「先生が好きです」
「ポッター、ついに気が違ったか」
初めてハリーが告白したのは今から半年ほど、就寝時間ぎりぎりに研究室へ押しかけて行ったのだ。実直でストレートな告白を聞かされた相手の返答は南極の氷より冷たく、ダイアモンドより硬質だった。しかしハリーはとりあえずは思いを告げる事が出来ただけで満足だった。
伝えた相手はホグワーツ魔術魔法学園・魔法薬学教授セブルス・スネイプ氏。根暗陰険魔法薬マニアの彼は闇の魔術に対する防衛術の教授の座を毎年しつこく狙っているとかいないとか。
青白い顔色に鋭い瞳、眉間には常に深い皺が刻まれていて、不機嫌そうな事この上ない。難しい魔法薬の調合をさせては失敗する様を冷たく見つめ、毎回出されるレポートをじっくり見つめて毎回細かすぎる所まで減点していく。
おまけに極度のグリフィンドール嫌いで、寮生にはことさら冷たく何かと理由を付けては減点を繰り返していく嫌な奴。
上記がこのホグワーツで学ぶ生徒の一般的なスネイプ教授の印象で、スネイプが寮監を務めるスリザリンの生徒達だけが、彼を尊敬し、そして彼もまた他の寮よりは幾分か緩和された態度で寮生に接していた。だがそのスリザリンの生徒達に対する態度でさえ、普通の教師からすれば厳しい部類に入るのは彼の持つ生来の生真面目さと、魔法薬学を研究するものとしての真摯な姿勢の現われだろう。
ホグワーツに入学してから三年の間、彼は常にハリーに対しては冷たかったが、そうとはわからない方法で影ながら自分を守ろうと必死になってくれていたように思った。そして四年生になっても変わらず無鉄砲な自分を、彼は彼自身の事で手一杯な状況に追い込まれているにも関わらず、それはとは知らない方法で庇ってくれていたのかもしれない。
ハリーがそれに気付いたのは、三大魔法学校対抗試合が終わってハリーがセドリックの死からまだ立ち直りきれていない時だった。
常に自分を意地の悪い目で観察し減点する所を探して、いつだって自分の言い分など聞いてくれなかった彼が、ようやくハリーの言葉を信じてくれた。その事実はハリーに喜びと、そして不思議な安堵感を与え、これまで思っても見ないほどスネイプを好意的に見る事が出来た。
彼がハリーの言葉を信じたのが、例え彼自身の腕に残る傷の所為だとしてもハリーは嬉しかったのだ。
そう思った途端、ハリーの中で彼との数少ない、これまでほとんど悪い物だった思い出が湧き上がってきた。その結果、彼は決して酷い人物ではなくむしろ自分を積極的に庇ってくれていたのではないかと言う考えに至ったのだ。
そうして最終的に、四年生の終わりに冒頭の告白劇となった。だがスネイプはそれを質の悪い悪戯、あるいは思春期ゆえの気の迷いだとか何とか、時にはマグルのような理論でもってご丁寧に毎回否定した。
ハリーがそれでも嬉しいと言うと、スネイプは本気で馬鹿を見るような目をしてハリーを見た。それから首を横に振って呆れた、と口に出して言い、くるりと背を向けてしまうのが常だった。
何も彼に酷い事を言われるのが嬉しいといっているわけではない。ハリーは、彼が毎回自分をきちんと相手にしてくれる事が嬉しかった。
スネイプは本当の所、ハリーがマグルの所でどんな生活を送っているのか正確には把握していないのではないか。ハリーはダーズリー一家に、ほとんど自分の意見を聞いては貰えない状態で暮らしていた。自分が何を言っても、彼等は頭からハリーを否定し汚点のように扱い、必死に隠した。
その一家に比べれば、スネイプは口から出るのは辛辣な言葉だが毎回ハリーが帰るまでハリーの相手をしてくれた。話しをすれば返事が返ってきて、鋭い視線が突き刺さる。薄い唇はハリーをどう言い負かしてやろうかとうずうずしているようで、腹の前で組まれた手は今にもハリーを摘み出そうとするかのようにわなわなと震えている。
だがそれでも、スネイプはハリーが告白した日以降、ハリーの話を聞かないで追い出した事は1度たりともないのだ。そして最近では少し、スネイプが躍起になってハリーの感情を否定する材料を見つけているのを、面白がっている所もある。
「と、言うわけで今日も来ました。先生」
