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< 子犬とアリシア >
オリジナルキャラ×アリシア (名無しさん@初代スレ>>706氏・作)
2006/05/20寄稿

 男は絶望していた。世界を呪っていた。
 有史以来、わりとよくある話だ。
 成人はしていたが、ただそれだけ。甘すぎる予測と不用意な行動は、男に破滅をもたらした。
 男は同情されるべき被害者であったが、同時に、嘲笑されるべき馬鹿者でもあった。
 ようは、ていよく騙されて、身ぐるみはがされたというだけだ。
 今はあてもなく、ふらふらと街をさまようばかり。
 男は自分の無能さを認めることはできない。自分は悪くない。悪いのは世界だ。
 呪われるべきは、すれ違う平穏な者ども。どいつもこいつも間抜けそうな顔しやがって。

 治安のよいここネオ・ヴェネツィアであっても、行き交う人の中に、こういう男の一人や二人はいるものだ。

 男は一人の女とすれ違う。観光業(なんと言ったか、ああ、ウンディーネだ)の制服を着て、何が面白いのか、さも楽しげに街を歩いている。
 未成年の女学生が鼻歌交じりに浮かれている、というのではない。
 落ち着いた物腰、清楚な横顔、浮かぶ表情は穏やかな微笑。
 何の変哲もない女ではあったが、それ故に、多幸感が体から溢れているのがわかる。
 なにより、たいそう美人だ。

 男は唐突に許せなくなる。この振りまかれる幸せに。自身の対極にあるかのような存在に。
 ありえない。俺はこんなにも不幸なのに、なぜこの女はこんなに穏やかな幸せを振りまけるのだ。
 許せない。この微笑みが許せない。呪ってやる。こいつも、俺と同じ不幸を味わわせてやる―――

 一言で言えば逆恨みだが、今の男は自身を正当化しており、誰も止める者がない。
 すれ違った女から、十分に距離を置いて、その後を付けるように歩いていく。

 女は一点の曇りもない幸せを維持しながら、小洒落たアパートメントに入っていく。
 後に続く不幸な男。
 女は一室の前で立ち止まり、ドアノブに鍵を差し、部屋に入っていく。
 ということは、今は部屋に一人。
 男には逡巡はない。これは不公平を是正する正当な行為だ。勝手な理論を止める者はない。
 男はドアの前に立ち、ベルを鳴らす。

「はい〜。どなたですか〜」
 ははは。馬鹿だ。不用心きわまりない。ドアを開けやがった。
 男は少し開いたドアを力一杯こじ開け、すぐ中にいる女に体当たりするようにして、部屋の中に押し入る。

「きゃっ」
 玄関先で押し倒された女は床に倒れ、小さな悲鳴を上げる。
 女に覆い被さり、その可憐な口から声が漏れるのを、乱暴に手で塞ぐ。

「騒ぐな」
 男は低い声で言って、塞いだ手に力を込めた。
 女の力では抵抗できず、なかばあきらめたように頷く。
 ドアが閉まったのを確認してから、男は女の口から手を放す。

「あの、強盗さん、ですか?」
 女はおずおずと口を開いた。が、さほど恐怖に怯えているわけでもなさそうにみえる。
 金さえ出せばすむとでも思っているのだろう。ふざけやがって。

「はっ、ふざけんじゃねぇ。これは復讐だ。そうさ復讐なんだよ。おまえのような奴に、俺の味わった苦しみの百分の一でも思い知らせてやる。あぁ、そうさっ! はははっ! めちゃくちゃにしてやるっ! めちゃくちゃになっ!」

 男は壊れたように笑い出す。目はうつろで焦点を結んでいない。もう十分に狂っている。
 狂っていることが自分でもわかる。そんな男にのしかかられて、女はさぞ恐怖しているだろう。
 このまま着ているものを引き裂いてやる。さあ泣き叫べ。不幸に叩き落としてやる。

「あらあら」
 はっ?

「あのー、制服ダメにされると困ります」
 こいつは馬鹿か。制服の心配している場合じゃないだろ?

