山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも
運慶は見物人の評判には委細
運慶は頭に小さい
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。
運慶は今太い
「よくああ
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に
道具箱から
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく
第五夜
こんな夢を見た。
何でもよほど古い事で、神代 に近い昔と思われるが、自分が軍 をして運悪く敗北 たために、生擒 になって、敵の大将の前に引き据 えられた。
その頃の人はみんな背が高かった。そうして、みんな長い髯を生 やしていた。革の帯を締 めて、それへ棒のような剣 を釣るしていた。弓は藤蔓 の太いのをそのまま用いたように見えた。漆 も塗ってなければ磨 きもかけてない。極 めて素樸 なものであった。
敵の大将は、弓の真中を右の手で握って、その弓を草の上へ突いて、酒甕 を伏せたようなものの上に腰をかけていた。その顔を見ると、鼻の上で、左右の眉 が太く接続 っている。その頃髪剃 と云うものは無論なかった。
自分は虜 だから、腰をかける訳に行かない。草の上に胡坐 をかいていた。足には大きな藁沓 を穿 いていた。この時代の藁沓は深いものであった。立つと膝頭 まで来た。その端 の所は藁 を少し編残 して、房のように下げて、歩くとばらばら動くようにして、飾りとしていた。
大将は篝火 で自分の顔を見て、死ぬか生きるかと聞いた。これはその頃の習慣で、捕虜 にはだれでも一応はこう聞いたものである。生きると答えると降参した意味で、死ぬと云うと屈服 しないと云う事になる。自分は一言 死ぬと答えた。大将は草の上に突いていた弓を向うへ抛 げて、腰に釣るした棒のような剣 をするりと抜きかけた。それへ風に靡 いた篝火 が横から吹きつけた。自分は右の手を楓 のように開いて、掌 を大将の方へ向けて、眼の上へ差し上げた。待てと云う相図である。大将は太い剣をかちゃりと鞘 に収めた。
その頃でも恋はあった。自分は死ぬ前に一目思う女に逢 いたいと云った。大将は夜が開けて鶏 が鳴くまでなら待つと云った。鶏が鳴くまでに女をここへ呼ばなければならない。鶏が鳴いても女が来なければ、自分は逢わずに殺されてしまう。
大将は腰をかけたまま、篝火を眺めている。自分は大きな藁沓 を組み合わしたまま、草の上で女を待っている。夜はだんだん更 ける。
時々篝火が崩 れる音がする。崩れるたびに狼狽 えたように焔 が大将になだれかかる。真黒な眉 の下で、大将の眼がぴかぴかと光っている。すると誰やら来て、新しい枝をたくさん火の中へ抛 げ込 んで行く。しばらくすると、火がぱちぱちと鳴る。暗闇 を弾 き返 すような勇ましい音であった。
この時女は、裏の楢 の木に繋 いである、白い馬を引き出した。鬣 を三度撫 でて高い背にひらりと飛び乗った。鞍 もない鐙 もない裸馬 であった。長く白い足で、太腹 を蹴 ると、馬はいっさんに駆 け出した。誰かが篝りを継 ぎ足 したので、遠くの空が薄明るく見える。馬はこの明るいものを目懸 けて闇の中を飛んで来る。鼻から火の柱のような息を二本出して飛んで来る。それでも女は細い足でしきりなしに馬の腹を蹴 っている。馬は蹄 の音が宙で鳴るほど早く飛んで来る。女の髪は吹流しのように闇 の中に尾を曳 いた。それでもまだ篝 のある所まで来られない。
すると真闇 な道の傍 で、たちまちこけこっこうという鶏の声がした。女は身を空様 に、両手に握った手綱 をうんと控 えた。馬は前足の蹄 を堅い岩の上に発矢 と刻 み込んだ。
こけこっこうと鶏 がまた一声 鳴いた。
女はあっと云って、緊 めた手綱を一度に緩 めた。馬は諸膝 を折る。乗った人と共に真向 へ前へのめった。岩の下は深い淵 であった。
蹄の跡 はいまだに岩の上に残っている。鶏の鳴く真似 をしたものは天探女 である。この蹄の痕 の岩に刻みつけられている間、天探女は自分の敵 である。