6days


 三月上旬の冷たい風が白衣の裾をはためかせる。
 川島義章は白衣のポケットに両手を突っ込み、早春賦をハミングしながら事務棟への渡り廊下を歩いていた。
 春休みに入り学内はしんと静まりかえっている。小学校や中学校などと違い、大学の教員は休み期間中に出てくる必要はないのだが、義章は数日前まで薬を投与していたマウスの経過を見るために自分の研究室に来ていた。
 ふと人影を目の端に捉えた気がして立ち止まる。
 掲示板の前にじっと立っている少女がいた。
――なんでこんなところに中学生が。
 義章の最初の疑問はそれだった。
 ここは正門からはかなり離れているが、すぐそこに東門がある。
『学内に無関係な者の立ち入りを禁ず』などという立て看板もあるが、地域住民は敷地内を突っ切って近道をしたり、ちゃっかり学内の食堂を利用していたりする。
 その少女もその類なのだろうか。
 義章は再び事務棟へと向かった。

 事務室には昔戯れに寝た女がいる。これが今でも何かと便宜を図ってくれる。
 義章は現在三十七歳の准教授だ。クセのある長めの前髪を後ろへなでつけ、四角いレンズの黒縁メガネをかけている。白く秀でた額、尖った鼻梁、薄い唇の容貌はいかにも理系人間の神経質そうなものと見られがちだったが、常に何を考えているのかわからない曖昧な微笑を浮かべ、誰にでも等しく丁寧に接する態度に、その雰囲気は和らいでいた。そこに騙されるのか、時折義章の望まぬ女が言い寄ってくる。学生は面倒なことになるのでお茶の誘いさえ断るが、その女は大人の愉しみを持ち出した。後腐れ無く、割り切った関係、と言われたのを鵜呑みにしたわけではないが、健全な肉体と性欲を持った男性として、それを面白がったのは否定しない。
 女とは二ヶ月ほどの間に、両手の指の数に満たないくらいの回数寝て、終わった。
 プライベートを全く見せない義章に、女の方から離れていってしまったのだ。
 噂では彼女は現在文学部に新しく来た助教を手玉に取っているらしい。
 腹の中で何を考え、何を望んでいたのか知らないし、義章は知りたいとも思わないが、本人は自分で言った『後腐れ無く』を守るように、それ以前も以後も態度を変えない。
 その女に対して、それだけは好ましいと思った。
「頼んでたマウスのエサ、来てるかな?」
 声をかける。
「ええと――まだですね。今日、明日には来ると思いますが。お急ぎでしたらどこかマウスを使ってる研究室から少し借りてきましょうか?」
「いや、そこまではいいよ。まだあるから」
 義章は軽く手を振って断った。腰を上げかけていた女は微笑して頷き、座り直した。
 鼻歌無しで、来た道を戻る。
 事務棟に電話をすればすむ話のはずなのに、なぜわざわざ出向いたのだろう、と帰り道に気が付いて、自分の行動に首を捻った。
 とうに終わってしまった女の顔を見たかったわけではないし、漏れ聞こえてくる男漁りの成果を確認したかったわけでもあるまい。義章は彼女にも、彼女の身体にも、そんな執着はついぞ持ち得なかったのだ。
 ではなんだったのだろう。
 渡り廊下にさしかかり、掲示板の前の少女がまだそこにいたことに軽い驚きを感じた。

 学部内の休講連絡や追試の知らせ、わずかなアルバイト募集の貼り紙しかない掲示板を食い入るように見つめている女子中学生、というのも不思議だ、と思いながら義章はその姿をもう少し観察しようと目を細めた。
 ショートボブに切った髪が早春とは名ばかりの冷たい風になぶられ、日の光を受けて時折栗色に光っている。わずかに見える横顔は幼いなりに整っていて、少し低めに見える鼻がキュートだ。
 髪の色から想像するほど肌の色は白くない。外でよく遊び日に焼けているのだろうか、と思うとなんだか微笑ましくなった。
 掲示板の高さと比較するに背は160cm無いだろう。義章が中学生と断じた理由のひとつだ。その小さな身体にパンパンにふくれたリュックサックを背負い、あしもとにはスポーツバッグを置いている。
 これが駅の行き先案内板の前ならまったくおかしくない光景だ。
 大きな荷物を持って春休みの旅行だろうか、と思うだろう。
 だが場所は大学敷地内、見ているのは理学部学生向け掲示板だ。
 そして少女はどう見ても大学生とは思えない。
 俄然興味を引かれ、義章は少女に近づいていった。