「あなたがめちゃくちゃにしたいのは、私の制服ですか?」
「何言ってんだ、おまえ?」
「ですから、自分で脱ぎますから、制服ダメにしないで下さいね、と言いたいのですが」

 この女は本当に馬鹿なのか。自然、男の手から力が抜ける。
 女は上半身を起こすと、てきぱきと制服を脱いでいく。
 男が呆気に取られている間に、女はその腕を抜け、立ち上がる。
 女の体を包んでいた布地はすとんと落ち、清楚で上品な下着姿があらわれた。
 女は逃げ出すでもなく、いそいそと制服をたたんでいく。

「はい、お待たせしました。続きをどうぞ。『おまえをめちゃくちゃにしてやる』からでしたか?」

 女が笑顔で問うてきて、男は呆けた状態から戻ってきた。沸々と怒りがこみ上げる。
 こいつは完全に俺を馬鹿にしている。どういうつもりかわからないが、馬鹿にしていることだけは確かだ。
 男の拳が握られる。そうだ。こういう男を馬鹿にする女は、殴ってやればいい。
 思い上がった行動が、どう返ってくるかを、体で知ればいい。

 男が女に殴りかかろうとした寸前、女は下着を自分から脱ぎだした。
 ためらいもなく全裸になる。
 女性らしい曲線に包まれた、大きすぎず小さすぎない形のよい胸、美しくすらりと伸びた腕と脚、染み一つない白い綺麗な肌に、映えるブロンドの髪が流れる。
 男の視線はしばらく釘付けとなった。

 女は裸をさらしているというのに、全く恥ずかしそうにはしていない。
 いや、しかし、ここまで美しい肢体を持っていれば、羞恥を感じる必要もなかろう。
 そのままの形で、街の広場の彫像にしても、遜色ないほどだ。

「あらあら、どうされました? …・・・きゃっ」
 男は興奮していた。目の前には美しい女の裸があるのだ。他に何をすることがあるだろう。
 男は再び女に覆い被さり、女の胸にしゃぶりつく。形のよい胸を、男の両手で好き放題ゆがませる。
 乳首を舐め、首筋を舐め、下腹部に手を這わせる。

「あのー、お風呂入りませんか?」
 男は顔を上げて、女と顔を合わせた。男の乱暴な愛撫を全くといって気にしていないようで、今まで通り、のんびりとした笑顔で問うてくる。
 この女の口を塞ぐにはどうしたらいいか。一瞬考え込んだ男に女のおしゃべりは止まらない。

「失礼ですが、その、しばらく着替えてられませんよね?」
 男は薄汚れた格好をしていた。もちろん、ここしばらく入浴などしていない。
 女からすれば、体臭が気になるのだろう。
 もういい。この女が馬鹿で、どうでもいいことばかり気にするのはわかった。
 が、男にはこの言葉は堪えた。薄汚れた自分。これでもつい先日までは好青年だったのだ。
 こんな姿になってから、行き交う人間の、男を見る目は変わった。
 男のそれまでの人生で、そのような目で見られたことはなかった。
 嘲笑、嫌悪、同情、どれもどれもどれも、男を不幸に叩き落とす視線だった。

「ごめんなさい」
「なぜ謝るっ!」
 男は自分ではわかっている。男の表情は怒りに満ちているが、唇は噛まれている。
 悔しくて、情けなくて、腹立たしくて、唇は噛みしめられているのだ。
 女は男のそんな表情を、見逃しはしないのだろう。
 だから、女は、自分が男の心を傷つけたことに謝っているのだ。
 対して、男は女の表情がわからない。ただ微笑んでいる。
 そこに、嘲笑や嫌悪や同情といった感情は見いだせない。ただ、微笑んでいるだけだ。

 男の頭に、女の手が伸びてくる。女の手は、男の髪を優しくなでる。

「ね。お風呂、入りましょう?頭も洗ってあげますから」
「うるさい。おまえは黙って俺に犯されればいいんだ」
「あらあら。でしたらその間中ずっと、『あーれー、助けてー、犯されるー、いーやー』と言い続けますわよ」
 これ以上はないくらいの棒読みだった。
「これ以上喋ると殴るぞ」
「あらあら。ぐったりとして反応のない女を抱いても楽しくはないと思いますけど」
「泣きわめく程度に殴る」
 とたん、女は豹変する。笑顔は消え、怯えたように定まらない視線で、小刻みにぶるぶると震え出す。

