祖父は酒がはいるとしきりに家宝の刀を自慢し、その刃の美しさや柄の握り心地を誉めそやした。そのころの長谷川はまだ十に達したばかりで、道場にはまだ入れさせてもらえずに庭から稽古の様子を毎日覗いていた。祖父が三代目のその道場はこの辺りでは一等強いと評判で、塾生も多くいつも賑わっていた。なかでも塾頭は頭一つぬきんでていて、やれどこぞの道場から引き抜きの話がきているだの、名の通った流派の師範に非公式で勝っただのと噂が絶えない。幼い長谷川は竹刀に見立てた枯れ枝を両手に握り、ささくれが手のひらを指しているのにも気づかずに見よう見まねで腕を上げ下げした。ときおり塾生の一人が暇を見つけては長谷川に竹刀の握りや礼儀作法を教えた。祖父はそんな熱心な長谷川をいっそうかわいがってくれたが、それでもそのときにはもう長谷川の力の果てを見限っていたのかもしれない。道場に上がり、朝から晩まで稽古をしても長谷川の札は下から数えた方がはやいところに下げられたままだった。自分には剣術の才能がないのだと気づいた頃、江戸の真ん中で大きなことが起こった。
長谷川の父親は道場にはいないことのほうが多かった。長谷川の産まれるとうの昔に四代目を襲名したが、ろくに道場で教えない様子に痺れを切らした祖父が引き続いて塾生を指導した。祖父は隠居した身なので考えてみればおかしなことだったが、塾生は誰も文句は言わなかった。おそらく父が指導をした場合には道場は寂れてしまっていただろう。父にはその才能はあったが、いかんせん剣術にまったく興味がないようだった。金策に背を追われ、相手にしてくれない父親の姿しか長谷川の記憶にはない。
天人襲来に端を発した攘夷戦争は長谷川の長ずるにつれて激しさを増し、道場の何人かがその流れに身を投じた。あの塾頭もまた例に漏れない。何年かして白い箱になって戻ってきた塾生たちの後を追うようにして、祖父もまた息を引き取った。最後までその衰えた体に鞭を打ち、祖父は攘夷を唱え一帯の武士達に激を入れていたが、小さな棺におさまった祖父は、なるほど相応に歳を重ね世を去ったというのがぴったりくる様子だった。あの小さな、骨の浮いた手ではもう木刀はもちろん家宝の刀だって握れそうにない。
祖父の葬儀が終わって一段落ついたあと、長谷川はこれが最後かもしれないという気持ちで家宝の刀のしまってある部屋に足を踏み入れた。そこは道場主を襲名しないとは入れない、つまり今のところ父しか入れない部屋だったが、このところ家を空けることの多い父親がそれを咎めるとは思えなかった。道場は五代目を待たずしてつぶれるだろう。なにしろ長谷川の腕は自分でも顔をしかめるほどだったし、攘夷戦争が始まって塾生はてんでちりぢりになってしまった。塾生を集めようにも指導者がいない。塾生がいなければ金子も入らない。母親はとうとう内職を始めていた。
床の間に仰々しく飾られた家宝を前にして長谷川の胸は鳴った。祖父の自慢だった刀、その刃のきらめきを想像して息を吸いこんだ。捧げた手は震え、その様子に苦笑いしながら長谷川は鞘と柄に手をかける。思いのほか、軽い。これでは道場の木刀のほうがまだ重い。なにしろ長谷川は真剣を知らなかった。こんなものかと思った。
崩した足を正し、鞘を抜こうと力を入れる。胸が高鳴る。重い手ごたえのあと長谷川の目に晒されたのは、期待した金属のきらめきではなく、見慣れた竹の繊維だった。ああ、と長谷川は全てを理解した。
家宝は四代目襲名のその夜のうちに質に流れ、父の金策の一端となっていた。母親は随分前からその様子に気づいていたが、どうにも言い出せずにいたと涙ながらに長谷川に告白した。もうどうにもならない、これで道場もしまいだと思えば次に踏み出しやすいだろうと母親を慰めたが、しかし長谷川にはその刃のきらめきを最後まで見れなかった悔しさが残った。竹光では、どうしようもない。
父は天人相手に商売を始め、それが驚くほどに軌道に乗った。金策に困って走り回ることもなくなり、みっともないという理由で荒れた道場も手直しがされたが、もう竹刀を振る掛け声の戻ることはなかった。長谷川は父親のツテで官庁に出入りするようになり、紆余曲折を経て重鎮にまでのしあがる。
その腰にあるのは、天人の持ち込んだ黒く重たい金属の塊であって、けしてこの国の土地と技術のつくった日本刀ではない。
「近藤さんよ、そいつで人を斬ったことがあるか?」
近藤はあいまいに笑うだけで長谷川の問いに答えることはなかった。
彼の言う事には(050102)