言葉は貴方へ僕らから 前編

ちゃぷり。
湯煙が立ち込める中、二人の影は満足そうに息を吐いた。
空には明るい満月が昇っている。

「君にしては気が利いたところだね。」
「そうでしょう?頑張ってリサーチしたんですから。君に喜んでもらえるならその苦労も報われるというものです。」

ここは一室ずつ全ての部屋に露天風呂が設置されている「超」がつく高級旅館。
特別には大きくない旅館だが、料理や部屋の細部に至るまで贅が尽くされているのだ。
二人が今いる貸し切り露天風呂は自然石を使った落ち着いた佇まいで、周りに人の気配はない。
風呂の側を流れる川の流れる音が耳にも心地良い。
日本を       実際は並盛をの間違いなのだが      こよなく愛する雲雀のため、六道はそれは苦労してこの老舗旅館を押さえた。
先日、ふとした弾みで雲雀の機嫌を激しく損ね、名誉と機嫌の挽回のために奔走したのだ。
何とか旅館をリザーブできたが、今度は此処へと連れて来る為に筆舌に尽くしがたい苦労をした。
柔らかい泉質の温泉は六道の疲れも溶かすよう。

「先日は本当に済みませんでした。この程度で許して貰えるとは思いませんけど、少しでも…」
「もういい。これで水に流してあげるよ。」

日が経つにつれて、雲雀も少々大人気なかったかとは思っていた。
しかしそれを言葉にするのは面映く、中々言い出せずに結局拗ねた振りを続けていた。しかも謝りたくとも六道はあの喧嘩以来行方不明で。
数日し、漸う姿を見せたと思えば。
開口一番は「日本へ行きましょう。」だった。
謝りもしない六道に、なんだかそれに簡単に乗ってやるのは癪な気がして、ついつい大暴れをして。
結局、六道の移動術でこの旅館の前までやってきた。

「……まあ、謝りもしないなんて……全面的に悪いのは僕の方なんだけどね。」
「何か言いましたか?恭弥君。」
小さな呟きはせせらぎの音に掻き消され、六道には届かない。
「いや、何でもない。」
檜の桶に入れられ、お湯に浮かんでいるお銚子のセットからお猪口を取り出して手酌する。
「ああ、言ってくれれば酌ぐらいしますよ?」
「ん。」
だが雲雀は飲み干したお猪口を差し出した。
「…注いで下さるんですか?」
「……此処のお礼と、この間、の……お詫び。」
「そんな…僕にだって非があるからこそこうしてお詫びを準備したんです。」
「そう、かもしれないけど…。どう考えても僕の方が9割方は悪いでしょ。」
はっきりとした謝罪の言葉ではないけれど、雲雀の精一杯の誠意は確りと六道に伝わった。
心はそれに酷く満たされる。
そうすれば欲がむくりと頭を擡げ。
「…恭弥。」
そっと名を呼び捨てる。
それは情事の最中のみの秘密。
雲雀がぴくりと反応したのが手に取るようだった。
「ちょっと、…骸。」
「もう我慢出来ません。お願いです、僕に君を抱かせてください。」
「……まあ、いい…けど。」
決して酒のせいだけでなく、耳まで赤くした雲雀は小さく頷いた。
「ありがとうございます…」
「…って!此処でする気かい?!」
「いいじゃありませんか。誰も来ませんよ。それに此処は貸し切りですし…」

六道の手が、湯の中で雲雀の腰を抱いたのと同時に。
どぉんと大きな音がして、湯気とは明らかに違う鮮やかなピンク色の霧がもうもうと舞い上がった。

六道ははこれが何か知ってる。
10年バズーカの作用による煙だ。
と言うことは、目の前にいるはずの彼が……。
冗談ではない。折角此処まで必死で練り上げ、画策してきたのだ。
たった5分でも惜しいに決まってる。
可愛い10年前の彼が如何ではない。今が一分一秒でも惜しかった。
「恭弥君!」
思わず上げた声に。
「…え、骸?君、居るのかい?」
煙の向こうから答えたのはよく知る大人の彼の声。雲雀もこの煙の正体を知り、六道が入れ替わってしまったと思ったのだろう。
「……ちょっと、僕の名前を勝手に呼ぶのは誰。それよりも今、『骸』って言わなかった?」
そしてもう一つ。
未だ幼さの残るその声は。

ひゅうと小さく音を鳴らして川沿いの露天風呂を風が吹きぬけ、目にも毒々しいピンク色の霧は晴れた。
「…え?恭弥君…、が二人…?」
そこには良く知る大人の彼。
そしてもう一人。
湯の中に仁王立ちし、腕を組み。機嫌最悪ですと眉間に深い皺を刻んだ、幼さ残る雲雀がいた。
「此処は何処で、貴方たち誰。僕はどうして此処に服を着たまま温泉らしき中に立ってんの。」
「……その前に君、靴ぐらい脱ぎなよ。」
「…恭弥君、ツッコミどころ間違えてます…」
その声に立ち尽くす幼い雲雀はぐるりと振り向いて、湯に浸かる雲雀をじっと見た。
「……もしかして、僕…?」
「もしかしなくても将来の君だよ。あっちは骸ね。」
小さい雲雀は指差されるままに再び正面に向き直る。

「六道骸……此処で会ったが百年目、だよ。」

その目に煌々と殺気を燃やして。
トンファーを手に、腰を低くして構えた。




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