<<話選択へ
(1/1ページ)
駅前の大きなクリスマスツリーは、
そこを待ち合わせ場所に使う男女に隙間無く取り囲まれていた。
芋を洗うような、という古めかしい表現がぴったりと当てはまるほどたくさんの人が居て、
しかもそれぞれが今夜の期待で少しずつ体温が高い為に、この一帯だけは異様な熱気が包んでいた。
その中へ、一人の男が果敢に突撃していく。
長身をかがめて巧みに肩を割りこませながら、ツリーの正面をなんとか確保する。
ここなら待ち合わせですれ違うことはない。
満足げな頷きをひとつした男は、巨大なツリーを下から見上げていった。
上に行くにつれまぶしさを増す灯りに目を細めながら、
きれいな錐の形をした木を褒め称えるように口元を緩める。
頂上にあった巨大な星が目に入ったところで、首筋に何かが飛びついてきた。
身体をわずかに反らせていたせいで、危うく引き摺り倒されそうになってしまう。
「お兄ちゃん!」
その声に反応した周りの男女が、声を発した少女の髪の色に驚き、背丈を見て口々に声を上げる。
その幾つかには揶揄が含まれていたが、大部分は好意的なもので、
それらのざわめきを聞くともなく聞きながら、龍麻はやや誇らしげに振り返った。
少しだけくせっ毛のくすんだ金髪で、珊瑚礁の海のような青い瞳をした少女が、
龍麻の肩よりも低い位置からまっすぐに見つめている。
あまりに純真なその瞳に、少し気恥ずかしさを覚えた龍麻が目線を外そうとすると、
その前に少女が再び飛びついてきた。
今度はしっかりと、羽毛のように軽い身体を抱きとめた龍麻は、
そのままくるりと一回転してから降ろしてやる。
オルゴールの上の人形にも似たその動作に、口笛と拍手が辺りを満たし、
たちまち注目を一身に浴びてしまった少女は龍麻のコートの裾を掴んで隠れてしまった。
更に大きくなる祝福の波に向かって一礼した龍麻は、
少女を庇うようにして少し目立たない場所に移った。
主役が舞台から降りると一過性の騒ぎもすぐになりを潜め、
再び秩序の無いざわめきが冷たい空気を満たす。
まだしがみついている少女の方に向き直った龍麻は、少しかがみこんで目の高さを合わせ、
おどかさないように話しかけた。
「もう大丈夫だよ、マリィ」
「……本当?」
龍麻がそう言っても、マリィはまだおっかなびっくり辺りを見渡していた。
こんなにたくさんの人に注目されるなど初めてだったのだ。
誰も自分を見ていないことを確かめると、ようやく安心したように微笑む。
少し乱れてしまった服を直してやった龍麻は、改めてマリィの服装に目を走らせた。
抑え目の茶色をしたブラウスに、同じ色のプリーツスカート。
その上から白いボンボンのついた赤いケープを纏っていたが、
愛くるしい表情のせいで、サンタクロースというよりも悪戯好きな妖精のように見えた。
なんとはなしに笑みを浮かべる龍麻に、マリィも笑いながら話しかける。
「いつ来たの? ずっと前?」
「マリィが見つけやすいようにさ、昨日からずっと」
「嘘ばっかり! 昨日、マリィに電話かけたじゃない」
「そうだったっけ」
二人は今度ははっきりと笑い声を上げる。
白い吐息がいくつか重なり、それが消えた時、
マリィの掌には丁寧にラッピングされた包みが乗っていた。
「はい、クリスマスプレゼント」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「開けてみてよ」
きっと今まで誰かからプレゼントを貰ったことなど無かったのだろう、
マリィは喜色を満面に浮かべて贈り物を開ける。
破らないように慎重に包装紙を取り除いたマリィの手の中に残ったのは、真っ白なミトンだった。
「うわぁ……すごい可愛いッ。ありがとうッ!」
余程嬉しかったのか、早速ミトンを着けたマリィはぴょんぴょん飛び跳ね、
