最悪の男 2


「おはよう。城之内くん。」
 朝の通学する生徒の流れに紛れるように、城之内もまた駅前のバス停に向かって歩いていると、ふいに後ろから聞きなれた声をかけられた。

「おっ、遊戯。久しぶりだな。」

 振り返ると学生服を着こなした遊戯が手を振って近づいてくる。

「これから出勤なんだ。」
「おう。」
 2人は並んで歩き出した。
「…ねぇ、転職したの?」
 城之内の着ている服を見て、遊戯が訪ねてきた。
「よくわかったな。」
「うん。だっていつもの作業着じゃないもんね。」
「相変わらず勘がいいな。」
 工務店に勤めていたときは作業着を着て自転車で通勤していたから、ラフな姿とはいえジーパンにシャツでは転職したとすぐに遊戯は分かった。
「ぁあ。先週、職場を変えたんだ。」
「へえ。どこにしたの?」
「ん〜と。遊戯の学校に海馬って奴いるだろ?そいつのとこだよ。」
「海馬って、カイバコーポレーションの海馬君?」

   遊戯の通う高校に海馬も在籍していた。
 ドミノ高校はスポーツや学力の高い生徒が県外からも集まる、県内屈指の名門校だった。
 幼稚舎から大学まで一貫教育を貫いていて、ドミノ町の裕福な家の子供はここに通うのがステイタスのようになっている。

「そうそう。その海馬。」
「じゃ、城之内くんはカイバコーポレーションの社員になったの?」
 カイバコーポレーションは世界を相手に業績を伸ばしている一流企業だった。
「違うよ。カイバコーポレーションじゃない。正確には海馬の屋敷で働いている。」
「えっ?」
 遊戯は意味が上手く理解できなくて、首を傾げる。
「海馬のお屋敷で働く使用人ってやつだよ。」
 城之内は背負っている重そうなリュックを背負い直すと肩をすくめた。
「なるほどね。」
 合点のいった遊戯は頷く。
「でも、凄いね。海馬君のとこで働いてるなんて、かっこいいじゃん。」
「だろっ。海馬の屋敷はすげえんだぜ。別世界みたいだよ。」
「へえ…」
 子供のように笑う城之内を遊戯がどこか淋しそうな表情を隠して見上げている。

 城之内と遊戯は幼馴染で親友だ。
 もともと家族ぐるみの付き合いをしていたこともあって、城之内と静香と遊戯は幼い頃から一緒に遊ぶ機会が多かった。
 幼い頃はなにかといじめられがちな遊戯を城之内がよく庇っていた。

   あの事故の後も遊戯はさりげないやさしさで城之内を支えていた。
 城之内は遊戯の気遣いがうれしかった。

 中学を卒業してからは、道の分かれた二人だったが今でも休みが合うときは一緒に遊んだりしているくらい仲が良い二人だった。

「静香ちゃんの具合はどう?」
 静香は事故で頭をひどく怪我をしてしまっていて、あれ以来、眠ったまま目を覚まさない。
 始めは都内の大学病院に入院していたが、今は看病が出来るようにとドミノ町の総合病院にベッドを移している。
「相変わらずかな。」
 城之内は遊戯に余計な心配をかけないように、なるだけなんともないように、答える。
 遊戯の中での静香はあの頃のままで止まっていた。
 いつも二人の後を追いかけていた姿が、昨日のことのように思い出してしまえる。
 城之内も多くは語らないけれど辛いのだろうと思うと遊戯の胸が痛んだ。
「きっと、もうすぐ目を覚ますよ。今度、またお見舞いにいってもいいかな?」
「いいぜ。静香も喜ぶよ。静香は遊戯のこと大好きだったからな。」
 城之内はありがとよ。と、遊戯の頭をぐしゃぐしゃに撫でた。
「うわっ、と、と、それから、母さんが最近城之内くんが家に泊まりに来ないから淋しがってるよ。」
 乱れた髪を遊戯は手ぐしで整えた。

 遊戯は何かと良い訳をつけては、城之内を家に泊めていた。試験勉強。誕生日。ゲームを攻略する。
 遊戯の両親も傷ついている城之内の為に、何かと世話を焼いてくれていた。そのうえ、静香の入院費が足りなかったときも、遊戯の父親が何も言わずにお金を貸してくれた。
 遊戯の母親も差し入れをしたりして、城之内親子のことをいつも気にとめている。

