『銀と金』のカムイ編後(というか最終回後?)の森田のSSSです。
未読の方はご注意ください。





















不釣合いな獣



カラン

上品なジャズを彩るように、店内に来客を告げるベル音が響いた。
思わず顔をそちらに向けるが、控えめな装飾が施されたドアから現れたのは待ち人とは別人で、
森田は意識せずに舌打ちが出た。
店内に流れる音楽とは反対に、森田の靴は神経質なリズムを刻んでいる。
約束の時間を過ぎても来ない待ち人に苛立っているのでは無いのは、自分でも分かっていた。
自分を今急かすように追い立てるのは、恐らくこの店の雰囲気だ。
ここは駅前地下にひっそりとあるバーで、上品な音楽と酒の品揃えの良さや内装の赴きなど、
あらゆる面から見ても良い店であることはすぐに分かった。
店内に踏み入れてすぐに、ここを待ち合わせに指定した相手の趣味の良さに感心したものだ。
だが店の雰囲気が良ければ良いほど、森田は苦痛ばかりが募る。
自覚したくない感情ばかりが湧き上がる。
森田は腕に巻いた安物の腕時計をチラと見た。
約束の時間からまだ数分しか過ぎていないのに、ここまで苛ついている自分に苦笑する。
その時、腕時計の画面にふっと影が差した。
「ごめんね、遅れちゃった」
顔を上げれば、華やかな女性がそこにいた。
派手すぎない化粧に縁取られた目元をぱちぱちさせながら森田の正面に座ると、
女性は朗らかに微笑んだ。
「森田くん、もう何か頼んだ?」
質問に、森田は手元の空のグラスを軽く上げて答える。
「じゃ、遅れたお詫びにもう一杯奢るわ。それとも何か食べよっか。ここ、ご飯もおいしいのよ」
高めの声で楽しげに喋る彼女の名は、田中沙織。
以前とある事件に森田と巻き込まれてから、何度か彼女から食事に誘われることがあり、
今ではそれなりの飲み友達となっている。
「どうして今日はここなんだ?」
唐突な森田の言葉に、メニューを眺めていた沙織が顔を上げる。
軽くウェーブがかったロングヘアが、ちらりとテーブルに零れる。
切ればいいのに、と森田は思う。
森田は「あの日」にすぐ髪を切った。以来髪は伸ばしていない。
「森田くんって、こういうお店嫌い?」
「いつもの居酒屋でいいだろ?」
「たまには私だって、お洒落なお店で男と飲みたいわよ」
大真面目な顔で言われて、流石に森田も反論できずに黙った。
女の都合も理由も希望も分からないし、分かるつもりも無いから、言い合うだけ面倒なのだ。
(あの人となら)
どこだって構わないのにな。
考えてから、ぎゅっと瞼を閉じて俯いた。
「…森田くん?」
「…田中」
俯いたまま、ぼんやりと呟くように言った。つい今考えてしまったことを消し去りたかった。
「俺たち、付き合おうか」

ぱしん。

乾いた音が店内に響いた。
しん、と一瞬だけ2人の周りが静まり返る。が、すぐに元の賑わいに戻った。
それからやっと森田は、自分の頬が叩かれたのだと分かった。
「…森田くん」
小さな声で、沙織は名を呼んだ。
「私がなんで今叩いたか、分かるわよね?」
叩かれた左頬は、不思議と痛みは無かった。妙な熱がじんじんとあるだけだ。
「…ごめん…」
沙織は無表情だった。
ただその目は濡れていて、今にも零れ落ちそうだ。
叩いた沙織の方が泣き出しそうで、森田はどんな顔をすればいいのか分からずに俯いた。
「…私だって馬鹿じゃないし、そんなに都合の良い女じゃないわよ…
…森田くんが今誰を好きなのかぐらい、もう私にも分かってる」
沙織は消えそうな声でポツリポツリと呟いた。
「『特別』なんでしょう?あの人が」
それは今でも変わらないんでしょう?
目を合わせなくても、沙織の声が聞こえてくるようだった。
いやそれは沙織の声ではなく、自分自身の声なのだろうか。
森田が今でも女々しく、何を引きずり、何に足を止められているのか、
彼女はもう分かっているようだった。
それほどまでに露骨だったのかと、森田は笑いさえこぼれそうになる。
「俺は」
しばらくして、俯いたままだった森田がぽつりと呟いた。
「俺は、こういう店はもう、似合わないんだ」
そしてゆっくりと立ち上がると、財布から金を置いて、沙織を見た。
沙織の目はもう濡れてはいなかった。
むしろ、森田が今にも泣き出すのではないかと心配そうな顔をしていた。
「いや…元々、似合わなかったんだ。昔から」
そんな沙織の心配を振り切るように頭を横に振ってから、森田は小さく笑ってみせた。
そしてまた、ごめんとだけ言って、森田は店を出ていった。



06/07/03

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