「いやっ! やっ、止めてくださいっ! 止めてっ! い、痛いっ! た、助けてくださいっ! お願いしますっ! 助けてっ! い、いやーーっ!!」
 男はまだ何もしていない。ただ驚いて見つめていると、女の動きが止まった。
「こんな感じですか?」
 なんて奴だ……。
「おまえ、女優か何かか?それとも、商売女なのか?」
「あら?制服をご覧になったでしょう?」
 確かにあの制服は観光業界のものだったが、今さらこの女が、ただの案内人だと言われても信じられない。
「私の仕事はウンディーネといいまして、ゴンドラにのってこの街の……」
「知ってる」
「あらあら、そうでしたか。ご利用になったことは?」
 男は初めてアクアに来たときに、取引先の接待がてら、ゴンドラに乗ったときのことを思い出した。
 そのときの案内人は、こんなとらえどころのない女だったか……。
 取引先の人間との商談に夢中で、あまり案内人に気を向けていなかった。
 いや、案内される景色も、目には入っていなかった気がする。

 ふと、男の服に女の手が伸ばされているのを感じた。
 男のシャツのボタンに手をかけ、一つ一つ外していく。
「おまえはどうあっても、俺を風呂に入れたいのか」
「あなたは私を抱いて、陰鬱な気分を少しでも晴らしたいのでしょう? でしたらお風呂でさっぱりするのも、より気分が晴れると思いますよ?」
「俺の気分は、おまえをめちゃくちゃに犯さない限りは晴れない」
「あらあら、うふふ。私のこと、そんなに気に入っていただけました?」
「変な女だ」
「そうですか?女性なら誰しも、お相手の男性には清潔でいてもらいたいと思うのですが……」
「そんなことをいってるんじゃない」
「あらあら。ではどのような点が」
「だから、普通は逃げ回るもんだろうって、あっ、おい」

 少し話し込んでしまったのがうかつだった。
 会話の途中に、女はのしかかっている男の体をするりと抜け、立ち上がったかと思うと、男の手の届かない距離まで身を引いた。
 男は女の腕を掴もうと手を伸ばすが、それもかわされ、女は男の方を向いたまま、軽いステップで後ろに下がっていく。
 追いかける男。ついた先は浴室の前。女は後ろ手に浴室のドアを開け、中に滑り込む。
 ドアが閉じられると思った男は手を伸ばす。
 が、代わりに女の手が伸びてきて、男の腕を取る。
 男は浴室の中まで引っ張り込まれてしまった。

 とたん、シャワーのお湯を浴びせかけられる。まだ服を着たまま、ずぶ濡れになる男。
「あらあら、すみません。早くお脱ぎにならないと」
「お前な……」
「脱がせてさしあげましょうか」
「もういい。脱げばいいんだろう、脱げば」
 男は服を脱いでいく。女を犯すのだから、どうせ服は脱ぐことになる。
 今脱いでしまっても問題はない。自分の方が、浴室のドアに近い。この女は逃げられない。
 ズボンに手をかけたところで、女の視線に気がついた。顔を上げると、相変わらずの笑顔で女がこちらを見ている。
「あっち向いてろ」
「どうしてですか?」
「いいから!」
「私は先程から何も隠していませんのに、不公平ですね」
「うるさいっ!」
「あらあら。では、失礼して」
 女は男に背を向けてしゃがみ込み、シャワーから出るお湯の温度を調節し始める。
 男はようやくズボンを下ろした。濡れた下着を脱ぎ、全裸になる。
 すぐそこでは、同じく全裸の女の背中と尻が見える。
 先程までからずっと勃起していた男の一物が、反応する。
 このまま押し倒して、陰茎をこの白い体にねじ込んでしまえ。それはさぞ甘美な快楽だろう。

 そう思った男が、ふらふらと近づいていくと、女が振り返った。
 しゃがみ込んでいたせいで、ちょうど反り返った男のものと目があった。
「あらあらあらあら。うふふふふ」
 女は笑顔と共に、右手を伸ばし、男の陰茎を掴んだ。
「おっ、おいっ! 何してるっ!」
「何って、体を洗ってさしあげようかと」
「どこ洗ってんだっ!」
「頭から洗って上げようと思っていたのですが、見たところ、こちらから洗ってほしそうでしたし」
 若干、女の笑顔が引きつっている。少々、怒ってるのだろうか。
 男の陰茎を握る女の手には、確かにシャンプーがのっていて、本当に頭を洗うつもりだったようだ。

