禍福は糾える縄の如し 1 (100Text 049:竜の牙)

どぉん。
激しい音がして煙が上がった。



「僕と契約しませんか?」
「…は?」
少年は動かない首を内心で傾げた。
「言葉通りですよ。15の身空で死にたくは無いでしょう?雲雀恭弥君。」

少年こと雲雀恭弥は今。
高速道路で中央分離帯に衝突し、横転した車の後部座席に居た。
シートベルトのおかげで体は投げ出されなかったが、体は間抜けにも吊り下げられていた。潰れた天井は極々側だが。
高級国産車は激しく潰れ、ガソリンの臭いが充満している。
もう間もなく。

「…爆発しますよ、この車。」
だろうね、とは言葉にはならなかった。気管も潰れ掛かっている。
手も足も感覚は無い。折れているのかそれ以上かとは思われるのだが。
しかし痛みも苦痛もなかった。
「君の気管は折れた肋骨に激しく押し潰されてますね。千切れそうな右腕も、折れて違う方向に曲がっている右足も僕が居るから痛くないんです。今にも召されてしまいそうな君の苦痛を僕がほら…」
目の前で楽しそうに笑う男の手の中で何かが輝いている。
「ああ、なんて甘くて美味しそうな苦痛なんでしょう。早く食べてしまいたいですよ。」
そう思うならさっさとすればいいのに。雲雀は心の中で言う。それは男には筒抜けなのか、的を射た答えを返してきた。
「いいえ、契約の無い魂からは如何なる物も奪えないんです。だから契約しましょう?」
一体なんだろうこの男は。死神だろうか。
「違います。僕は所謂悪魔、と呼ばれる者です。」
にっこり。
そう表現するのが正しいだろうその笑顔。
……何と胡散臭い。
「失敬ですね、君。僕は魔界でも名高いコレクターなんですよ。美しい人間の魂と記憶を収集してるんです。」
自分で更に胡散臭さを上乗せしたのだと気が付けばいいのに。
「やれやれ。御覧なさい、ほら…貴方の目にも見えるでしょう?僕のほかにもたくさんの魔物が君の輝くような魂を狙ってきている。でも僕がここに居る限りあれらは寄ってきません。」
空を指差す目の前の(自称)悪魔(らしい)に言われて目をやれば、絵本に出てくるような羽の生えた歪な生き物が飛び回っていた。
自分をじっと見つめながら。
何とムカつく厭らしい目。
「ふふ、やはり君は素晴らしい。お願いです、僕と契約しましょう?」
それには小さく首を振る。否、振ったつもりだった。
「仕方ありませんね。では少しだけこの綺麗な苦痛を返してあげましょう。耐えれますか?今の君に。」
自称悪魔は手の中の光を小さく千切り、ひょいと雲雀に差し出す。それは体にふわりと解けるように消えた。
「っっ!ぅ、ぐぅっ!!!」
出ないはずの声が漏れる。
呻く。
痛みは容赦なく体を駆け巡り、動かない腕を動かしてもがいた。


「君は声も何と甘いのか……さあ、頷くだけで良いんですよ、それで契約完了です。楽になりたいでしょう?」


甘い甘い囁きに。
雲雀は自らが頷いたかすらも解らなかった。





「…で?」
「で?ってなんです?」
「何で君が居るの!それにあの時見みせた姿と随分サイズも違うじゃない。」
悪魔がしつこく契約を迫ったときはもっと背も高く、括られた髪は腰ほどまであったのに。
今、見舞いと称して満面の笑みを浮かべる悪魔は自分と同じほどの年頃だ。更に髪も短いが、天辺の跳ねた髪は健在。
「当然じゃないですか。君と僕は正式な契約で結ばれましたから、僕は君の魂と記憶を貰えるんです。ずっと側で守りますよ?寿命が尽きるその日まで。天寿を全うし、たくさんの記憶を刻み込んだ魂にこそコレクションの価値があるんです。」
ずっと側に居ても怪しくないように姿も変えたのだという。
「ああそう。そもそも僕の寿命ってさっきの事故までじゃないの?」
雲雀の乗っていた車は原型も留めていないほどに破壊され、今にも火の手が上がりそうな車内から一人、奇跡的にも軽い怪我で助け出された。運転をしていた父親、助手席に居た母親は即死だったそうだ。
「君を含め、君の両親もあの事故で死ぬ筈はありませんでした。ですが君の命を狙って馬鹿なことをした悪魔が居るんですよ。ですから僕は無理に介入してまで君を助けました。上手くいってよかったですよ、本当に。」

