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アイゼルは小さなあくびを一つすると、寝間着に着替えてベッドに入り込んだ。
最後の日課である、日記帖を開く。
細い指を形の良い顎に押し当てて何を書こうか思案していると、
控えめに扉をノックする音が耳に入ってきた。
(こんな時間に、非常識ね)
アイゼルはもう寝ているふりをしようとしたが、
逆にこんな時間だからこそ大事な用なのかもしれない、
と考えなおし、ベッドから出て扉を開ける。
しかし、扉を開けたアイゼルの前に立っていた少女の顔には、
「大事な用」を感じさせるものは微塵も浮かんでいなかった。
「あ、アイゼル……こんばんは」
照れ笑いを浮かべて少女がアイゼルに挨拶をする。
「エリー……どうしたの? こんな時間に」
「あのね、妖精さんに家占領されちゃって……で、良かったら、泊めてくれないかな、と思って」
「……」
雇い主が追い出されるなんて。
アイゼルは呆れて物も言えなかったが、
こんな時間に立ち話をする訳にもいかず、エリーを部屋の中に招き入れた。
「しょうがないわね。中にお入りなさい。他に行く所も無いんでしょう?」
エリーが、自分を頼ってきてくれた。しかも、泊まっていきたい、と。
本当は小躍りするくらい嬉しくて、
顔が思わずほころんでしまいそうになるのを無理やりしかつめらしい表情にする。
「全く、だからホムンクルスにしておけば良かったのよ。
で? 聞かせてもらおうかしら? 追い出された理由を」
エリーが尋ねて来た事でアイゼルはすっかり目が覚めてしまったので、
再び眠気がやってくるまでの間、彼女と話をすることにした。
エリーを床に座らせ、自分も隣に座る。
「うん、妖精さんが友達を連れてきたい、って言うから、
軽い気持ちでいいよって言ったんだけど、二十人くらい連れてきちゃって……
皆ばらばらに騒いでて、あたしの言う事なんか聞かないし、それで……」
「逃げてきた、って言う訳ね。全く、あなたらしいわね」
本当は毎日だって泊まって欲しいくらいだったが、さすがにその想いは胸に秘めておく。
「いいの? ありがとうアイゼル!
アイゼルに断られたら、もう野宿しないといけないかな、って思ってたんだ」
満面の笑顔を浮かべて感謝するエリー。
それを見たアイゼルは、急に顔が熱くなるのを感じる。
「アイゼル? どうしたの? 顔が赤いみたいだけど」
急に黙ってしまったアイゼルに、心配そうに問いかけるエリー。
「い、いえ、なんでもないわ。でも、そうね、とりあえず横になりましょうか。
あなた、あたしのベッド使っていいわ。あたしは床で寝るから」
「え、そんな、悪いよ。あたしが床で寝るから」
「ダメよ、あなたは一応お客様なんだから。床で寝させる訳にはいかないわ」
(全く、一度言い出したら強情なんだから……)
エリーは自分もそうであることを棚に上げてそう思ったが口には出さず、
少し考えた後、妥協案を見つけた。
「じゃあさ、一緒に寝ない? アイゼルのベッド広いしさ、少し狭いけど大丈夫じゃないかな?
ね? そうしよ?」
(エリーと一緒に……?)
突然配達された夢の招待状にアイゼルはパニック寸前になっていた。
「え、あの、そ、それ……って」
エリーは意味不明な事を口走るアイゼルに全然お構いなしで自分の考えをどんどん進めていく。
「決まり! あたし、アイゼルともう少しお話したいこともあるし、ね?
じゃ、あたしも着替えるね」
と、あまりの展開に何も言えないアイゼルを尻目に、エリーは自分の荷物を開きはじめた。
が、急に動きが止まり、アイゼルの方を振り向く。
「あたし、あわてて出てきちゃったから、着替え持ってくるの忘れちゃったみたい……
寝間着、貸してくれないかな?」
「……」
まだ口が開けないアイゼルに、勘違いしたエリーが恐る恐る話しかける。
「あの……怒っちゃった?」
てへへ、と言った感じで謝るエリーの顔に、アイゼルは笑いがこみ上げてくるのを隠せなかった。
「ふふ、だーめ、裸で寝なさい」
「えー、風邪引いちゃうよ。一杯持ってるんでしょ? 一着くらい貸してよ」
「解ったわ、貸してあげるわよ。だけど、あなたには胸のところが大きすぎると思うけど」
「ひっどーい、あたしだって少しくらい大きくなってるんだからねー」
「そう? じゃ、たしかめてみましょ。こっちにいらっしゃい」
二人は笑いながらクローゼットの方へと歩いて行った。
「ね、アイゼルはどうして錬金術士になろうと思ったの?」
エリーとアイゼルはベッドに潜り込んで、顔を寄せて話をしている。
いくらベッドが広いと言っても、二人用の広さではないから、かなり身体を寄せないといけなかった。
エリーが動くたびに身体がアイゼルに触れる。
無意識にその感触を追っていたアイゼルだったが、エリーの質問にふと思いを馳せる。
これまで自分の考えを誰にも話した事はなかった。しかし、
(あたしの考えを、この子はどう受け止めてくれるかしら)
そう思うと、自然に言葉が口を衝いて出ていた。
「そう……ね。あたしは、何不自由ない家に生まれたの。
礼儀作法を身につけて、どこかのお坊ちゃまと結婚して、
世間から見て「幸せ」って思われるような人生を送るはずだったの」