 女の手が男の陰茎をこすりあげる度、ぬるぬるとした快感が伝わってくる。
「おっ、おいっ、やっ、やめろ」
「あらあら。まだきれいになっていませんわ」
 女の手の動きが速くなる。繰り返される反復運動は、どう見ても洗浄が目的ではない。
「こちらもきれいにしませんと」
 空いている手で、男の陰嚢が優しく揉みほぐされる。
「くっ! やめないと……」
「やめないと、どうなんです?私を犯すんですよね? 私、あなたにめちゃくちゃに犯されるんですね。あられもない喘ぎ声を上げて、心とは裏腹に、体は勝手に感じてしまって、みだりに腰を振って、あなたのこの大きな硬いものからは、白い液体がどくどくと溢れて、私の体はどろどろに穢されてしまうのですね」
「……なっ、なに、言ってるんだ」
女は陶酔したような声で、陰茎をこすりながら耳元で囁く。
 これだけ淫猥なことを喋っているその声は、何故かどこか涼しげだ。それがかえって男を興奮させる。

「どうです? 今出せば、私はあなたの精液でどろどろになってしまいますよ? 出してしまった方がよいのでは? まだお若いんですから、一回くらい出しても平気でしょう? どこに出します? 顔? 胸? お腹? どこにかけてもいいんですよ? うふふ。尋ねる必要はなさそうですね。こんなに大きくなっているんですもの。私の体中全てに、あなたの精液がかかって、私は汚されてしまいますね」
 女は楽しげに、歌うように言葉を紡ぐ。

「うっ、くっ」
 男の我慢は限界に近い。このまま自分の陰茎を、女の中に突き立てたい。
 おそらくそれだけで果ててしまうだろうが、それでもそれは、今まで感じたことのない快感に違いない。
 しかし、それができない。今与えられている快楽の前に、男はなすすべがない。
 今だって、優しく包み、激しく動かす彼女の手は、非常な快楽を与えてくれている。
 彼女の手の動きにあわせて、楽しげに揺れる胸。加えて、耳元で囁かれる甘い甘い声と微笑み。

「もうそろそろですね。もうすぐ精液出そうですね。いっぱい出してくださいね」
 言い終わった直後、女はひときわ強く大きく、握った手を動かした。
「くっ!」
 痛みが走るほどの刺激を受け、男は達してしまう。
 女の言ったとおりに、多量の精液が吹き出され、女の体のあちこちにパタパタとかかっていく。

 どくどくと精液を吹き出している間、女は手の動きを少しずつゆるめていく。
 しかし、それは射精を止めるためではない。
 その緩やかで大きな動きは、残った分を最後の一滴まで絞り出すためだ。

 男の長い射精が終わると、やっと女は男の陰茎から手を放した。
「はぁ。ぬるぬるです」
 女は腕や胸、顔にかかった精液をなぞっていく。

 ぼんやりとその光景を見ていた男は、ようやく理解した。
 精液にまみれた女。この女は穢されて汚れている。
 だが、彼女の美しさは、全く、損なわれていない。
 白い醜い液体が、彼女の肌にぶちまけられても、彼女は美しい。
 ああ、この女は約束されているのだ。
 いかなる卑しさも、彼女を貶めることはできない。
 これは、そういう女なのだ。
 理屈ではない。この光景を見なければ納得はできなかったろう。
 穢しても穢しても、穢れないもの。
 女神とか天使とかいった陳腐な比喩でしか、その存在を表現できない。

 男はじっと女を見ていた。男の感慨と認識も知らず、女は気軽な動作でシャワーを使い、自分の体の精液を洗い流していく。今にも鼻歌でも歌い出しそうに楽しげだ。

「さ、後ろ向いて、そこに座ってください」
「あっ? ああ」
 再びシャンプーを手にした女は、男に促す。
 毒気を抜かれた男は、素直に従ってしまう。

「じゃあ、洗いますよ」
「本気だったのか」
「もちろん」
 髪を洗われているのがわかる。女の手が、優しく、丹念に男の髪を洗っていく。
 久しぶりの洗髪は、確かに、気持ちがいい。
 陰茎をこすられたときのような激しい快楽ではないが、
 女の手の動きは、優しい快楽を、男にもたらしていく。
 どちらの快楽がより良いというものではない。安寧の中の快楽は、それは代え難いものだ。

