春の目覚め

年我が家では4月1日が衣替えだ。冬服から夏服ではなく、長ズボンから半ズボンヘの衣替えであった。昭和○○年4月1日、小学校6年生になるこの年の長ズボンから半ズボンヘの衣替えは自分が思春期に足を踏み入れた記憶に残るきっかけだった。

5年生時代の晩秋以来、久し振りに洗いざらしのデニムの半ズボンをはいてみて「あれっ」」と思った。ずいぶんと小さく感じたのだ。実は半ズボンが縮んだのではなく、この冬の間にぼくの体が大きくなったのだ。思い切り上にあげてはかないとウエストのボタンが止まらず、思い切り上にあげてはくと、裾が太ももとお尻の境目の線よりも少し上にきた。太ももはまさに丸出し状態だった。自分の太ももはこんなに長かったのか、こんなにぴちぴちしていたのか、こんなにすべすべだったのかとしげしげと眺めてしまった。特に意味もなくしゃがんでみると、きつめの半ズボンはさらにお尻の溝に食い込んだ。膝から下は厚手のスポーツタイプのハイソックスをはいている。5年生の後半からハイソックスが流行り始め、体育の時間は1年を通して短パンだったので、サッカー選手気取りではき始めていた。短パンは動きやすいようなでかパンだったのでハイソックスとのとりあわせも気にならなかったが、極端に短いデニムの半ズボンにハイソックスをはいてみると、なにか妙に落ち着かない感じだったのだ。何か妙にかっこよすぎるのだ。膝から下が隠されているので、素肌の太ももがさらに強調される感じだ。
外に出てみた。春風が剥き出しの太ももにあたって妙にくすぐったい。これまで毎年、4月1日に長ズボンから半ズボンにはきかえているのに、こんなことを感じたのは今年が初めてだ。ちなみに半ズボンから長ズボンヘの衣替えは何月何日と決まってなく、晩秋〜初冬の寒い朝、
「今日は長ズボンをはいていきなさい。」
と母が長ズボンを出してくれるのだ。しかし、クラスには1年中半ズボンで通す友達も何人かいた。
菜の花が咲き乱れている場所にきた。菜の花の黄色が目にしみる。菜の花のにおいが妙に刺激的だ。毎年、菜の花は見ているはずなのに、菜の花にこんなに刺激されるのは、やはり今年が初めてだ。
そこへちょうど同じクラスの押井沙耶さんが通りかかった。春休みだったので、1週間ほど彼女には会っていなかったのだが、その時、彼女がまったく違った女の子に見えた。彼女も1週間前までは長ズボンをはいていたのに、今目はグレーの超ミニスカートをはいている。小麦色の太ももがまぷしかった。彼女は真っ赤なハイソックスをはいていた。
「あら、樋口君、久し振りね。何してるの?」
「うん、菜の花があんまりきれいだたんで。」
と、ぼくは正直に言った。何の取り繕いもしなかった。
「ほんと、すごくきれいね。」
彼女も菜の花畑に入ってきて、しゃがんで菜の花のにおいをかいだ。
「においもいいわね。春って感じね。」
彼女が立ち上がったとき、ちょっと強い春風がさっと吹いて、彼女の短いスカートの裾が一瞬めくれあがった。ぼくは、見るともなしに同時に2つのものを見てしまった。1つは彼女が、当時の女の子の大部分がはいているようなお尻のふくらみをぴったりと包むような「パンツ」ではなく、お尻の溝に食い込み、お尻のほっぺたが半分くらいはみ出しているような「パンティ」をはいていたこと、そしてもう1つはそのパンティからはみ出たお尻のほっぺたに何本かの赤い筋がついていたことだ。彼女は今の風でその2つがぼくに見られてしまったことを悟ったにちがいない。一瞬気まずい沈黙が二人の間におとずれた。

「どうしたの?」
なんて聞かない。昨日の自分に比べて今日の自分はずいぶん大人だった。
やがて、彼女のほうから口を開いた。
「うちはしつけが厳しいから。」
もう、これでで説明は十分だ。あの赤い筋は、彼女がムチ打たれてつけられたものなのだ。彼女のうちはしつけが厳しいこと、彼女のうちには「ムチ」があって、彼女に何か粗相があると、彼女の両親は彼女のお尻にその「ムチ」を振るうのだということは、親たちの漠然としたうわさで知っていた。
「わかるよ、うちもそうだから。」
なんと思いやりのあることが言えたのだろう。昨日の自分とは明らかに違っていた。うちのしつけが厳しいことも有名だ。3年生までは両親から平手でお尻をひっぱたかれてきたが、4年生からは物差しと皮のベルトが使われるようになった。5年生時代、まだ半ズボンをはいていた時期、太ももの上の方に赤い筋をつけていたのを彼女も見ているはずだ。だから、この慰めは説得カがあったと思う。
「じゃあ、またね。」
彼女は去っていった。僕はいつまでも彼女の太ももやお尻を見送っていた。今までは、彼女がお尻をムチ打たれていると噂で聞いても何にも感じなかったのに、今日は妙に気になった。いろいろ考えては妙に興奮してしまうのだ。
「どんな姿勢で打たれるのだろう…打たれるとき彼女は黙って耐えているのか、それとも叫び声をあげるのか…いくつくらい打たれるのか…どんなムチなのか…」
といろいろ考えてしまった。