心底嬉しそうに笑うその顔に騙されそうになる。
これは悪魔で      信じたくは無いが、そうでもしないと辻褄が合わないことが多すぎる      あり、自分の魂を狙っているのだ。
そして記憶も。

「でも僕は…」
「…なんです?」
「大きい君の方が好きだ。あくまでも顔の造作の話ね。」
それには悪魔も面食らったのか。朗らかに笑っていたのにぴたりと止まってしまい。
こちらが驚くほど赤くなったのだ。
「ちょ…っ!!き、君は何てことを…っ!」
「何てことってホントの事だよ。意外と純情なんだね、悪魔って。」
「そんな訳無いでしょう。僕に純情なんて語弊があるにも程がありますよ。」
ぱたぱたと手で仰ぐ姿は面白いほど年相応に見える。
「ふーん。まあ退屈はしなさそうだね。」
「させませんとも、僕が居る限り。ああそうだ、一緒に居るには便宜上の名前が要りますね………六道、骸…でいいでしょう。」
「……今度は呆れるほどセンス悪いし。」
「恭弥君、君ねぇ…」
悪魔こと六道のくるくると変わる表情はなかなかに楽しい。
「良いよ、側に居ることを許してあげる。」
「Si、ありがとうございます……しかし流石はその魂に竜の牙を隠しているだけありますね。簡単な一言にこちらが殺されそうですよ。」
最後の言葉は小さく、雲雀には届かなかった。怪訝な顔付きで六道に詰め寄る。
「ねえ、最後はなんて言ったの?何が殺されそうだって?」
「何でもありませんよ。さて…正式な契約履行の為の手続きと行きましょうか。」
「契約履行の手続き?もう勝手にだけど正式に契約とやらはされたんじゃないの?」
「クフフ、まさか。別に辛いことでも何でもありませんから。君はそのまま楽にしておいてくださいね?」

六道はベッドに横たわったままの雲雀の顔の横に手を付いてにこりと微笑んだ。
何やら嫌な気配を察知し、雲雀が慌てて逃げを打とうするのを押さえ込み。
素早く唇を塞いだ。

「ん…!?」
「…ふ、ふふ…っ」
深く深く口付けながら六道が喉で哂うのが伝わる。
抗議をしようとも押さえられた手はびくともしなかった。喉奥まで侵入し、更には上顎を舌でぞろりと撫でられると体中から力も奪われていく。
余す所なく舐められ、ぐったりとベッドに沈んだ。
「ふ、ぁ…っぅ…」
「もっと…してあげましょうか?」
霞が掛かったような思考でぼんやりと六道を見遣る。
「なに…やって、んの…」
「何って…人間で言うところのキスでしょう?これにて半分完了です。あとの残りは…ここを出てからですね。」

後の残り。

それは何の残りで、何をするのか。
雲雀には見当も付かない。
「…へえ、ここまでしても解らないとは。本当に知らないんでしょうかねぇ…。白痴ですか?」
「誰が白痴だって?!」
「そういう言葉はご存知なんですか。本当のお莫迦さんじゃないみたいですね。身を交えてこその契約ですよ。契る、と言うでしょう?」」
「ちぎ…る…?」
「解るでしょう?契るとは性交の事ですから。君の体の奥深くまで僕の楔を打ち込んで、熱く交わ…って!危ないですね!」
「死んでくれないかな!!このド変態!!」
うっとりと語ろうとする六道を力の限りに殴ろうとするも、未だ点滴のチューブに繋がれている上に、半分以上が治されているとは言え怪我はまだ多数ある。
痛みに唸り、ベッドに突っ伏してしまった。そうなると起き上がるにも苦痛で。
「おやおや、無理をしますね。たくさん寝て早く治さないと…さあ、もう少しお休みなさい。」
六道が雲雀を抱き起こし、暴れる体を押さえ込んで瞼に手を乗せる。
離せと喚き散らしていた体もあっという間に大人しくなり、寝息に変わった。これ以上負担をかけないよう、六道が呪を掛けたのだ。


「何も知らない体に極上の快楽を教えてあげましょう。クフフ…楽しみですね。」
少し長めの前髪を指で払い、秀でた額に唇を落とした。

「君が誕生日の今日、出会えて本当に良かった。竜の牙諸共、全てを手に入れるのは僕ですよ…」





END