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小蒔が去った後、すぐにでも葵達の部屋に向かおうと思った龍麻は、
自分の格好がひどく適当なのに気がついて、一旦自分の部屋に戻ることにした。
と言っても、歯を磨き、髪型を整えるくらいの物だったが、
今の龍麻にとっては恐ろしく重要なことだった。
走る直前の早足で龍麻が部屋に戻ると、いつの間に先に戻っていたのか、京一が座っていた。
「な、なんだ京一、居たのかよ」
「おう、ちょっとヤボ用があったんで先に帰らせてもらったぜ」
「醍醐は?」
葵達の部屋に呼ばれている事を気取られないように、さりげなく同室の友人を話題に出す。
いくら京一が無二の親友と言えども、これだけは教える訳にはいかなかった。
京一と一緒に行った日には、いつもの光景が場所を変えただけになってしまい、
葵との親睦を深めるという大目的が果たせなくなるからだ。
「いや、飯食ったあとは知らねェけどよ……トレーニングにでも行ったんじゃねェか?
それよりもあんな奴の話は置いといて、だ」
いかにもな悪人顔でニヤリと笑う京一に、龍麻はもしや感づかれたのでは、
と胆を冷やしたが、悪友は背後にある包みから何やら取り出した。
「お前、イけるんだろ?」
「これ……酒じゃないか。いつの間に買ってきたんだよ」
「ヘヘヘッ。そいつは企業秘密ってモンよ。ま、丁度口うるさいヤツもいねェしよ、一杯やろうぜ」
そう言うと京一は龍麻に缶を放り投げ、さっさと蓋を開けてしまう。
今はそれどころでは無いのだが、ここで断ると余計に怪しまれるだろう。
こうなったらさっさと呑み干して抜け出そう。
そう考えた龍麻は仕方なく少しだけ付き合うことにした。
龍麻は酒など呑んだことは無かったが、この時は一刻も早く葵達の部屋に行かなければ、
という脅迫観念めいた物に囚われてしまい、アルコールを一気に流し込む。
京一が用意した酒は缶チューハイで、それほど度数の強い物ではなかった。
それでも、龍麻は何か熱い塊が喉を落ちていくのを感じる。
初めて味わう奇妙な感覚は一度では呑みきれず、
半分ほど残った缶の中身を、もう一度勢いをつけて胃の中に落とした。
「お、いいねェ。流石に呑みっぷりも違うね、黄龍サマは」
乾杯する前に呑んでしまったことを咎めるでもなく、ただ龍麻の勢いに感心したように京一は呟く。
しかし、見た目には何も変わらなかったものの、
龍麻の内側はわずか十数秒のうちに恐ろしい変化を遂げていたのだ。
そんなこととは露知らず、京一は乾杯し損ねた自分の缶を呑み、机に勢い良く置いた。
その音が最後の引きがねになってしまったのも知らず。
「かーッ! 隠れて呑む酒は美味いねェ!」
「……あおい」
「ん? なんか言ったか?」
「葵の所行ってくる」
いっぱしの酒豪気取りで偉そうに口を拭う京一をまるで無視し、
龍麻はやおら立ちあがると、熱にうなされたように葵の名を口にした。
それまでに抱いていた煩悩が酒の力で一気に弾けてしまったのだ。
異変を悟った京一も慌てて立ちあがって止めようとするが、
凄まじい剣幕で睨みつける龍麻に、認めたくはなかったが、やや気圧されてしまう。
「お、おいちょっと待てよ」
「るせー!」
それでもかろうじて、喉から声を絞り出したものの、
自我を失った龍麻を止める事は出来なかった。
豹変した言葉遣いで京一を突きとばした龍麻は、一目散に部屋を飛び出す。
今、頭の中には本能に増幅された葵の事しかなかった。
突き飛ばされた京一も、一瞬の自失の後、龍麻の後を追いかける。
しかし本気になった龍麻に追いつけるはずもなく、廊下に出た時には既に影も形も無かった。
「ちッ……、こりゃやべェな」
ようやく事態の深刻さを悟った京一は、龍麻が向かうはずの、階上にある葵達の部屋に走り出した。
葵達の部屋の前に立った龍麻は、ノックもせずにいきなり扉を開けた。
「誰だよッ! 女の子の部屋にノックもしないで入るなんて、何考えてるのさ!!」
生徒達が悪さをしないように入り口の扉は鍵を開けたままにしておかなければならなかったが、
