倒れこんだ先、しわの残ったシーツが頬に触れた。まだ制服を着替えていないので、ネクタイもシャツもこのままでは目の前のシーツと同じくしわになってしまうだろう。うつぶせになっていたのを、乳酸のたまる体に鞭打ちあおむけた。
 尻ポケットに入っている携帯電話を探る。もう家には帰っているだろうと思う。ほとんど緩んでいるネクタイをはずしながらコール音の続く携帯電話を耳に押し当てた。シャツのボタンをはずしかけたとき、通話のつながる音がして疲れた声で用向きを訊いてくる。
 悪い、忙しかった?風呂入ってた。英語の早坂、この間から授業で教科書の暗誦させるんだよ、一つでも発音間違えたらアウトになってクラス全員に宿題が出る。で?俺が真面目に授業聞いてないことぐらい知ってるだろ、発音記号なんか読めるかよ。
 暗誦させるのは本当だが宿題のことは嘘だ。河合のクラスとは担当教師が違った。新出単語だけでいいかという河合の申し出には首を振った。戸惑う様子に全部、と伝えた。河合のクラスの英語の授業が他よりも進みがはやいことは確認済みである。なるべく切羽詰った声を作ると、通話口からはなれる気配がした。教科書を取り出してきたらしい河合にあてられたページ数を伝える。俺だって完璧じゃないんだからな。苦笑いまじりの河合の声に口元を緩めた。そうじゃないんだと伝えたらこのお真面目な男はどんな顔をするだろうか。
 念のため、通話口を指でふさいだ。やがて耳に流れこみ始めた河合の声に集中して、頭を枕に沈み込ませた。
「慎吾」
 唐突に河合の声が明瞭になる。まどろんでいたらしくまぶたが重かった。それを無様に指摘され、なんでもないふうに馬鹿言え、と返す。助かった、多分大丈夫だと思う。そりゃよかった。……お前さ、下の名前で呼ぶの、初めてじゃねえ?
 一拍の沈黙があった。戸惑うふうに空気が揺れた。そうか?そうでもないだろ。もっかい言えよ。英文?違う。訳判んねーし。頼むから。……慎吾。
 今度こそ手で通話口をふさいで大きく息を吐いた。電波の向こうの河合の困ったような、それでも柔らかな目を思い浮かべ、きつくまぶたを閉じた。薄暗いまなうらに、ちかちかと光が瞬くのを尊いものに触れるような気持ちで見つめた。

ある孤独(050302)