ゴウンゴウンと唸る乾燥機を前に伊達が伸びている。コンクリートが打ちっぱなしのコインランドリーには当然のように空調などついていない。真田は少しでも風が通るようにと引き戸を開けたままにして、テーブルの上に突っ伏している伊達にソーダバーの包みを差し出した。のろのろと起き上がった伊達は小さく礼を言って真田の手から水色の氷のかけらを受け取ってゆく。
 外では蝉が鳴いている。蝉の声はもう鼓膜を麻痺させてしまっていて、意識しないと鳴いているのか鳴いていないのか判らなくなっている。しんとした夜である。今日も伊達はランドリーを閉める直前にやってきて、シーツだろう大物の洗濯物を乾燥機に詰め込んだ。この気温なのだからシーツといえども三時間外に干しておけばすぐに乾くだろうに、それを指摘するとうちのベランダクソ狭えんだよ、とこぼす。物干し竿をさす位置がベランダの柵より低いのな、泥棒よけだってのは判るんだけど、そうすっとでかい洗濯物は下に擦っちゃうの。水平にしたてのひらを顔の横で降りながらソーダバーをねぶっている。はあ、と真田は相槌を打って自分の分のソーダバーのパッケージを破った。融け始めた甘い水が指に垂れた。真田はアイスを食べるのが得意ではない。冷たい氷をガリガリと歯でかむのが好きではないくせに、そうしないとあっという間に融けていってしまうからだ。
 シーツを乾かしている乾燥機の残り時間はあと十分である。壁にかけられた丸時計は十時半を示した。伊達はすっかりアイスを食べ終わっている。真田は融けて棒から落ちかかった氷のかけらを慌てて口の中に放り込んだ。歯で噛むとキンとこめかみが痛む。
 またテーブルに突っ伏した伊達が薄目で真田を睨んでくる。真田も負けじとだらしないかっこうをした伊達を見下ろすと、アンタ暑苦しいって言われないかと言ってきた。……何を言い出すのかと思ったら……。アンタがここに入ってきてから確実に気温が上がった気がする。気のせいでござろう。いや、気のせいじゃねえさっきより絶対暑い。近づくんじゃねえとガタガタと丸椅子を揺らせる。
 ……もうずっとそう言われ続けている。保育園小学校中学校高校、大学の広い講義室でさえ夏に真田が入室すると誰もが渋い顔で降り返った。古い型のエアコンは悲鳴を上げている。そのくせ冬になると降り返る顔はにこやかになるので、げんきんなものだと真田は思っている。もう慣れた。真田本人にその自覚はない。体温は平熱で三十六度六分である。至って平均的な数値であると思っている。故に、なにか他に原因があるのだろう。
 それを言うのなら、と真田は反駁する。そなたの静電気も勘弁していただきたいものですな。はあ? 冬だけかと思ったら、この湿度の高さでもお構いなしでござろう。言って、伊達の頭に手を近づけた。瞬間指の先に静電気が走る。覚悟はあったとはいえかなりの痛みがあった。伊達に触れるときはいつもこうである。雨が降っていても雪が降っていても曇りでも晴天でも、湿度にお構いなしに伊達は放電している。
 パシッと音がして手を振り払われた。そのとき、後ろの洗濯機がちょうどよくアラームを鳴らせる。真田の部屋の洗濯機は運悪く故障していた。気づいたのが今日の夕方である。メーカーに連絡をするも修理まで少しかかると言われ、一日ぐらいいいかとランドリーを使った。低音を響かせていたのが止まり、蝉の声がわっとランドリーの中に入り込んでくる。のそのそと真田は立ち上がり、バスケットに洗濯ものを詰めた。
 伊達はテーブルの上に突っ伏している。二言目には暑いとこぼすのが小憎たらしいと思う。乾燥機のタイマーはあと五分である。しばらくふたりしてそのタイマーを眺めていた。……乾燥機がタイムマシーンになるっていう映画なかった? 乾燥機ではなくて洗濯機では? そうだっけ。ええ。乾燥機はぐるぐると回っている。その中でシーツがぐるぐるとのたうっている。水が飲みたいなと思う。喉が渇いている。頬杖をついた伊達の腕が、汗をかいて白く光っている。真田はそれを少し後ろから眺めている。ラグランスリーブのTシャツがその下の尖った肩甲骨を浮かせていた。
