「お母さん、ただいま帰りました。」
「今、何時だと思っているの?」
「5時半です。」
「何時までに帰ってこなくてはいけない約束になっているの?」
「5時です。」
「時間を守れなかった時はどうなるの?」
「罰としてお尻を打たれます。」
「いくつ打たれるんだい?」
「はい、1分の遅刻につき一つです。」
「じゃあ、今日はいくつお尻を打たれればいいのかな?」
「30回です。」
「そこまでわかっていれば話は早いんだけど…。でも、弘人、何か事情があって遅れたんじゃないのかい?」
「いえ、その…。いや、いいんです。お仕置きの前に言うと何だか言い訳みたいになるので…。罰を受け終わった後に言います。」
「相変わらずこういうことには頑固だね。おまえのそういうところは母さん、好きなんだけどね。でも、けじめはつけなくちゃね。手加減はしないからね。さあ、いつものようにお仕置きを受ける姿勢におなり。」
弘人は小学校6年生。1年を通してデニムの極端に短い半ズボンをはかされている。これはこの家のしつけ上外せない1点であった。太股を年中剥き出しにして肌を鍛え健康な体をつくるのと、しつけのために必要な平手打ちやムチ打ちのためにいつでも素直にくりんとしたお尻を突き出す習慣をつけるというねらいがあった。たくましい太股を引き立たせるために、これも1年中スポーツタイプのハイソックスをはくことも義務づけられていた。暑いからといってだらしなくハイソックスが下がっていたりしたら、もうそれだけでピシリとお尻を打たれる理由となった。
弘人はベッドの上に正座している母の膝の上にうつ伏せになった。母は弘人のお尻を撫ぜたりさすったり、もんだり、尻溝に指をはわせたりしながらお説教した。いつもお尻叩きの前に行われるこの「儀式」のために普段から尻たぶが少しはみ出るくらいに短い弘人の半ズボンはさらにお尻の割れ目に食い込み、大げさに言うと尻たぶの3分の2くらいが露出する羽目になった。
「さあ、門限を守れなかったことに対する罰としてお尻を30回打ちます。いつものように男らしく勇敢に罰を受けること。いいね!」
「はいっ、お母さん。」
弘人はきっぱりと答え、口をきりりと結んだ。
「さあいくよ。覚悟はいいね。・・・・・・・・・ひとーつ!」
母が打つ数を数える。弘人はお尻をきゅっと縮めて待つ。一呼吸あってピシリと平手が振り下ろされる。母は弘人が痛みを味わう時間を十分に取る。そして、「ふたーつ」と次の数を数える。その間15秒くらいだろうか。母は尻叩きの名人といってよいだろう。時には左右のお尻のほっぺたを交互に打ち分けたりもするが、基本的には弘人の半ズボンが最も深く食い込んでいる肛門のあたりを中心に左右のお尻のほっぺた両方に手のひらがあたるようにして打つ。打った手を再び振り上げる時に、中指で弘人の尻溝を下から上に微妙な感じで撫ぜ上げるので、弘人は痛い中にも妙な快感を感じてしまうのであった。
「・・・・・・・・13・・・・・・・14・・・・・・・・15、さあ、ようやく半分だよ。お前のお尻も痛さに慣れただろう。残り半分は半ズボンを脱いで罰を受けなさい。」
「はい、お母さん。」
弘人はいったん母の膝の上からおりて素直に半ズボンを脱ぎ、再び母の膝の上にうつ伏せになった。母は木綿のパンツをぎゅっと上に引き上げて弘人のお尻をほとんど露出させた。
「さあ、残り15回のお仕置きだ。歯を食いしばってがまんするんだよ。」
弘人は後半15回のお尻叩きを実に見事な態度で受けきった。一つ打たれるたびに「うっ」という短いうめき声をもらしてしなやかな体をぐっとそり返すだけで、泣いたり、悲鳴をあげたり、暴れたり、哀願したり、悪たれをついたりなどということは一切なかった。
弘人だって初めからそんな神に近いような少年であったわけではない。6年生の現在まで様々なことがあった。お尻を打たれるときに反応的だったり、泣いたり、悲鳴をあげたり、暴れたり、哀願したり、悪たれをついたりしたことは当然あった。その時には、打つ数を増やされたり、平手で打たれる代わりに壁にかかっているよく撓る竹のムチで打たれたり、父親に報告され、父親から皮のベルトで気を失うまで打ち据えられたりした。そんな辛い体験を通して、弘人はいったん罰の決定がくだったら、素直にそれを受けるのが最もよいということを学んだのだった。
「・・・・・・29・・・・・・・30!さあ、今日のお仕置きはおしまいだ。今日も立派な態度だったよ。それは褒めてやろう。そうそう、帰るのが遅れた理由があるんだったね。さあ、話してごらん。」
弘人は30回もお尻を打たれて、母の膝の上でぐったりとしていたが、はあはあと荒い息をしながら、ぽつりぽつりと帰るのが遅くなった理由について語り始めた。
「・・・・・草野球は4時半で終ったんです。・・・・・・でも、帰る時になって崇君が家の鍵を落としたことに気づいて・・・・・・・・皆で探していたんです。・・・・・・・みんなぼくのうちの門限が5時で、それに遅れるとお尻を打たれることを知っていて『弘人君は先に帰れよ。』と、言ってくれたんだけど・・・・・・例えお仕置きのムチを受けたとしても崇君を見捨てては帰れないよって言ってみんなで鍵を探してたんです。それで鍵がやっと見つかって走って帰ってきたのがあの時間だったのです。ごめんなさい。お母さん。」
「・・・・・・・弘人、お前はなんて不器用な子なんでしょう。その話を帰ってすぐすればこんなにお尻を赤く腫らさなくてもすんだのに…。でも母さんはお前のそんな不器用なところが好き。痛かったでしょう。」
母親はまたもや、念入りに赤く腫れ上がった弘人のお尻をいとおしそうに撫ぜまわすのであった。(完)