モクバ考案の『カプセル・モンスター(カプモン)』がカイバコーポレーションで正式に発売されると決まった。 海馬によると、ゲームの概要はほとんど完成されていたので特に問題は起きなかったらしい。海馬のサインがされた書類が出来上がると、会社のビルの一角にチームが組まれた。 それに伴ってモクバが海馬と共に会社に行く機会が増えていき、にわかにモクバの日常があわただしくなっていく。 モクバが屋敷を空ける時間が増えていくと、城之内はもとの使用人としての仕事に戻る。ただし、勉強を遅らせるわけには行かないのでモクバがいる間は、城之内が側に付いていた。 外で働く大人を間近に接するようになってからの、モクバは目を見張るばかりに成長していく。勉強もやらせられるのではなく、やらねばならないのだと自覚を持ったために、真剣に取り組むようになっていった。 モクバの周りの世界が目まぐるしく変化していく中、城之内の時間は相変わらず変わることなく流れている。 ***** 海馬邸の昼下がり。 昼食を終えた城之内は、いつもの休憩場所で休んでいる。 季節は春から初夏に移り変わろうとしていて、階段下のこの場所に高い日差しは届いてこなかった。重いリュックを脇に置き、分厚い参考書を開いた城之内が………こくり、こくり、と舟をこいでいた。 「やはり、ここにいたのか……」 忘れ物を思い出した海馬が屋敷に戻ってきたのはつい先ほどのこと。モクバは本社の一室で社員と共に仕事をしている。 忘れ物を鞄にしまった海馬は、城之内の姿を探した。時間はちょうど休憩時間なので心当たりの部屋を覗いてみたが見つけることが出来なかった。そんな時以前、モクバが言っていた城之内のお気に入りの場所を思い出したのだった。 壁に身を任せて眠る城之内の無防備な寝顔に海馬の頬が緩む。 普段の城之内はどこか張り詰めた糸のような緊張感を漂わせていた。物腰は柔らかく誰とでも無難に接しているのだが、決して心の奥底を覗かせはしなかった。それはモクバに対しても同じで、海馬にはなお更だ。 だから、城之内の寝顔を拝める絶好の機会に、海馬は気配を殺して側に歩み寄っていった。 穏やかな寝息と共に僅かに胸が上下していて、前髪が目元に影を落としている。投げ出された意外と長い手足が時折ピクリと動いて海馬をドキリとさせた。 海馬は城之内がここに来る前に配達をしているのも、ここが休みの日には他の仕事をしていることも知っていた。そして、僅かに開いた時間を利用して勉強をしているのも。 いつ寝ているのか、いつ休息を取っているのか、休むことを知らない城之内の体力と気力に海馬は感心しっぱなしになっていた。それと同時にここまで城之内を駆り立てるものが何なのか、純粋に知ってみたいと思うようになっていた。 きっと誰も見たことのない寝顔。 わずかな休息を取る城之内。 海馬の心の奥深くに何か分からない感情が生まれる。 城之内の膝の上には参考書が開かれたままになっていて、その周りにもいくつかの本が積まれていた。 たぶん同時にいくつもの資料を読んでいたのだろう。その分厚い参考書は、読み込まれていて沢山の付箋が張ってあった。 「……?」 海馬の目に一冊の参考書が目に止まる。 他の本が読み込まれているのにも関わらず、何故かその一冊だけは新しいままだ。付箋が貼られるわけでもなく、開かれた形跡さえ見止められず数ある本の中でことさら異彩を放っていた。 何の本だろうと海馬の手が伸びようとしたとき、城之内の瞼が痙攣する。 「………っ??…海馬…?」 「悪い。起こすつもりはなかった…ただ…」 バツが悪そうに言い訳を考える海馬。 「???」 そんなのは気にしていないという風に、城之内が大きく伸びをした。 「なんで、ここにいるんだ?まだ会社にいる時間だろ?」 窓から差し込む日差しの高さに、本能的に時間を読むと城之内は聞いた。 「ぁあっ…忘れ物をしてしまってな、取りに戻ってきたんだ。他のものでは分からないところに保管してあったのでな。」 「へぇ。」 特に気分を害したようでない城之内に海馬は一安心すると、 「いいか。」 と隣に座ってもいいかと、城之内が頷くのに合わせて隣に腰を下ろす。 「モクバに聞いてはいたが、こんな場所が屋敷にあったとは気が付かなかった。」 海馬は大きな窓に広がる青々とした緑と真っ青な空の色に釘付けになった。 「モクバも同じこと言ってたよ。」 同じことに感動する兄弟に城之内はくすりと笑うと、広げていた本をリュックに片付けていく。 「そうか…。モクバと…。」 ここからモクバは変わっていったのだ。 ここで城之内と出会うことで、モクバは硬い殻を破っていった。 城之内の飾らないやさしさがモクバの固まってしまった心を溶かした。 もし、城之内がいなければ今頃モクバは、海馬はどうなっていたのだろうと、背筋が寒くなるような想像にぶるりと震える。 「モクバが学校に行くと言って来た。」 「おっ!マジ?」 「ああ。プレゼンが無事に終われば行くそうだ。」 「よかったな。」 長い道のりだったが、ようやく見えた光に城之内も自分のことのように喜んだ。 「貴様がいたからだ。礼を言う。」 海馬は城之内に向き直り、頭をさげる。 「父が他界してから、俺は会社を守ることに必死だったのだ。俺がしっかりしなければ、会社は他の重役たちに乗っ取られてしまったからな。俺は屋敷を空けることもいとわずに働き続けたのだ。父を亡くした不安も一人屋敷に残る寂しさも…俺は受け止めてやれなかった。」 海馬はまるで懺悔するように続けていき、その言葉に城之内は何も言わず耳を傾ける。 「モクバには強くなれと、縋る手を振り払って厳しく接した。カイバコーポレーションを守ることがモクバを守ることになるのだと信じていたのだ。だが、俺が強く言えば言うほどそれは逆効果で、最後はモクバの笑顔を…見失ってしまった。」 「俺は何もしてない。モクバを変えたのは海馬だよ。」 城之内は微笑む。 「違うっ!貴様がいなければ、俺はモクバをどう扱っていいのか分からないままだったのだ。貴様が俺を止めなかったら、今頃モクバはここにいなかったのかもしれない…っ。」 モクバが心を開き、復学するまでに回復したことに張り詰めていたものが切れてしまった。 「本当に感謝している。」 他人に頭をさげることも、気弱な発言をするもの奇跡のような出来事なのだが、城之内には意味のないことだ。 「モクバを受け止めれるのは海馬だけなんだ。俺にはなにも出来ないぜ。モクバを変えれるのは海馬だけだし、海馬を変えれるのもモクバだけなんだ。」 「城之内…」 海馬は変わらずに穏やかな城之内につられて顔をあげると、そこには声以上に静かな城之内が海馬を見つめていた。 城之内はゆっくりと大きく息を吸うと、 「血の繋がりは凄いんだぜ。 どんなに傷つけてしまっても、心が離れても、 側にいられなくても、 一瞬の時間で、全てを越えられるんだ。 何もなかった時間も空間も飛び越えて、心でさえ埋めてくれるんだぜ。」 だから、城之内は何もしていないのだと言った。 「そうなのか…」 「ああ。そんなもんだ。だから、もう深く考えるなよ。」 城之内はバシッと海馬に活を入れる。 「貴様もそうなのか。」 思ったより強い力に肩を押さえて、今度は海馬が城之内に問う。 城之内も同じなのかと。 「もちろん。同じだぜ。静香もまだ寝たまんまだけど、きっと目を覚ましたら、それだけで眠っていた時間なんてすぐに埋めてやるさ……まぁ、実際の浦島太郎感はすぐには戻らないだろうけど。」 城之内は淀みなく真っ直ぐに海馬を見返した。 「……。」 違う。妹のことではないとの言葉を海馬は飲みこんだ。言ってはいけないのだと城之内の目が語っているように感じてしまった。 「医者を目指しているのか?」 気まずい雰囲気に海馬は話題を変える。 「ああ。静香の目を覚ましてやりたいんだ。アイツがちっとも目を覚まさないから、俺がでっかい目覚ましになろうって思ってるんだ。」 城之内は壁にもたれて、窓の外の空を見上げる。 城之内の読んでいる沢山の医学書。海馬でさえ頭が痛くなるような本を何度も何度も読み返し、一人で勉強に励んでいた。 妹のために。 「ドミノに来ないか?もちろん金は要らない。授業料も入学金も免除してやろう。必要なものは俺が用意する。」 城之内の類稀な頭脳と才能を埋もれさせるわけには行かないと、海馬は援助を申しでた。 「はぁ?」 「入院費も俺が貸そう。もちろん返すのはいつでもいい。」 「海馬……」 先ほどまで柔らかかった城之内の表情が見る見る間に曇っていく。 「医者になりたいのなら、ドミノに来るのが一番の近道ではないか。ドミノで十分に勉強して大学に行くんだ。同じ学校にいけるとなればモクバもきっと喜ぶぞ。」 「気持ちはうれしいけど、遠慮しとく。」 「??何だとっ??」 海馬は耳を疑ってしまった。 「金のことは気にするな。城之内には学校が終わってからモクバの家庭教師をすればいい。そうすればいいアルバイトになるだろう。」 「だめだ。俺は受けないぜ。」 海馬は思いつく限りの条件を出すが、城之内は悲しそうにするばかりで最後まで首を立てに振ることはなかった。 「なぜ、頑なに拒むのだ?貴様にとって悪い条件ではないはずだ。」 寧ろ一人の人間が受けるには破格の好条件を海馬は並べた。城之内の考えていることが全く分からない。 「ごめん。でも、俺、医者には絶対になるから。海馬から見たら回り道にしか見えないだろうけど、エリートじゃない、地面から這い上がってくる医者もカッコいくないか?俺は回り道が無駄なことじゃないと思うんだ。そこから見える小さなものを大事にして、絶対に静香の目を覚まさせてやる。だから、海馬も心配すんな。」 城之内はぐっと拳を握り締め、海馬に突き出し、ニッと白い歯を見せる。 そこにはいつもの小春日和のような城之内ではなく、力強い心の奥底にある強い意思が垣間見えて、海馬もつられ、手を握るとその拳に合わせた。 「がんばれ。いつでも、見ているから。困ったことがあればいつでも俺のところに来い。」 「サンキュ。」 色素の薄い髪がキラキラと日に透けて、初夏の日差しに負けないくらいの城之内の笑顔が眩しく感じられた。 ***** 本当のことを言うと、俺は海馬の申し出を受けたかった。 ドミノに行って、一日でも早く医者になりたかった。 でも、 俺にはそんな楽な道を選べる資格なんてないんだ。 俺のせいで静香は眠ったままだし、 父さんからは母さんを取り上げてしまった。 俺に幸せを望む権利なんてない。 だから、海馬にもモクバにも幸せでいて欲しかった。 モクバが学校に行くと言ってくれて、海馬のうれしそうな笑顔が見れて 俺は本当にうれしかった。 ***** 俺は大事なことを忘れていた…… 最高に俺はタイミングが悪いということを…… 続く。 お待たせしました・・・・ |