『俺たち親友だよな!』
『何でも相談し合える友人を作りましょう。クラスの仲間で助け合いましょう』
綺麗な言葉だと思う。
妬みや嫉みなどではなく、そう思う。
けれどそれは、自分には決して関係のないものだ。
これまでも、そしてこれからも。
川を流れる水が岩を避けて通り抜けるように、美しい友情や助け合いなどと言うものは知念の側をすり抜けていった。
例えば友人を親友だと豪語する少年が、その同じ口で知念を蔑むように。
助け合おうといった教師が、知念の孤立を見て見ぬ振りをするように。
恨むつもりはない。
自分と、自分ではない人間たちとの線引きは知念の中でいっそ潔いほどに深く刻まれていた。
自分は自分、他人は他人。
大人びたその考えが全て諦めからきていると自覚していても、望もうとは思わない。
それでもどこかで歪が生まれるのか、成長するにつれて打算で自分に近づく人間を酷く嫌悪するようになっていた。
クラスに馴染めない少年を救う優等生になりたい明るい女子生徒だとか、体格のよさと武術の腕に目を付けた徒党を組んで暴力を振るう男子生徒だとか。
厄介なのは理解を示しているようで、その実自らの教育理念を押し付けているだけに過ぎない教師だ。
そういうものが、知念は大嫌いだった。
だからこそ、いつしか進んで一人になるよう仕向けていた節もある。
平古場や甲斐の誘いを突っぱねたのも、挑発するような事を言ったのもそれが起因していた。
「ですから、君にテニス部へ入部してもらいたいんです。君は武術が強いし、背も高いし、運動神経だっていい。君が居れば全国大会へ出場できる」
なのに目の前のこの少年は何だろう。
鋭い視線でもって自分をジッと見つめたまま、簡潔に言い放った。
「君はクラスでも一人でいることが多いようですけど、別にそれを考えて入部を進めているわけでも、これから先俺が君を誰かと打ち解けさせようと働きかけることもありません。君はただ、その運動神経と武術の腕を使ってテニスで勝ってくれればそれでかまいません」
打算だ。打算しかない。
単純に知念の運動神経、武術の腕を利用するためだけに声をかけてきている。
優しい言葉も、見返りも何もない。
「勿論、テニス未経験の素人を全国大会へ出場させるんですから、練習は生半可なものじゃありませんよ。血反吐を吐くぐらいの覚悟はないと駄目です」
「……それは、俺に何の得があるんだ…」
ゴミ捨て場でポリバケツをひっくり返しながら木手の話を聞いていた知念は、校舎の壁に凭れて離し続けていた彼とその隣で座り込んでいる田仁志を振り返った。
これまで黙って聞いていた知念から質問された事に少し驚いたのか、木手はたっぷりと間を取って答える。
「ありません。何も」
「…………」
あえて言うなら、テニスが人並み以上に上手くなるくらいですね。
肩を竦めて言った木手は、それでもなぜか知念が断るとは思っていないような自信に満ち溢れた表情でこっちを見ている。
「俺は、興味ないから」
「そうですか。残念ですね。行きましょうか、田仁志クン」
「え、いいのか…永四郎?」
あっさりと引き下がった彼が背を向けるのを、田仁志と同じく知念は驚いて凝視してしまった。
もっと、追い縋るんだと思っていた。
そう思ってから、別にそんな事して欲しくないしあっさり引き下がってくれて助かるじゃないかと意味もなく心の中で言い訳を並べた。
「でもね、知念クン」
まるでその言い訳が聞こえたみたいに、木手が振り返る。
どこにも逸らされない真っ直ぐな瞳が自分を鋭く見据えてきたのに、何となく気圧された。
「俺は君が、テニス部に入ると確信していますよ」
「……木手」
「君は俺と、テニス部の人間と一緒に全国大会へ行くんです」
「…………」
疑う余地が少しも木手にはないのか、だからこんなに揺らがない瞳を持っている。
他人と関わらない代わりに他人に何かを決められることも疎ましいと思っていた知念だったが、木手の強固な意志は無言で首を振っただけでは拒否できないような気がした。
