It's not over 4 -知念-

 それは5月の連休前、もう沖縄が夏の色を見せ始めた頃だった。
 学ランを脱いでシャツを捲り上げていた知念は、箒片手に教室の後ろにある掃除用具を入れたロッカーを開けチリトリを探す。
 箒の下で押さえつけられているチリトリの柄を持って引っ張っても、なかなか抜けなかった。

 教室は掃除当番や、当番の友人を待つ生徒でざわついていてあまりまじめに掃除を行っている人間はいない。
 知念が一人で適当に箒でゴミを集めた場所に、ちゃんと掃除をしている数少ない生徒が次々にゴミを集めてくる。
 チリトリでゴミを集める係をしてしまえば、その後に教室のゴミ箱からゴミを捨てなければいけない。
 普段は廊下においてある大きな青いポリバケツに捨てれば済むが、それがいっぱいになれば裏のゴミ捨て場に捨てに行くことになる。
 知念でさえ両手で抱えなければならない大きなポリバケツを運ぶのは億劫な作業で、たいていの生徒は二人で捨てに行っていた。
 けれど知念なら、一人で持っていける。

 ガチャガチャとチリトリを揺らして引き抜こうとしていると、知念の側にドンとそのポリバケツが置かれる。

 顔をそちらに向けると、女子生徒が一人もう自分のカバンを持って立っていた。

「あとはゴミ集めるだけだから、よろしく。これもういっぱいだから、ついでに捨ててきて」

 知念が頷くか頷かないかで、彼女は友人と連れ立って教室を出て行ってしまった。
 ゴトリと引っかかっていた箒が外れて、チリトリが抜ける。

 チリトリでゴミを集めている間に、他の掃除当番達も次々に帰り支度を始めて知念がポリバケツにゴミを捨てた時にはもう教室には誰もいなかった。

 最後に箒とチリトリと片付けようと扉を開けた知念は、それらを一緒くたに用具入れに放り込み乱雑に扉を閉めた。
 バタン、という大きな音が響いて、中でガチャリと箒の崩れる音がする。
 この分では次もまたチリトリは箒に引っかかって取り辛くなってしまっただろうけれど、自分の当番は今日までなので関係ない。

 それからポリバケツに向かい合った知念は、縁いっぱいに溜まったゴミを見下ろした。
 点数の悪いテストの答案はご丁寧に名前の部分だけが破り取られ、誰かが昼食に食べたパンの包装紙、そして忘れ去られたまだ綺麗な上履きが入っている。
 少し考えたが、もう新しいものを買っているだろうと思ってそのままポリバケツを持ち上げた。

 廊下に出ると、教室とは違ってまだ人が溢れていた。
 廊下で立ち話をしている女子生徒や、部活に向かおうとする生徒。
 それらの間を通り抜けながら、知念は廊下の窓から見えるグランドを何となく眺めた。

 真面目な陸上部がグラウンドを走っている。
 掛け声は小さくここまで届いていて、トラックのカーブに差し掛かってランニングの列がぐにゃりと弧を描いた。

「痛っ!!」

 突然自分の体の前で抱えたポリバケツが何かにぶつかって、知念の意識は自分の今立っている廊下に戻ってくる。
 視線を落としても自分に見えるのはポリバケツでしかなく、体を捻ってポリバケツを横に避けたら綺麗な金髪が見えた。

 どうやら数人の生徒と共に廊下の半分ほどを占拠してだらしなく座り込んで話をしていたらしい、彼は知念が来る方向に背中を向けていたせいでこちらには気付かなかったようだった。

「あぁ、いたのか。低くて見えなかった」
「なっ…!!」

 この時の知念には誓って挑発する気など無かった。
 単純にポリバケツに遮られ、座り込んで低い位置にいる平古場が見えなかっただけだ。
 けれど相手には、そうは取れなかったらしい。

「喧嘩売ってんのかよお前」

 立ち上がった平古場が知念の襟元を掴んで引き寄せてくる。
 掴まれた拍子に手元からポリバケツの縁が滑って、ガタンと床にぶつかる音を立てたが幸い倒れることは無かった。

「離せ」
「あぁ!?」
「離せよ。お前らがこんな所に座ってるからだろ」

 今度は、知念の脳裏に挑発という言葉が浮かんでいた。
 悪かった、そう一言言えば済むことだと頭のどこかでは分かっていたのに、どうしてこんな言葉が口をついて出たのかは分からない。

「凛、やっちまえよ!」

 恐らくは、彼の友人が飛ばしてくる野次の所為だろうとは思う。
 その中は自分と同じ小学校の生徒もいて、彼らが面白がって平古場と知念を焚き付けているのが分かった。

 ポリバケツが落ちたおかげで自由になった片手で平古場の肩を突き飛ばしたら、思ったより強く掴まれていた所為でシャツのボタンが一つ弾けた。

「調子乗ってんじゃねーぞ!」

 顔に飛んできた拳は重く、平古場の体格からは想像できないほどに衝撃があった。
 身構えていなかった所為もあって軽くよろめいた知念は、右手で彼の肩口を掴んで凭れ掛かりそのまま左下に引きずり倒すのと同時に左膝を腹部めがけて蹴り上げる。