日が長くなっているので、帰宅が遅れてしまった。約束の5時を20分ばかり過ぎてしまった。案の定、母が50センチの竹の物差しで手のひらをぴたぴた叩きながら待っていた。
「約束を守れないようじゃ6年生とは言えないわよ。わかっているわね。」
罰のムチだ。いつもは悲痛な顔をしてしまうのだが、今日は押井さんのこともあり、なんだかぼくもお尻をムチ打たれてみたい気分だった。ぼくは素直に布団を敷き、その上で四つんばいの姿勢をとった。ぼくのうちでは当たり前だが、ムチを受けるとき、布団を敷くのはなぜか、と疑問をもつ人もいる。そのまま、倒れてしまっても布団まで運ぶ手間がいらないからだ。今日の門限破りくらいでは、気絶するまで打たれるとは思わないが、父親から100回のベルト打ちを受けるときなど、この布団の準備が無駄ではなくなるのだ。
いつも言い訳をしたり、許しを請うたりするぼくが素直にお仕置きを受ける姿勢をとったので、母は少し面食らったみたいだった。
「さすがは6年生だね。覚悟はできているようだね。おや、冬の間にずいぶん体が大きくなったんだね。こんなに半ズボンからはみだしたお尻を打ったらさぞかし痛いだろうね。でも、手加減はしないからね。歯を食いしばって男の子らしくムチを受けるんだよ。20分遅刻したから20回のムチ打ちだ。さ、いくよ。」

母はムチを振るいやすいようにぼくの左側に片膝立ちになり、ムチを振り上げた。
ぼくはさらにお尻を高くあげて最初のムチを待った。
「ひと一つっ」
ひゅっとムチが風を切り、ピシリと半ズボンで覆われていない素肌の部分に打ち当たった。打たれた瞬間より、〇.何秒か後に鋭い痛みを感じることは素肌を物差で打たれたことのある人だったら、皆体験していることだろう。「50センチの竹物差でお尻を打たれる」というと、なんかほのぼのとした雰囲気を感じる人もいるかもしれないが、当の小学6年生の子どもにしてみれば、大の大人が革紐のムチで打たれるのと同じような苦痛、ショックで、やはり、小学6年生にとって自分のお尻を打ち据える50センチの竹物差はまぎれもない「ムチ」であった。ぼくは、苦痛を感じる瞬間は目をつぶって耐えた。「うっ」と軽くうめいてしまう。
「ふたーつ、みーっつ、よーっつ」ビシッ、ビシッ、ビシッ…
よく張ったぼくの臀球にたたきつけられるムチの音は、客観的にもいい音であった。なぜかぼくはやはり四つん這いの姿勢をとらされて、そのくりっとしたお尻をムチで打たれている押切さんの姿を想像していた。
「とうっ」…ビシーッ…目一杯我慢していたが10回目のムチでぼくはうつ伏せに潰れてしまった。
「6年生になって少しは根性が育ってきたかと思ったのに、そのざまはなんだい?四つん這いの姿勢に戻れないなら、半ズボンを脱ぎなさい!」
母はぼくのぴちぴちのデニム半ズボンの前のボタンを外し、ジッパーを引き下げてそれから腰に手をかけてするりと脱がしてしまった。そして、ブリーフをぎゅっと引き上げてTバック状にしてしまった。
「11、12、13」ビシッ、ビシッ、ビシッ…

一つ打たれるごとに痛さでお尻を激しく動かすので、むき出しの太股の前面とペニスがシーツでこすられた。お尻の溝に食い込んだブリーフはさらにお尻に食い込む。すると、太股前面一体に今まで体験したことがないような快感が広がった。
「16、17、18」ビシッ、ビシッ、ビシッ…
太股の前面に広がった快感はだんだんペニスを中心に集約してきた。それは、Tバック状になったブリーフが尻溝に食い込み肛門を刺激する快感ともつながっていた。
「20!」…ビシーッ…20回目のムチを受けると同時に、頭の中のムチ打たれる押切彩の想像とペニスの快感と肛門の快感とが1つになって爆発した。怒張したペニスはドクッ、ドクッと波打っていた。まだ、射精は伴わず、ぼくの絶頂は母にはばれなかった。
「なんだい、だらしないね!お尻のほてりがおさまったら、さっさと起きて来るんだよ。夕飯の支度の手伝いに来なかったらまた、お尻にムチだからね。」
 母は忙しそうに台所へ去っていった。
 しばらくぼくはうつ伏せの姿勢で快感の余韻に浸っていたが、追加のムチを気にして、立ち上がり半ズボンをはいて台所に行った。(完)