ものを扱うようにからだを返された。ぐずぐずになったそこに、もう一度陰茎が押し当てられる。もうほとんど抵抗もなく飲みこんでゆく。真田の吐き出した体液がいやらしい音をたてる。伊達はずっと、枕に顔を押し当てて声を殺していた。浮き出た肩甲骨のあたりをなんどか真田のてのひらが撫でていった。体温は、すでにとけてしまっている。ぬめる体液を媒介にして互いの皮膚は境界を失くした。
 後ろから侵入した真田はしばらくそのままでじっとしていた。枕から顔をずらし、横目に彼の様子をうかがう。薄いカーテンから陽が透けて、彼を白く照らしている。均等に筋肉のついたからだ。汗の浮いた皮膚は滑らかだ。彼は伊達の視線には気づいていないようで、しばらく窓のほうを見つめていた。まるで今、外が明るいということに気づいたとでも言うふうに。
 ずるりと陰茎が抜けてゆく。咄嗟に顔を枕に押し当てた。太腿の筋肉が痙攣する。歯の間から漏れそうになる息をなんとか噛み殺す。先で穴をひっかけるようにして、また中へ。浅いところを執拗に擦られ、息が上がった。もう疲れきっている。しかしからだは言うことを聞かない。数年ぶりの真田の感触やにおいや味をいとも簡単に記憶の泥の中から掘り出してきて、目の前に嫌というほど突きつけてくる。今真田を受け入れているそこは、もうほとんど快感しか中枢神経に送信しなくなっていた。
 伊達の意識が確かならば、今は土曜日の昼過ぎであるはずだった。金曜日の夜が昨晩だということが信じられない。もうずっと長い間こうしている気がする。……シャワーを浴びたところまではなにもかも覚えている。玄関先で、伊達を見つめてくるあの光。じりじりと火に炙られたように熱を持った彼の視線。理解できなかった。伊達の意識の中にある真田は、あんな汚い取引を吹っ掛けてくるような男ではなかった。少なくとも、昨日まではそうだった。あの夏の日のことをなかったことにもできず、しかし表面上そうしなければならないことに苦心している、そういう哀れな男だった。しかしそういう微妙な距離感を取りつつ、伊達との同僚としての関係を保つことに一応の安堵を得ているような、そういう男だったはずだ。なにがどうしてこうなったのか、伊達にはまったく心当たりがなかった。ゆえにこうして真田のからだの支配下にある。
 脱衣所にはバスタオルとジャージ、新品の下着、Tシャツが用意されていた。丁寧に畳まれたバスタオルでからだの水分を拭き取り、そのままタオルを腰に巻いてバスルームを出た。リビングの扉は閉ざされている。しかしそこからはあたたかな光が漏れていた。髪から滴がひとつ、フローリングの床に落ちた。それを足裏で擦り、そのドアを開ける。窓際に置かれたソファに座っていた真田はふらふらと視線を伊達に合わせ、少しだけ肩を動かした。彼の喉仏がわずか痙攣するのを伊達はぼんやりと見ていた。……そのようなかっこうでは、風邪を。どうせ、すぐに脱ぐんだろう、同じことだ。遮るようにしてそう言い放ち、目を部屋の左、茶色い扉に向けた。もう一度真田を見る。彼は息を飲んで伊達の様子を見つめている。ソファの前、ローテーブルには彼のシルバーの携帯電話が置かれている。……伊達はそれには気づかなかったふりをして足早にその扉に近づいた。ドアノブをひねる。寝室にからだを滑り込ませ、ドアを閉めしな、早くしろよと真田に言って寄越した。
 手探りで照明のスイッチを探る。スイッチがパチリと音をたて、白い照明が点灯する。部屋の大部分を占めるベッドはきちんとメイキングがされていた。焦げ茶のシーツに、黒の枕。伊達はそのままドアにからだをもたれさせ、あの日の真田の部屋の様子を思い浮かべようとする。テーブルに置かれた空のペットボトル、床に散らばった雑誌とレポート用紙の束、デスクに開かれたままのテキスト、カゴに押し込められた洗濯物、床にひっくり返ったテレビとエアコンのリモコン。そして、水色のシーツのかかったパイプベッド、足元にくしゃくしゃに蹴り寄せられたタオルケット。
