何でも大きな船に乗っている。
この船が毎日毎夜すこしの
ある時自分は、船の男を
「この船は西へ行くんですか」
船の男は
「なぜ」と問い返した。
「落ちて行く日を追かけるようだから」
船の男はからからと笑った。そうして向うの方へ行ってしまった。
「西へ行く日の、
自分は大変心細くなった。いつ
ある晩
或時サローンに
自分はますますつまらなくなった。とうとう死ぬ事に決心した。それである晩、あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが――自分の足が
そのうち船は例の通り黒い
第六夜
山門の前五六間の所には、大きな赤松があって、その幹が斜 めに山門の甍 を隠して、遠い青空まで伸 びている。松の緑と朱塗 の門が互いに照 り合ってみごとに見える。その上松の位地が好い。門の左の端を眼障 にならないように、斜 に切って行って、上になるほど幅を広く屋根まで突出 しているのが何となく古風である。鎌倉時代とも思われる。
ところが見ているものは、みんな自分と同じく、明治の人間である。その中 でも車夫が一番多い。辻待 をして退屈だから立っているに相違ない。
「大きなもんだなあ」と云っている。
「人間を拵 えるよりもよっぽど骨が折れるだろう」とも云っている。
そうかと思うと、「へえ仁王だね。今でも仁王を彫 るのかね。へえそうかね。私 ゃまた仁王はみんな古いのばかりかと思ってた」と云った男がある。
「どうも強そうですね。なんだってえますぜ。昔から誰が強いって、仁王ほど強い人あ無いって云いますぜ。何でも日本武尊 よりも強いんだってえからね」と話しかけた男もある。この男は尻を端折 って、帽子を被 らずにいた。よほど無教育な男と見える。
運慶は見物人の評判には委細頓着 なく鑿 と槌 を動かしている。いっこう振り向きもしない。高い所に乗って、仁王の顔の辺 をしきりに彫 り抜 いて行く。
運慶は頭に小さい烏帽子 のようなものを乗せて、素袍 だか何だかわからない大きな袖 を背中 で括 っている。その様子がいかにも古くさい。わいわい云ってる見物人とはまるで釣り合が取れないようである。自分はどうして今時分まで運慶が生きているのかなと思った。どうも不思議な事があるものだと考えながら、やはり立って見ていた。
しかし運慶の方では不思議とも奇体ともとんと感じ得ない様子で一生懸命に彫っている。仰向 いてこの態度を眺めていた一人の若い男が、自分の方を振り向いて、我 れとあるのみと云う態度だ。天晴 れだ」と云って賞 め出した。
「さすがは運慶だな。眼中に我々なしだ。天下の英雄はただ仁王と
自分はこの言葉を面白いと思った。それでちょっと若い男の方を見ると、若い男は、すかさず、大自在 の妙境に達している」と云った。
「あの鑿と槌の使い方を見たまえ。
運慶は今太い眉 を一寸 の高さに横へ彫り抜いて、鑿の歯を竪 に返すや否や斜 すに、上から槌を打 ち下 した。堅い木を一 と刻 みに削 って、厚い木屑 が槌の声に応じて飛んだと思ったら、小鼻のおっ開 いた怒り鼻の側面がたちまち浮き上がって来た。その刀 の入れ方がいかにも無遠慮であった。そうして少しも疑念を挾 んでおらんように見えた。
「よくああ無造作 に鑿を使って、思うような眉 や鼻ができるものだな」と自分はあんまり感心したから独言 のように言った。するとさっきの若い男が、埋 っているのを、鑿 と槌 の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と云った。
自分はこの時始めて彫刻とはそんなものかと思い出した。はたしてそうなら誰にでもできる事だと思い出した。それで急に自分も仁王が彫 ってみたくなったから見物をやめてさっそく家 へ帰った。
「なに、あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に
道具箱から鑿 と金槌 を持ち出して、裏へ出て見ると、せんだっての暴風 で倒れた樫 を、薪 にするつもりで、木挽 に挽 かせた手頃な奴 が、たくさん積んであった。
自分は一番大きいのを選んで、勢いよく彫 り始めて見たが、不幸にして、仁王は見当らなかった。その次のにも運悪く掘り当てる事ができなかった。三番目のにも仁王はいなかった。自分は積んである薪を片 っ端 から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵 しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋 っていないものだと悟った。それで運慶が今日 まで生きている理由もほぼ解った。