 
「ママがね。城之内くんはちゃんと栄養のあるものを食べてるかしら?コンビに弁当ばかりだったらどうしよう?ってね。今朝も、城之内くんのところになにか差し入れしないとね…って言ってたんだ。」
「遊戯のお母さんらしいや。でもよ、心配すんな。海馬んちはな、まかないがあるんだぜ。一流シェフが作る飯を毎日食べられるんだ。前よりもずっと上手いの食ってるよ。その証拠に少し太ったんだぜ。」
 城之内はジーパンがきつくなったんだと、ウエストを指差している。
「あんまり変わんないように見えるけど。良い職場でよかったね。ちょっと安心したかな。」

 城之内は隠しているが、勘の鋭い遊戯は城之内の体調の変化を敏感に捉えていた。
 小学校のときは、休み時間でも放課後でも休む間も無いくらいはしゃいでいたのに、事故の後からは余り外に出なくなっていた。
 始めは激変した環境のためだと考えていたけれど、それは違うのだと、中学校に入ってから気が付いた。時々真っ青な顔で机で寝たふりをしている城之内にそれとなく、病院に行くよう進めるのだけど、頑なに城之内はそれを拒み、大丈夫の一点張りだった。
 
 治療費を稼ぐためには、賃金の高い肉体労働を選択しないといけないのだけど、城之内のことを考えればきつい仕事をしてほしくなかった遊戯は、ほっと胸を撫で下ろした。


「それよりよ。どうだ、ドミノは?」
 城之内たちの通っていた中学からは遊戯一人しか合格していなくて、引っ込み思案の遊戯に友達が出来るのか城之内はいつも心配していた。
「さすが、ドミノだよ。やってることがハイレベルなんだもん。僕も着いていくのが精一杯さ。でも、本当は城之内くんが行くはずだったんだよね。ごめん…」
 高校受験のとき、中学校の推薦を受けるのはほぼ城之内に決まっていた。しかし、城之内は就職を選択し、先生たちを落胆させたのだった。
「別に遊戯が気にすることないぜ。家庭の事情ってやつだからよ。それに夜間には通ってるんだ。勉強できないわけじゃない。」
「でも…っ。」
 城之内の目指す夢と目標を知っている遊戯には、城之内にこそドミノ高校が相応しいと思っている。
「大丈夫さ。なんとかなる…してみせるさ。」
 負い目を感じている遊戯を励ますために、肩をぽんと叩く。
「……うん。がんばってね。僕もがんばるよ。」
 どんな環境でも前を向いている強い城之内が遊戯は大好きだった。
 

「海馬ってどんな奴なんだ?」
「海馬くん?」
 城之内はしんみりとした話題を変えようと、そっと遊戯の耳に口を寄せて小声で聞く。
「僕は外者だからあんまり知らないけど、海馬くんは凄いよ。カイバコーポレーションの社長もやってて、学力もトップなんだよ。噂だと、片手間に受けたっていう模試だって全国でトップだったんだよ。」
 めったに登校はしないが成績は常にトップをキープしていて、一流企業のトップでもあり、そのうえあの容姿だ。優秀な生徒の集まるドミノ高校でも海馬は憧れの、雲の上の存在だった。
 その上ね…遊戯が海馬の噂と武勇伝を話し続けようとしたら、ちょうど駅前のロータリーに到着した。


 ここで海馬の屋敷までの送迎バスが待っている。
「じゃな。遊戯。ここからバスなんだ。」
「いってらっしゃい〜城之内くん。がんばってね。」
 城之内は遊戯に手を振りバスのほうへと向かっていく。遊戯はその後ろ姿を見つめて小さく息を吐いた。



「ごめんね。ドミノ高校には城之内君が行くべきなのに…」
 誰にも聞こえない声で一人呟くと、遊戯もまた高校へ行くべくバスに乗り込んだ。




******




城之内を乗せた送迎バスが職員用の入り口の横付けされた。
 バスの中には他の職員も多く乗っていて、城之内もその流にあわせてバスを降り、ロッカールームで制服に着替えていった。
 真っ白いシャツに黒のスラックスとお揃いのジャケットに袖を通して、申し送りの為に広間へと向かう。まだ、着こなせていない仕立ての良い制服だけど、仕事自体には慣れてきた。
 ちょうど玄関ホールに差し掛かったとき、深紅の絨毯を敷き詰めた階段を声を荒げて海馬が駆け下りてきた。
 城之内も他の職員と同じように頭を下げ、注意深く海馬の気配を追った。いつも表情の読めない鉄面皮のような男が、今日は機嫌が悪そうにしている。
 絨毯を荒々しく踏み、側にピッタリと付いている体格の良い秘書に当り散らしているようだ。
「貴様らは何をしているのだ。モクバを甘やかすからこうなるのだ。明日こそ、部屋から引っ張りだせ。わかったな。」
 ホールに響き渡るような大きな声で秘書を叱咤すると、玄関に横付けされていたリムジンに乗り込んだ。



