『天』最終回後の僧我の話です。
最終回までを未読の方はご注意ください。













































誰が為に



 最近赤木が部屋に来る。

 夜、僧我が部屋でひとりでいる時にふらりと部屋に訪れるのだ。
 挨拶は無い。去る時も音もなく、煙のようにいなくなる。
 僧我は最初、とうとう自分は狂ったのかと思った。
 そうでないなら赤木のように呆けたのかとも考えた。
 なぜなら赤木はもう何年も前に死んでいるからだ。僧我の部屋に運ぶ体などはとうの昔に捨てた男だからだ。
 僧我が狂っても呆けてもいないのだと分かったのは、赤木が常に置いていく置き土産のお陰だった。
 赤木はいつも、花を部屋の扉の前に置いて去る。花の種類も数も決まっていない。そこらに咲いているような野の花を2本だけという時もあれば、一本いくらという花を無造作に数本置いていく時もある。
「おい、沢さん」
 僧我は屋敷を掃除している使用人の女に声をかけた。
 女の名は沢 裕子という。歳は50を過ぎていて、口が固くよく働き余計なことも言わない。
 僧我はこの無愛想で面倒の無い女を気に入っていた。
「何かご用でしょうかね」
「これはなんて名かね」
 僧我は赤木が置いていった花を見せた。沢はまじまじとそれをしばらく眺めると、ぽつり、呟くように言った。
「あたしは花に通じてないんでよく分からないんですが、桔梗じゃないですかね」
 なるほど、桔梗か。
 僧我はうんと一人頷いて、部屋へ戻った。
 沢は再び掃除を始めた。



 それから変わらず赤木は僧我の元へ現れる。いつも花をその手に携えて。
 赤木が現れるようになって9日目の晩、僧我が本を読んでいると、やはり赤木は現れた。赤木が来ると空気が変わるからすぐに分かる。1、2度は室内の温度が下がるようだ。
 赤木は常に何も喋らなかった。ただふらりと部屋に来て、ただふらりと去っていく。
 今日も赤木は何も言わず、本を読む僧我を横からのぞき込んでいた。
「面白いか」
 僧我は本を開いたまま背を正し、赤木を見た。死んでいるくせに透けてもいないし足もある。
 生意気なガキめ、と脈絡も無く思った。
「わしがお前に振り回されているのがそんなに面白いか、赤木」
 赤木は何も答えない。ただ目を細めて僧我の言葉を待っている。
「お前が毎晩花を持ってくるのはわしがもう死ぬからか。死に損ないに花を供えてやっているつもりか」
 死に損ない、という自分の言葉に、爆弾を抱えた心臓がちくりと痛んだ。
 そう、赤木が死んでからもう5年が過ぎた。西最強の代打ちであったのも過去の話となった。
 原田などは時折顔を見せにやってきていくらか話をするが、その話のどれもが、今の僧我から遠く離れてしまっているようにしか思えなくなった。
 勝負をしない人生など無意味だと、生前の赤木は言った。今ならその意味が分かる。僧我もまた、勝負の熱に魅せられた男だったからだ。
 体力の衰えと病に負けて勝負の世界から退いた日から、僧我は体が干上がっていくような心地だった。
 潤いもなく、渇いた体は動かない。何をしても何を見ても、満たされない。
「始め、お前が来た時は、やっと迎えが来たんやと思った。やっと死ねると思った。お前に連れて行ってもらえるならそれで充分だとも…」
 しかし赤木は僧我の魂などいらぬとでも言うように、僧我を連れて行きはしなかった。
 何も言わず、何も成さず。ただ毎日花を持ってきた。
「なんでや、赤木。なんでわしのとこに来る。それとも死んでまた呆けたか。訳も判らず来とるんか」
 僧我は泣いていた。
 赤木にこんなことを言ってなんになると分かっていても勝手な口は止まらない。
 言葉を吐き出しながら、自分はこんなにも弱く衰え、老いていたことを自覚していくのが悲しかった。
 二度と会えない筈の赤木に会えても、こんなことしか言えない自分が悲しかった。
「連れて行ってくれ」
 嗚咽のあとに漏れたのはそんな言葉だった。
「連れて行ってくれ、赤木。わしはもうあかん。わしは死ぬ。いや、もう死んどるのと変わらん。
わしの時はとうの昔に満ちて、もう引き始めとる」
 連れて行ってくれ。
 僧我はもう一度言って、祈るように赤木を見た。
 赤木は笑っていた。微笑みなどというかわいらしいものではない。
 口の端をくいと上げて、悪戯っ子のような笑みを浮かべて僧我を見つめるのだ。
 言葉はない。水底のような沈黙で赤木は語る。