肩に乗っているメフィストが迷惑そうに目を細める。
それを見た龍麻は、これを選んだ時の苦労がようやく報われる気がしていた。
12月も半分を過ぎた日、初めて女の子にプレゼントを贈る龍麻は、丸一日歩き回り、
ようやく幾つかの候補を選んだものの、そこから絞ることが出来ないでいた。
どれも良く思え、どれも難があるように感じ、
途方に暮れてもう何度目か判らない通りを往復していると、突然その真っ白なミトンが目に入ったのだ。
今まで何を悩んでいたのか馬鹿らしくなるほど、
それをしているマリィの姿が脳裏に鮮やかに浮かび、気が付けば、
予算からは大幅に越えているのも構わず手にしていたのだった。
飛び跳ねるのをやめても、マリィは何度も手を握ったり開いたりして、その感触を楽しんでいる。
冬の間はマリイの素肌の手を握ることは出来なくなってしまいそうだったが、
これだけ喜んでくれればそれくらいは些細なことだった。
退屈そうにあくびをしたメフィストに気付いた龍麻はポケットからもう一つ、
さっきよりも小さな包みを取り出す。
「それから、これはメフィストにも」
「開けてもいい?」
「もちろん」
開けようとしたマリィは、ミトンをしたままでは開けられないことに気付いた。
一時でも龍麻からのプレゼントを外したくはないようだったが、
少し悩んだ末、急いで包装を解きはじめる。
今度マリィの手の中に現れたのは、爪の砥ぎ石だった。
マリィの手の中にあるそれを覗き込むメフィストを、
試験の答案を返してもらう時のような顔で龍麻が見る。
最初はマタタビか、キャットフードか……
無難にその辺りを考えていたのだが、この、マリィと意志の疎通が出来るらしい、
そして常にマリィに近づく人間を品定めしているような猫には鼻で笑われてしまう気がして、
マリィに贈る物の10分の1ほどは真剣に悩んだ挙句の物だった。
メフィストは砥ぎ石と龍麻を等分に見比べた後で、低く喉を鳴らしてマリィの肩から下りる。
喜んでくれたかどうかは解らなかったが、なんとか合格点は貰えたらしかった。
一度だけ龍麻の方を見上げたメフィストは、そのまま悠然と歩き去っていく。
「メフィ、どうしたの?」
「大丈夫……家に帰ったんだよ」
気を利かせてくれたメフィストに感謝した龍麻は、
初めてのことにおろおろするマリィの肩にそっと手を乗せた。
それでもしばらくの間マリィはメフィストが消えた闇の先を見つめていたが、
やがて龍麻の方に向き直り、肩にかけた鞄を開ける。
「マリィもね、お兄ちゃんにプレゼントあるんだよ」
そう言って中から取り出したのは、随分と長い、鮮やかな黄色のマフラーだった。
龍麻の好みからすると少し派手な気もしたが、
マリィからのプレゼントというだけでそんなものは帳消しにしてお釣りの方が多いくらいだった。
「凄いな……マリィが編んだの?」
「うんッ。葵おねぇちゃんに教えてもらったけど」
はにかんで答えるマリィの頭を撫でた龍麻は、
マリィがそうしたがっていることを感じ取り、首を差し出す。
龍麻のために一ヶ月前から準備したマフラーを、マリィは嬉しそうに巻いた。
「あ……」
かがみこんだ龍麻の首にマフラーを巻き終えたマリィの口から、悲しげな呻きが漏れる。
二人には身長差があり過ぎて、
龍麻が立ちあがったらとても一緒に巻くことは出来ないことにようやく気付いたのだ。
さっきまでの笑顔もたちまちに消え、泣き出す寸前の顔をするマリィに、
龍麻は急いで知恵を巡らし、解決策を見つける。
素早く辺りを見渡して空いているベンチを探す。
「おいで、マリィ」
どういった偶然か、それともマリィのために神様がプレゼントしてくれたのか、
ひとつだけ空いたベンチを見つけた龍麻は、半べそをかいているマリィの手を掴んで走り出した。
