あれは夏の、ひどく暑い日だったと思う。ヤクルトは巨人相手にバッテンゲームの快勝をして、楽天もまたエースで勝ちを収めていた。二人とも、気分は良かった。伊達は実家からの土産だという地酒を開けている。おちょこなんてものは真田の家にはない。背丈の低いグラスになみなみと注いで、二人してそれをすすった。気分は良かった。気がついたら瓶は空になっていた。
伊達は空調の風を好まない。その日も窓を開け放って外の空気を入れていた。閉めたカーテンがそよぐ。それでも気温は下がることを知らない。扇風機は部屋の片隅でブーンと唸っているばかりで、ちっとも空気は撹拌されていなかった。アルコールで体温が上がりきっていたせいもあるだろう。二人して上半身裸になって、試合のあとのスポーツニュースを待っている。いつもだったら感興の湧かない恋愛ドラマでさえにこにこと二人して見守った。
じゃあ私たちってなんなの?
小さな液晶画面の中で女優がそう呟いた。相手の男優はその後ろでじっとうなだれている。よく見る場面だ。特に目新しいわけでもない。しかしなぜだかそのときはじっとその様子をうかがってしまった。男優がなにか言うよりも早く、女優の携帯電話が鳴る。画面がブラックアウトする。賑やかなCMが流れ始める。真田はそこで初めて詰めていた息を解いた。隣で伊達も同じようにしている。そうして二人で顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
なぁに真面目に見てんだよ。政宗殿こそ、目が真剣でしたぞ。私たちってなんなの? 伊達が女優の口調を真似している。真田は首をのけぞらせて笑い、似ておりますなと合いの手を打った。酔っていた。そのままベッドのへりに頭をもたれさせる。カーテンの向こうから蝉の鳴き声がする。少し離れたところに小さな公園があって、そこを中心にしてわんわんと空気が振動している。私たちって、と節をつけて伊達が呟いた。グラスの酒をすする音がする。そうしてずるずるとフローリングに寝転がったかと思うと、ハーフパンツをはいた真田の太腿の上に頭をのせてきた。アルコールの回りきった目をしている。ぼんやりと真田を見上げて、俺たちって、と、そう呟いた。
その額に手を置く。熱いと思う。伊達は目をつぶっている。そうして小さく肩を揺らす。熱い、触んな。政宗殿こそ、某の足が痺れないうちにどいてくだされ。てのひらを滑らせて、頬から首筋、鎖骨の辺りに触れる。……いいのか? 伊達の熱いてのひらが真田の手首に絡む。いいのか? もう一度そう繰り返して、伊達は目を開けた。伊達の目は、少し変わっている。虹彩の部分が少しだけ縦に長い。
それで、と伊達は顔をひきつらせて呟いた。それで……、真田は空を見つめる。彼の舌の分厚い筋肉の様子や、薄く汗の浮いた肌、玉粒のような汗を滴らせた髪の毛や、耳のあたりや額にしきりに吹きかかる息の様子を思い出している。じきに体温が上がった。それが顔に出ていたのだろう、伊達もまた顔を赤くさせてなに思い出してんだ馬鹿と叫んだ。
あの日は、そうして夜中肌を合わせていた。ゆっくりと呼吸をしながら、互いのてのひらが体中を這い回る感触に細胞を震わせていた。末端機関にてのひらをかぶせ、それが違ういきもののように脈打つのを面白がった。伊達は、あんたとこういうことになったらどうなるだろうと思ってたと言った。おかしくなりそうだと熱い息を吐きながら言った。彼は受け入れる側になることを厭ってはいなかった。やってみればいいという言葉のままに繋がる場所に指の腹で触れてみた。寄り集まった皺のひとつひとつをなぞるようにすると、彼の喉がごくりと動く。そうして真田もまた唾を飲む。背中に浮いた汗でシーツがじわりと湿る。真田の上に覆い被さった伊達は、真田の指が思い通りに動かないのがじれったいのか時折小さく腰を揺らせた。
しかしひとたびその指を強く押し当てると、凍ったように体が動かなくなった。眉が寄る。なあ、なんかクリームとかねえの。乾いた指を突き込むには場所が場所だ。真田はそっと伊達のからだの下から鉛のようなそれを抜き取って、ベッドの下のパルプボードを探った。確かそこにしまったはずだった。ようやくてのひらが探り当てたそれをベッドの上に放る。それを見て伊達は軽く鼻を鳴らせた。シーツに横たわった伊達の体を押しつける。腰だけを上げさせて、肉の狭間にハンドクリームを垂らした。小刻みに指の腹でそこを撫でてやる。伊達の呼吸を見計らってゆっくりと人差し指を差し込んだ。ぐうと伊達が呻く。慌てて指を引きぬくと、呻いた喉が今度は掠れ声を吐き出した。真田の腰に響くような、そういう声だった。……政宗殿、その。後ろを振り返った伊達の顔は戸惑いに揺れていた。もう一度ゆっくりと指を押しこむ。きつく締めつけてくるのに逆らうようにして、ずるりと抜き出す。伊達の背中がしなる。