「ちょっとよけてもらえるかな」
 何気ないふうを装って声をかける。
 直接関われば逃げられそうな気がして、義章は下手な芝居をした。
「あ、すみません」
 少女が一歩引く。
 やはりアルバイト募集の貼り紙を見ていたようだ。
 ついでなので必要の無くなった掲示物を剥がしていく。
 さもそれが目的だったように見せかけ、警戒心を少しでも軽くしよう、との思いつきだ。
「ここにきみができるようなバイトは無いと思うよ」
と告げると少女は
「そうですか」
と落胆したようだった。途方に暮れた目を東門の方へ向けている。
 義章は手の中の紙を慌てて丸めると、有無を言わさずに少女を自分の研究室へと引っ張っていった。
 興味が、好奇心が抑えがたかったのだ。ここで逃げられてなるものか。

 少女は、松下結衣、十七歳、と名乗った。高校を卒業したばかりだと言う。
 どう見ても中学生だ。干支を聞いてやろうかと思ったが返ってきた答えが正しいのかどうか咄嗟にわからないと思ってやめた。
 自宅が借金のカタに取られ、父親は「解散」と叫び失踪、一人いる兄ははやばやと身の振り方を決め、結衣だけが何も出来ずに路頭に迷いかけているらしい。
 あと一週間もすれば十八だ、と言うが見た目がこれでは水商売もできまい。
 いや、むしろマニア向けか、などと不埒なことを考えながら義章は、結衣に打つ手がないのを知ってほくそ笑んだ。
 どう扱ってもどこからも苦情の来ない素体だ。
 やけに幼い見た目が気にかかるが、構うことはない。
 それは義章の研究にかける熱意ではなく、完全に劣情だったのだが、それに気付かず義章は、食べ物と温かい寝床と金で、結衣を釣った。

 ほんの少しの睡眠導入剤と、害がないとされているアルカロイド系物質、他。
 その相反する性質の薬を飲んで寝てもらう。問題なのは『害がないとされているアルカロイド系物質』が本当に害がないのか、それを立証する手だてが「今も生きているマウス」しかないことだった。
 本来ならば脳波を測定しながらやるべき実験だった。できることなら血液検査も尿検査もしたい。だがそれでは自宅に閉じこめておけない。
 結衣を自宅に閉じこめておきたいがために義章はあれこれと制限を付けた。
 見た目は幼いが言動はしっかりしている。最初の夜に
「先にお湯をいただきました」
と挨拶され、きちんと躾をされた子だと感心した。薬を飲ませるために戯れに口移しをすると、真っ赤になって泣きそうな顔をした。
 キスなどしたこともない、と言うのでやはり中学生だったか、と思ったのだが、結衣が寝入ってから風呂へ行くと、バスタブや周辺の壁や床がきちんと拭き上げてあった。
 シャンプーなども向きこそ義章の手勝手と逆になっていたものもあったが場所は変わっていない。
 ほう、とひとつ呟き、風呂上がりに何気なく玄関を見ると、十足近くを脱ぎ散らかしていた自分の靴が全部綺麗に揃えてあり、結衣自身の靴は隅っこに申し訳なさそうにちんまりと置いてあった。
 口元が緩む。
 あの子は案外拾い物だったかもしれない。
 そう密かに喜びながら部屋へ戻ると、ベッドに寝ている結衣の口から自分の名を呼ぶ声が漏れた。
「川島さん……」
 起きていたのか、と一瞬ギクリとする。
 だが、こちらを見る様子もない。
 近づいて見てみると、眼球が高速で動いているのが薄いまぶたを通してわかった。呼吸は深くゆったりとしており、レム睡眠に入っていると推測できる。
 義章はそっと結衣に手を伸ばす。
 艶やかな小さな唇が、すう、すう、と寝息を立てている。
 あどけない子供の寝顔だ。
 それなのになぜ心が騒ぐのだろう。
 明かりを消すと義章は、結衣を抱くようにしてベッドに入った。
 十七だという申告を信じるにしろ、見た目通りの中学生にしろ――その疑いは今夜のことでかなり薄くなっていたが――、年端のいかぬ少女であることに違いはなく、一緒の布団に寝るなどもってのほかだ。
 だがそうして抱いていなければいなくなってしまいそうな気がして、義章は手をほどくことができないまま、結衣の柔らかさのやや足りない、けれど温かい身体をしっかりと抱いて眠った。