「流しますよ。目、つぶっててくださいね」
 泡だったシャンプーが、洗い流されていく。すっきりする。
 女の手と指が、男の髪を梳き、水気を切っていく。
 はは。今、俺は、頭を女に洗われただけで、あの日以来初めて、爽快な気分になっている。

 そのまま女は男の背中をボディスポンジで洗い出した。
「右腕あげてくださいね」
「左腕あげてくださいね」
「前失礼しますね」
「ここはもう洗いましたね」
 あれよあれよという間に洗われて、きれいになっていく男。
 男は言われるがまま、腕を上げ下げしている。
 手コキで射精されて、頭まで洗われて、もう男に反抗する気力はなかった。

「はい。おしまいです。では、お風呂に入りましょう」
「え?」
「シャワーだけでは、風邪を引きます。やっぱり温まらないと」
 そう言って女は湯船に入っていく。
 懐古主義のアクアだが、この風呂はいつも沸いた状態を維持できるタイプのようだ。

「はぁ〜。ごくらくごくらく」
 女は笑顔だが、いつもの笑顔より、少しだけ緩んでいる気がする。
「どうしました?ちょっと狭いですけど、遠慮なさらずに」
 風呂に入っている女は本当に気持ちよさそうだ。
 男は、女の与える快楽にあらがえない。

「わかったよ。入ればいいんだろう、入れば」
 悪態をつきながら、湯船に足を入れる。
 とはいえ実際、湯船はさほど広いものではない。少し窮屈そうに、女に背を向け湯船につかる。

「あらあら。では失礼して」
 女は少し体を浮かし、男の背中を包み込むように、自分の足の間に男を挟み込む。
「何してんだ?」
 背後でもぞもぞ動いている女が気になり、男は首だけを回して、女の方を見る。
「前を向いていてくださいね」
 女が片手にブラシを持っているのが見えた。何をされるか理解して、男は黙って前を向く。

 女が男の頭にブラシをかけていく。無造作に伸びた髪は、きれいに束ねられた。
「はい。きれいになりました」
「……なあ、あんた。いったいどういうつもりなんだ?」
「え? 次はひげを剃りますよ?」
 いつのまにやら、女はカミソリを持っている。
「じっとしてて下さいね」
 女は体を浮かし、男の背中から回り込むようにして、男の頬にカミソリを当てていく。
「俺はあんたを犯そうとしたんだぞ。これを俺の首に突き立てる方が自然だろう?」
「危ないから、済むまで黙っててくださいね」

 男はあきらめたように小さく息を吐き、ひげを剃られるのを待つ。
 程なくして、すっきりとした男の顔があらわれた。

「剃り残しないか見ますから、こっち向いてください」
 男は黙って振り向く。女は真剣な顔をしている。少しだけカミソリが当てられる。
「はい。終わりました。うふふ。すっきりしましたね」
「そうか? ……そうだな」
 男は自分の頬に手を当てる。確かにすっきりした。
 壁にはまっている鏡を横目に見て、自分の顔を確認する。見た目だけなら普通の男に戻ったかのようだ。

「なあ、質問に答えてくれ」
 女は自分の頬に人差し指を当て、考え込む仕草をした。おもむろに口を開く。

「あなたこそ、どうしてこんなことを?」
「男が女を襲うのに理由なんてない」
「そうでしょうか? こうしてみれば、爽やかな好青年にしか見えませんが?」
「は。ついこの間までは実際そうだったさ」
「では、どうして」
「ありきたりな話さ。信じていた奴等に騙されて、身ぐるみはがされて、追い出された」
「はぁ。それでやさぐれてしまったのですね」
「……簡単に言うとそうだ」
「どうして私を選んだのです?」

「別に誰でも良かった。いや、違うな。あんたがたいそうな美人で、そして幸せそうだったからだ」
「あらあら、うふふ。それは光栄です」
「こんな目にあって、何喜んでんだか。さあ、今度はそっちの番だ」
「そうですね。私子供の頃、犬を飼っていたんです。今はもうおりませんが。ある日、私が帰宅して玄関のドアを開けたときに、見知らぬ犬がすっと、家の中に上がり込んできたんです。私は子犬をだっこしたくて、おいでおいでってしたんですけど、何故か子犬は怯えていて、私の伸ばした手に噛みついてくるんです。でも、その子犬の目がなんだか寂しそうで。とりあえず、子犬にミルクを飲ませて、嫌がる彼を抱き上げて、あちこち噛みつかれながらお風呂できれいにして、乾かして、毛にブラシを入れて。そうしているうちに、子犬も落ち着いてきたみたいで、結局そのまま飼うことにしました」