担任のマリアは、悪さには厳しいものの、こんな非常識な事は絶対にしない。
部屋の中で龍麻が来るのを葵と談笑しながら待っていた小蒔は、
いきなり開けられた扉に当然の怒りを抱いて、不躾な侵入者を追い出そうと襖を開けた。
「……って、ひーちゃん!? どうしたの!?」
明らかに様子のおかしい龍麻に、小蒔が血相を変えて近寄ってくる。
「……」
「な、何するの!?」
無言で小蒔を睨んだ龍麻は彼女の首根っこを掴んでしまい、
暴れても体格差に物を言わせて、そのまま部屋の外に放り出してしまう。
「ちょ、ひーちゃん!?」
部屋の中に戻ろうとした小蒔だったが、寸前で物凄い音を立てて扉を閉められてしまった。
訳がわからず困惑しているところに、背後に人影を感じて振り向く。
「京一!」
またコイツが良からぬ事をしたに違いない。
そう直感した小蒔は大声で詰寄ったが、その口を塞がれてしまった。
「むがーッ!」
「待て、事情を話すからコッチに来い。ここじゃマズすぎる」
そう言って京一は小蒔を引きずるようにして階段の影に連れていった。
辺りに誰も居ないのを確認してから、小蒔の口を離す。
途端に拳が飛んできて、京一はもう少しで大声を上げてしまう所だった。
「何しやがんだッ!」
「何しやがんだじゃないだろッ! 一体ひーちゃんに何したんだよッ!」
龍麻の名前に京一は不毛な争いをしている場合ではないのを思い出し、
いやいやながら事情を説明することにした。
「実はよ。酒……呑ませちまったんだ」
「お酒ェ!?」
「声がでけェって」
これ以上ないほど簡潔な説明に、小蒔は思いきり叫んでしまったが、
京一の言葉に渋々ボリュームを下げる。
しかしその分撃ち出す言葉は密度が増し、京一の身体に質量を伴ってめりこんでいった。
「全く……ダメじゃないかッ! ボク達は高校生なんだぞッ、何考えてんだよッ!」
「しょうがねェだろ。あいつがあんなに酒弱いなんて思わなかったんだよ」
京一は小蒔の正論に答えになっていない答えで返し、
それ以上の追求を避けようと、龍麻と葵が居る部屋の方を見た。
小蒔もまだまだ言い足りなかったが、
今目の前のバカを叱ったところで何の解決にもならないので、仕方なく一緒に部屋を覗う。
しかし二人に普通の人に無い『力』はあっても、その中に透視能力は残念ながら無く、
途方に暮れて顔を見合わせるしか出来なかった。
部屋の中では、取り残された葵と、度を失っている龍麻が正対していた。
葵が誰もが認める正統派の美少女ということもあり、その光景は昔の怪奇映画の趣さえあった。
「たつ……ま?」
「葵……もう、俺……我慢出来ない」
それは告白ですらない、単に自分の欲望を言葉にしただけだったが、
葵は大きく目を見開き、真意を確かめるように龍麻を見上げる。
酔った事で本能に近い部分が過敏になっている龍麻は、
そこにあった、葵のわずかに怯えた様子に興奮をかきたてられて、いきなり押し倒した。
「龍麻……お願い、正気になって」
服の中に潜りこもうとする手を押し留めながら、必死に説得するものの、
酒精に支配されている龍麻にその声は届かず、
それどころか弱々しい抵抗をスパイスにして更に荒々しさを増して迫ってきた。
龍麻に抱かれるのは構わない……むしろ望む所でさえあった。
だがそれも、龍麻が正気を失っているとなると話は別だ。
葵は最後の望みを託して、自分と龍麻の腹部の隙間に手をかざし、意識を集中させる。
青白い光が掌に宿り、すぐに龍麻の動きが止まった。
「龍……麻……?」
術が効いたのかどうか、震える手で龍麻の身体を押し退けようと力を込める。
掌にかかった、思いの外軽い力に驚く暇もなく、
再び襲いかかってきた龍麻に組み伏せられてしまった。
「きゃっ……!」
全身の力で葵の動きを封じた龍麻は、
寝間着の上からはっきりと盛りあがっている胸の膨らみに触れた。
今まで触れたどんな物よりも柔らかく、蕩けそうな感触に、
欲望のまま手に力を込め、握り締める。
しかし、すぐに物足りなくなり、寝間着に手をかけ、一気に引き千切った。
いくつかボタンが弾けとび、淡いピンクの下着が姿をあらわす。
「いや……龍麻……」
葵は半ば無駄と知りつつ、なお龍麻に呼びかける。
