少年2

 私がこの沖縄へ戻ってきたのは、都会での暮らしと執拗に付き纏うストーカーに疲れた所為だけでは無かった。
 仕事をしている出版社には、それを口実にこの帰郷を申し出た。
 長く一緒に仕事をしている担当は、色々と心配して手を打ってくれていた。
 けれど理由の大半は、私がこの故郷で暮らしたかったからだ。
 自分が生まれ育った、この故郷で。

 既に父親も母親も逝去している私は、自らの性格もあってか親戚連中とも疎遠で兄弟もいない。
 天涯孤独と言えば格好は付くだろうが、所詮は根無し草の独身男だ。
 勿論沖縄に今でも連絡を取り合っている友人もおらず、中心地からは離れた場所でひっそりと暮らす事にした。

 住居に選んだ小さな洋館は、長い間人が住んでおらず庭の樹木も中も荒れ放題で鬱蒼としている。
 その内装だけを軽く改装して、家具を運び込んだ。
 庭を弄らなかったのは自分にはその才能が無いのと、人を寄せ付けさせないためだ。
 夏場は蝉がうるさいが、窓も扉も閉め切って冷房を付ける生活をしているのであまり気にならない。

 近隣の小学生の間では、有名な幽霊屋敷という私にはまさにうってつけの噂もあるらしい。
 それを利用しない手は無い。
 部屋が三つと居間と台所だけの本当に小さな家ではあったが、人付き合いをあまり好まずこれまでずっと一人で生きてきた私には何一つ不自由はなかった。

 最近になってようやく、私は自分のやりたい仕事だけで生計を立てられるようになっていた。
 幼い頃から慣れ親しんできたホラー小説を書く仕事を、私は現在の生業としている。
 自身の我儘を通す形でこの場所へ帰ってきたのだから、迷惑だけは掛けないように仕事には以前より一層力を入れた。
 煩わしく気味の悪いストーカーの手がここまで来ていないのも、のびのびやれる理由の一つだったが。

 男の一人暮らしのため生活が苦しい訳では無かったが、私の生活は潤っているとは言えないものだった。
 昼過ぎまで眠り、起きればすぐに机へ向かう。
 日が落ちて体が空腹を訴えればようやく一旦手を止めて食事をとり、しばらく休んだら再び執筆活動に戻る。
 そして夜中、時には朝方になるまでそれを続け書斎の寝台で眠るのが私の一日だった。
 この当時の私は不摂生な生活からか酷い不眠症で、眠る前には必ず医師から処方された睡眠薬を飲んでいた。




 その私の元へ一本の電話がかかってきたのは、この家へ引っ越してから9ヶ月が経った頃だった。
 7月を半ばも過ぎた、外はもう茹だるような熱が空から降り注ぐ季節だ。
 この日も昼から何も食べずに書斎に籠っていた私は、意識の遠く離れた所で電話が鳴る音に気付いた。
 けれどそれに応答する気にはなれず、ノートパソコンへ視線を戻す。
 さして時間のかからないうちに消えてしまうと思ったが、電話の主はしつこく何度もかけ直してきた。
 仕方ない、そう思いながらしぶしぶ席を立った私が受話器を持ち上げた時、相手は5度目の電話をかけていた。

「もしもし、知念です」
『寛くんか?九州の叔父です』
「…お久しぶりです。ご無沙汰してすみません」
『あぁ、いや、構わないよ。君もいろいろ忙しいだろう』

 その言葉を皮肉と取れるぐらいには、私は世間知らずでは無かった。

 九州に住む父方の叔父は、成人してから連絡を取ってくるようになった。
 正確に言えば、私が大きな賞を受賞してからだ。幼い頃に両親が離婚して母親に育てられた私には、父方の親戚は疎遠と言うよりももはや他人に近かった。
 亡くなったらしい父親の葬儀でさえ私は出席しなかった。
 また母親が亡くなった時にも、父親を呼ばなかったほどだ。
 その父親の親戚ともなれば、今でも輪郭がぼやける幽霊のような存在にしかならない。
 実際、遠回しに金の無心をしたり見返りを要求する彼らは、亡者と呼んでもさして問題は無い。
 今の所、彼らの間では私は父親似の鈍感で通っているようだが、そこにも問題は何も無かった。