ノックをして返事を待たずに部屋に入ったハリーは、スネイプの言う"父親譲りの図々しさ"を駆使して部屋にある椅子に腰掛けてスネイプに声を掛けた。振り返って眉根をぎゅっと寄せたスネイプは、椅子ごと振り返ってハリーをいつもの険悪な瞳で睨むと、だいぶ前に聞いた理由をリピートし始めた。
「何が、と、言うわけなのか説明していただきたいものですな。いや、しなくとも分かっている。若気の至りを盾にして…」
「質の悪い冗談ではありません。それに、それはもう随分前に聞きました」
指摘するとほんの少しだけ眉間の皺が解れて、スネイプがハリーの記憶力に驚いているのではないかと思ってちょっと心外だと思った。臭い台詞で良くあるように、ハリーはスネイプの言った事をほとんど覚えているのだ。
「…ふむ…では、虐げられた幼い頃の反動で…」
「嫌悪を愛情に錯覚すると言うのも聞きました」
「………そもそも男を愛すると言うのは…」
「父親に愛されなかったからでしょう?僕は父の事はほとんど覚えていない。だからそう感じてても当たり前ですよ。だけど、僕は父に愛されていたと思います」
パク、と薄い唇が何も言わずに動いて、次の理由を探しているようだった。
去年の終わりに告白してから、実はハリーはずっとこの時を待っていたのだ。スネイプが自分を決して突き放さないと分かってから、彼が否定する材料が無くなるのを。
「先生、そろそろ僕の気持ちを認めてください。去年は、僕の言い分を認めてくださったでしょう?」
「いいや、ポッター。君が父親の事を覚えてないと言う所にこそ、君の誤解の発端があると我輩は考えた」
「僕の事考えててくれたんですか!?」
「黙れ!そうではない!いいか?マグルの本にこういう事が書いてあった。幼い頃父親と接していない、あるいは父親が立派すぎて幼い頃から父親以上の男などいないと思い込んで育った娘は、成年してから父親ほど年の離れた年上の男性にばかり恋心を抱く事があると言う。俗に言うファーザーコンプレックスと言うそうだ。ポッター、お前は女ではないがこのケースの前者にそっくりではないか」
敢えて前者、と言う所を強調するのは、ハリーの父親ジェームズに並々ならぬ憎しみがスネイプの心の奥底にあるから。ハリーは小さくため息を付いて、意気揚々と自分の理論を並べていく彼を見つめた。
最近、先生が僕の気持ちを否定しようとしてるのが何だか可愛いと思うんだよね、なんて考えながら。
「君は父親と接した事など覚えておらん。と言う事はつまり、我輩に父性を求めてそれを恋愛感情と読み間違えているだけなのだ。我輩に…父性を…」
自分で言って言葉に詰まるスネイプは、そんなもの求められるのはまっぴらごめんだと顔に書いていた。なら言わなければ良いのに、そう思うハリーはもちろん自分もそんなもの与えられるのはまっぴらごめんなので、ようやく反撃に出る事にした。
ただ、スネイプを全否定するのは可哀相なので、とりあえず少しは肯定しておく。それは愛ゆえに、だ。
「確かに、初めは家族のように、とかお父さんみたいに、とか思った事はありました」
「そうだろう!だが残念だ!我輩でなくとも君には育ての親が…」
「でも違うんですよ。先生」
「何?」
ハリーが座っていた椅子から立ち上がると、既に身長はスネイプと同じくらいになっている。ほんの数cm、まだハリーの方が低いが、成長期のハリーならすぐに彼を追い越してしまうだろう。
自信満々に立ち上がったハリーとは打って変わり、スネイプはハリーが近寄ってくるに従って何だか少しうろたえているようだった。
「先生、僕は先生が好きです」
「ポッター、もう好い加減にしろ!毎回毎回!」
「先生こそ、好い加減にしてください。毎回毎回否定されて、僕が傷つかないとでも思ってるんですか?」
「ふん、間違った道を正してやるのが教師の勤めだ」
今まで間違った道に1歩でも足を踏み入れたのを見たら容赦無く減点している口で何を言う、ハリーは告白した事で、その気持ちに答えて欲しいと詰め寄った事で、減点された事は1度も無い。
