valentine


「児島? どうしたの?」
「あ、先輩」
 土曜だというのに朝から部活。うちの吹奏楽部はお世辞にもレベルが高いとは言えない。顧問もただの音楽好き、いや一応音楽教師だが。そんな状況なので、入部してくるのも大半が『楽器を触ってみたい』って初心者。
 まあオレもそうだったので悪いとは言わない。
 サックスが吹いてみてぇ、と思って入部したら渡されたのはクラリネットだった。しばらく『僕の大好きなクラーリネット』と歌いながら泣いた。
 初心者が「やった! 音が出た!」と喜びながらやるような部活だ。
 わいわいがやがやと楽しいが、土曜に練習で出てこなきゃなんないような真剣さとは無縁だ。はっきり言って土曜の練習なんて不要だ。
 だが顧問は空気を読んだ。
「土曜が休みだとおまえら困るんじゃないのか? ん?」
 土曜は学校が休みだ。二月の十四日が土曜になると、期待を持つ以前の問題になってしまう。
 義理でいいんだ。チロルチョコでいいんだ。いやもうチョコバットでもいい。チョコと名が付けば!
 午前中にプー、ボエー、と音を出しただけで部活は終わった。
 顧問は女子全員からです、とチョコをもらい一瞬にやけ、
「全員って全員か!」
とそのお返しをしなければならないことに頭を抱えていた。
 ざまーみろ。破産しやがれ。
 成果ゼロのままオレは校門を出たのだが、入ったコンビニでクラリネットパート、略してクラパーの後輩、児島由美を見つけた。
 児島は自作なのか、フェルトでできた小銭入れを握りしめ、レジの対面にある棚の前で困った顔をしている。
 棚には、今日売り切ってしまわなければならない、ラッピングされたチョコがあれこれ。
「コンビニって、スーパーみたいに『30%引き』ってシールとか貼らないんですかね?」
「貼らねぇだろ」
 期限が切れたら廃棄だろ。
「そっか」
 児島は溜息をついて、棚の前を離れると菓子の通路に移動した。
「なんだ? どうした?」
「専用のチョコは高いんですよ」
「高いっておまえ、300円とかのもあったじゃねーか」
 誰にあげるか知らないがそこはケチってやるなよ。
「無いんですよ、300円も」
「へ?」
「うちの小遣いは一週間に500円なんです」
 珍しいな。週払いか。
「日曜に支給なんです」
 今日は土曜。そりゃ財布の中は寂しいことになってるに違いない。
「でも今日じゃないと意味ないから……。ほんとは朝買っていこうと思ったんですけど起きたら遅刻確実で、コンビニに寄る暇も無くて」
「朝? んじゃ学校のヤツか? おやじさんとかじゃなく」
「なんでお父さんにあげなきゃいけないんですか。中学生にもなって」
 児島はむうと頬を膨らませた。
 いいじゃんよ。あげろよ。父ちゃん喜ぶだろうよ。
「で? いくらもってるんだ」
「50円」
「おい!」
 思わず突っ込んだ。児島も情け無さそうな顔をする。
「まさかこんなに持ってないとは思って無かったんですよぅ」
 やれやれ。
 かわいい後輩のために一肌脱いでやるかね。
「まず確認しよう。学校の誰かにやるつもりか?」
「……そうです」
「ってことはそいつの家はわかってるんだな。よし、本命か、義理か」
「えええ!? ほ、本命です」
「今日、勝負をかける気か、それとももうその……付き合ってたりとかするのか」
「か、関係あるんですか?」
 あるとも。付き合ってるなら多少のシャレもきく。
 だが勝負をかけるなら多少の気合いが必要だ。
「告白、できればって……」
 じゃ、チロルチョコ路線は無しだな。
「よし、児島。こっちに来い」
 オレは児島の袖を引っ張って、レジ前のチョコ棚に戻した。
「ここから選べ」
「先輩、でも私50円しか」
 バカ。おまえ。本命告白チョコを50円で買おうってのがどだい間違いなんだよ。
「いいから。貸してやるから」
「え。でも」
「明日小遣いもらえるんだろ。月曜でもいいし、月末まで無利子で貸しておいてやるから」
「なんで」
「年に一度のチャンスは活用しろ、ってこったよ。いいから選べ、ほら」
 ぐいと後頭部を押して棚に近づけた。
「じゃ、じゃあ……」
 児島は迷わず、中段にある450円のチョコを手に取った。
 金さえ持っていれば最初からそれを買うつもりだったんだろう。
 オレはポケットから財布を出して、500円玉を渡した。
「ほれ」
「ありがとうございます。お借りします」
「あのー、あれだ。うまくいったら返せ」
「はい?」
「告白してうまくいったら、金返せ。でももしだめだったらいい」
 だってちょっとかわいそうじゃんか。踏んだり蹴ったりみたいで。
 先輩という立場上、後輩におごることだって珍しくない。
 クラパーは人数が多いから全員におごるのは大変だ。
 三年の四人で出し合って、ってこともある。それでもまあ、交際費的な支出があるわけで、だからこれもそうと言えばそうだ。
 がんばれ。同じパートのよしみだ。応援してやる。
 児島は真っ赤になって500円玉を受け取るとレジに行った。
 さて。昼飯買って帰るかね。
 温めないでもらった弁当のビニール袋を持ってコンビニを出ると、児島が立ってた。
「なにしてんだ、おまえ」
 チョコ持って行けよ。金、足りただろうがよ。
 今「お釣りです」とか言って返すなよ。
「あ、あの。方向、一緒なんです。途中まで一緒に行っていいですか」
 なんだよ。勇気出ねぇのかよ。
 っていうかおまえオレの家知ってんのか。
 オレの後ろをぽてぽてと児島がついてくる。角を曲がり、信号を渡り、住宅街へ入っていく。
「おい、どこまで一緒なんだ」
 大丈夫か、おまえ。なんだったら送っていってやろうか。
 なんでオレ保護者みたいになってんだろうな。
「あ、あの先輩」
「おう」
「す、す、す」
「す? 素通りしたか? 戻るか?」
「好きです!」
 コンビニ袋に入ったままのチョコを両手で突き出してくる。
「はあ!?」
 っておい。おまえそれ、さっき買ったチョコだろうがよ。オレの貸した金で。
 せめて袋から出せ。
「あの、あの。だめでもいいです」
 だめでもいい、って言われても。
 本命チョコってさっき言ってたよな。本命?
 うそ。
「えーと。そのな。おまえのこと後輩としか思ってなかったからその」
 あ、泣きそうな顔になった。涙溢れそうに盛り上がってきた。
「今からその……女の子って意識するのもこっぱずかしいんだが」
 児島の手からチョコを取る。
「でもオレもおまえのことは好きだわ」
「ぜんばい〜」
 あああ。そこで盛大に泣くな。顔、ぐちゃぐちゃじゃねーか。
「月曜にはお金、返しますからー」
「いいよ。あの500円はやるよ。そのかわりホワイトデーの買い物の時におまえ500円出せ」
 チョコを持ってない方の手で頭をぐりぐり撫でると児島は泣いたまま笑った。

2009年2月14日