 そろそろとまぶたを開ける。そこあるのはセミダブルの大きさの、焦げ茶のシーツのかかったベッドである。サイドボードには球状の間接照明と、カバーのかかった文庫本が置かれている。大きく、ため息をついた。そして足早にベッドに歩み寄り、バスタオルをその場に落として掛け布団を捲りあげた。
 真田が寝室にやってきたのは、それから二十分ほど経ってからだった。タオルで髪を拭いている。そうして、床に落とされたバスタオルを拾い上げ、軽く畳んでサイドボードに置いた。電気、と伊達は言う。真田は無言で踵を返し、部屋の照明を絞る。橙色のかすかな灯りが寝室に満ちる。まだ少しだけ水気を含んでいる髪をそのままにして、真田もまたベッドに膝をついた。彼が動くたびに下半身にだけ身につけたジャージがシャカシャカと音をたてる。掛け布団を捲りあげたそこに伊達が裸で横たわっているのを見、真田はすっと目をそらすようにしてサイドボードの灯りをつけた。引出しを開ける。シーツにクリームと、コンドームが放られる。そして掛け布団をすっかり足元に蹴り寄せてしまう。そうして膝で立ち、伊達のからだにゆっくりと視線を下ろした。むずがゆいと思う。うつぶせて、枕に顔を埋める。するとその腕を引っ張られた。抵抗したが、先程の真田の言葉を思い出す。すっかりからだを返されて、彼の膝が足の間に陣取った。
 あれから、もうああいうことは?小さく首を振る。真田はそっとため息をついて、伊達の顔の横に手をついた。影が落ちる。まだ、あのじりじりと燃えるような目をしている。顎を引いたままその顔を睨みつけていると、彼は少しからだを浮かせてくちびるを寄せてきた。耳のあたりから首筋まで、なまあたたかな舌が這ってゆく。顎の裏に噛みつくようにされて息が止まる。シーツを掴む。ひたひたと真田のてのひらが伊達のかたちをなぞってゆく。
 そっと、腕で顔を隠した。隙間から彼の様子をうかがうと、真田はなにか言いたげな顔をしているがそのくちびるは結ばれたままだ。くちびるを噛む。俺は蹂躪されるのだ。あの夏の日の思い出ごと、あの雨の日の、はつこいごと。

 蒸し暑い日になりそうだった。シャワーを浴びたばかりで、まだ少しだけ髪が湿っている。空気が青い。上空に高く伸びる積乱雲は、ふと伊達にその中に眠る城を思い起こさせた。もうずっと長い間空を浮かんでいる朽ちた城。
 早朝の道を歩く。一週間前の記憶はまだ伊達の中に存在している。彼と歩いた夜道は今、伊達の前に孤独に伸びている。この暑さで参ってしまっているのだろう。人っ子ひとりいない。煙草が吸いたいと思うが、ボトムのポケットを探ってもパッケージすら出てこなかった。恐らく彼の部屋のどこかでくしゃくしゃに丸められているに違いない。財布の中身を確かめ、携帯電話の電源を入れた。電池はもうほとんど残っておらず、赤いアラームが液晶の上のほうで警鐘を鳴らせている。しばらくすると、着信とメールのアラームがちかちかとLEDを光らせた。
 にわかに溢れ始めた夏の陽が伊達の網膜を焼く。目をつぶり、大きく息をした。汗の浮き始めた顔をてのひらでぬぐう。道は孤独に続いている。高校時代、数学教師が言っていた文句を思い出す。二本の直線は平行にあるか、一点で交わるかのどちらかしかありません。……アスファルトの道は延々と続く。伊達の直線と真田の直線はこの夏という一点で交わってしまった。もう二度とこの二本が交わることはない。直線はじりじりと距離を広げてゆく一方である。伊達はもう一度積乱雲を見上げた。目が眩みそうになる。それでも俺は、平行でなんていられなかった。……疲れ切ったからだをベッドの上に投げ出して、そういうことを思い出している。薄く開けられたドアの向こうから、真田の動く音がする。やがてグラスを二つ持った真田が現れた。