こんな形で初体験を迎えてしまうショックと恐怖はあったが、
それでも、普段は壊れ物を扱うようにしか接してくれない龍麻が、
酔っているとはいえ荒々しく襲ってくる事に、どこかで興奮してしまう。
葵は知らなかった自分の性癖に驚きながら、それを素直に受け入れていた。
そんな事を考えている間にも龍麻の手はせわしなく動き、
もうブラは強引に押し上げられてしまっている。
胸を手で隠そうとしたものの、一瞬龍麻の手の方が早かった。
興奮しているのか、龍麻の手は熱く湿っていて、不快さとくすぐったさを同時にもたらしてくる。
それは掌が小さく、押し上げるように動くことで更に増し、
次第に不快さは減っていき、くすぐったさはじんじんとした痺れへと変わっていった。
「っ……ん……」
そんな状況ではない、と思いつつも、龍麻の指先に愉悦の泉を捉えられると、
懸命に塞いでいた口から喘ぎが漏れてしまう。
それを糧にした龍麻の手はますます責めを強くし、
応えるように軽く胸を突き出しながら、葵は一時愛撫に流されていた。
アルコールの力で欲望を惹起させられている龍麻は、
ごく短い時間で愛撫を打ち切った。
ズボンの中でそそり立っている分身が、痛いほどの脈動で催促してきたからだ。
身体を起こし、葵の寝間着に手をかける。
「嫌ッ……!」
とっさに手で抑えても力の差はどうしようもなく、すぐに限界を感じた葵は、
残された最後の手段を使うかどうか本気で迷ったが、その必要はなかった。
ゼンマイの切れたおもちゃのように、突然龍麻の動きが止まったのだ。
そのままぴくりとも動かなくなった龍麻に、葵はようやく解毒の術が効力を発揮したのを知った。
露になっている胸をとりあえず隠し、これからどうしたものか考えを巡らせる。
ほどなく浮かんだ、実に狡猾な企みに、つい口元がほころんでしまい、
慌てて表情を引き締めると、上に跨っている龍麻を跳ね除けはせず、
すぐに戻るだろう意識の回復を待つことにした。
葵の読み通り、下着を濡らす不快な感触に、龍麻はほどなく我を取り戻す。
頭の芯に響くような痛みを覚えたが、
目の前の光景はそんな痛みを軽く吹き飛ばすほど仰天するものだった。
「あ痛たた……、お、俺、何して……」
「龍麻……正気に戻ったのね」
「正気って……う、うわっ!」
下から聞こえてきた葵の声に驚き、パジャマの裾を擦りあわせている彼女の姿に腰を抜かし、
容易に想像できる、自分がしてしまった事に、絶望的な思いに囚われる。
一体自分に何が起こったのかさえ思い出していなかったが、
自分が葵の上に跨り、服を破いたのは紛れもない事実だった。
「ごッ、ごめん!! こんな、言葉で謝ったって意味ないけど、本当にごめん!!」
葵の身体から跳びのいて、畳に額を擦りつけて謝る。
その格好のまま永劫にも等しい時間を過ごした後、おそるおそる顔を上げた。
気だるげに上半身を起こした葵が、真っ向から見据える。
その、深い哀しみを帯びた瞳に、
龍麻は骨が砕けても構わないとばかりに小さく身体を丸めるしかできなかった。
葵は目を閉じ、無言のプレッシャーを存分に与えた後、ゆっくりと口を開く。
一言足りとも龍麻が聞き間違えないように。
「責任……とってくれるわよね」
「あ……あぁ」
もちろん龍麻は葵のことは本気で好きだったが、それでも責任、
という言葉に途方もない重みを感じて喉が干上がる。
もしかしたら、いや、しなくても、葵の人生を奪ってしまったのだ。
許してくれるのなら、絶対に幸せにしてやる。
許してくれなかったらどうしよう。許してくれるまで、もうとにかくなんでもいうことを聞こう。
アルコール分がまだ完全には分解しきっていないのか、
龍麻はそんな先走った考えまで思い浮かべたが、葵の態度は悲愴とは程遠いものだった。
「本当!? 嬉しいッ」
龍麻の返事に、葵はパジャマのボタンを閉じるのも忘れ、首に腕を回して抱き着いてくる。
素肌の温もりに赤面しながらも、龍麻は心持ち身体を離しつつ重要な事を尋ねた。
「いや、その前にさ、あの、妊娠しないように、その……」
「いやだ龍麻、妊娠だなんて」