指だけか、と伊達が言った。指だけでござる。本当に? 本当でござる、天地神妙に誓って。伊達はテンチシンミョウ?と真田の言葉を鸚鵡返しに繰り返して、くちびるを尖らせている。
神に誓って、と真田は言い直した。そうすると、判ってるよ馬鹿と返される。もうなにを言ってもこんなふうなので、真田は、はあと軽く息をついて立ち上がった。脱衣所に、伊達の服を取りにゆく。丸められたそれを持って戻ると、伊達は腰に巻いたタオルがめくれるのもかまわないまま大の字にベッドの上で根転がっていた。まだあの神妙な顔つきで天井を見つめている。……それで翌朝俺は全部忘れて二日酔いで、ふらふらしながら帰ったってことか。そこは、覚えておいでで? なんとなくそういう日があったような気はする。裸の胸がシーツの上でゆっくりと上下する。それは今ではすっかり乾いていて気温の低さに少し粟立っている。胸の、色の違うところが尖っているのが目に入って真田は思わず目をそらした。……帰りましょう、浅慮でござった。
だめだ、と短くきっぱりと伊達が呟いた。全部吐くまで帰るんじゃねえ。全部? ……あんたは。そこで伊達はゴクリと喉を動かした。あんたは、俺が全部忘れてると思って、愛想を尽かして、なかったことにして、それで今まで俺に手を出さなかったのか?というか……俺とそういうことをするのが嫌になったのか?
そういうことではなかった。たかだか指でも二本目となると伊達はひどく痛がって、真っ青になった顔で真田の肩にすがってきた。前もすっかり萎えてしまっている。なだめるように触れても、じっと歯を食いしばるばかりでからだの硬直はほどけなかった。ハンドクリームを一本使いきってベトベトになっても、伊達の呼吸は荒れたままだ。とうとうもういいからお前のを入れろと言ってきた。もうそのころには真田のもすっかり萎えてしまっていたので、伊達はそれを見てひどく恐ろしい顔をした。その顔のまま真田のものを掴んで口で触れようとする。慌ててその頭を引きとどめて、真田はもうやめましょうと言った。伊達は気難しい顔で真田を睨んでいたが、緊張の糸が切れたのかシーツにからだを沈めてじきに寝息をたて始めた。
痛い思いをさせてまでそういう関係になることはないと真田は考えた。アルコールが彼の中の記憶をすべて洗い流しているのならばむしろ好都合だった。今までどおり、伊達と野球を見ながら騒いで、彼の料理が食べられるのならばそれでいいと思った。ただ、時折くちびるをねだる伊達の顔が熱に浮かされたような、ぎらついた目をしているのが恐ろしかった。それはいやがおうなく真田の中の記憶を撒き上がらせて、彼の肌や粘膜の感触を叩きつけてくる。彼の部屋を辞したあと、何度かひとりで処理をした。
伊達は呆れたような顔をして真田を見上げてくる。そうして、両手で顔を覆った。何度かてのひらで顔をこすって、目だけを真田に向けてくる。……いつも、キスするときは俺からばっかりだし、俺は、あんたはこういうことをするのが嫌なのかと、そう思って、まあ男同士だし、しょうがねえかって、旅行だって、俺はそこのところをあんたにちゃんと聞いておかないと収まらないと思って、それで。
馬鹿みてえと呟いてまた伊達は顔をてのひらで覆ってしまう。とうとう真田に背を向けて転がった。真田はベッドに乗りあがって、その背中を叩く。政宗殿、帰りましょう。……だめだ、やるぞ、あんただってそのつもりでこんなところに連れてきたんだろ。そう言った途端、伊達のからだが伸び上がって、真田を組み敷いた。腰に撒いたタオルを取り払ってのしかかってくる。くちびるの端を舐められたかと思うと、遠慮を知らない舌が真田の歯の隙間から入り込んできた。奥の方で縮こまっていた真田のそれを引きずり出してひたひたと触れてくる。逃げるようにずり上がった真田のからだを押しとどめるようにして肩にてのひらがかかり、もう片方は足の間に触れてくる。恐ろしいと思う。しかしそれとは別に腹の底でぐるぐると撒きあがっていたものがはっきりと姿を現そうとする。手を上げ、伊達の耳のあたりから後頭部を撫でてやる。頬を包み、押しつけられるくちびるを、その舌を軽く吸った。かたくなってるぞと囁くように伊達が言う。
少しだけ体温の上がったからだをシーツの上に転がした。天井を見上げながら伊達は、なあここ鏡ついてるんだぜと言う。真田は膝で立ち、シャツのボタンを外しながら同じように天井を見上げた。波打った鏡が大の字の伊達と、その上にのしかかろうとしている真田を映している。
2月25日木曜日晴天、休憩日和その2(100530)