サイドボードに一つ置き、自分はベッドの端に腰かけてその中身を飲み干す。伊達はぼんやりとその様子を見つめていたが、急に喉の渇きを覚えてからだを起こした。鉛のようだ。ほぼ丸一日、このベッドの上で過ごしたことになる。カーテンの向こうからはもうあの強烈な光は失われていた。ゆっくりとグラスの中の烏龍茶を喉に流し込む。水滴の冷たさがじわじわと伊達のてのひらに馴染んでゆく。……食事は?いらね。グラスを置く。少し、眠いんだけど。真田は黙って頷き、伊達が口をつけたグラスに手を伸ばした。立ち上がり、寝室から出てゆく。その背中を見送って、伊達は足元に蹴り寄せられた掛け布団を手繰り寄せた。壁を向いて、横になる。睡魔はすっと伊達のからだに覆いかぶさってきた。
 かすかに、シャカシャカとジャージが鳴るのが聞こえる。パチリと照明が消される音。シーツの擦れる音。やがて真田の腕が伸びてきて、伊達のからだを抱き込んだ。彼の寝息をうなじに感じる。思い出は、蹂躪されている。真田の暴力と、伊達の意地汚さによって。

 過度の運動のあとの睡眠は、深く長かった。からだのだるさは残ってはいるものの、視界はクリアだ。カーテンから差し込む光はもう陽が昇りきっていることを伝えていた。今は何時だろうと思う。半身を起こし、部屋を見渡すが時計の類は見当たらなかった。唯一、サイドボードに置かれた真田の携帯を除いて。
 いまだシーツに埋もれている赤い髪の男を見下ろす。そのまぶたはしっかりと閉じられたままだ。伊達はそっと腕を伸ばし、その重たいシルバーの筐体を手に取った。時刻は十時を示している。一つつばを飲み込んで、センターキーを押した。データフォルダを開ける。SDカードは挿入されていない。しかし他の場所にコピーされている可能性もまだ捨てきれない。伊達は注意深くフォルダの中身を洗っていった。幸いにも真田はあまり写真をとることに興味はないらしい。残された画像はそう多くなかった。時折視線をずらし、ゆっくりと肩を上下させている男が目を開けていないのを確認する。一枚ずつゆっくりと写真を確かめる。
 そうしながら、他のメディアにもコピーされているという可能性を考える。或いは、リビングに置いてあったデスクトップパソコンのHDDの中。この取引がすべて終わったら、その可能性を一つずつ真田に問い詰め潰してゆかなければならない。伊達はもう、疲れきっている。あの日の思い出も今の平穏な生活も、なにもかも腕の中に囲い込んでしまうということの困難さに。……伊達の目が、なにかに引っかかった。風景写真である。見覚えがある。いや、と伊達は思う。これは伊達と真田の勤務する高校の風景だ。校門の全景、グラウンドの様子。自分の勤務する高校の写真を撮っていたってなんら不思議はない。だがなぜか引っかかった。その理由を探ろうと、じっとその写真を見つめる。そうして気づく。赴任してから撮影したにしては、緑が少なすぎる。明らかにそれ以前、まだ気温の低い季節に撮影されたものだった。採用が決まってから訪れたのだろうかと思う。そうして次の写真を表示させる。すうっと息を吸い込む。
 伊達の写真であった。あの日の、裸に汗を浮かせ体液を散らせている伊達ではない。校門横の花壇の前に座り込み、熱心に土をいじっている。横顔なうえ、遠景をズームで撮影しているためにぼやけてはいるが間違いなかった。覚えている。なによりこの俺が覚えている。その花壇は伊達が手入れしている花壇である。
 気がついたら、親指はキーを操作して画面を待ち受け画面に戻していた。シーツの上で真田はまだ眠っている。その寝顔を見下ろして、伊達は恐ろしい気持ちになった。あの夏に自分が発露させた狂気に似た恐ろしいもの。真田はまだ眠っている。伊達はこの男の、じりじりと燃えるような目を思い出している。

ハローグッバイ, ハローグッバイ, ハローグッバイ 4(100505)