あのサングラスの男、見たことがあると思ったら入国管理局の重鎮でした。俺は一回護衛についたことがあるのでよく覚えています。桂の一派ほどじゃないがそれなりに大きなテロ集団で、そいつが、その人の首を狙ってるっていうタレ込みがありまして。向こうの依頼もあって一人二人見繕ってちょっとばかり出向きました。あっちはあっちで仕事が忙しい。デスクワークが終わったかと思うと天人の送り迎だ、酒の相手だで秒刻みです。随分と骨が折れたがめでたく鉄砲玉の二人をとっ掴まえました。土方さんが随分と無茶な拷問をしたんです。鉄砲玉の、舌を挟んでおいた板切れに歯型がめちゃめちゃについてましてね。こめておいた部屋も小便や糞で臭くてかなわなかった。おかげでねぐらもつきとめられて、やつら全員とっ掴まえたっていう、話です。
そのあとです。あのサングラス、礼だって言ってビール十ダースぐらい寄越してきた。顔も見せましたよ。部下に車運転させてきて、屯所の土間にダンボール積んでいった。原田のおっさんがえらく喜んで、いい仕事したなあって大騒ぎです。次の日当番だってのに見回りにも行けねえで、二日酔いのが道場まで倒れこんだ。あれはもう見たくない光景です。酒なんざ飲むもんじゃねえ。
局長は上に呼ばれて留守にしてました。報告書は書きましたが、俺の汚い字のことだ、読み飛ばされたんでしょう。
話はこれからです。この間ちょっと歌舞伎町まで行ってきたんです。非番の日の夜です。あの万事屋の横の路地で酔っ払いが一人吐いてましてね、臭いのなんのって。風の強い日で、風上だったんでそのあたりにぷうんとすえた臭いが広がってる。あの時分の歌舞伎町っていったらまだ人も多いっていうのに、道行く人はみんな鼻をつまんでました。俺もとうとう我慢ならなくなって、走り抜けようとしたんだが、これが聞き覚えのある声がする。耳をすませてみると、これだから奥さんにも逃げられるんだだの、酒か煙草のどっちか止めたらどうだだの、きちんとした仕事は見つかったのかだの。よくよく見てみれば吐いてるやつの背中をさすってやってる御仁がいる。それが局長だったんです。見回りの途中だったんでしょう。隊服の袖のあたりをゲロで汚して、酔っ払いの背中さすりだ。少し様子がおかしいんで少し離れて見てたんですが、いっこうに路地裏から出てこない。そしたら今度は胃の中のもの全部吐いて、その中に座り込んで今度はべそべそ泣いている。局長は肩を叩いて泣き止ますのに必死だ。その酔っ払いが例のサングラスだったんです。どこがどうなってそうなったのか知りませんが、人には人の事情があるんでしょう。豪農の放蕩息子で色狂いが、俺の上司にもいるっていうんだから不思議はない。
その日結局局長は屯所には帰ってきませんで、朝の、鶏の鳴くころにのっそり帰ってきてそのまま布団に倒れこんでしまいました。目の下にクマまで作ってうなされて起きてきたのは昼の三時だ。朝帰りにしては色気がありませんぜって言ってやったんですが、無反応で、ああとかうんとかを返すばかり。ろくに返事もしてくれないんで俺もとうとうしびれをきらして、昨日の夜の人ですかい、朝までご苦労なこったって、言ってやったんです。見る間に顔を青くしたと思ったら、今度は目のあたりを赤くして顔をそらしてくる。これはもう面白くない。腕をつかむと振り払われて、その手をじっと見ていると、今度は泣きそうな顔ですまんと言う。そう言われると俺も邪険にはできなくなって、誰にも言いませんぜとだけ言って部屋に引っ込みました。障子もふすまも閉めきって、暗い部屋で一人で息をしているとどうにも苦しくなってしかたがない。ああだめだ、こいつはもう、あの男を斬ってしまうほかしようのない、だからどうしようもないことだと思うと悲しくて悲しくて、相当悔しく思ったものです。
柘榴はぜる(050103)