聖域



さんざん周りに「行動が読めない」「何を考えているのか分からない」と言われる男がいる。
赤木しげるである。
しかしそんな赤木にも、いくつかの条件さえ揃えばほぼ必ず行う行為が存在した。
いつも気紛れなこの男がもう何十年と続けた数少ないことのひとつであり、
自覚は無いがとても大切な行為であるらしい。

その条件というのが難しく(とはいえ、条件さえ揃えば無意識の内に行うのだから
本人にとってはそう難しくもないのかもしれないが)まず、麻雀牌が一揃えなければならない。
そして赤木がなんらかの勝負を行った後、もしくはその予定の前であること。
最後に、周りに誰も人がいないこと。
これらは赤木自身がこうと決めたという訳ではなく、無意識下のルールと呼ぶ他無い。
だから、人がいると行わないというのは別に羞恥心などからくるものではなく、
いくつもの感情や経験が行き交ってそういう選択にたどり着いたのだろう。

では赤木は、この条件下で何をするのか。
単純だ。牌をひとつひとつなぞるのだ。目を閉じて、ゆっくりと。
その行為は盲牌という呼び名がついてはいるが、赤木が行っているのはそれでは無い。
それは、正確な名前など存在しない行為だった。
そもそもその行為の目的を、赤木は知らなかった。
いや、自分自身ですら理解していなかったというのが正しいだろうか。

勝負の熱の近くで、一人ただ牌をなぞる。
視覚という余計な感覚を省いて、赤木は何を考えるのか。
別の牌が吸った誰かの魂の行方か。
それとも今日あった、あるいは明日あるかもしれない昂りに想いを馳せたのかもしれない。
もしかしたら思考という概念すら取っ払った何かが存在しているのかもしれない。
赤木ですら自覚のないこの行為に秘められたものを、誰も知ることはできない。

だが以前少しだけ、こっそりとこの行為を覗いていた男がいた。
勘の鋭い赤木にはすぐに見つかり笑われたのだそうだが、
彼はこの時のことを、何年も経った今でも鮮明に思い出すことができると言う。
赤木が牌をなぞるというその動作はまるで、それが神聖な儀式であるかのように
不可侵の領域に思えたからに違いないと、彼は幸せそうに語るのだ。

牌をなぞるというその行為は、赤木しげるという男にとっては、
ただひとつの聖域であったのかもしれなかった。



06/06/27

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