかけるまいと精一杯の嘘をつく。 夕べは一晩中、精神状態が不安定な父親が、間違ったことをしないように付いていたのだ。部屋の壁にもたれ、膝をかかえて、泣き続け父親の背中を見ていた。 「なら、いいんだけど…家に着いたらちゃんと休んでよ。」 「わかってるってさ。」 小姑のように口うるさい遊戯に苦笑しながら、城之内は窓の外の景色に目をやった。 海馬の待つ斎場はもう少しのところだ。 ***** バスが斎場に到着すると、海馬が城之内を待ち構えていた。 「海馬……っまだ…?」 城之内と同じように喪服を着た海馬に気が付いた、城之内はまだ海馬がここの場所に残っていたことに驚く。 通夜だけでなく、告別式にも来たことに驚いたが、まだここにいるなんて信じられない。 「遊戯…静香を頼んでいいかな…。」 「えっ??」 城之内は戸惑う遊戯に妹が納められた箱を預けると、海馬の元へと駆け寄る。 「海馬…まだ…いたんだ。」 「ああ。貴様を待っていた。」 海馬はそう言うと城之内の腕を掴み、待たせてある車へと引きずっていく。 「おいっ!!!ちょっとっ…やめろっ!!」 強い海馬の力に顔をしかめながらも、強引な海馬に抵抗する。 「待てよっ!!!まだ、やることがあるんだっ!!はなせっ!!」 海馬の腕を振り切ると、2,3歩後ろの下がり、海馬との距離をとった。 「…ったく…相変わらず、何考えてるんだかわかんないぜっ!! モクバのことは、こっちが落ち着いたらにしてもらえないか?逃げないからさ。」 まだじんじんする手首をさすって、さすがの城之内も困惑している。 「ばか者が。モクバのことではない。貴様をこれから病院に連れて行くのだ。検査の途中で逃げ出したと医者が言っていたぞ。」 「 ! 」 琥珀が揺らぐ。 「心臓を患っているのだろう?」 「 っ! 」 父親にも誰にも隠してきたことを、どうして海馬が知っているのか。琥珀の色が濃くなる。 誰にも気づかれないようにしていたのに。 父親にさえ、分からないように、隠してきたのに。 この、胸の痛みは 母と妹を傷つけてしまった。未来を消してしまった、自分への罰なのだから。 誰にも知られてはいけなかったのに…! 城之内は信じられないと、否定をするように、首を横に振る。 「顔色も悪い。一刻も早く、治療が必要なのだ。行こう。」 海馬は再び城之内の手を掴もうと手を伸ばす。が、城之内はそれを振り払った。 「なんのことだ?」 もう数歩後ろに下がる。 「俺は病気なんかしていないぜ?」 ここは白を切るしかないと、城之内は嘘ぶり肩をすくめる。 「誤魔化すな。」 城之内の嘘を簡単に見破ってしまう、青い視線が城之内を捕らえる。 ――― そのとき ――― 『 どく ん っ 』 城之内の心臓が撥ねた。 「 ぁ ぁ っ …… 。。」 何の予兆もなく、突然、痛みが城之内を貫く。 今までに無かった、痛みと、むちゃくちゃに打つ鼓動に、抗う術も無く、城之内はその場に崩れ落ちる。 「城之内っ!!!!」 海馬が城之内を抱き起こすときには、既に城之内の意識はない。もともと顔色が悪かったのに、今はもう、生気さえ失われてしまったようになっている。 「城之内!!」 とうとう、恐れていた発作が起きてしまったのだと、海馬から血の気が引いていく。 意識が無いのにも関わらず、腕の中の城之内は胸のあたりを握り締めていて喪服には皺が深くよっている。 「海馬くんっ!!!どいてっ!!」 どう、対処していいのか混乱している、海馬から城之内を奪うと、遊戯はそっと床の上に寝かせた。 「城之内くん…」 遊戯は手早く、ネクタイを緩めて、シャツのボタンも外した。そして、城之内の呼吸を心音を確認すると、心臓マッサージを始める。 「海馬くんは、早く、救急車を呼んでっ!!!!」 力を込めて、心臓マッサージをする遊戯は既に汗が噴出している。 「早くっ!!!」 一刻を争う事態に、遊戯は怒鳴った。遊戯の声に我に返った海馬は救急車を呼んだ。 「城之内くんっ…君は、生きなければいけないんだよ…君は生きるんだ…!」 遊戯は呪文を唱えるように、意識の戻らない城之内に語りかける。 「生きるんだ」 と。 そして、城之内の心臓が動き出すまで遊戯は同じ動きを繰り返す。 海馬は動くことが出来ず、ただ、城之内が助かるようにと祈ることしか出来なかった。 救急車が到着するまでの、永遠に感じてしまうな時間が過ぎ、遠くからサイレンが聞こえてきたころ、城之内の土気色の頬に赤みが差してきて、閉じられた瞼がぴくりと痙攣した。 ***** もう、生きなくても良いだろ…? 暗く意識が落ちていくとき…… 『おにいちゃん』 『かつや』 遠くで 母親と静香の声が聞こえた。 ***** がたがたと、見た目より揺れる車内で、城之内は気が付いた。 側には海馬が付いていて、城之内を心配そうに見つめていた。 「ここ は ?」 まだ、何が自分の身に起こったのか分からない城之内はあたりを見回す。 「救急車の中だ。倒れたのだぞ。覚えていないのか?」 海馬は乱れた薄茶色の髪を撫でる。 「俺が…?」 