Fish bone
「……久しぶりだな、ここに来るのも」
御堂はそう言うと、コートのポケットから鍵を取り出し、ドアを開ける。
軋む音の後に広がったのは、御堂の住まいと変わらない、シンプルな家具で調えられた空間だった。
「……」
ドアの前で呆然としている克哉に、御堂は問いかけた。
「どうした。何かあったのか?」
「いえ……十八世紀の建物、って伺ってましたから、もっと、こう……」
克哉は、眼を彷徨わせながら、手で花の模様を空に描きつつ、言わんとするところを探すような口ぶりで御堂に告げる。
その克哉の様子に、御堂はくっ、と笑った。
「なるほどな。なんとなくわかったぞ。君がこの部屋に想像していたのは、つまり、ベルサイユ宮殿のようなものだという事で正しいのか?」
「あ、それです。それ。花柄いっぱいで金色で埋め尽くされたロココ、って感じの」
克哉が意を得たばかりにぽんと手を打つのに、御堂はますます笑みを深めた。
「生憎、今はそんなインテリアを持つアパルトマンは少ないだろう。この街と同じく」
「え、そうなんですか?」
「ああ。パリは十九世紀、ナポレオン三世によって区画整理されて以来、街の様子が一変したからな。それに、そんなごてごてした家具に囲まれて過ごすのは、私の趣味ではない」
「なんか、御堂さんらしいですね」
異国でも、自分の主義を貫くあたり、御堂らしいと克哉は思った。
それにしても、と、克哉は室内を見回した。
フランス出張の時はホテルに泊まったから、この部屋は使用していない。だが、東京の御堂のマンションのようにきっちりと整理整頓され、清掃の行き届いた室内に克哉は違和感を覚えた。
「御堂さん。この部屋、どの位空けていたんですか?」
克哉に問われて、御堂は腕を組んで床を見つめる。
「そうだな……二年ほどになるか」
「え!でも、お部屋、こんなに綺麗ですよ?」
「ああ、御堂の実家の執事から、このアパルトマンの管理人に連絡をするよう伝えたからな。この建物一帯は御堂の所有になっているから、管理人がハウスキーピングサービスを頼んでくれたんだろう」
「……」
事も無げに言う御堂に、克哉は改めて御堂との経済観念の差を実感した。
正直、御堂のアパルトマンに行くと告げられた時は、時期もあってか、フランスでの大掃除だな、と思っていただけに、その発言に度肝を抜かれた。
「どうした、克哉。何か問題でもあるのか?」
御堂が心配そうに呆然とした克哉の顔を覗きこんでくる。
「い、いえ……御堂さんて、やっぱりお金持ちなんだなって思っただけです」
「……お金持ち、か」
御堂はそこで自嘲的な笑いを浮かべた。
「まあ、私の家は資産が無いとは言えないが、金というものは時に厄介だ。正直に言えば、私より、私の資産が魅力だったという人間もいるからな」
最も、君は除いてもいいのだろうが。
いつもの冷静な御堂には珍しく、ほんの少しの憂いを含んだ眼で見つめられ、頬を撫でられ、克哉はどきりとした。
金銭関係も人間関係もドライに見える御堂にも、何かしら思うところがあるのだという事に、小さな胸の痛みを覚えた。
御堂自身を見つめてくれる人間を、もしかしたら、この人はずっと求めていたのではないか。そんな気がした。
そう思うと、この部屋は、アパルトマンの管理人によってすっかり暖められているはずなのに、どこか寒さを覚えた。
克哉は、その寒さを吹き飛ばすように、御堂にぎゅっと抱きついた。
「……オレは、御堂さんなら、誰でもいいです。お金持ちでも、お金持ちじゃなくても」
「……克哉……」
掠れた吐息とともに、御堂は克哉を抱き返してくる。
「……ありがとう。君はやはり君だ。私の最も大切な、最高のパートナーだ」
明るさを取り戻した御堂の声に嬉しくなって、克哉は御堂の胸に額を摺り寄せた。
二人で見つめ合って、暫しそのままでいると、どちらからともなく笑いが零れあう。
08.12.12