It's not over 2 -知念-

「おいそこのでかいの」

 そう声をかけられたのは、入学してから一週間ほど経った頃だった。
 振り返ると、金属バットを引きずるようにして歩いてくる先輩の集団がいる。

 カン…カラララ…と廊下に当たってバットが音を立てていた。

「お前、一年の知念だろ。顔貸せよ」

 名前を知ってるなら初めから呼べばいいのに、不穏な空気の中でそう思いつつ知念は頷いた。
 これから移動教室で実験室へ向かうところだったが仕方ない、今逃げてもいつか掴まる事を知念は知っている。




 連れてこられた校舎裏で、知念は校舎の壁を背に立たされた。
 周りを、自分より背の低い先輩に囲まれる。
 カラフルな頭の色は、黒は勿論、金色、茶色、真っ赤、果ては緑まで揃っていた。
 ほとんどが根元の方が黒くなっていて、何だかみっともないと思う。

「しっかしほんとでけーな、お前。身長いくつだよ」
「…………」
「もしかしてまだ伸びてんのか?」
「伸びてる…っぐ…!!」
「テメー何先輩にタメ口使ってんだコラ。あぁ?」

 黒髪の上級生にバットの柄で腹を突かれ、後ろの壁にぶつかってガードする間もなく息が詰まった。
 咳き込んで膝を崩すと、その拍子に落ちたノートと筆記用具が砂に塗れる。
 息苦しい中で、さっきの上級生が髪の毛を掴んで知念の顔を上げさせた。

「っていうかおめーよ、見下ろしてんじゃねーよ」
「知念、お前野球部入れよ。部費5万に負けてやるから一年の中であと3人勧誘しろや」
「その3人の部費は1人10万な」

 何が面白いのかゲラゲラ笑う先輩の数は5人。
 つまり野球部とは名ばかりの連中が、手下が欲しくて目立つ下級生を片っ端から狩って回っているらしい。

 良くある事だ。そう、良くある事。
 これは自衛だ、知念は自分に言い訳する。

 校舎から聞こえる小さなチャイムの音を聞きながら、知念は意図的に上級生の顔を睨みつけた。

「無理。俺友達いない」
「は…?」

 一瞬、彼らがぽかんと間の抜けた表情をする。
 両足を折ってしゃがんだ状態から片膝を付いた体勢に変え、一気に伸び上がるようにして自分の髪の毛を掴んでいた上級生の顎に頭突きをかます。

 髪の毛を掴んでいる相手の手ごと顎にぶつけたため、ぐしゃりと骨の折れる音がしたが骨の無い腹を硬い金属バットで突かれたお返しだと思った。
 それに、自分の額もちょっと痛い。

 骨を折られた上級生は呻き声を上げてその場にしゃがみ込み、あっさりと戦線離脱した。

「ッテメー!何しやがんだ!」
「部活に入る気なんかない。特にお前らみたいな奴のいる部には入らない」

 背後が壁と言う不利な状況から抜け出し、構えを取る。
 先輩のほとんどがバットを持っているからか、1人やられた程度では怯んだりしなかった。

「調子乗ってんじゃねえぞ1年が!」

 緑色の髪をした上級生が恫喝しながら振り上げた金属バッドを思い切り振り下ろしてくる。
 直線の単調な太刀筋は、体を横に捻るだけで避ける事が出来た。

 バットの先が地面へと落ちる前に、前蹴りを叩き込む。
 踵へ全体重を乗せての前蹴りは、思いきり相手の内蔵にダメージを与えたらしく素早く脚を引いた知念の目の前で苦痛の声を上げる間もなく嘔吐しその場に倒れこんだ。

