『ミストフェリーズ』 2008.01.01
掌から星が生まれる。鋭い光。同時に音。
「わあ…!」
きらきらと光りながら、小さな星くずは黒猫の頭上を飛び越えて、消えながら空へ広がった。見上げる仔猫のあどけない顔を、陰で縁取りながら強い光は一瞬で消える。ミストフェリーズは大きな耳をぺたりと寝かせた。
「あ、……消えちゃった」
「すごい! すごーく綺麗」
「ごめん。シラバブにあげようと思ったんだけど」
「ん、何を?」
「だから……」
黒猫のミストフェリーズは、ちょっと顔を俯けて黙り込む。本当は、街中の常緑樹につるされていた、あのきらきら光る飾りを作ってシラバブにあげたかった。一時期は街中にあふれていた飾りが、今はすべて片付けられてしまって、がらんとした町並みがなんだかとても寂しかったから。けれど、作り手であるミストフェリーズの手を離れたとたんに星の形をした飾り物はぱちんと弾けて、峻烈な輝きだけを残して空へ帰って行ってしまった。
形が悪かったのだろうか。ミストフェリーズは考え込む。星は空にあって輝くものだから。
「もう一度やってみる。待ってて」
力を溜めようと、両腕を開いた。
「ダメ!」
「シラバブ?」
「ミストフェリーズ、……ダメ」
みすとへりーず、とも聞こえる仔猫の甘い発音に大きな白い耳を擽られながら、ミストフェリーズは両手を下ろした。
「あのね、あれを何度もしちゃだめ。あれは……特別なの」
「あれって…さっきの失敗が?」
「失敗じゃないの! すごく綺麗だった。失敗じゃないの。だから、もっと大切にしてください」
「シラバブ…」
「お星様、また作るのは今度にしてくださいぃ」
まだ舌ったらずなシラバブの言葉は、このごろ奇妙に丁寧だった。いつもは周りのおとなたちの口吻を、そのまま真似ているのがわかるのに、今日はなんだか違った。
マジシャンとしては、成功させるまで続けるのが本当なんだろうけど……。彼女の熱心な様子に、ミストフェリーズは迷う。
「このこの為にしようとしたことだろう? このこがそれを望まないのなら、無理に続けないほうがいいんじゃないか」
「黄色いの」
シラバブと一緒に、目を丸くしてマジックに見入っていたおとな猫が、初めて口を開いた。彼の声を聞いたのは、ミストフェリーズは初めてだった。
「また今度、同じものを見せてあげればいいんじゃないかな」
「いや、見せるとかそういうことではなくて…」
一瞬で消えるショーを作りたかったのではなく、いつまでも手元に残るきらきら綺麗なものをシラバブにあげるつもりで、失敗したのだとは、ミストフェリーズは言えなかった。黄色い猫は、大きな掌でシラバブの頭を撫でている。
「僕には、この仔猫の言いたいことが少しわかるよ」
「本当?」
「あまりに美しすぎるから、何度も見てはいけない気持になる。そう感じるほど、君の魔術がすばらしかったということじゃないかな」
「ありがとうございます」
目を細めてごろごろ喉を鳴らしていたシラバブが、いきなり立ち上がってぺこりとお辞儀したのは、私の気持を代弁してくれて「ありがとうございます」という意味だろう。シラバブは、駄目押しに黄色い毛並みに額を擦り付けた。
黄色い猫は、慣れていない手つきで仔猫の背中に手を置く。ふと視線をめぐらして、彼は何事もなく乾いたミストフェリーズの指先を見つめた。
「君は本当にすごいね。何でもできるの」
「まさか。ごくわずかなことだけだ」
その猫は、あいまいに頷いた。
視線はミストフェリーズから外れ、地面を見つめる彼は、何か難しい考え事をしているようだった。邪魔をしてはいけないかな、と歳若いミストフェリーズは悟る。
「シラバブ、そろそろ帰ろうか」
「うん…」
頷きつつ、シラバブはぴょこんと立ち上がると駆けて行った。教会とは逆の方向へ。
「あー! シラバブー!!」
黒くて、少し短いしっぽを振りたて仔猫を追いかける。
淡いクリーム色の仔猫は、ひょいと曲がり角へ消えてしまった。しばらく経ってから、ミストフェリーズに見つけられて、きゃらきゃら笑う仔猫の声がかすかにマキャヴィティの耳にも届いた。
ひくりと小ぶりな耳を動かして聞き届けながら、マキャヴィティは呆然と座り込んでいた。
「…なんだ、あの化け物は」
星を生み出して見せた。
生まれながらに魔法を持つ猫は珍しくない。仔猫ならなおさらだった。けれど、あそこまであからさまな力を見せ付けられたのは、長い時間を彷徨ったマキャヴィティでさえ初めてだった。
世の中は不公平だ。
あれほどの恩恵を生まれながらに受けている猫がいるなんて。マキャヴィティはため息をつく。そして夢想する。あんな力があったら、自分はどうするだろう。
まず、仮面を外すだろう。わずらわしい道化の格好も止める。素顔のままで好きに振舞う。もし、あの力がこの身に宿っていたのなら。
あの黒い仔猫は、マキャヴィティの驚異になるだろうか。
頭のなかで計算して、マキャヴィティは首を振った。
「はぁ…」
思わず、ため息が口から漏れる。星さえ生み出す力だが、あの猫は誰かを傷つける事ができないだろう。
結局、この町にも自分を止められるものはいない。あれほどの才能さえ、驚異ではない。それが、マキャヴィティには少しつまらなく思えた。
『グリザベラ』 2008.01.01
触って欲しい。
抱いて欲しい。
そうしたら分るから。
私がとても幸せな猫だったと、あなたにも分かるはずだから。
知らなかったでしょう。
私は愛していた。この世界で生きる事を。
あなたを。
今でも、とても愛している。
地面に倒れ、再び立ち上がった彼女が歌いきったとき、そこに残ったのは何だっただろう。分からない。
彼女が何を言っていたのか、本当にわからない。
彼女に触れたかった。
すべての猫が彼女に寄り添って、優しく導く。分からない。困惑が身体を地面に縫いとめる。容易には動けなかった。この自分が、誰かに触れたいと切望するなんて、そんなことがあるとは思いも拠らなかった。
彼女がこちらへやってくる。どうして。
決まっていた。自分の背後では、長老猫が両手を開いて待ち構えている。彼女は、それを目指してやってくるのだ。天上への道を、選ばれて昇るために。胸に溢れる何かに、呆然としていながらも彼女は、マキャヴィティの存在を気付いていただろう。マキャヴィティは、唯一、彼女だけには自分の名前を明かしていたから。
ギルバートが先に動いた。
三毛の毛並みを固くして、彼はずっとそこに佇んでいたのに、グリザベラが来ると彼は迷わず彼女の手を取った。
わからない。
それを羨ましく思うなんて。
彼女の手に、自分も触れたいと思うなんて。
ギルバートから手渡された彼女の痩せた手を、包み込む自分の掌こそ無様に震えていた。
生まれて初めて誰かのことを「好き」だと思った。
今は天上へと消えた彼女に、とても触れたいとあの時思った。