「今日の瀬人さまは特に機嫌が悪いですね。」
「モクバ様が、あれでは仕方ないかな。」
「アレが家の息子ならどうしようもないな…」
 リムジンが走り去り、玄関の扉が閉まると職員たちはめいめいに主のことを噂する。
 城之内はその話題に入る気もないので、与えられた仕事をするべくリネン室に向かった。



 海馬の弟のモクバは、ドミノ学園付属の小学部に通っている。しかし、最近は学校に行くことを拒み、海馬がこの屋敷にいる間は一歩も部屋から出ようとしない。
 食事を部屋に運ばせて一人で食事を取る。もちろん、使用人を部屋に入れることはなくて一人部屋に閉じこもるようになっていた。


   モクバが学校に行くことを拒むようになってから、毎朝繰り返される、海馬とモクバのドアを挟んだやり取り。と海馬の怒鳴り声が海馬家の日常風景となっていた。


 各部屋の掃除を淡々とこなしていくと、時間は昼を回っている。
 城之内はまかないの昼食をとり、休憩時間となる。
 他の使用人たちは休憩室でお茶を飲んだり、噂話に花を咲かせている。しかし、城之内はその中に混ざることはしないで、ロッカーの中かから重いリュックを取り出すと、屋敷のある場所に向かっていった。

 屋敷を掃除している間に見つけた城之内の休憩場所ある。いくつかある階段下のうちの一つが城之内のお気に入りの場所だった。
 ここは中庭に面していて、大きなガラスの向こうは四季折々の緑が風に揺れていて、太陽の柔らかい日差しが差し込んでいる。そして、この場所は屋敷の死角にあるので使用人たちの目も届かない。
 この静かな場所を城之内は好んで休憩場所に使うようになっていた。


「ふう…ちょっと、疲れたな。」
 首を大きく回して深呼吸をすると、城之内はリュックの中から本を取り出すとページを捲っていった。しんとしている場所の心地よさに城之内は集中した世界に入っていく。


「こんなとこで何してんだ?」
 本に集中して背後の気配に気が付かない城之内をモクバは覗き込む。
「!!!!!!!!も…クバ…?様?」
 不意に本が陰り、上を向くと、大きな目をキラキラさせた少年が立っていた。
 城之内の手からピンクの蛍光マーカーとシャーペンが滑り落ちた。
「お前、新しく入った、ジョウノウチだろ?」
 腕を前に組んで城之内を見下ろしているモクバ。一応普段着には着替えているようだ。
 城之内はそっと落ちたペンを拾い本の上に置く。
「こんなところで仕事をさぼってるんだ。」
「休憩時間中です。」
「そうなん…だ。」
 モクバは膝の上で開いたままの本を眺める。
「それより部屋から出てもいいのか?ハライタなんだろ?」
 今朝も、モクバはお腹が痛いから、学校を休んでいる。
「もう、治ったぜ。」
 城之内がこいつとモクバの腹と突つくと、くすぐったそうにモクバは身をよじって、城之内の横にちょこんと座る。
「難しいの読んでるよな…お前、頭いいのか?」
 城之内の膝の上で開いたままになっている参考書をチラリと覗き見る。
「どうかな…少なくともモクバよりは良いゼ。」
 少しモクバの口調を真似て城之内は参考書を閉じる。

「………」

 モクバは城之内の隣で膝を抱えると、しばらく黙り込み、ポツリと呟いた。

「お前って、変なヤツだな。なんか、他のヤツとは違う感じがする…」
「そうか?よくわかんねぇや。」
「そうだぜ。だってお前はここの使用人だろ?なのに、全然敬語とか使わないし、俺のことも気にしてないようだし…」

「敬語とか使って欲しいのか?」
 城之内は直感でモクバに敬語は必要ないと思ったから使わなかったのだ。
 この少年に必要なのは。

「………。」
 モクバは膝で顔を隠して、頭を横に振った。

「やっぱ、お前はヘンなヤツだぜ。」

 モクバはそう言うと、顔を上げて窓から見える庭を眺める。

「静かだな。」
「だろ。」
「こんな場所が屋敷にあるなんて知らなかったぜ。」
「そりゃ残念だったな。たぶん、にい様も知らないと思うゼ。」

 この広い屋敷の主の海馬は階段下など、気にも留めていないだろう。
 部屋に引きこもったままのモクバだって今まで知らなかった。


「すげえぜ。城之内って、凄いなぁ。」
 モクバは城之内を見上げて、興奮を隠さずに頬を赤くしていた。
 海馬より体格は劣るが、城之内の柔らかな笑顔を無意識に兄と重ねる。こうやって隣にいるのが兄ならばどれだけうれしいだろうか…