 フィクションの中にしか存在しないその機械を真田は思い浮かべてみる。過去にも未来にもいける機械。机の引き出しから繋がる行き先。或いはプルトニウムが燃料のデロリアン社製のDMC。ゴウンゴウンと乾燥機は動き続けている。蝉の声が聞こえる。……タイムマシーンがなにか? いや、別にどうってことはないんだけど。バックトゥザフューチャーでもご覧になられたか。斜め後ろから眺める伊達はその真田の言葉に少し肩を揺らせて、ああ、と頷いた。そうだ、この間ダチと見た。
 乾燥機がアラームを鳴らせた。伊達は立ち上がって鞄に乾いたシーツを詰め始める。時計は十時十五分前を示していた。そろそろランドリーを閉めなければならない。シーツを鞄に詰め終わった伊達はもう一度テーブル脇の丸椅子に座り込んだ。蝉の声がする。乾燥機の音はもう聞こえない。タイムマシーンは止まっている。テーブルの上にソーダバーのパッケージがのたうって、小さな水滴が飛び散っていた。……過去になんか行ったらタイムパラドックスで大変なことになるから未来に行けばいいのになっつう話をしたんだ。
 そうして伊達は肩をすくめた。まあ、話の肝がタイムパラドックスなんだからしょうがねえんだけど。真田はすんと鼻をすすった。そうして洗濯機にもたれかかって、伊達を斜め後ろから眺めている。過去には興味はござらぬか。……どうだろな、あんまり考えてみたこともねえな。ならば考えてみればよい、あと十五分程ありまする。洗濯機も乾燥機も稼働していないコインランドリーは存在が曖昧である。伊達はそのふやけた輪郭をテーブルの上に突っ伏させた。……あんたは?
 未来ですかな。なんで? 来週、知り合いとフットサルの試合がございます故、敵方がどのような試合をするのか判れば対策も打てましょう。伊達は少し肩を揺らせて、真田を振り返った。前髪の向こうの目がまっすぐに真田を射る。何度か瞬きをした目は細められて笑みの形になった。サッカーとかするんだ? 人数が足らぬと言われましてな。ハハッと伊達は笑って降り返っていたからだをもう一度テーブルに突っ伏させた。サッカーね……、と呟いているのが聞こえる。あんまチームプレイとか得意じゃなさそうだけどな……。
 偏見にござろう。そうだな。そうだな、と伊達はもう一度呟いている。その首筋に汗が光る。真田もまた熱い息を吐いた。十一時五分前。丸時計はカチコチと針を刻み続けている。携帯のフラップの開く音がする。蝉の音がする。……天気は晴れるみたいだな。ええ。十一時三分前。真田はそっと伊達に手を伸ばす。髪に触れるその前に静電気がてのひらに走って、鋭い痛みがそこを刺した。思わず手を引っ込める。起き上がった伊達は目を丸くして真田を前髪の向こうから見つめてくる。……なに? いえ、別に、……そろそろ閉めまする。
 真田は立ちあがって洗濯物の入ったバスケットを持ち上げる。洗濯機と乾燥機の中身を覗きこみ、忘れもののないのを確認してブレーカーを落とした。ゴミ袋と自分の洗濯物を持ち上げる。伊達は鞄を肩にかけてランドリーの引き戸を開けている。真田もまたそれに続き、施錠をした。
 伊達の部屋の場所は知らないが、彼はいつもランドリー前の路を左に歩いてゆく。それじゃあと手を上げて夜闇の中に消えてゆく背中を見送って、真田もまた踵を返した。結局、行けるのならばどちらに行きたいかという問いの答えは聞けずじまいであった。……真田は先程静電気の走ったてのひらをまじまじと見つめる。何十年後かの伊達も、まだ静電気を走らせているのだろうかと考えながら、スニーカーで打ちっぱなしのコンクリートを叩いた。

サマータイムマシンブルース(120428)