滑りこむように腰を降ろすと、マリィが困惑したように口を開く。
「もう……急に……走り出すなんて……どうしたの?」
一旦マフラーを脱いだ龍麻は、まだ白い息を立て続けに吐き出しているマリィにそっと巻いてやると、
事情がわからずに戸惑っている手に、残りの端を握らせた。
「はい」
「あ……」
意味が判ったマリィは顔を綻ばせると、
龍麻の首に抱きつくようにしてマフラーをかけ、そのまま肩に頭を預ける。
「……あったかいね、お兄ちゃん」
「うん。大事に使うよ」
「エヘヘッ……もうちょっと、こうしててもいい?」
龍麻は無言で肩を抱き寄せ、ツリーを見上げる。
マリィもそれに倣いながら、明滅を繰り返す大きなオブジェを飽きることなく見つめていた。
食事の為に入った複合施設の中で、マリィが急にふらふらと歩き出した。
何事かと思った龍麻だったが、
アクセサリーを売っているショップで足を止めたマリィに小さく肩をすくめ、見ているものを横から覗き込む。
マリィが熱心に見ていたのは、黒猫をかたどった小さなブローチだった。
それもメフィストをモデルにしたのではないか、と思えるくらいに似ている。
「欲しいの?」
「……でも、もうクリスマスプレゼントは貰っちゃったもの」
我慢しているのがありありと判るしゃべり方にこみ上げてくるものがあった龍麻は、
マリィの手からそれを取り、レジに向かって歩き出す。
「お兄ちゃん……?」
「誕生日のプレゼントがまだだろ?」
「……! ありがとう、お兄ちゃんッ!」
龍麻は気配を感じ、急いで振り向いて準備を整えた。
果たして両手を軽く広げた瞬間、小さな身体が勢い良く飛びついてくる。
お店の中で倒れる訳にはいかず、両足で踏ん張ってこらえると、
たしなめるように鼻先を押した。
「だめだろ、お店の中で暴れたら」
「だって……嬉しかったんだもん」
そんな風に言われたら、龍麻にはもうどうしようもなかった。
頭を掻き回し、一緒にレジに向かう。
その腕に力一杯しがみついたマリィは、半ばスキップして龍麻を引き摺っていった。
二人はもう一度ツリーの前に戻ってきていた。
やはり今日の神様はマリィをえこひいきすることに決めたらしく、
さっき座っていたベンチがまた空いている。
腰掛けた龍麻はまた巻いてもらおうとマフラーを外し、マリィに手渡した。
受け取り、巻こうとしたマリィの手が空中で止まる。
「ね、お兄ちゃん。もうちょっと頭下げて」
「ん」
言われた通りにマリィの方に顔を近づけた龍麻の頬に、柔らかいものが触れた。
「マリィ……!」
「今のは、クリスマスのキス」
それからもう一度、今度は。
「今のが……loverのキス」
そう言ったマリィの顔は、確かに女の子、ではなく女性のものだった。
どこかでまだマリィを子供扱いしていた自分を恥じながら、龍麻は華奢な身体に腕を回す。
頬を触れ合わせ、優しく抱き締めると、心地良さそうにマリィがしがみついてきた。
「メリークリスマス、それから誕生日おめでとう、マリィ」
「メリークリスマス……龍麻」
タツマ、と言いにくそうに発音したマリィの声を、龍麻は生涯忘れまい、と誓った。
どんなに綺麗な音色の楽器よりも心に響く、マリィの声を。
ふと首筋に冷たいものを感じて、龍麻は顔を上げる。
同じように空を見上げたマリィの鼻先に、白い物が舞い降りた。
「あ……」
「雪だ!」
初めての雪に興奮したマリィは、両手を高く掲げて受け取る仕種をする。
「ね、龍麻、たくさん降ったら、雪だるまってやつ作ろうねッ」
「いいよ」
小さく、すぐに消えてしまう雪を、物珍しそうに舐めたり、頬に押しつけたりして、
たちまち子供に戻ってしまったマリィに微笑みを返した龍麻は、
どっちのマリィも捨てがたいな、とどうしようもないことを考えていた。
<<話選択へ