店の一番奥の酒のコーナーを一通り物色して、星野はすっと伸ばした手を迷わせることなく黒いずんぐりとした瓶にかけた。黒霧、飲めるだろ。返事をする前に黒霧島の瓶は緑の籠に放り込まれた。つまみのパッケージが無残な音をたてる。星野はちゃんぽんを気にしない。迷わず冷蔵庫の戸を開けるとアサヒのドライを何本か掴み取った。いっそすがすがしい思いで大羽はその様子を見つめていた。
会計を済ませて大羽がビニル袋を持ち上げると、待っていたように、星野は手を上げた。便所行ってくる。先行ってていいよ、すぐ追いかける。また、大羽が返事をする前に星野は踵を返して店の奥へと消えていく。自動ドアをくぐりぬけると、いくぶんか冷たくなった風が首もとから入り込んだ。大羽はそのかたわらに腰掛けて上体をかがませた。膝頭が胸を押した。ゆるくなった靴紐を結びなおしていると、自動ドアの開く音がする。紐に手をかけたまま見上げると、逆光に星野が大羽を見下ろしている。先行っててって言ったのに。……靴紐ゆるんどったんじゃ。星野は大羽のかたわらにひしゃげたビニル袋を持ち上げると、パーカーの首もとを押えた。さっみーな。店で飲んだ分の暖かさはどこかに逃げてしまった。大羽は、長袖の袖口を引っ張るようにしてジーパンのポケットに手を忍び込ませた。
星野のグラスが空になっている。大羽は氷を追加して、瓶の中身をそそぐ。星野はテレビに目をやったまま、手だけを動かしてグラスを持ち上げた。その重さにぎょっとして、大羽に目をやる。大羽は知らぬふりをして空になった缶をテーブルの下に集めた。高校のときの友達にすっげえ酒好きなやつがいてさ。そいつ普通に四大行ったんだけど。バカとしか言いようがないっつうか、大学に酒持ってってんの。純の二十度。それ飲みながら講義受けて案の定単位落としたって。
星野の口が滑らかに動くのを、大羽は少し顔をしかめて見つめた。酒を飲んでいるときはいつも星野は少しだけ喋りにくいふうに話すのに、今日はそんなそぶりは全然見せないままだ。黒霧島の瓶はもう半分以上が空になっている。星野の酒の強さは普通程度だ。少なくとも、大羽はそう思っている。大羽もそう酒に強いわけではない。今だって、さっきまで飲んでいたビールの泡が胃を重たくしている。
星野の手がリモコンに伸び、乱暴に電源ボタンが押れた。ブツンと音をたててブラウン管が暗くなるのに、大羽は目を見開いた。ベッドに寄りかかっていた星野はそのまま背をずるずるとこすれさせ、床に体を横たわらせた。悪い、ちょっと寝る。酒瓶とか、そのままでいいから。語尾が低く床に這いずるようだ。丸くなった背中の向こうに、携帯電話の光る画面が見えた。風邪ひくけぇ……。うん。
フリップが音をたてて閉じられる。大羽ぁ、キスしよっか。
……大羽がなにも言えずにいるのを、星野は体をひねらせて見ていたが、やがてくちびるをゆがめてにっと笑った。ごめん。テーブルの下に大羽が集めた空の缶を手の中におさめると、大羽の傍らを通り過ぎて部屋を出て行く。ドアがゆっくりと閉められるのを背中で感じながら、大羽は星野の黒霧島の入ったグラスをじっと見ている。
星野はそれから帰ってこなかった。少なくとも、大羽が星野の部屋にうずくまっていた一時間のあいだは星野は帰ってこなかった。
透明すぎる時間(060102)