 女の子というのはもっとうるさいものだと思っていた。
 小さな頃からきゃあきゃあと甲高い声を上げ、人数が増えれば増えるほどやかましくなる。女が三人寄れば姦しいと言うではないか。学生たちには二十歳を超えているというのに閉口させられる。
 だが結衣はやけにおとなしかった。
 もともと静かに過ごす質なのかもしれないが、要らぬ事を話しかけてくるようなことは無かった。
 食事に連れ出すとファストフードでいいと言う。それでは食生活のバランスが悪い、と言うとしぶしぶ、ファミリーレストランなら、と言う。
 義章は金に困っているわけではない。
 掃いて捨てるほどではないにしろ、一生遊んで暮らせるだけの資産を保有している。『ファミリー』と冠の付かぬレストランで三食食べても懐は少しも痛まない。
 だが結衣は自分の服装――たいていシャツとジーンズというラフなものだった――を理由に尻込みし、ファミリーレストランでも落ち着かないのか、何度も何度もメニューをめくり、明らかに「安そうな物」という理由で注文をしようとする。
 遠慮というより卑屈だ。
 チキンの載ったサラダのみ、と言い出したときには本気で腹が立った。
 元来義章は人に対して腹を立てない。
 どうでもいい、もしくは、仕方がない、と諦める。
 他人は自分ではないからだ。
 そこへ気を揉んでも何の得にもならない。等しく優しく等しく冷たい。
「結衣ちゃん、もしかしてダイエット中?」
 そう聞いた自分の声が硬質な怒りを含み平板になっていることに、義章自身が驚いた。
 この年頃ならダイエットの可能性は十分ある。だが、抱いて寝た義章には、結衣はダイエットの必要など無い身体だとわかっている。
 若い頃の過度なダイエットは年を取ってから重大な問題を引き起こす。
 それを知らぬと言うのなら教えねばなるまい。
「え、いえ。えっと……」
 困ったように言葉を探す様子から、ダイエットなどではないことが容易に知れた。
「大丈夫です」
 何の答えにもならない返事をした結衣からメニューをひったくった。
 注文を取りに来たウェイトレスに『春野菜たっぷりの十五品目和定食』という、写真が無ければ何の料理が来るのか全くわからない品名を告げる。
「これ二つと、食後に――結衣ちゃん、生クリームとチョコだったらどっちが好き?」
「え? え、チョコ……」
「じゃ、このチョコパフェひとつ」
 そうして結衣に口を開く間を与えずに、さっさとメニューを返した。
「ひどいです、川島さん」
「何が?」
 目をやると頬が紅潮していた。どうやら勝手なオーダーに怒ったようだ。
「私、そんなに」
「入らなかったら残していい」
「もったいないです!」
「十七歳の女子が一日に必要とする摂取カロリーという物があるでしょう。家庭科で習わなかったかい? 炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル。僕はきみに何をお願いしているかな?」
 結衣は義章の、はなはだあやしい仕事を請け負っているのだ。
「薬を飲んで――夢を」
 公にできない、まだ認可もされていない薬を飲んで夢を見る。
「そう、夢を見てくれ、と言った。夢を見せるのはどこだ? 脳だよ。そして脳を動かす唯一の栄養素は糖分だ」
 この言葉が後に義章の足下を掬いかけるのだが、このときは義章もそんなことは思いもよらない。
 はあ、と生返事をする結衣にたたみかける。
「僕は実験を正しく行うために、きみにできるだけきちんとした物を食べてもらいたい。薬を飲んで夢を見るのがもちろん仕事の内容ですが、その仕事を全うするためには、正しい食生活が必要です。よってきみの食事も仕事の内。OK?」
「そういう理由なら仕方がないです」
 結衣は観念したように目を瞑って言った。

