『ボンバルリーナ』
  2007.11.26. 
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「まあ、あなた…!」
恋猫を迎え入れる言葉に口許を染めて、ボンバルリーナは彼の腕に纏わりついた。

「私に会いに来てくれたのね。そうでしょう。そうだって言って。
私、ずっと貴方を待っていたの」

それを聞いて、マキャヴィティは眉間を狭めた。

「白々しい…」

雌猫の、柔らかく見えて固い身体を突き飛ばすと、彼女はしんなりとその場に倒れた。短い悲鳴は、明らかな媚を含んで、奇妙にかすれていた。

マキャヴィティはあざ笑う。

「今更、命ごいか?」
「いいえ。そんなことはしない。誇りにかけて」
「それをずたずたにしてやる。僕を裏切っておいて……ただで済むとは思うなよ」
「あら、仲間にあなたのことを話してしまったこと、そんなに怒っているの?」
「わずらわしいことは、嫌いだ。面倒は嫌なんだよ。
…言わなきゃ分らない愚か者も、嫌いだ」

彼女を捕まえようと、差し伸べた手には殺意がこもって、固かった。ボンバルリーナは殺戮者の手に頬ずりして、鋭い爪に目の下を傷つけられながら、うっとりささやく。「…で……ったの。………ね?……」
唇へ、彼女によって直に吐息を注がれる、マキャヴィティにしか聞き取れないほどのかすかな声だった。

 美しい雌猫に口説かれて、犯罪王はまんざらでもなかった。優越感に口許が歪む。

「今更、何をいう」

命ごいは耳に心地よい。けれど、どのような美辞麗句も、マキャヴィティの怒りを溶かすことはできない。

 考えを改めないマキャヴィティを前にしていても、ボンバルリーナは少しも焦っていなかった。

「私が、命ごいなんてするわけがない。けれど、貴方に私が憐れっぽく見えるというのなら、それは私が貴方を愛しているからよ。愛を乞うて居るから、請われた貴方は私のことを惨めで、哀れなねこだと思うの。
殺したいならそうして。
私は、貴方の傍にいたいだけ」

ようやく触れ合った唇は、最初から濡れていた。

「何人の男にそう言ったんだ」

雌猫の手首をつかみ、逃げられない彼女と、立ったまま膝を交差させる。

「私には貴方だけ」
「何人の男とくちづけを?」
「貴方が初めて愛したひとよ」

彼女はまた裏切るだろう。

けれど、そのたびに思い知らせてやればいい。
 マキャヴィティは口許から表情を消した。

「忠誠を誓え」
自分ただひとりに。

「私はあなたの虜です」


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『マンゴジェリー』
  2007.12.04. 
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何匹もの猫たちの踊りに、積み上げられたものが音を立てて揺れる。ゴミの底から見上げる夜空さえ、猫たちが立ち昇らせる熱気に赤らんで見えた。流星が燃えながら空を横切っても、気付けないほど地上の光が強い。猫たちが空高く飛び上がり、宙返っていっせいに着地すると、どこかでビィィィン、と何かが共鳴した。
重ねられたゴミの一番上で、弦の切れたギターががたんと撥ねる。

いつものどんちゃん騒ぎに、興じていたマンゴジェリーはふと踊りの手を止めた。鼻腔に、背筋をぞわりと掻きたてるある匂いが届いたからだった。
少し外れた場所で、長身を存分に生かしてのびのびと踊っていたマンゴジェリーは、さっと視線を動かして彼の相棒の姿を探した。
小柄ながら、勇ましい虎縞を背中と手足に張りつけたランペルティーザが、自分よりよっぽど猫たちの中心にいたことへ、奇妙な誇らしさを感じながら、マンゴジェリーはそっと安堵する。

 まだ見えないあの淡い金色の姿を待って、彼はもう一度踊りの形に身体を動かした。けれど、熱狂は二度と戻ってこなかった。

誰もが、彼を警戒しない。

重ねられ端から朽ちて行く本の影から、彼はマンゴジェリーの予想通りに大柄な姿を現した。彼はしばらく、まぶしそうに群を見ていた。マンゴジェリー以外の、誰もが彼に気付かなかったので、彼は長い間そこにそうして佇んでいた。彼のやってくる気配を感じると、マンゴジェリーの赤毛の毛並みは勝手に膨らもうとする。それを意思の力で押さえつけ強いて彼を視界にいれまいと、むやみに踊った。

本の影に、遠慮がちにうずくまる大柄な猫にようやく気付いたのは白と黒の雄猫だった。こっちへ来いと腕を振る。
雌猫たちは、微笑みを口許に浮かべるに留まった。それで充分だ。金色の彼は、しなやかに踊りの輪に加わった。

ランパスキャットでさえ、こうして彼を受け入れる。タガーも、タンブルも。鋭いはずの雄猫たちが、彼を当たり前に仲間として受け入れているのが、マンゴジェリーにはとても不思議だった。おかしいと思っているのは、俺だけなのか?
 
猫たちの輪舞は、彼が加わったことでひとりぶん大きくなる。彼は、雌猫たちのなかから純白の猫の手をとった。遠くから群を見つめていた彼も、熱気の只中に自分を置くのは嫌うらしい。隙を見て、ひとけのない場所へ白猫を導こうとする彼を避けて、マンゴジェリーは踊い狂う群のなかへ自分を埋没させた。




「あっ…」

朝の光さえ届かない、細い路地をマンゴジェリーはあの黄色い猫とすれ違った。路地と言うのさえ、おこがましい。

古びた家を守って、柵がめぐらされている。家と柵の間に、手入れのされていない叢が茂って、猫には居心地がいい。ニンゲンは通れないだろうが、猫たちにはよい道となっていた。草の根元に、からっぽの缶からが錆びながら転がっていたり、スプーンが土に半ば埋まっていたりする。

いつも敏感に気付く彼の匂いに、なぜかその日、マンゴジェリーは気付けなかった。

「……」

その猫は、じろりとマンゴジェリーを見つめると、のしのし向かってきた。

「…!」

マンゴジェリーは、とっさに飛びのいて潅木の、根際から分かれた幹に背中を押し付けた。彼は、口許でふっと笑いを飛ばした。

言葉も交わさずに、すれ違う。

けれど、マンゴジェリーは覚悟しなければならなかった。

――気付かれた。

マンゴジェリーが、彼を警戒していることに。

「しまった……」

歯噛みしてももう遅い。今までは、上手く群に紛れて彼に気付かれずにきたのに。自分が彼に気付いていることに反して、彼は自分に気付いていない。それが、マンゴジェリーの切り札だった。今、それは破られてしまったけれど。

「あーあー。なんであいつ、あんなに匂いがないんだろうなー」

それが、ぞっとするような感覚をマンゴジェリーに与えた。まるで、現の生き物ではないような。なぜ、今日に限って……。

彼は、他の猫たちには臆病にも映るほど温和な態度と崩さなかった。けれど、今マンゴジェリーの前を堂々と過ぎていった彼は、鼻持ちならないほど傲慢な身振りをしていた。

マンゴジェリーが道を空けるのは、当然のことだと獰猛にゆったりと歩く。
おそらく、これからふたりきりになった時、彼はもう何かを装おうとはしないだろう。

マンゴジェリーは感じる。彼に近づいてはいけない。

無意識に肩へ手が伸びた。朝に塞がったはずの傷が、また痛みを発している。昨日、群の只中に現れたマキャヴィティによって、傷つけられた場所が、心臓と呼応するように脈打っていた。それはまるで警戒音のようだった。
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