『実はね、君に少し頼みたいことがあるんだ』
「…………」
『妹の娘夫婦がね。火事で亡くなったんだけどね』
「そう、ですか…」

 叔父の話では、妹の娘夫婦には一人息子がいるらしい。
 両親の死で悲嘆に暮れている彼を、しばらく預かってくれないかという申し出だった。

 まだ夏休みには少し早いこの時期から、夏休みが終わる八月までだと言う。
 夏休みが明けると、娘婿の母親、つまりは私にとっては赤の他人、彼にとっての祖父母に引き取られるらしいがその家は沖縄でも街中にあり色々と騒がしいのだそうだ。
 祖父母の方も娘を亡くした現実から立ち直れていないという理由もあり、しばらくは引き取ることが難しいとか。
 その点、私の家であれば人里は離れているし、誰にも邪魔されずに心の傷を癒すことができるだろう。
 叔父はそんな建前をつらつらと述べていた。
 その裏の本音は、やはり叔父や少年の父方の親類は多感な年頃の少年の面倒を見る事が煩わしいのだ。

 誰だってそうだ、もちろん私も。

「俺は一人暮らしです。子供の面倒なんか見られません」
『いやいや、彼も自分で自分の世話くらいはできるし、手のかからないいい子だよ』

 人と話すことが億劫な私は、もうこの時点で早く電話を切ってしまいたかった。
 だから深く考える事もなく、夏休みの間だけだと念を押した。
 その後は何があっても元々の引き取り先である祖父母と暮らすという約束を取り付けて、その子供を預かることにしてしまった。

 厄介事を抱え込んでしまったなと思い至った時にはもう、電話は切れていた。




 その少年がやってきたのは三日後の事だ。
 初日ぐらいはせめてちゃんと歓迎してやる振りぐらいはしてやるのが、両親を失った少年に対してのせめてもの慈悲だろうと私は思っていた。
 懇切丁寧に出迎えてやれはしないが、一人でゆっくり傷を癒すならその方がありがたいかもしれない。

 午後を過ぎて少年がやってきたが、私は不慮の事故で突然両親を奪われると言う悲劇に見舞われた少年への認識がかなり違っていたのだと自覚させられた。
 もちろん、この少年に関してだけの事だ。

「初めまして、木手永四郎です。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」

 門扉の向こうで頭を下げる少年は、憔悴した様子も弱り切っている様子もなかった。
 もう何もかも分別の付く年齢であるはずなのに、私から見た少年の第一印象は『親戚の家に遊びに来た礼儀正しいごく普通の少年』そのものだった。

 何か運動をしているのか、身長は彼の年頃にしては高すぎた。
 体格もしっかりしていて気弱な印象は受けず、かと言って運動だけしか取り柄が無い風体でもない。
 涼しげで切れ長の眼元が知性と理性を感じさせる整った顔をしている。
 強いて言えば、彼の視線が一度たりとも私から外されないのが気にかかった。
 初めての所へ来れば、誰もが多少なりとも辺りを見渡すのが当たり前だと思っていた。
 幽霊屋敷と見紛う風体をしている私の家なら尚更だ。
 けれど彼は門扉を開ける私の方を見つめて逸らさない。

 まるで、私以外の何も目に入っていないようだった。

「知念寛どー。いみそーれ、大変だったさぁ」
「お邪魔します」

 居間のソファに座っても、少年は家の中を不躾に見渡したりはしない。
 その礼儀正しさは私に少しの違和感と好意を与え、彼とならば夏休みの間暮らしても負担にはならないだろうと思わせた。
 違和感は好意の裏に隠されてしまい、それ以上私の興味を引くことは無くなってしまった。

「なま飲み物持ってちゅーさ」
「いえ、お構いなく。場所さえ教えていただければ自分の事は自分でします」
「…そうか」
「はい。忙しい方だと聞きました。俺の事は気にせずお仕事してください」

 両親を亡くしたのに健気な子だと思いながらも、私はその言葉に甘えることにする。
 彼自身の言葉から一人になれる場所が欲しいという思いを多少なりとも受け取ったのと、それとは別の私の利己的な部分が理由だ。
 やはり、子供であっても人と関わるのは煩わしい。

 簡単に部屋の中を説明し、家事は彼自身のためだけで構わない事と二階を自室として使うように言って書斎へ戻った。
 少しの間、時間にしてほんの十分程度他人と接しただけで、私はすでに精神的な疲労を感じている。
 これからこの生活がしばらく続く事を思えば気が重くならない訳では無かったが、この時の私はなぜか投げ出そうとは思わなかった。


 後に、やはりこの時に投げ出しておけば良かったと思う事になる。


 仕事を再開してから、どれくらい時間が経っただろうか。
 没頭すればするほどいつも時間を忘れてしまう。それに私はもともと書斎に時計を置かなかった。
 時間を意識してしまうと、集中できないのが理由だ。