だったら勝負しようか、じいさん。

「……勝負?」
 赤木は部屋の一角を指差した。そこには小さな和箪笥が置かれていた。僧我が普段使わないものを収納している箪笥である。
 訳も判らず、僧我は箪笥を漁る。赤木の目的のものはすぐに見つかった。
 防虫剤の匂いが染み着いた、麻雀牌の箱だった。
 持つとずしりとした重みが皺だらけの手に馴染む。
 懐かしい重みだった。もう何年触っていなかったのか。
 僧我は黙って赤木のもとにそれを持っていき、畳に座り込んだ。
「そうやな…クソ生意気なお前が、素直に言うこと聞いてくれるわけがあらへんな……」
 箱を開け、バラ、とピンズを1から9まで2組、畳の上に広げた。
「ナインをやろう、赤木。ルールは分かるやろ……昔…よく、」
 僧我の言葉を遮るように、赤木は僧我の正面に座った。
 どちらからともなく、笑みを交わす。
 僧我は牌を赤木の前に9つ伏せる。自分から見て、どれがどの牌か分かってしまわぬように乱雑に散らした。
「これでもお前は分かるやろ…牌がめくれないなら指差し。わしがめくったる」
 赤木は頷いた。心なしかその目は輝いているように見えた。
「赤木」
 ん?という赤木の声が聞こえた気がした。僧我は自分でも驚くほど穏やかな声で赤木に言う。
「わしがお前に勝ったら、連れていけ。お前が勝ったら……お前の好きなようにすればいい。もしも引き分けなら……」
 赤木は再び頷いて、ひとつ、牌を指差した。



 結果はというと、僧我の大敗である。出す牌出す牌全て赤木に絡め取られ、清々しい程に圧倒的な点差で負けた。
 赤木は相手が老人だからといって容赦などしない。ましてや優しい“引き分け”になどしてくれなかった。
 その勝負の晩から、赤木は現れなくなった。
 花もその日を最後に置かれる日は無かった。僧我は、それまでの花はまとめて捨てた。
 最後の日に持ってきた一輪の姫百合は、すこし考えてから僧我は自室に飾った。
 僧我は連れて行ってはもらえなかった。
 最後の牌をめくる時、赤木はやはり不適な笑みを浮かべた。楽しくて仕方が無いというように、笑った。
 赤木がそんな笑みを浮かべるのだということも、長い間忘れていた。





 赤木が持ってきた花の意味を知ったのは、それからしばらくしてのことだ。
 赤木の命日が近くなった頃である。
 使用人の沢が、捨てた筈の赤木の花を、いつの間にか押し花にしていたのを知った時だ。
 小さく細くなった花が並んでいるのを見て、僧我はようやく理解した。
 5年前のあの日。
 生きている赤木とやった最後のナインの並び、星の連なりを、赤木は花で僧我に渡していたのだ。
 4、2、6と偶数が続き、3、7、9、8…そして、5…最後は1。

引き分けは勝負無し。
俺は死に、お前は生きる。
俺はお前を連れて行かない……

 赤木は花を僧我に託した。干上がった体を水で満たして消えた。



 その日使用人の沢は初めて、無愛想な雇い主が泣くのを見た。



06/09/26

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