曹洞宗 補陀山 大覚寺 | |
元は光応寺といったのを、慶長年間に尼子義久の法名に因み大覚寺と改めた。境内には義久と弟の秀久の墓があり、義久の木像もある。 ■JR「奈古」駅~徒歩10分 阿武郡阿武町奈古3155 | |
尼子義久の墓 | |
永禄9年、尼子義久が毛利氏の軍門に降ったことにより、山陰の雄・尼子氏は滅んだ。その後、義久兄弟は安芸の円明寺に幽閉されたが、関ヶ原役後に奈古に移った。 ■JR「奈古」駅~徒歩10分 阿武郡阿武町奈古3155 | |
尼子秀久の墓 | |
尼子家当主である兄・義久に従い、行を共にした秀久の墓も同じく大覚寺の境内にある。 ■JR「奈古」駅~徒歩10分 阿武郡阿武町奈古3155 | |