と言う事はつまり、スネイプとて自分の事を憎からず思っているのではないかと言う期待が沸き上がっても仕方ないのだ。スネイプの性格から言って、脈が無ければ"何を馬鹿な事を言う、減点だ"で終わりのはずなのだから。
「なら先生、どうして僕を減点しないんですか?」
「貴様は巧みに校則を破らぬよう我輩の研究室に来ている。減点して欲しければ就寝時間を過ぎてから来る事だな」
自分を呼ぶ言葉遣いが変わったのを聞いて、ハリーは内心ニヤリと笑みを浮かべた。スネイプが誰かを貴様と呼ぶ時は怒りのボルテージが上がった時だ。そしてそれは、首元まできっちりと留められた服の中に隠された彼の素肌のように、厳重な鎧の中に隠された彼の本心が怒りで露になり始めたと言う事だ。
「他にも理由なんて作れるでしょう?でも貴方はしない。それは貴方も僕が好きだから?違いますか?」「甚だしい思い上がりだ!ポッター!貴様はやはり父親のように傲慢で自意識が過剰のようだな!世界中の誰も彼もが貴様を好いているとでも思っているのか!」
「思ってません。でも、少なくとも先生は僕を好きだと思ってます」
「その減らず口を閉じろ!」
父親の事を引き合いに出してもハリーは2年前のように取り乱したりはしなかった。ここで取り乱せばスネイプの思う壺、駆け引きに負けてしまってはこれまでずっと我慢していた甲斐が無い。
だがほんの少しだけ、スネイプの勢いに拍車を掛けるために大きな声を張り上げた。
「なら、減点してください!質の悪い悪戯だ!教師を侮辱した!理由はいくらでもあるはずです!」
「それは貴様自らが否定したであろう!!」
「そう言うなら!どうして僕の気持ちに答えをくれないんですか!」
「答えなど言えるはずがなかろう!」
そこまで怒鳴ってはっとしたスネイプが、今度こそ自分が墓穴を掘ったのだと気付いた時にはもう遅かった。中年と言う時代に片足を突っ込んでいる年齢の割に細い腰周りを、ハリーが強い力で引き寄せてきたのだ。
「っ!?っこの!離せ!離さんか!」
「どうして答えを言えないんですか?嫌なら嫌だと、NOだとただ一言言ってくれれば良い…。なのに貴方は気の迷いだ、ファーザーコンプレックスだなんて…」
「…………」
「どうしてはぐらかすんですか?毎回毎回そんな面倒な事をしなくても一言で済むでしょう?」
離れようともがいてハリーの肩に手を置いたスネイプは、そのままギリッと爪を立ててきた。鋭い痛みに顔を顰めたハリーは、それでもこの後に及んで教師面を取り戻そうとしているスネイプを真っ直ぐ見つめて問い詰める。
「言えないって?どうして?僕の事が好きだから?」
これ以上墓穴を掘ってはいけないと思い直したのか、スネイプは大きなため息を付いて首を横に振ると最後にもう1度だけハリーの肩を押して離れようとする。だがやはりハリーの力の方が強く、離れる事は出来なかった。
とうとうスネイプは観念して身体を離す事を諦め、至近距離でハリーを睨み付けた。
「いいか、ポッター。君は我輩にとって同窓の人間の息子でしかない。ルーピンや、あのシリウス辺りならば、自分の子供のように思っているなどと慈愛に満ち溢れた台詞を吐いてくれただろうが。残念ながら我輩は君を自分の子供だとは思っておらん。もちろん慈愛に満ち溢れてもおらん。ただ君に魔法薬学を教える教師として、そして何度罰則を与えても懲りない君を厳しく罰するものとしているだけだ」
頬がヒクリとしたが最後、もうスネイプは感情の高ぶりを表に出さなかった。ただいつもと同じ、不機嫌そうな顔つきでハリーを見つめ、薄い唇を引き結ぶ。
「我輩に、君を好きになる事など毛頭有り得ないのだ。ハリー・ポッター、校則破りの常習犯、我輩にとっては規律を乱す忌々しい存在でこそあれ、好意を持つなど…」
「先生…」
「決して、ある筈が無いのだ」
スルリと緩んだ腕から抜け出したスネイプは、開放された事に小さく息を付いて腕を擦ると、背を向けて魔法薬の並んだ棚の方に歩き出した。少しだけ振り返った時にハリーが打ちひしがれた表情をしていても、彼は満足げな笑みも、驚いた顔も浮かべずただ無表情だった。
「分かったら帰りたまえ。…我輩のように嫌味で陰険で根暗な痩せぎすの男の教師を相手にするよりは、他に目をむけるべき相手がいるであろう」