 ドスン、と今頃になって落ちたバットの音が、間抜けなほど大きく響く。

 残りの3人に視線をやれば、茶髪と赤髪は2人は既に戦意を失っているようだった。
 金属バッドは手放され、コロコロと転がっている。

「俺が相手してやるよ」

 けれど最後の1人、金色の髪をした上級生はどうも一筋縄ではいかないようだった。
 自らバットを手放し、詰襟を脱いで茶髪に手渡して構える。

 構えを見るに我流だが、喧嘩慣れしてそうだと知念は思った。

 まだ武術の癖が染み付いている知念と喧嘩慣れしている上級生。
 武術のルールで戦うなら知念が、喧嘩するなら上級生が有利なのは当たり前の事だ。

 けれど知念は、喧嘩の極意を十分に理解していた。
 喧嘩は、とにかく相手を倒したものが勝者だ。
 ダメージが少なくてもポイントさえ取れば勝てる試合とは違う。

 ダメージが、物を言う。

 知念が相手をまっすぐに見定めた途端、拳が飛んでくる。
 それを避けて相手の懐に入ると、片手で相手の喉を捕まえた。

「っぐ…っ!!!」

 一瞬の息苦しさに怯んだ相手の後頭部に手を滑らせて髪の毛ごと掴み、自らの膝に顔をぶち当てる。
 遅れて自分の膝に生暖かい感触が広がるのに眉を顰めた。

 母親に、怒られるかもしれない。

 頭を掠めた事に苦々しい表情を浮かべて手を離すと、数歩後退りして自らの手で鼻を押さえた上級生の手の隙間から血がボトボトと垂れている。
 それでもこちらを睨みつける金髪の目に、戦意喪失した様子は見えない。

 自らの血に塗れた拳を振り上げて向かってくる上級生の右頬に、ストレートを叩き込む。
 怯まない相手を訝しく思った瞬間、自分の左頬に拳を食らった。

 ぐらりと一瞬揺れる視界を寸での所で立て直し、口の中に広がる鉄臭い味に眉を寄せる。
 その一瞬に、上級生が再び知念の髪を掴んで地面に引きずり倒した。
 
「っへ…へへ…調子乗ってんじゃねぇ…一年が」

 攻撃が当たった瞬間が一番油断すると道場で教えられたことがあるが、あれは本当だなと知念は思った。

 立ち上がる動きを潰す踏みつけるような蹴りから身を守るために頭に腕を回して身を丸める。
 横を向いているため決定的なダメージは余り食らわないが、時折脇腹に入るのをどうにかしたかった。 

 しかし上級生は先ほどの膝が効いていたのか、息を切らして知念を蹴るのを止める。
 のろのろと知念が起き上がれば、すっかり叩きのめしたものだと思われたらしい。

「土下座してみろよ。そしたら逆らったのは勘弁してやるから」
「嫌だ」
「何だと…っ、離せよ!」

 立ち上がって相手の胸倉を掴み自分の目線まで引きずり上げれば、相手の足は爪先立ちになって知念の手を外そうと腕を掴んでくる。
 自分の方へ体重をかけてくるような体勢の相手を片腕で支え、何度も顔へ拳を叩き込む。

 知念が相手の顔ばかりを狙うのは、顔へのダメージが一番相手の戦意を喪失させる事が出来るからだ。
 勿論相手の歯で自分の拳に傷を作るデメリットはあるが、喧嘩を一番早く終わらせる方法だと知念は思っている。
 目元が腫れ上がって前歯が折れ、上級生の腕がだらりと横に垂れ下がった頃知念は手を離した。

 どさりと重い音を立てて地面に倒れた彼を見下ろせば、それでも腫れた瞼の間から睨みつけてくる。
 今背中を向ければ確実に殴りかかってくるだろう、そう思って相手の脇腹に思いっきり蹴りを入れた。
 くぐもった呻き声と良い感じの手ごたえに、肋骨がどうにかなったんじゃないかと思う。
 四つん這いになって激しく咳き込む金髪は、鼻血と一緒に朝食でも吐き出したのか激しく咳き込んだ。

「っひ、う、うわああぁっ!!」

 そんな上級生から残りの二人に目をやれば茶髪の方が上擦ったみっともない奇声を上げる。
 さすがに少し驚いた知念に、バットを振り上げてまっすぐ向かってきた。
 
 振り下ろされるバットを右に避け、左手で手首を掴んで自分の方へ引き寄せながら右肘を顔に叩き込む。
 叩き込んでから肘と膝を両方汚してしまったのに気付いたのは、目の前で崩れ落ちる上級生が顔を血で真っ赤にしているのを見てからだった。

「まだやる?」
「っひ…っ…」

 最後に残った赤髪は無言でぶるぶると首を横に振り、わき目も振らずに逃げ出していく。
 倒れ込んで呻く上級生達を見回して知念は小さくため息を漏らし、落としたノートと筆記用具を拾って砂を払い校舎へ向かった。


 歩くたびにべたべたする制服の肘と膝の部分を、早く洗ってしまいたい。
 ただそんな事を考えていた。



2007/08/09:完成