夏のような青さをもう残していない草っ原に、それでも鮮やかに白が描き出され、それがあまりに陽を反射するので赤星は目を細くした。冬の陽は角度が低いが、その分視界に入りやすく、顔を少し上げただけでも白い点が網膜を焼く。唇をすぼめ手首で瞼を押さえるが、点は消えることなく瞼の裏に蠢いた。
河川敷のダイヤモンドからはひっきりなしに金属音が上がり、汚れたユニフォームを来た小学生が声をあげ、ボールを追いかける。赤星はそれから視線を外し、もう一度原に落ちた一点の白を見下ろした。気温が二十度にも上がらない冬に、Tシャツである。寝転がる風のそれに赤星は半分呆れ、それでも堤防を下った。一歩ごとにTシャツの白は視界を埋める面積を増し、コントラストは激しくなる。御子柴だとは気付いていた。声が聞けるまでの距離に立って初めて、御子柴がかすかに息を上げていることに赤星は気付く。
「なにしてんスか?」
御子柴は頸を捻り、そこに赤星を見つけて瞠目した。そして少し考える風に眉を上げると、
「あ、そうか、お前家近いんだっけ」
と一人で納得する。赤星は、なに一人で納得してんスか、と御子柴の隣に腰を下ろした。手に提げたコンビニの袋からペットボトルを出す。御子柴に突きつければ、遠慮をするも結局は御子柴は受け取った。フランスからやってきた水は今や三分の一ほど御子柴の胃の中である。
「サンキュな」
「いえ、どういたしまして」
唇の端に付いた水を親指で拭い、御子柴はペットボトルを赤星に寄越した。赤星は蓋の閉められたペットボトルを一時呆けたように見つめ、しかし別段喉が乾いている訳でもなかったので袋にまたしまった。
「なに、してんスか」
赤星はもう一度繰り返し、訳もなくコンビニを袋をいじくる。
「人待ち」
「誰?」
御子柴の指差す方向を辿れば、バックネットの辺りだ。ノックの音は先程からひっきりなしにしている。
「あのノック打ってるの」
「……あんにゃさんスか」
黒いトレーナの腕を捲くった長髪をかろうじて赤星は視界に納め、そうしてもう一度御子柴を見た。目は細まり、唇は緩んでいる。伸ばした腕を元通りに折ると、御子柴は後ろに倒れるようにして寝転がった。半袖から伸びた腕に枯れ草が刺さるのか、いろいろと動かした挙句腕を腹の上に置く。
「さっきまで俺がノック打ってたの。今は安仁屋と交代」
「折角の休みに」
「休みだからじゃねえの」
御子柴は軽く笑んだ。
「あのチーム、去年安仁屋がちょっとだけ面倒みてたらしいの。たまの休みだから、つきあえだってさ。まったくさ」
赤星は眼下、安仁屋に目を凝らす。金属バットの音と、子供の声と、時折安仁屋の声が空気を裂いた。冬の空気はそれだけで凶器である。赤星は頸をすくめた。
「一途だよね、安仁屋は」
耳に響く御子柴の声は酷く暖かく、赤星は居心地悪く尻を動かした。
「惚気スか」
精一杯の嫌味を込めたつもりだったが、御子柴は、はは、と笑ってそれを流した。塔子ちゃんに殴られる、と言って笑った。
「それにつきあうセンパイも充分一途ッスよ」
「止めろよ気持ち悪ぃ」
うわ鳥肌、と言って御子柴は上体を起こしパーカを着込んだ。丁度その時、グラウンドから一際大きく声が上がる。安仁屋が堤防を上がって来るのを赤星は見、肺の底から重い息を吐き出した。
「お、なんだ、てめえか」
上がってきた安仁屋は口を曲げてそう言い、トレーナの腕を捲くる。息の上がっている安仁屋に御子柴は指を指して、笑った。
「ノックで息切らすんじゃねえよ、スタミナねえな」
「五月蝿ぇ。手前だってさっきヒィヒィ言ってただろうが」
言って安仁屋は赤星に振り向く。傍らのコンビニの袋を指しながら言った。
「なんか飲むもんねえの?」
「センパイにやるもんなんて持ってねッスよ」
「んだと」
赤星に詰め寄る安仁屋を、御子柴は羽交い絞めにし止める。赤星は唇を歪めて袋から出したペットボトルを安仁屋の鼻先で揺らした。フランスからの水が狭い空間で揺れる。
「奢ってやっからそれくらいで切れんじゃねえよ。赤星も、ガキみてぇなことすんな」
安仁屋の肩口から顔を覗かせ、御子柴は呆れた声で言った。赤星は安仁屋を一睨みしてから、ボトルを持った腕を下げる。安仁屋もまた振り上げた拳を直した。幾分か多い髪をかき回し、堤防を上がる。赤星は音を立てて腰を下ろす。御子柴は、悪い、じゃあな、と言って赤星に背を向けた。
その声に振り向き、赤星は必死な様子で御子柴に手を伸ばす。視界は御子柴の背でいっぱいである。肩口から淡い色の空が覗いた。赤星は一瞬目を細める。精一杯伸ばした手は御子柴の腰の辺りの生地に触れたが、それだけであった。掠った感触に赤星は一つ溜息をつき、その指を握りこんで先程御子柴がしたように草原に寝転がる。
「一途」
そう呟き、あまりの虚脱感に赤星はかたく目をつぶった。
河川敷ドリーム(summer,2003)