幼いころのヒーローは宮本慎也だった。父親が神宮近くに勤めていたので、鼻水をたらしたがきのころには母親と、父親の仕事が終わるのを待って神宮に通った。雨でもないのに小さな傘をさして、東京音頭を調子外れに歌いながら、それでも目は宮本ばかりを見ていたし、俺は将来あいつみたいなショートストップになるのだとごく普通に思っていた。いつもは外野席で傘を振り回しているのを、ときどき父親は内野席のチケットを買ってきたりしていた。そのときばかりは傘を振り回すのは我慢して、大人しくグラウンドを見ている。神宮はブルペンが外にあって、内野席の最前列などでは投球練習がそれこそ目の前で行われていた。高津の球の素晴らしいこと!けれどもやはり目は内野に向いていて、宮本が三週間の深いところからグッと地面をふんばって一塁に送球するときなど、溜息をついて見ていたものだ。
小学校に入って野球クラブに入ったとき、利き腕を知った監督の体育教師が目を輝かせたのを沖は今でも瞼裏にありありと思い描くことができる。おっ、沖は左利きかぁ、それじゃあピッチャーを頼むな。……希望ポジションはショートです。そう言おうと開いた口はふさがらなくなってしまった。確かに自分と宮本の決定的な違いはなにかと問われれば、利き腕だということも承知していた。それでも幼い沖は、左利きでもショートをできるのではないかという、今考えれば噴飯ものの考えにすがりついていたのだ。
沖のスライダーは少し間違うと曲がりすぎて阿部が捕球できない、とんでもない方へ行ってしまうときがある。ランナーがいないならまだいい。しかしそういうのが出るときは必ずランナーがいるときに決まっている。ランナー三塁、ワイルドピッチ、一点献上なんてシナリオは沖でも真っ平御免だ。そもそも、野手を経験している沖には判ることだが、フォアボールやワイルドピッチは野手の士気にも関わるのだ。まだ打たれたほうがマシだ、と思う。
そういう話は同じピッチャーでも三橋とはできない。花井ともごめんだ。あれは周りの空気に敏感すぎて、時折相手に気後れさせてしまうきらいがある。自然、経験者である浜田と愚痴のこぼしあいになり、ハッとするととても情けない自分に気づいてしまう。そういうときは浜田もなにか罰の悪い顔をしていて、磨いていたボールをパッと放り出す。転がるボールはくるりと回ったかと思うと阿部のかかとにぶつかり、気づいた阿部がそれを拾いあげるのを浜田と一緒に呆けた顔で見てしまう。そうすると、阿部は沖と浜田がまた愚痴の言いあいをしているのだと気づいて眉をひそめてくる。もうそうなると笑うしかなくなり、浜田と揃ってにへらと笑って見せるのだが阿部は冗談が判らないので生真面目な顔をして睨んでくるのだ。その顔を見ると、どうにも申し訳なくなってしまう。
わが左手の不運(060402)