稚児尻祭
僕の住んでいる村では、毎年8月23日に稚児尻祭という儀式が行われます。
世の中には様々な奇祭があるそうですが、この稚児尻祭もとても珍しい祭りだと思います。
内容はというと、その年10歳になる男の子のお尻をが叩くというものです。ちなみに、この儀式を受ける子どものことを『尻稚児』と呼びます。いわば、古くから伝わる男の子の通過儀礼でといえるでしょう。
僕も6年前、10歳の時にこの尻稚児として儀式を受けました。
今日はその時のことを思い出してお話しようと思います。
村は過疎が進んでおり、5年前10歳になった男の子は僕と、他に2人でした。
稚児尻祭は神社の境内の広場で行われます。
僕達はお寺の一室で儀式用の服に着替えさせられます。
儀式用の服とは、白い作務衣とよばれる服です。イメージとしては、空手の胴衣をもうすこしゆったりした作りにしたようなものでしょうか。
下着は着けません。パンツをなしで直接袴を履きます。
作務衣に着替えると、僕たち3人はいよいよ来たかという表情で顔を見合わせました。
3人とも、これまで毎年尻稚児祭は見学しています。これから自分たちがどんな目に会うのかよく知っているのです。
今日までに何度も覚悟を決めてきたつもりでも、やはりいざ本番になれば不安にもなります。
特に、僕たち3人の中でも一番身体が小さく、気も弱い中畑裕也くんは完全に顔が青ざめていました。
僕だって、内心逃げ出したいという気持ちでいっぱいです。おそらく、もう一人、田中健史くんだって同じだったと思います。
でも、逃げることはできません。この村に生まれた男の子だったら誰もがこの儀式を受けなければならないのです。
祭りの会場には、僕たちの人数分の“台座”が用意されています。形は体育で使う跳び箱によく似ています。ただし、下のほうに尻稚児の手足を拘束する為のベルトがついています。
そして、その周りに村の人たちが輪をつくっています。もちろん、逃げ出せるような状況ではありません。
僕達は覚悟を決めて、それぞれ、自分の台座の前に立ちます。
「それでは、これより稚児尻祭を開始する。尻稚児達は順に名乗りをあげよ」
神主さんがよく響く声でそういいました。
「田中健史、10歳!!」
田中くんがそう叫びます。できる限りの大声で宣言する決まりなのです。
「タケシー、がんばれよー」
「泣くんじゃないぞー」
拍手と共に田中くんのお父さんやお兄さんが声援をおくります。
続いて僕。
「山岸幸信、10歳!!」
僕も声を張り上げましたが、武中くんにくらべると、少し上ずっていたかもしれあません。
「幸信、がんばれ」
お父さんが言います。お母さんはただただ心配そうに僕を見守っていました。
村の外から嫁いできたお母さんは、この儀式を僕が受けること自体いやがっていたようです。
最後に、中畑くんです。
「な、中畑……ゆ、裕也、9歳……です」
とても大声とは言えないかすれた声で何とか宣言した中畑くんは、まだ誕生日を迎えていません。
「裕也、シャンとしろ!! 男だろ!!」
中畑くんのお父さんが叫び、中畑くんは首をすくめました。
なんにせよ、僕たちが名乗りを上げると、神主さんが続けます。
「では、尻稚児は袴を脱ぎ、台座へ上がれ」
(いよいよだ。いよいよ、この台座にのって……)
そう思うと、夏にもかかわらず手のひらに汗が滲みました。
僕は意を決し、袴を下ろして下半身裸になりました。
これでおちんちんもお尻も丸出しです。
そして、台座の上に腹ばいになります。
横を見ると、田中君も同じく袴を脱いで台座の上に腹ばいになっています。
が、中畑くんだけはいまだ動きません。
「裕也、なにやっているんだ」
中畑くんのお父さんがどなりますが、彼はその場に立ち尽くしたまま震えています。
「中畑裕也くん、どうした、早く袴を脱いで台座に上がりなさい」
神主さんが再度促しますが、中畑くんはうごけません。
それどころか、その場に蹲ってしまいます。
そんな、中畑くんの下へ、はっぴ姿の若男たちが駆け寄ります。
彼らは、今日、これから僕たちのお尻を叩く役目を担う15〜18歳の若者たちです。
「中畑くん、ほら、頑張って」
若者の一人、高橋さんが中畑くんに言いますが、裕也くんは首を横に振って動きません。
それどころか、よく見ると涙を流し始めてしまっているようです。
「裕也!!」
中畑くんのお父さんが怒りの声を上げます。
ここで自分から動けないということは、この村では意気地なし、男として失格という烙印を抑れてしまうのです。
「高橋さん、いいから脱がして乗せてやってくれ」
中畑くんのお父さんが高橋さんに言いました。
高橋さんが神主さんの方を伺うと、神主さんも仕方が無いという表情で、うなずきました。
「じゃあ、脱がすからね」
高橋さん達は中畑くんの袴を脱がそうと手をかけました。
「やだぁぁぁぁ、叩くのやだぁぁぁ」
しかし、中畑くんはそう叫び、暴れます。
「こら、あばれるんじゃない」
高橋さんたちはそういって逃げようとする中畑くんをその場に押し倒しました。
さすがに若者3人に抑えられては非力な中畑くんに抵抗しきれるわけがありません。
しばらくの格闘の末、中畑くんは袴を無理やり剥ぎ取られ、台座の上に寝かされました。
なおも抵抗しようとしますが、両手両足をベルトで繋ぎとめられてしまいます。
「やぁぁぁ、おねがい、ゆるしてぇぇぇぇ」
中畑くんは涙と鼻水をたらしながら暴れようとしますが、こうして拘束されてしまえばさすがにもう、何もできません。
そのあと、僕と田中くんもそれぞれベルトで台座に拘束されました。
そして、いよいよ稚児尻祭の本番です。
稚児尻祭では、一人の尻稚児に対し、一人の若者が担当します。