「そうだ。大変だったのだぞ。貴様のお友達がいなかったら、今頃どうなっていたのか…」 城之内の額を指で弾いた。 「遊戯が…。」 隠してきたつもりだったのに、遊戯にはばれていたんだと苦笑すると城之内は低い天井を見た。 「貴様は医者になるのだろ?医者になるはずの人間が患者になってどうする。」 「ははっ。洒落にもなんないな。」 ごもっともだと、肩をすくめる城之内。 「妹の分まで、貴様は生きなくてはいけないのだ。そして、沢山の命と向き合い、助けていかなくてはいけないのだぞ。貴様の妹もそれを望んでいるはずだろ?」 「そう…なの…かな…」 俺にそんな資格があるのだろうか… 城之内の中に一抹の不安がよぎる。 「当たり前だ。そうでなければ貴様はここにはいない。俺様が保障しよう。」 海馬はぐっと手を握ると、城之内の前に突き出した。 「むちゃくちゃ、強引なんだ。」 そんなものがどこから来るのか、自信満々の海馬に苦笑いをする城之内だが、同じように拳を合わせる。 「未来の命を護るために、早く病気を治すんだ。」 お互いの暖かい体温が触れ合ったところから確かめ合うと、ようやく笑顔が戻ってくる。 「そう……だな……」 ずっと、胸のうちに隠してきた重荷を下ろした、城之内に心地よい睡魔が襲ってくる。車の揺れも手伝って、すうっと重くなる瞼に抵抗することが出来ないまま、城之内は眠り世界に引き込まれていった。 意識がやんわりとした中に溶け込んでいくとき、 「それから……海馬家の主治医の席は当分空けておくことにする。 貴様にしか治せない病があるようだからな…。」 と海馬の声が聞こえた気がしたが、城之内には答えることが出来なかった。 ***** 後日――― ドミノ高校を、海馬と遊戯と城之内の三つ巴の戦いを勝利した城之内が主席で卒業し、小児科医として病院に戻ってきたのはそれから10数年が経ってからのことだ。 毎日沢山の患者の相手をしながら、海馬家の主治医も勤める事になっていた。 元来、人当たりがよく人の心を掴むのが上手かった城之内は、モクバのときと同じように子供にも、親にも受け入れられて、人気者の小児科医となった。 「今日からお世話になります。」 広間に集まった使用人たちの前で挨拶をする城之内は少年から青年へと成長していた。たくさんの拍手に迎えられる姿には昔のどこか陰のある雰囲気も、病魔の影もどこにも無い。 「ごめんね。城之内。兄さまももうすぐに屋敷に来れるはずなんだけど……」 「いつもの事だから気にすんな。」 城之内の隣に立つモクバは、相変わらずの仕事の虫の兄の代わりに謝る。 予定よりも打ち合わせが長引いていると連絡が入ったのは、つい先ほどのことだ。 「兄さまったらさ……。」 腕を組み、少し頬をふくらませているモクバも、背が伸びて、ほとんど城之内とは変わらなくなっていた。 あの時の怪我の後遺症もなく、程なく復学したモクバも今は大学生となっている。兄と同じように高校生から…とは行かなかったが、今ではカイバコーポレーションの副社長に就任していて、学生と副社長の二足のわらじを履き、兄に遜色することなく、会社を支える存在と成長していた。 端正で綺麗な印象の海馬と、穏和で柔らかい存在のモクバの兄弟はその実力もあり、どこででも注目の的になっている。 「時間があるなら、俺は適当に散歩してくるよ。」 モクバの肩をポンと叩き、城之内は久しぶりの海馬邸を歩くことにした。 屋敷の中は使用人として働いていた時とほとんど変わっていなくて、こうして歩いていると時間が逆戻りしたように感じられる。きっと、面接をした会議室も、何もかも同じなのだろう。 城之内はあのころを思い出すように、一歩一歩、歩いていく。 そして……… 「ははっ。やっぱり、ここも変わってないや。」 階段下の、城之内の休憩場もあの頃のまま、変わっていなかった。 大きな窓からは春の日差しが燦々と差し込み、庭の新緑がまぶしく映えている。 穏やかな空気と太陽が作る、静かな空間に城之内もまた、同じようにその中にとけ込んでいった。 ***** 「やはり、ここか………」 城之内が海馬邸に到着してから一時間後、ようやく仕事から解放された海馬が階段下へと姿を現した。 モクバから、城之内が散歩に行っていると告げられて、海馬は迷わずにここへと足を運んだ。 「相変わらず、の、奴だ。」 手足を伸ばして、壁にもたれて眠る城之内もまたあのころと変わっていなかった。 時折。ぴくりと手足が動き、子供っぽいしぐさに、海馬の頬もゆるむ。 城之内とモクバと海馬が始まった場所。 誰も気にとめない、屋敷の中の不思議な優しい場所。 ****** そして、心地よい眠りから目覚めた城之内に 「愛しているぞ。」 と、海馬が囁くと、 春の陽だまりのような笑顔で 「俺もだぜ。」 と、答える城之内がいた。 海馬のいうところの、 『城之内にしか直せない病』が 治ったのか、治らなかったのか。 それは、海馬にしか分からないことのようだ。 おしまい。 後日談を書き足しました。気に入っていただければ幸いです。 |