「……もういい。わかった」
「いえ、決してあなたが、捨てられた子犬のような目をしていた、などと言っているのではないのですよ」
「……しかし、風呂から上がったら、俺は乾かされるんだろう?」
「ええもちろん。そうですね、順番が逆になってしまいましたが、お食事召し上がります?」
「ミルクは嫌いだ」
「あら残念」
「その後、俺はお前に飼われるのか?」
「あなたが良ければ、可愛がってさしあげますよ? 良い飼い主でいられるよう努力しますから、あなたも可愛らしい姿を私に見せてくださいね」
「その期待には応えられそうにないな」
「あらあら、うふふ。そんなことありませんわ。必至に射精を我慢している表情とか、ぎゅっと目をつぶって髪を洗われている姿など、とても可愛らしかったですよ」
 男は黙ったまま、気まずそうに目をそらす。

「あらあら、うふふ」
 背を向けた男に、女は後ろから腕を回し、そっと抱きかかえる。
「ご両親は?」
「もういない」
「信頼できる友人の方など、いませんの?」
「それなりにいたつもりだったんだがな。俺の勘違いだったみたいだ」
「そう」
 女は抱きしめた腕を、少しだけ強める。女の方からその表情は見えないが、男の小さな嗚咽が聞こえる。

男は湯船の中のお湯をすくい、自分の顔を洗い、手でぬぐった。
「のぼせそうだ。もう上がるよ」
「そうですね」
 二人、浴室を出て、女から渡されたバスタオルで男は体を拭く。
「こちらは洗濯しておきますね」
 濡れたままの男の服を、女は拾い上げる。
「悪いな」
「濡らしたの、私ですし」
 振り返って微笑んだ彼女は、少しだけ照れくさそうだ。

「すまんが、何か着るものを貸してくれないか?」
「うちの制服でよければ、男物、ありますけど」
「ああ、それで構わない。助かる」
「ちょっと待っていてくださいね」
 女はバスタオルを体に巻いただけで、奥の部屋に入っていく。しばらくして、男物の服を持って戻ってきた。
「はい、どうぞ」
「ああ、悪いな」
 男は服に腕を通していく。
「あんたも服を着てくれ」
「あらあら。私を犯すのではなかったのですか?」
 女は少しだけ意地悪そうな笑みを浮かべてくる。
「よくいうよ。全部絞り出したくせに」
「うふふ」
「は。ははは」



「はぁ」
 翌日、女は自身の仕事場で、小さなため息をついていた。
「どうしたんですか?アリシアさん、ため息なんかついて」
 女の後輩が心配そうに問うてくる。
「いえね」
 女は頬に手を当て、昨日の出来事を語る。
「昨日、うちに弱った子犬が迷い込んできたのよ」
「わんちゃんですか」
「怪我はしていなかったのだけど、弱って、汚れていたから、むりやりお風呂に入れてきれいにして、ご飯をあげて」
「噛みつかれたりしませんでした?」
「少し、大変だったわ」
 苦笑する女。

「でも、そうしたら見違えるように可愛い子犬で」
「わー、私も見たいです」
「それが、もういないのよ」
「あれま。黙って出て行っちゃったんですか?」
「いいえ。『すまない。ありがとう』って言ってたわ」
「……犬が、ですか?」
「『いつか、あんたに顔向けできるようになったら、客として来るから、街を案内してくれないか』って」
「???」
「可愛かったから、しばらくうちにおいてあげたかったんだけどね」
「……まあ、うちにはアリア社長もいますし」
「ぷいぷいにゅ〜」
「……そうね」
 そう言って、女は太った猫を抱き上げる。



 彼女はアリシア・フローレンス。当代随一のウンディーネ。
 流れるブロンド、白い肌、穏やかな笑顔と、甘やかな声。
 口癖は「あらあら」「うふふ」。
 彼女の前にあっては、どんなに気性の荒い狼も、腹を見せて撫でられてしまう。
 彼女の前にあっては、いかなる男もかしずいてしまう。
 彼女はアリシア・フローレンス。当代随一のウンディーネ。

(完)

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