彼には珍しく諭すような口調で言ったスネイプに、ハリーは顔を上げて口元を緩ませる。そして靴音をことさら高く上げて1歩踏み出した。
怪訝な顔をして振り返ったスネイプは、にっこりと笑っているハリーを見て眉を顰めた。
「先生、…まさか…自分が嫌味で陰険で根暗な痩せぎすの男だから自信が無くて僕の気持ちに答えられないんですか?」
「ポッター…、我輩はお前よりは自らが他人に与える印象を理解していると思うのだが…?」
「僕は気にしません。先生が嫌味で陰険で根暗なのはずっと前からそうですし、僕細い人の方が好みです」
「人の話を……聞け!ポッター!」
今度は時間差で一気に怒りが沸点に達したらしいスネイプに、ハリーは最後の一言をどう引き出してやろうかと心の中で画策した。しかし本当は、スネイプが自分を好きだと言う自身など一欠けらだって無かった。
こうやって長々と自分の相手をしてくれるから、自分の存在を否定せずにいてくれるから、そんな小さな引っ掛かりだけで、ハリーは彼が自分を好きだと言い続けていたのだ。
言い続けていれば、いつか本当に好きになってくれると思いながら。
「ほんの数10秒前に我輩は貴様など好きになる事は決してないといったはずだが?それとも、英雄のお耳には自分に好意を持った人間の言葉しか届かないと!それは残念だ!我輩の声は永遠に届かぬであろうな!」
「貴方の声はいつも1番に僕に届きます」
「なら何故規則を守らん!学生の癖に教師の命令1つ聞く事が出来んか!さっさと寮に帰れ!就寝時間だ!」
タイムリミットを告げる彼の声に、ハリーはにっこり笑い返した。やはり相手は大人、怒りを煽っても勢いで隠そうと思っている事を吐かせる事は出来なかった。ハリーの笑みはいわば悔し紛れの笑みで、普段ならそれを睨み返してくるはずのスネイプが、その時はなぜか瞳を瞬かせたので、ハリーも少し驚いてしまう。
「じゃあ先生、僕が規則を破らない生徒になったら。魔法薬を真剣にやる生徒になったら、僕の事好きって言ってくれますか?」
「……君が規則を破らなかった事など1年の内で果たしてあったかね?できない約束は初めからするものではない…………だが」
スネイプは棚から離れて側まで来ると、ハリーの身体をくるりと裏返して扉の方へ向けさせ、ぐいぐいと手で押しやる。突然の事に抗う間も無く部屋の外に押し出されていくハリーは、慌ててスネイプを振り返るが彼の表情は髪の毛に隠されて見えなかった。
「あるいは、君が卒業まで約束を守り、…首席を取る事が出来るなら、考えてやろう。卒業した後の事をな」
言った途端にバタンっと閉まった扉の前で、ハリーはしばしの間呆然としていた。今スネイプの言った事を噛み締めているのだ。
文脈から考えれば、ハリーが規則破りを止め、魔法薬を真剣にやり、尚且つ首席を取れれば卒業した後、スネイプがハリーの気持ちに応えてくれるかもしれないと言う事だ。あくまで、かもしれない。
だがハリーは、敢えてそれを無視した。そうして無理矢理、首席さえ取って卒業すればスネイプは自分と一緒に暮らしてくれるのだ。大丈夫、そう言う事に納得させる強引さも、それまでに身に付くはずだ。そう考えた。
そうなればさっそく勉強をしなければいけない、早い内に首席を取らなければ家探しや家具選びに時間をかけられないではないか。
前途ある少年は、驚くほどにポジティブだ。
「先生、待っててくださいね。きっと僕、先生を養えるくらい頼り甲斐のある男になるから」
扉に頬を寄せて呪文を唱える時のように小さく呟いたハリーは、届くわけ無いと思っていてもこの伝言が彼に届けば良いと願いながら地下室の階段を駆け上がった。
だが、しつこい少年を追い払った安堵感で研究室の内で扉に凭れていたスネイプの耳に、その言葉ははっきり届いていた。そうして薄幸で運も無いらしいスネイプが誰もいない地下室で思わず口元を抑えて赤面した事も知らず、まだ心の奥で純粋さを残した少年は、夜のホグワーツを駆けていった。
END
2005/01/11:完成
2005/01:別サイトにUP
2011/11/16:再UP