 だがそれもすぐに意味をなさなくなった。
 結衣が食事どころか出かけることさえしなくなったのだ。
 寝ていたい、と言う。
 義章は焦った。
 結衣がぐっすりと眠る横で、パソコンに入れてある実験データを呼び出しては見落としがないか、なにか示唆するべき項目が無いかを詳細に見てゆく。
 マウスも眠り続けた。
 マウスには躊躇無く電極を刺した。脳波を測定し、多くはないが血液も採った。
 脳波計はゆるやかな睡眠が続いていることを示したし、肉体的な異常はどこにも見られなかった。極端な体温変化も起こっていない。それなのにマウスは冬眠しているかのように眠り、エサを入れてやると、その音かにおいか、それとも薬が切れるのか、そのときだけ目を覚まし、エサを食べて満足するとまた眠る。
 エサを食べる分マウスはまだよかった。
 食事も水分もろくに取らずに寝続ける結衣には何が起きているのか、この部屋では義章に知る術はない。
 こんこんと眠り続ける結衣に触れる。
 ベッドに入る際に少し身体を抱え上げてスペースを空け、それから抱き込んで寝るのに起きる気配さえ見せない結衣に、義章は日に日に大胆になっていた。
 頭を撫でるだけだった手は頬を滑り、指先は唇をなぞる。小さな耳たぶを弄び、スウェットから覗く首筋を辿る。
 桜色をした貝のようなツメを唇で食み、小さな手を、指を絡めて握ってみる。
 それ以上のことは自制したが、頭の中では幾度も結衣を組み伏せた。
 160cmに満たない結衣の身体は180cmを少し超える義章の身体にあっけなく押さえつけられる。
 実際にこんな事をしたら睨みつけてくるだろうか。それとも泣くだろうか。
 そのどちらでも義章の背にはゾクゾクとした快感の予兆が走る。
「いや、いやです。川島さん……っ」
 その小さな身体で出せる精一杯の力で藻掻く様を想像する。
 涙に濡れる目が助けを求めるようによそへ向くのをむりやりに上向かせ、強引に唇を奪ったら、溢れる涙は横へと落ちて枕を濡らすだろう。
 妄想している内はいい。
 義章は自分の股間を宥めた。青臭いにおいを吐き出したティッシュをゴミ箱に突っ込む。
 妄想で済んでいる内はまだいいのだ。
 結衣が食事もせずに眠り続ける原因は自分にある。
 自分が作った薬を飲み、自分が望むことをしてくれようとしているのだから当然だ。
 どうすればいい。
 義章は唇を噛んだ。
 どうしたいか、は明白だ。
 自分はこの少女を手に入れたいのだ。
 実験など関係ない。
 二十歳も年下の少女を、自分のものにしてしまいたいのだ。
 自覚などしていない、初めて姿を見たあの瞬間から。でなければどうして家へ連れ帰る必要があるだろう。
 被験者を一人に絞ることで、安全性の証明できない薬を使う事実が外部に漏れにくい、という利点はあるが、そのために必要と思われる検査も行わず、余人に絶対に知られぬようにしてきた己のプライバシーまで晒すのは、たった一人の女の子を抱きしめて眠る理由としては弱すぎる。
 すでに今の状況は危険だ。
 結衣を起こさねばならない。
 薬を処分しなくてはならない。
 また一からやり直しだ。
 なのに義章は眠り続ける結衣の側を離れることができない。
 このままここで眠り続けてくれれば一生自分のものだ、と心の中で囁く何かがある。
 童話のあの王子はなぜ眠り姫にキスなどしたのだろう。目を覚ました姫が自分を好きになってくれる保証などどこにも無いのに。
 だから義章は結衣を起こせない。
 眠っている結衣に触れてしまう衝動を抑えられない。
 そのせいだろうか、結衣は日を追うごとに淫らな夢を見るようになり、そんな自分に困惑していたようだった。
 それなのに結衣は薬を飲んで寝ることをやめない。
 今度こそは、と思うのだろうか。
 今度こそは義章に抱かれるような夢ではなく、ふつうの夢を見よう、とそう思って寝るのだろうか。
 それとも――。
 それは義章の願望だ。
 結衣が自ら望んで義章に抱かれる夢を見るために薬を飲んで眠る、などおとぎ話よりもまだひどい願望だ。
 自分は童話に出てくる王子ではないし、結衣も呪いにかかって眠らされる姫ではないのだ。
 だからこそ義章は結衣を起こせないでいるのかもしれない。
 どうすればいいのかをおぼろげにわかっていながら、そのどれもが、したいことではないから実行しない。