僕を担当するのは山本太一さんです。僕の家の3件となり(といっても田んぼをはさんでですから、徒歩5分くらいは離れていますが)に住んでいる、高校生です。もちろん、顔見知りです。まあ、村の中の全員が顔見知りみたいなものですけど。
「幸信、てかげんはしないからな。覚悟しろよ」
山本さんはそう言って、作務衣をめくりあげて僕のお尻をパンパンと軽くたたきました。
もちろん、山本さんも、6年前にこの儀式を受けているのです。
山本さんたちに、それぞれ木の板が3枚、手渡されます。
この棒を打根《うちこん》と呼びます。無論、これで尻稚児を叩くわけです。
山本さんたちは冷水をかけてで打根を清めます。
「それでは、これより打ち込みを行う。
若男は太鼓の音にあわせ、打根を尻稚児に打ち据えること。
全ての板が折れた時点でその稚児の儀式は終了となる」
そう、打根が3枚なのは、つまり、儀式の終了が僕達のお尻に叩きつけて、10枚の打根を折ったときだからなのです。
「それでは始める!!」
僕は緊張し、目を瞑り、手のひらをぎゅっと握り締めました。
太鼓の音が鳴り……
そして同時に、お尻に激しい痛みが訪れます。
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁ」
隣で、高橋さんに打ち据えられた中畑くんが叫びます。
僕と田中くんはぐっと歯を食いしばりました。
声を上げてはいけない。声を上げるのは弱虫だ。
そう教えられてきたからです。
しかし、この痛み。本当に容赦がありません。
もちろん、容赦をしていたら打根が折れず、いつまれも儀式が終わらないわけですが。
そして、再び太鼓の音。
「やめてぇぇぇぇ、もうやだぁぁぁぁ」
中畑くんは涙をダラダラ流しながら叫びます。
僕も目に涙が溜まりますが、なんとか声をぐっと堪えます。
それにしても、この衝撃、前年に見学していた時に想像していた痛みをはるかに超えています。
さらに、一撃。
「グッ」
ついに、僕の口から声が漏れました。田中くんも声を上げます。
それでも、まだ打根は折れません。
確か、去年見ていた時は、大体10回くらい叩いてようやく折れたはずです。
さらに何度かの太鼓と衝撃。
頭の中で回数を数えることすら辛くなってきた、12回目、ついに一本目の打根が折れました。
その時には、もう、僕はもう我慢することができなくなっており、情けなくも叩かれるたびに大声を張り上げてしまっていました。
僕の打根は折れましたが、中畑くんや田中くんの打根は折れません。
他の2人の打根が折れるまで、僕と山本さんは休憩です。
「よく頑張ったな」
山本さんが僕の頭をなでていいました。僕は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらうなずきました。
「でも、まだまだこれからだぞ」
そして、さらに太鼓が2発。田中くんの打根も折れました。
が、中畑くんの打根はまだ折れません。やはり、あれだけ本人が暴れていたこともあり、高橋さんもどうしても手加減してしまっているのかもしれません。
「高橋さん、もっと思いっきり叩いてくれ」
中畑くんのお父さんがさけびました。
「は、はい」
高橋さんはうなずきこれまで以上に腕を振上げます。
そして、16発目。
バリっという音と共に、ようやく中畑くんの打根も折れたのです。
「それでは、次の打根に行く前に、稚児の尻を清めよ」
神主さんが言うと、山本さんが僕のお尻に冷水をかけました。
ただの水なのに染みます。
自分のお尻を見ることはできませんが、おそらく、もう傷になっているのでしょう。
清めが終わると、また太鼓の音と共に、二本目の打根が僕らのお尻に振り落とされます。
「ぐあっ」
今度は1発目から、僕も声を上げてしまいます。
一休みをいれて、余計に痛みを感じるようになってしまったようです。
中畑くんや田中くんも大声で泣き叫んでいます。
そして。
二本目の打根が折れたのは、11発目のことでした。今度は3人同時です。
「はぁ、はぁ」
運動したわけでもないのに、僕は息切れをおこしていました。
あと、あと一本、それで終わり……
もう、そのことだけしか考えられません。
ふと、折れた落ちた2本目の打根を見ると、赤黒い液体がべっちょりとくっついています。
(血……)
どうやら、僕のお尻からはすでに出血しているようです。
中畑くんや田中くんのも同じです。
それを見ると、急激に意識が遠のきそうになりました。
が、すぐに冷水をお尻にかけられます。はっきり言って叩かれるよりも激痛が身体を走り、僕の意識を再び覚醒させました。
そして、3本目の打根による打ち込みがはじまったのです。
正直、3本目の打ち込みのことはほとんど記憶がありません。
半ば意識を失いかけているようなかんじだったのだと思います。
覚えているのは、その後。
全ての打根が折れ、儀式が終わった後のことです。
僕達、尻稚児3人はその時にはもうぐったりとしていました。
手足のベルトを取られ、拘束を外されても、自分で台座を降りることができないくらいです。
そのまま、抱きかかえられて寺の中に連れて行かれ、布団の上にうつ伏せで寝かされました。
そして、お尻にたっぷりと薬を塗りつけられると、僕の意識は今度こそ本当に闇の中へと消えたのです。
それから6年。
僕は再び稚児尻祭に参加しようとしています。
そう。今度は尻稚児ではく、彼らを打ち据える若男として。
僕の前には台座に固定された一人の男の子がいます。
僕はその男の子のお尻を撫で回しながらいいました。
「容赦はしないからな。覚悟しろ」
男の子は神妙な顔でうなずいたのでした。