「っぐ…!」
「…?」

 手ごたえはあったが膝を抱え込んだ平古場が咳き込みながらもにやりと笑う。
 それが苛付きと焦燥を駆り立てて、知念は足の裏で彼の腹を踏みつけるようにして蹴飛ばした。
 向こうも予測していたようで大したダメージにはならなかったが、相手に自分の動きを拘束されているよりはましだった。

 が、次の瞬間お互いの間に白い何かが割り込んできた。
 同時に知念は後ろから誰かに羽交い絞めにされてしまい、身を捩っても暴れても逃げられなくなった。
 背の高い自分を押さえ込める人間など余りいないために一瞬は教師かと思ったが、どうやら違うようだった。

「やめなさいよ、君たち」
「何だよテメェ!邪魔すんな!!」

 喚く平古場を片手で易々と押さえ込んだその生徒は、反対の手でメガネを上げてこちらを振り返る。
 優等生そうな風貌では合ったが、どこか人を威圧するような表情をしていた。

「田仁志クン、ちゃんと押さえておいてくださいよ」
「あぁ」

 後ろで声がするところを見ると、田仁志と言う生徒が自分を押さえ込んでいるらしい。
 ぎりぎりと歯軋りの音が聞こえてきそうな表情でこちらを睨み付ける平古場をまっすぐ見返していると、それを遮るようにメガネの生徒が体を移動させた。

「やめなさいよ。こんな廊下で」
「お前には関係ねーだろ」
「皆さん見てますよ。その内教師が来ます。長ったらしいお説教が聞きたいんですか」

 ふと周りを見渡すと、残っていた生徒たちが遠巻きにこちらを伺っているのが分かる。
 この分ではもう教師を呼びに行った人間がいるかもしれない、そう思うと少し気分が重くなった。

「わーった、わーったから離せよ」

 平古場の落ち着いた声に、メガネの生徒が手を離す。
 その瞬間するりとその生徒の脇から平古場が飛び出してきて、未だ羽交い絞めにされている自分に向かってきた。

「平古場!!」

 ビリ、と腹に響く強い声だった。
 その大きさもそうだったが、知念はふとその抑揚に聞き覚えがあった。
 腹の底から一気に押し出された気の塊のような声は、幼い頃道場で聞いたそれによく似ている。

 師範の叱責は、いつもその一言だけで皆に何が悪いかを知らしめた。
 懐かしいような、苦いような思い出だと知念はそう記憶している。

 一喝とでも言えそうなそれは、平古場にも効果があったらしく彼は思わず肩を竦めて立ち止まった後、口を半開きにしてメガネの生徒を振り返っていた。
 彼はしばらくじっと平古場を睨み付けていたが、大きく吸い込んだ息をため息にして吐き出しこちらに近づいて来る。

「平古場クン、いい加減になさい」
「……、あ〜あ、何か白けた。行こうぜ」

 ガリガリと頭を掻き毟ったかと思えばあっさりと引き下がり、自分のカバンを持って平古場は歩き出した。
 彼の友人がその後ろを付いていくのをぼんやり見送っていた知念は、拘束されたままなのを思い出して振り返りそこにいる生徒に声をかける。

「離せよ」
「永四郎」
「…大丈夫でしょう」

 永四郎と呼ばれたメガネの生徒の了承を得てから、田仁志は知念を離した。
 ボタンの飛んでしまったシャツを掴んでため息を漏らし、軽く辺りを見渡したがボタンが見つかる訳も無い。
 また母親に何か言われるのかと思うとうんざりしながらポリバケツを再び持ち上げる。

「ボタン、無くなってしまったんですか」
「…あぁ、まぁ…」
「平古場クンは乱暴ですからね」

 やれやれ、とでも言いたそうな態度でため息を漏らす永四郎という生徒は、廊下を歩き出す知念の側を付いて歩いてきた。
 自分の教室にでも帰るのかとしばらくは黙っていたが、階段を降りる頃になっても一緒に居るのがどうしても気になる。

「なぁ」
「何ですか?」
「もしかして、ついてきてるのか?」
「えぇ」

 踊り場で振り返ると、何を今更という顔で頷かれた。
 階段の窓から差し込む夕方の光が、メガネを反射していて表情が分からない。
 けれど彼が、何かを企むような顔で微笑んでいるのが口元だけでも十分に感じ取ることができた。

 面倒なことになったなと、そう知念は思った。


2008/05/06:完成
2008/05/06: