「それっ!!いくゼイ。」
 ゴムを一杯に巻かれた、飛行機がモクバの手から離れ、真っ青な空に舞い上がる。

 
 明日のプレゼンに興奮してしまったモクバは一昨日から熱を出してしまった。次の日には平熱に戻ったけれど、モクバは体調を整えるため、念のためと一日ゆっくり屋敷で過ごすことになっていた。
 熱があるときは大人しくベッドにいたモクバも、熱が下がれば、もう、じっとしてられない。
 城之内が屋敷に到着してからは、ずっとしゃべりっぱなしだ。ドキドキがおさまらないモクバのために城之内は飛行機を作ることにした。
 部品を一つ一つ組み合わせていく地道な作業は、モクバの気持ちを落ち着かせていき、いつしか作ることに熱中していた。



 上昇気流を捕らえた飛行機はゆるやかな弧を描き空に軌跡を残す。モクバはその軌道を追いながら、芝の庭を元気に走って追いかけていった。城之内も遅れてそれに続く。


「モクバ、あんまりはしゃぐなよ。熱が下がったばっかなんだからな。」
「平気だって。城之内。」

 
 モクバは芝生の上に落ちた飛行機を拾い上げると、ゴムを一杯に巻いていった。
「おいおい、あんまり巻くと壊れるぞ。」
「へへっ。大丈夫だって。」
 きりきりとプロペラを回してゴムを捻る。



「それっ!」
 ゴムを一杯に巻かれた飛行機が再び空に舞い上がった。
「やった!!」
 真っ青な空に飛行機の白い翼が眩しく映え、柔らかな風がモクバの髪を揺らしている。

 
 城之内も空を見上げるモクバの隣に立つと、眩しそうに手をかざし、自由に大空を飛ぶ飛行機を追った。





「ありがとう。城之内。」
「ん?」


 空から地上へと視線を落とすと、城之内を真っ直ぐに見上げるモクバがいた。



「城之内がいたから俺はここにいるんだ。
 もし、城之内がこの屋敷にこなかったら、今でもまだ部屋に閉じこもったままかもしれない。」 

 モクバは空に向かって、空を抱えるように大きく腕を広げた。
 シャツから伸びるしなやかな腕が、飛行機の翼のように風を捕まえる。


「あのね……水族館の帰り……途中で目が覚めてたんだ。だから、兄さまと城之内の会話も……兄さまが、俺を部屋に運んでくれたのも全部、覚えてる……。」

「うん。知ってた。」
 城之内は静かに頷く。城之内は海馬にモクバの全てを託したのだ。


 モクバが変わる為に。
 海馬が変わる為に。


「兄さまは俺を部屋に運んで…そして、ごめん。っ俺の頭を撫でて……
 俺、あんなに辛い兄さまの声を聞いたことがなかった。」


 飛行機が大きく弧を描き、モクバの元へ戻ってきた。偶然にも足元に落ちた飛行機を拾い上げると、モクバはもう一度ゴムを巻いていき、再び空へと解き放つ。


「俺が我がままだったんだ。兄さまと一緒に会社に行って、兄さまが仕事をしているのを間近に見て、兄さまがどれだけ大変なことをしているのか、分かった。
 俺が子供だったんだ。俺の我侭で兄さまを困らせてしまった……」

 空の青を映す、モクバの瞳が滲んでいる。
 父親が他界して一人屋敷に取り残される、寂しさから兄の気を引くために我がままばかり言っていた。我がままを言えばいうほど、兄は厳しい眼差しをモクバに向けていった。
 海馬の言動の一つ一つがモクバの心を傷つけていった。
 でも、今なら、分かる。
 兄はモクバのためを考えてのことだったのだと。

 きっと、兄のほうが辛かったに違いない。
 行き成り、何の気持ちの整理が付かないまま会社の重責を負い、働いてきたのだ。
 そんな簡単なことが分からなかった自分が恥ずかしい。
 モクバの目に涙が一杯になる。



「いいんだ。子供で。モクバはまだ、子供なんだ。」
 城之内は空を飛行機を追っているモクバの頭をぐしゃりとかき混ぜた。
「モクバがいたから、海馬が働けるんだ。モクバがここにいてくれるから海馬に帰る場所があるんだ。」
「城之内ぃ…」
 モクバがずずっと鼻をすする。太陽に照らされて城之内の薄茶色の髪が金色に光っているように見えた。
「海馬は急ぎすぎて大人になってしまったんだから、モクバはゆっくりと大人になればいい。海馬のそう願ってる。」
 ポケットの中からハンカチを出してモクバに渡す。
「でも、早く大人になりたい。そしたら、兄さまのお手伝いをするんだ。」
 モクバの瞳の中に小さいけれど確実な、意思が芽生えていた。


 もう、モクバは大丈夫。
 ちゃんとやれる。


 城之内はぽんとモクバの肩を叩いた。





「あっ!!」

 風に乗って飛んでいた飛行機が庭の木の枝に引っかかった。
 モクバと城之内はその木の下に向かう。

「あ〜ぁ、あんなとこに引っかかってるよ…」
 飛行機は木の高いところの枝に引っかかっていて、モクバはもちろん城之内でさえ手を伸ばしても届きそうにない。
 よく飛ぶ飛行機だっただけに、モクバも残念そうな顔で飛行機を見つめる。

「取ってくるよ。」
「えっ?危ないよっ。もし、落ちたら…」
「大丈夫さ。これでも木登りは得意なんだぜ。待ってろ。」
 心配そうなモクバのおでこと弾くと、城之内は器用に木に登っていく。そして、こともなげに飛行機のある枝のところにたどり着いた。
「すげえよ。城之内!!もう取れるぜっ!!!」
 城之内の身の軽さに、モクバはうらやましそうにしている。

「おうっ。下に落とすからしっかりと受け止めろよ。」
 枝の先に引っかかっているため、さすがの城之内も慎重に手を伸ばす。
 
 もうちょっと……
 
 あと、ほんの数センチで飛行機に手が届くというところで………









 どくんっ








 城之内の心臓が大きく跳ねた。










!!!!!!!!!!!!!!!!!!











 どくんっ






 城之内の心臓が暴走するように不規則に脈打つ。と、同時に息も出来ないような痛みが胸に走る。




「ァ……っ…・がっ……」



 苦しさに城之内は枝に縋りつく。
 全身からは汗がどっと吹き出てきた。




「!!!!っ、城之内!!!どうしたの???」



 胸を押さえて様子の急変した城之内にモクバは下から声をかけた。



「……も…く……くんなっ……はな…っ…」

 城之内は痛みを堪えて、モクバに離れるようにと言いたいのだが、出るのは呻き声に混じる小さな言葉だけで、地上にいるモクバの耳には届かない。

「……だめっ……は…っ…」


 むちゃくちゃに打つ鼓動。胸から全身に走る痛みに城之内の意識が黒く落ちてくる。
 しかし、下には城之内を心配そうに見上げるモクバがいて……




『おにいちゃんっ!』



 モクバが静香に。
 真っ白な白線の上にいる、妹に重なっていく。





 俺は大丈夫だから、こっちにくるな!!
 そこから離れるんだ!!!


 あらんかぎりの声で叫びたいのに、
 その声は苦痛の中にかき消されて
 城之内の口から出ることはない。



「……く…んっ              」



 意識の完全に落ちた城之内の体がゆらりと枝の上で揺れると、




 地上へと落ちていく……



 モクバのいる、ところへ………