両手を頬に当てて恥ずかしがる葵の芝居がかった表情に、龍麻は妙な胸騒ぎを覚える。
その胸騒ぎはすぐに不安へ、そして恐怖へと変わり、
ついに、あまりにも失礼だと思いつつも、事の次第を尋ねさせるに至った。
「葵」
「なに? 龍麻」
「もしかして俺……その、まだ……してない?」
「そうね……やっぱり、そういうのはきちんと両親に報告してからの方がいいと思うの。
あ、でも龍麻がどうしてもって言うのなら、私……」
頬を染めながら自分の世界に旅だってしまった葵に、龍麻は改めて自分の股間を見た。
やってしまったにしては、きちんとズボンを履いているし、
下着にまとわりついている不快感は、膣に出してしまったにしては多い気がする。
と、いう事は。
早々と結論は出ていた。
ただ、それを認めたくなくて、幾度も頭を振って考えなおしたので時間がかかっただけだ。
自分が早々と人生最大の選択をしてしまったことを、受け入れざるを得なかった。
今更約束は無しと言ったって、葵が納得する訳がない。
いや、もしかしたら。
自分が責任を取る、と言った後の葵の態度の豹変ぶりからすると、
更に恐ろしい想像が脳裏をよぎる。
結果に不満は無いが、その過程が、これから先の己の運命を暗示しているように思えて、
冷たい汗が背中を伝っていった。
とりあえず、一晩……いや、三日三晩ほどは一人きりで考えたかった。
部屋に戻ろうとしても手足が言うことを聞かず、はっきりとした意思を込めてようやく立ちあがる。
「あら、しないの?」
残念そうに呟いて、遅れて立ちあがる葵の姿も、ほとんど目に入っていなかった。
一歩踏み出してよろめき、二歩進んで転びそうになりながら、部屋の入り口へと向かう。
京一と小蒔は散々迷った末、慎重に様子を伺いながら部屋の中へと入ったものの、
最後の一歩を進めるふんぎりがつかず、閉ざされた襖の前で先陣を押しつけあっていた。
「こんな所でぐずぐずして、どうするんだよッ!」
「どうするたって……どうするよ。今のアイツじゃ俺達殺されちまうぞ」
「ンな事言ったって、原因を作ったのは京一だろッ! 早くしないと葵が大変だよッ!!」
「そうなんだけどよ、部屋ん中……静か過ぎると思わねェか?」
二人がひそひそ声で話し合っていると、突然目の前の襖が音も無く開かれた。
「う、うわぁッ!」
「あ、葵……」
「あら、小蒔に京一君、こんな所で何してるの?」
「な、何って……葵、何ともないの?」
「何ともって、何が?」
そう面と向かって尋ね返されるとそれ以上は聞けず、
口をぱくぱくさせるだけの小蒔に代わって今度は京一が尋ねた。
「た、龍麻はどうしてんだ?」
「うふふ、そこにいるわよ。龍麻、もういいの?」
「あ、あぁ……今行くよ」
「それじゃあね、あなた。……またね」
葵は、どこか生気を感じさせない足取りで姿を現した龍麻の方を向くと、
二人が見ているのも構わず熱い口付けを交わした。
音を立てて離れる唇に、京一も小蒔も龍麻と葵を正視出来ない。
キス、というより何かの儀式めいた口付けを終えた龍麻は、
葵に挨拶もせず、無論京一など目にも入らずふらふらと歩いていった。
「お、おいッ、何があったんだよ、龍麻ッ!」
慌てて追いかける京一が部屋を出ていき、後に葵と小蒔が残される。
「……葵、何があったの?」
最悪の事態は起こっていないらしい事に小蒔は安堵しながら、
つい今しがた目の前で行われた熱い口付けにまだ葵の顔を直視できず尋ねた。
「何って……何も起こっていないわよ」
「だ、だって今、ひーちゃんの事あなたって言わなかった?」
「あら、結婚したらそう呼ぶのは当たり前じゃない?」
「結婚したら……って、してない……」
「いずれするんだから、呼び方なんて少しくらい早くたって良いと思うの」
「…………そう……だね……」
話の半分も見えていなかったが、肩にどっと疲労がのしかかるのを感じた小蒔は、
それ以上聞く気も無くなって、のろのろと部屋に入る。
しかし、これから一晩中延々と龍麻の話を聞かされる小蒔の災厄は、むしろこれから始まるのだった。
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