深潭なる闇からの使者 前編

「来たね…」
黒髪の吸血鬼はそっと北叟笑む。



無駄に長く生きている。
別に長く生きていたい訳ではないが、生まれた落ちた一族がそういう生き物なのだから否定はしない。
自分から死んでやることはないし。
だが退屈なのは頂けない。
偶に力のある人間と当たる事もあるが楽しいと感じるのは一瞬だ。
人間は脆い。
あっという間に壊れてしまって、また退屈な時間がやってくる。
仕方ないから 『狩り』 と称して適当に人間を襲った。そうすればハンターと呼ばれる少しばかり力のある人間が呼ばれてくる。
それらと向き合う瞬間こそが生きていることを実感させた。

さあ早く。
僕を退屈から拾い上げて。



ハンターの男は依頼された街の町長から預かった地図を片手に森を歩いていた。
森は複雑な小道が多く、廃墟に住み着いた吸血鬼の根城まではそうそう簡単に辿り着けないという。
「森に地図とはね…。次は……」
「僕の城に行くなら、そこの大きなブナの木を左だよ。」
唐突に掛けられた声。
ハンターの男は慌てて声のする方を向いた。
今まで一片の気配すらなかった。否、感じ取ることをさせなかったのだ。
「君が…」
「うん、きっと君が探してる目的の怪物なんじゃないかな。」

元より吸血鬼族は美形が多い。
それを裏付けるように目の前にいる吸血鬼は美しかった。
痩身長躯で黒髪黒瞳。
ゆったりと樹の幹に身を預け、赤い唇に薄く浮かべた笑み。小さく傾げた首にかかる艶やかな黒い髪。闇にあってなお輝く白い肌。
思わず生唾を飲む美しさだった。

隠すことを止めた魔力はハンターの肌を痛いほど身を刺していた。だが黒曜石のような瞳を見詰めていると意識に霞が掛かるよう。
目を逸らそうと思っても、縛られたように動けない。
「ねえ。」
掛けられた声にぼんやりとしていた意識が戻った。
「…術、に掛けられましたか。しかし何故術を解いたんです?」
「掛けられましたか、じゃなくて勝手にそっちが僕の眼を覗くからでしょ。ハンターの癖になんて馬鹿なの。そうじゃなくて、早く始めようよ……殺し合いを。」
退屈も待たされるのも嫌い、とこれからの殺し合いを想像してか吸血鬼はうっそりと微笑んだ。
「いいですよ、完膚なきまでに叩きのめして上げましょう。君の望むままにね。馬鹿と言ったのも撤回させてやらなければ。」
「ふふ、出来るものならやってご覧よ。」



薄暗い森の中、金属音が響き渡る。
「…ハンターが三叉槍トライデントなんて。何処の悪魔族かと思ったよ。」
「君こそ随分と珍しい。東洋の武器を使うとはね。」
互いに隙を狙い、力を込めて交差した武器を叩き込もうとする。
何度目かの剣戟の合間、ハンターの手に持つ穂先が吸血鬼の右肩を掠めた。

途端。
吸血鬼の右手からトンファーがからりと落ちた。

「…な、っ!」
「力が入らないでしょう?」

落ちたトンファーを拾おうとしてそのまま膝を付いてしまう。
立ち上がろうにも右腕は勿論、足もまるで言うことを聞かなかった。
無理に力を入れようとしても震えるばかりで。それは間もなく全身へと広がる。

「君…何者?」
「ハンター、と君が言ったじゃないですか。」
薄っすらと笑みを浮かべたまま近寄ってくる。
「今まで…こんな事、なかった…よ。」
麻痺は吸血鬼の呼吸も乱した。睨みつける瞳も力を失くす。
「僕は君たちを殺すことにのみ特化した生き物ですよ。」
「…ヴァン、ピールか…」
「ええ。忌まわしき吸血鬼の血がこの僕にも半分流れています。ですが残り半分の人間の血が騒ぐんですよ、君たち純血種を殺せと。」

殺しても殺しても復活を遂げる不死なる純血種の吸血鬼を完全に殺すことが出来るのはヴァンピールのみ。
それは人間と吸血鬼の間に生まれた子を指し、不可思議な力を持ち合わせる。

ぐらりと傾いだ吸血鬼の痩身をハンターが受け止めた。
「…は、なし…て…。さっさ、と殺し、な…よ…」
ぜぃぜぃとなる気管が言葉を紡ぐ邪魔をする。
「…そうですね、そうしましょうか。」

綺麗に笑う。
そう思って、吸血鬼は最期の目を閉じた。





「……どうなってる訳、これ。」
「どう、とは?」
「ここは僕の城でしょ?何を勝手に上がり込んで…」
「良いじゃないですか雲雀君。」
「良くない。しかも勝手に僕の名前を呼ばないで。」
吸血鬼こと雲雀は広いベッドに放り出されていた。
とは言えそこは元より雲雀の寝室であり、ベッドであるのだが。
呼吸も会話も普通に出来るが、体は一向に動かなかった。
「しかし君は凄いですね。この僕の術においても名を捕ることが出来ませんでした。苗字までが精一杯でしたよ。」
「名を捕る?…へぇ、それは凄い。」

吸血鬼をはじめ、魔に属する者にとって名前は全て。
それを捕られるということは支配権を奪われるもの同じ。
雲雀の全身を殺気が包んだ。
上級魔性であればあるほど、その屈辱は耐え難い。怒りに震え、睨みつける瞳は当初に会ったときよりも更に魅惑的だ。

「そうして怒りに滾る姿も美しいですね。ですがそろそろ…吸血鬼退治と参りましょうか。ねえ、雲雀君。」
雲雀の眼を覗きこんで男が哂う。
もう君の蠱惑術には掛かりませんよ、と小さく告げて。
雲雀のシャツを引き裂いた。




NEXT…?