アイゼルは静かに、時々思い出すようにゆっくりと話始める。
「だけどある日、街に出たとき、お財布を盗まれたの。
犯人はすぐに捕まったんだけど、その犯人っていうのが、あたしと同じ位の年の子だったの。
それで興味が沸いて、どうして盗んだのかしら、って聞いたら、
その子はあたしを睨みつけるだけで、何も答えなかった。
替わりに、5、6歳の子供が飛び出してきて、「姉ちゃんを放せ!」って。
その子達は、戦争で両親を失って子供だけで生活していたの。盗みは唯一の生きる術だったんだわ。
それで、あたしは可哀想に思って、お財布をあげるって言ったんだけど、そしたらね、
「あたし達は自分の力で生きていくんだ、お前みたいに自分の力で稼いだわけじゃない人間から、
盗んでも、もらう訳にはいかない」って。
その時は、盗人が何を言う、って思ったんだけど、家に帰ってから気が付いたの。
確かにあたしは自分でなんにもしてない、って」
「それで、自分には何ができるのか、って考えた時に、あの子達みたいな子を無くそう、って。
みんなが幸せになれればきっと無くなる、って。それには錬金術が一番いい。
それで錬金術師を目指す事にしたの。……ごめんなさい、長くなっちゃったわね」
エリーは黙って話に聞き入っていたが、アイゼルが話しおえると、静かに微笑んだ。
「そうだったんだ……きっと、アイゼルならなれるよ。立派な錬金術士に」
そう同意するエリーの顔は布団の中で良く見えなかったが、アイゼルが初めて聞く大人びた声だった。
いつもなら反発する根拠のない賞賛にも、素直な気持ちで答えてしまう。
「うん……ありがと。ね、あたしも聞いていい? あなたは、どうして錬金術士になろうって思ったの?」
「あたし? あたしは、去年、流行り病にかかって死ぬ寸前だったの。
だけど偶然通りかかった錬金術士に助けてもらって、あたしもその人みたいになりたいな……って」
「……そう。きっとあなたもなれるわ。その人みたいに」
「うん……ありがと。一緒に頑張ろう」
二人はそのままなんとなく黙ってしまったが、不意にある衝動がアイゼルを突き動かした。
「ね……その錬金術士って、男の人?」
エリーは既に半分うとうとし始めていたが、アイゼルの質問に素っ頓狂な声をあげた。
「え? ち、違うよ、女の人だよ、マルローネっていう女の人。
いやだなあ、急に。びっくりしちゃうじゃない」
エリーは笑ったが、アイゼルは真顔で続ける。
「今は? 今は好きな人いるの?」
「え……い、いいな、って思ってる人なら……」
妙に真剣なアイゼルの、畳みかけるような口調にエリーは思わず本当の事を口走ってしまう。
アイゼルも激しく動揺していたが、平静を装って続ける。
「誰? 教えなさいよ」
「あたしばっかりずるいよ、アイゼルが先に教えてよ。そしたらあたしも教えるから」
(え……、どうしよう、エリーが好きって言って断られちゃったらどうしよう……
でも、この場だったら冗談でごまかせるかもしれないわ)
かなり迷った末だったが、エリーの好きな人を確かめたい、
と言う気持ちも後押しして、ゆっくりと口を開いた。自分の気持ちを確認するように。
「あ、あたしが……好き、なのは……あの、いつも失敗ばかりしてるんだけど、
くじけずに明日を見ていて、それで、周りの人を安心させてくれる笑顔で、
いつもあたしに微笑みかけてくれる人……」
肝心なところでどうしても勇気を出せず、結局エリーの名前を出す事は出来なかったが、
それでも、アイゼルは胸のつかえが取れるのを感じていた。
「さぁ、あたしは言ったわよ。次はあなたの番ね」
「えー、ずるーい、名前が出てないよ」
どきどきしながら聞いていたエリーだったが、結局誰だかわからなかったので頬を膨らませている。
その顔にアイゼルは思わず噴出しそうになったが、堪えて話を続ける。
「じゃあ、あなたも名前を出さなくてもいいわ。あたしが当ててあげるから」
そう言われて少しの間考える表情をしたが、悪戯っぽい表情でアイゼルを見ると、
「うーん、あたしの好きな人はね、本当は優しいんだけど、
恥ずかしがりでなかなか素直になれなくて、でもあたしの事を本気で心配してくれる人……かな?
あ、あと、周りに流されないで、自分を掴むことのできる人」
「それって、今好きな人じゃなくって、理想の恋人像じゃなくて?」
「えへへ、内緒」
「ちょっと、ずるいわよ。ちゃんと言いなさいよ」
「アイゼルだって教えてくれなかったし、これでおあいこだよ」
「……そうね。そういう事にしましょうか」
エリーの好きな人を知ることは出来なかったが、アイゼルはそのほうがいい、と思っていた。
(このままでも……いいわよね。もうしばらくは)
今の関係をもう少し楽しみたい。
アイゼルは、自分でも解らないけれど、なんだか嬉しくなって自然に笑みがこぼれた。
急に笑い出したアイゼルをみて不気味がるエリー。
「…どうしたの、アイゼル?」
「な、なんでもないわ、さ、もう寝ましょ?」
「うん、そうだね。おやすみ、アイゼル」
「おやすみなさい、エリー」
月明かりが、アイゼルの寝顔を照らし出す。
その顔は、静かな幸せに満たされていた。
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