 目を覚ました結衣に虚実を取り混ぜて、実験終了を告げた。
 結衣は
「好きです」
と言った。その声を義章は幻聴だと思った。だからその後
「抱いて」
と言われてもなお信じられなかった。
 結衣の見る夢は自分の見る夢が感染しているのではないか、などとばかげた事を考えてしまうほど、義章は思うに任せぬ己の夢の中で何度も結衣を汚した。
 いつでも結衣は怯え、とまどい、泣いて、許しを請うた。
 キスをしようと頤に手をかければ歯の根が合わぬほど震えた。夢だから構わぬ、とばかりに着ている物を引き裂くようにして裸にすると、羞恥に肌を赤く染め、押さえつけるといやいやと青ざめて首を振りたくり、秘所を割るように犯すと大粒の涙をこぼした。
 やがて濡れた唇は歓喜の声を上げ、その合間に自分を呼ぶのだ。
 いつも結衣が呼ぶ『川島さん』という呼び方ではなく、『義章さん』と名の方を、苦しげに切なげに震える声で呼ぶ。
「義章さん、もっと……」
 嫌がる結衣の姿からスタートする夢は、いつしか淫らに男を欲す痴態に変わっている。
 細く頼りない腰をくねらせ、精一杯に股を開いて義章を迎え入れ、もっと奥へといざなうように腕を伸ばしてくる。
 少女は女の顔になり、やや細められた目には喜悦が浮かぶ。猫のように舌で唇を舐め、優美に背をのけぞらせて愉しんでいる。
 抱きしめて眠るその感触で、結衣の肉付きは決してよくないことを、しかも部分的におそろしく不足していることを義章は知っているのに、義章の夢の中での結衣は、義章の雄を両の乳房で挟み、唾液を垂らして潤滑油の代わりにし、にちゃにちゃと音を立てて扱き上げる。
 上目遣いに義章の反応を窺う結衣は淫蕩な笑みを浮かべている。
 それはもう結衣ではない。
 こんなのは結衣ではない、という思いと、おそらく何の知識も持たないであろう結衣をここまで仕込んでみたい、という思いが義章の胸の内で交錯する。
 何も知らぬ無垢な少女を自分の好みに育てたい、というのは千年の昔からある男にとっての憧れだ。手塩にかけた、どんな要求にも応える自分だけのもの。
 見た瞬間に恋に落ちるなどというウソを信じるには義章は年を取りすぎた。
 たった数日一緒にいただけの、二十歳も年下の子供を愛してしまったなど、使い古されすぎて今更昼のドラマの題材にさえなるまい。
 一度抱いてくれたらそれで諦める、という結衣の言葉は夢の続きのようにどこか遠くで響いた。

 この前父親にあったのはいつだっただろう、と義章は頬杖をついてぼんやりと考えた。
 考えるまでもない。継母と異母弟の葬式を最後に義章と父親は会っていない。
 連絡も取っていない。死んだという知らせが来ないから生きているのだろう、と思うだけで、この十年以上もの間、意識に昇らせたことなど無いに等しかった。
 父の持つ、元は母の物だった家に結衣と二人で住むことに決めた。
 母の、と言っても母もすでに亡い母の父から相続した不動産で、母の死によりそれらは父と義章とに分けられた。父はこぢんまりとした家と土地を、義章は現在住んでいるマンションの建物自体およびそれが建っている土地を相続した。その他にもどこそこの土地だの有価証券だの現金だのがおおよそ等分された。
 その、暮らしたこともない家に思い出は無い。父の所有する物件ということだけが疎ましい。賃貸契約書を書くあいだじゅう、いまいましい気持ちでいっぱいだった。
 だが反面、結衣と二人きりできちんと暮らすのだ、という気持ちで浮かれてもいた。
 そのせいだろう。
 バカ正直に同居人有りと書き、結衣の名も書き込んだ。
 契約書はコピーが義章の手元と管理を任せている不動産屋に残り、現物は物件所有者である父の元へ送られる。
 契約書を見た父は何らかの反応を示すだろうか。
 妻を、そして次には後妻と幼い息子を。愛するものを次々と死によって奪われた父は、息子の変化に気付くだろうか。
 長い間、本当に長い間離れて暮らした親子は、それでもまだ親子なのだろうか。
「もうすぐ四十だっていうのにな」
 義章は気恥ずかしさから、頭をごつんと机にぶつけた。