 生来のものぐさが原因で、物置にはいくつか電池が切れたままの時計もある。
 今ではリビングのテレビの傍に置かれている小さな時計だけが自宅で唯一時を刻む時計でもあった。
 その所為か、引越しの時にここを訪れた新垣などはこの家を時の止まった屋敷だと揶揄している。

 控え目に扉が叩かれたのは、私が今月仕上げなければいけない原稿を粗方書き上げた時だった。
 データを保存しながら返事をして振り返ると、遠慮がちに扉を開いた少年が顔を覗かせている。

「あの、……いいですか?」
「あぁ、ちゃーしたさぁ?」
「夕御飯を作ったんです。……今でなくても構わないので、よかったらどうぞ」

 夕御飯など、私はもう何年も聞いていない言葉だと思った。
 一人暮らしは大学生から十年以上で、実家へはうるさく言われるのを嫌がって余り帰っていなかった。
 久々に耳に入ってきた生活感のある言葉は、思っていたよりも不快では無い。
 微かに鬱陶しく歓迎できるものではないが、無下に断ろうと思う程でもなかった。

「冷蔵庫に……」
「いや、永四郎もなまからどー?」
「そうですけど」
「なら、一緒にかむんさぁ」

 嬉しそうに口元を綻ばせる子供が、すぐに用意すると言いながら台所へ駆け戻る。
 その足音を聞きながら、私も立ち上がった。




 その子供、永四郎は非常に丁寧に奥ゆかしく私の生活に入り込んできた。
 一度夕食を食べたからといって毎回誘う訳ではなく、けれど私の分の夕食は必ず用意されている。
 毎日夕暮れ時になると、台所の方からは物音と料理の香りが漂ってきた。
 私はいつの間にか食材の買い物も彼に任せ、その夕食を楽しみとするようになってしまった。
 一緒に食べる時もあれば、食べない時もある。
 向かい合って食べている最中も、特にべらべらと喋るわけでもなかった。
 私は相槌や自ら喋らなければいけない労力を使わずに済んだし、かといって気詰まりのする暗い夕食でもない気楽な時間を過ごした。
 そんな彼との生活も結構いいものだと思い始めた頃、異変は起こった。

 その日、私は彼と一緒に夕食を食べ、風呂に入り、珍しく夜に仕事をせずに寝台へ入ろうと台所へ薬を飲みに来ていた。
 と言うのも先日手がけていた原稿が書き上がり、出版社へ送り届けた当日だったからだ。
 普段はこれと言った趣味もないためにほとんど仕事に時間を費やしている私だったが、今日ぐらいはこのまま眠ってしまおう、そう思っていた。

 永四郎は、居間で勉強しながらテレビを見ている。
 こちらから見える範囲では、どうやら数学の問題集らしい。
 私が軽い気持ちで声をかけると、彼は鉛筆を置いて振り返った。

「永四郎、勉強か?」
「いえ、夏休みの宿題です」

 しかしながらテレビを見ている時間よりも、宿題に手をかけている時間の方が長いように思える。
 勤勉な様子に感心しながらも、ふと疑問が浮かぶ。

「転校するのに宿題なんかあるのか」
「転校先の学校にはもう話が通ってるんです。これは、その学校から渡されたものです」
「そうか」

 本当なら、宿題なんかやっている心境では無いのかもしれない。
 あるいは、宿題でも何でもいいからやっていないではいられないのか。
 こちらを見る永四郎の表情からは、寛いだ様子以外は何も読み取れない。
 押し殺しているようにも見えないが、彼の胸中を推し量ることは私には難しかった。

「どこか悪いんですか?」

 永四郎が、私が水の入ったグラスを持っているのを見て首を傾げる。
 食卓の上に医師から処方された薬の袋があるのにも、彼は気付いたようだった。
 私はその水で薬を飲んでから、彼に背を向け流しにグラスを置いた。

「不眠がちで、いつも飲んでる。睡眠薬さぁ」
「そうですか。今日はもうお休みになるんですか」
「あぁ、仕事も一段落したし」
「おやすみなさい」

 そんな風に当り前な挨拶をしてくれる人間などここ何年もいなかった私は、彼の口からそれが発せられる度にどこか落ち着かなかった。
 家庭的な雰囲気を持つその言葉が単に照れくさいのだと気付いたのは、もう少し後だったが。

 永四郎の言葉に応えて書斎へ戻り、寝台に潜り込んだ私はすぐ眠りに落ちた。
 いつもであれば夢を見ることなく次の日の朝を迎えるはずだった。
 薬のせいか元々の体質なのかは知らないが、私は普段から夢を見ることが少ない。
 いや、仮に夢を見たとしても覚えていないことの方が多かったのだ。

 けれどその日、私は夢を見た。
 そしてそれを、私は鮮明に記憶していた。


 それが悪夢の始まりだった。





 気が付くと私は、書斎の寝台の上で寝た時の体勢のまま仰向けに天井を眺めていた。
 自分の夢の中であるはずなのに思うように体が動かず、一時は夢と現実の差が分からなくて金縛りにでもあったのかと思ったほどだった。
 どうにか両腕を動かそうとしても、鉛のように重くなった私の手は敷き布を指先で撫でる動きすらできない。
 両腕だけでは無い、体中が重くて感覚が鈍く眠る前にかぶった毛布が自分の上に今かかっているのかいないのかすら分からない。
 ただその中で下半身だけが妙に熱っぽく感じていた。

 不意に寝台が揺れて軋んだ。
 そこでようやく自分以外の何かが居るのだと気付いて、私は視線だけを巡らせて何がいるのか探ろうとする。
 そしてそれは自分の方から私の視界に入ってきた。

「永四郎……?」

 私の体を跨いで四つん這いになっているのは、つい先日同居人になったばかりの永四郎だ。
 彼の唇が湛える常とは違った潤みを手の甲で拭う仕草に、私は背中から冷水を浴びせられたような気持になった。
 先ほど感じた下半身の熱は永四郎の口淫の所為だと分かってしまったからだ。

「気持ちいいですか?」

 永四郎の声は反響してぼやけ、私の耳に届いても理解するまでには少し時間がかかった。
 事実であっても私にとっては耳を塞いでしまいたいようなその言葉とは裏腹に、少年の手に握られた私の陰茎は硬く勃起している。
 そしてそれを自覚してなお、私の興奮は冷めるどころかその手の動きに高められていった。
 他人の手に触れられるのはもう随分と久し振りで、湧き上がる快楽に半ば酔っていたのかもしれない。
 眼を潤ませて手を動かす永四郎に、私はどうにかして止めて欲しいと伝えるため苦労して首を横に動かした。
 本当は寝台に張り付いたままの手で彼の手を払い除けたかったが、金縛りにあったように体は動かない。
 私の意思が伝わったらしい永四郎は、手を止めてこちらを見下ろす。
 しかしすぐに私に跨って両手を顔の横に付き、体を倒してきた。
 彼の小綺麗な顔が耳元に近づいて、内緒話をするような潜めた声で囁いた。

「もっと気持ち良くしてあげます」

 陰茎を握り直されたと思ったら、彼の体が少しずり下がるのと同時に滑りを帯びた熱い物が先端からゆっくり絡み付いてくる。
 耳元に届く小さな嬌声は、咥え込む深さが増すたびに色濃く滴る。
 永四郎の吐き出した熱い吐息が首元にかかって、私の背中を震わせた。
 それは紛れもなく快楽の所為であり、自分がこの背徳的な行為に興奮している証拠だった。

 とうとう根元まで私を咥え込んだ永四郎は、長く息を吐いて身を寄せてくる。
 張りのある肌の感触や互いの腹の間に挟まれている永四郎の性器が勃起している感触まで、私はその全てを一つも取り零さないよう息を潜めて感じ取っていた。

「ん…っ…」

 永四郎が身を起こしたために、私の眼下に彼の体が晒される。
 程よく鍛えられ少年らしさを逸脱した体は、よく日に焼けた褐色の肌をしていた。
 肌理の細かい肌がしっとりと汗で覆われ、内腿が私の腰に吸い付くように触れている。

 彼が腰を揺するたびに私には何とも言えない快楽が走った。
 それは肉体的な感覚だけではなく、自らの上で身体をくねらせては声を漏らす彼の淫靡さにあった。
 私は体だけでは飽き足らず、その視覚でさえも彼を犯す事に快楽を得てしまっていた。

「気持ち、いいですか…?」

 互いの興奮が高まってくるに従って、永四郎は大胆にも足を大きく開いて身体を揺する。
 囁かれた問いに私は頷けなかったが、身の内に咥え込んだ物で十分伝わっていたようだ。
 息を切らし目を細めて満足げに笑った永四郎の手が私の目を覆ってしまい、彼の乱れる姿は視界から消えた。
 しかしその代わりと言わんばかりに耳元で卑猥な台詞を吐かれ、私の理性は敢え無く途切れてしまった。




2010/08/02:完成&UP