「城之内は、海馬、が怖くないのか?」
「怖いっていうか、普通?」

「だって、ここで働くやつらはみんなにい様の顔色を伺ってるんだぜ?にい様は気に入らないヤツはすぐに解雇(クビ)にするからな。」

……アイツならやりそうだ。
城之内は横暴な雇い主の顔を思い浮かべる。


「学校の奴らだって、家庭教師だって、みんな同じだ。みぃんなにい様に取り入ろうとして、厭味なくらい俺に媚びてくる。アイツラの目に俺は入っていないんだ。俺の向こうにいる、にい様を見てるんだ…」

「それが、学校に行かない理由か?」

 城之内が聞くと、モクバは分からないと頭を振り、
「先生もクラスのヤツも……俺が少し間違えたり、失敗しただけで、笑うんだ。海馬の弟なのに駄目だなって。もちろん俺の前では絶対に笑わないけど、陰でにい様と俺をくらべてるんだ。俺はにい様じゃないのに…」

 最後のほうは絞りだすような小さな声だった。
 でも、ようやく他人に話すことが出来た、今までモクバの心の中に鬱積していたもの。
 どうして、あかの他人の、しかも、新人の使用人に話しているのか、当のモクバにも分からなかった。

「おれは…にいさま…じゃない…モクバなんだ…」

 藁をも掴む思いで、モクバは声を出す。
 誰かに、モクバも海馬も知らない人に聞いてもらいたかったのかもしれない。

 一気に思いを口にしたモクバは、立てた膝に顔をうずめる。


「つらかったな…。」
 城之内は一言、言い、そっとモクバを抱き寄せた。
 すっぽりと胸に納まるモクバに、城之内は妹を重ねた。


 静かな階段下にモクバの泣き声が響いた。


「ごめん。全然関係ないヤツに…変なこと言った…」
 ひとしきり泣いて、モクバは鼻を啜ると城之内から離れた。

「気にすんな。関係ないヤツだから、話せたんだ。」
「そうかな。」
 モクバは照れ隠しに鼻の下を擦る。
「そんなもんだ。なぁ。どこを間違ったんだ?俺で良かったら教えてやろうか?」
「本当???」
 予想していなかった、城之内の言葉に、モクバの目が輝いた。
 
 城之内の飾らない雰囲気にモクバは気を許していたのだった。

「ああ。良いぜ。休憩時間の間だけだけど。」
 城之内は腕時計を見て時間を確認した。まだ、時間の余裕はありそうだ。
「俺の部屋汚いぜ…掃除もしてないからさ…」
「わかってるさ。それに、汚いのは慣れてる。子供が変に気をまわすんじゃねぇよ。」
 城之内はくしゃくしゃとモクバの頭を撫でて、参考書をリュックにしまった。
「へへへっ。」
 先に立ち上がった城之内に続いて、モクバはうれしそうに差し出された手を掴む。

「じゃ、行こう。」

 二人は階段下の陽だまりから抜け出ると、モクバの部屋に向かう。




*****




「……っ…。」

 廊下を並んで歩いていると、急に城之内がしゃがみ込んだ。リュックが重そうに見える。

「城之内?」
 城之内の異変にモクバが顔色を変えている。

「…わり…腹が痛くなってきた…トイレどこだっけ…?」
 顔を真っ青に変えて、脂汗が鼻に浮かんでいる。
「そこを曲がったところにあるぜ…医者を呼んだほうがいいのか?」
 今までなんともなかった城之内の急変に、モクバは慌てている。そんなモクバを落ち着かせるために、城之内は無理に笑顔を作ると、
「ばぁか。腹下しだ…出せば、スッキリするから…モクバは部屋で待ってろ…な。」
 こつんと指でモクバのおでこを弾く。

 城之内は着いてくるモクバをお菓子でも用意してろと振り切って、トイレの個室のドアに鍵をかけ、ズルズルとその場に座り込んだ。


「……ぃっ……」


 ここ数日、発作らしいものが無かったから、油断していたのかも知れない。さっき立ち上がってモクバの体重を受け止めた拍子に、胸に電気が走ったように痛みだした。
 近くにトイレがあってよかったと、城之内は胸を押さえて痛みが遠のくのを、いつものように待った。







 背景はこちらでお借りしました。

 拍手連載の続きです。
 おっと、まだ、海城さんではアリマセンでしたね。
 うふっ。どうなるのでしょうか…ドキドキです。
 この続きは拍手に置いています。また、こちらがたまれば、ここに移動させてきます〜〜。