 傍らで眠る少女の頬を撫でる。桃のような手触りに自然とこちらも頬がほころぶ。
「十八に……なるのか」
 朝になったら即提出しに行く予定の結衣の入学申込書には、結衣の生年月日ももちろん書いてある。
 何をしてやったら喜ぶだろう。
 昨日の今日で――正確には一昨日の今日だが――で、また抱こうとしたらやはり嫌がるだろうか。だが初めてだというのに結衣の身体は驚くほどスムーズに開いた。
 悦びを知ったかどうかはわからないが、気持ちよさそうに声を上げ、悩ましげに眉を寄せた。
 もっと優しく丁寧に扱うつもりだったのに、気付けばやりたい放題にしていた。
 抑制のきかない若者のような行為を申し訳ないと思う。
 先刻も
「義章さん」
と自分の名を呼んだ結衣を押し倒してキスをした。甘い唇を吸い上げ、舌を唇と言わず口中といわず這わせ、結衣の薄い胸が酸素不足に喘いで大きく上下するまで夢中で吸った。
 そう。結衣の胸は義章の予想以上に薄かった。
 ちゃんと食べさせてやらなくては。
 キスまでで我慢したのはそれも理由のひとつだ。
 小学校高学年の子の方がもう少し発育が良さそうだとつい思ってしまったほどめりはりに欠けていた。全体的に細いために幼児体型とまでは言わないが、あばらに貼り付くような薄い脂肪の層は掌で大きく押してもほとんど動かず、ちょこんと載る小さな乳首は昂ぶるにつれ硬くしこったけれども、淡い色で縮こまり痛々しさも感じた。
 恥丘はさらに大変だった。しょろしょろと産毛の長くなったような陰毛が、多く見積もっても十数本という、ほぼ無毛に近い有様で、他の場所よりやや濃い色をした肌がわずかにふくふくとした質感の割れ目をどうにか形にしていた。
 まだ初潮をむかえていない、と言われれば信じていただろう。
 抱いて、と言われ、止められなくなっていたが、本当にこれを抱いていいのかと不安になった。
 だから。
 しばらくは抱かないでいようと思う。
 自分はどうしても結衣を欲するだろう。身も心も欲するのは当然だが、わかりやすく身体を、というのはあり得るしありがちだ。
 見た目がどうあれ、実際に抱いた結衣は美味だったし、まだまだ自分の色を付け足りない。
 けれど成人するまでは待ってやりたい。
 そして義章は、結衣を大学へやったことを少しだけ悔やんだ。
 ちゃんと卒業して欲しい。何を学んでくるかは結衣次第だからそれへ口を出すことはしないが、教鞭を執る者としては、学ぶことは楽しいことだと実感してから卒業して欲しい。四年間をしっかり使って欲しい。
 四年間学業にいそしむということは結衣は二十二歳になる、ということだ。
 そこまで待たねばなるまい。
 大学へ行け、と言った本人としては学業の妨げになるようなことは慎まねばなるまい。
「まあ、いいや」
 義章は結衣の横へ身体を入れて抱き寄せた。
 ふわりと優しい香りがした。女になりきれていないせいで甘くもなければ、こちらが焦燥感を覚えるような質のものでもない。
 ふわふわとつかみどころのない、まだ形さえできていない物の柔らかい香り。
 抱きたくないはずがない。
 めちゃくちゃにしたい。
 それと同じだけ、大事にしたい。
「超氷河期が続くらしいし、卒業と同時に永久就職でもいいでしょ」
 結衣の意向などおかまいなしで言うと、義章は欠伸をひとつして目を瞑った。

2009年2月4日