「お、俺はやらないっ」
みっともなくどもったのは、焦りがあったからだ。
腕を掴んでもいないのに引きずられてしまいそうな視線に、自信が無いなど口が裂けても言わないような声に。
「いえ、君はきっとテニス部に入ります」
「…………」
「練習は毎日、放課後夕方6時まで。朝練は早朝6時からです。日曜日も勿論あります。テニスラケットは最初は備品を使えばいいでしょう。後で一緒に買いに行けばいいです」
「だから…っ」
「では、他にやることがあるんですか?」
ある訳が無いと、木手は知っているんだろう。
唇を噛んで俯くしかない知念に、彼は小さくため息をついて先ほどの強い声とは一転して静かに続けた。
「悩むのも結構ですが、時間はありません。一日も早く練習を始めなければ、全国大会など到底夢の話ですよ」
歩きだす木手と追いかけて行く田仁志を、知念はどうする事もせずただ見送った。
空になったポリバケツを持って帰ろうと持ち上げた手ごたえが、妙に軽く感じてため息をついた。
ポリバケツを持って教室に戻り、もう誰もいなくなって電気も消された教室でぽつんと机の上に置かれている自分の鞄を手に取った。
背が高いからと言う理由で一番後ろの窓際に座らされている知念は、大抵の場合クラスメイトの視界に入らない。
その席に座って授業をやり過ごしグラウンドを眺めて毎日を過ごすのが知念にとっての学校生活で、その考えは今でも変わっていない。
自分はたった一人で、三年間の退屈を何とか凌ぎながら卒業する。
そして高校生活もまた、同じ事だ。
人生とはそんなもんだと漠然とした考えがそこにはあった。
グラウンドの隅に、テニスコートを囲むフェンスが見える。
さっきの二人組がちょうど校舎の方からそこへ歩いて行くのに気付いて、知念は何となく眼で追った。
二人は木手の持った何かを覗き込みながら歩いていて、時折木手の方が身振りや手振りを加えて田仁志に話しかけている。
何かを振る動作をしているから、恐らくはテニスのことだろう。
田仁志は何度か頷いて、自分でもそれを真似ているようだった。
「……興味ない……」
吐き捨てるように呟いて、知念は足早に教室を出る。
二人の肩にかけられていたテニスバッグが、妙に大きく見えた。
帰路についた知念が家の前の道に差し掛かった時、自分の母親が玄関で辺りを見渡しているのに気付いた。
母親も息子が返ってきたのを見つけたのか、サンダルの音を立ててこちらへ駆け寄ってくる。
「寛!」
「何」
「今日喧嘩したって聞いたから!怪我させなかったの!?こないだの制服の血の事だって母さんまだ聞いてないのよ!」
教師には見つからない内に事態が収束してしまったはずだから、誰か見ていた生徒が親に言ったか何かで伝わったんだろう。
小さい頃から体の大きい知念が、誰かに怪我をさせないかといつも心配していた。
一番の原因は公園で頭を切った少年の事があってからだろうけれど、寡黙だが負けん気の強い息子が時に腕力で物を言う事に気付いているから余計だった。
空手道場へ入れた時には純粋に息子の苛めを心配してのことだったが、六年生で大立ち回りをやった時には同級生の自宅へ直接謝りに回っていた。
勿論それに知念も同行させられ、背の低い母親に頭を押さえ付けられて無理やり下げさせられたが。
玄関に鞄を放り投げて靴を脱ぐ知念にとって母親は、背を追い越してしまった頃から少し煩わしい存在になっていたが、かと言って無視をするだとか暴言を吐けるような存在でもなかった。
自分にとっては未だ、家族以外の信頼できる人間はいない。
「別に、大したことない」
「大したことないって、寛が平古場さんの息子さんと喧嘩したって聞いて母さんまた怪我させたのかと思ったのよ」
「何であいつのこと知って…」
「覚えてないの?小さい頃に公園で怪我させたでしょう」
謝った方がいいのかしらと今にも電話をかけそうな母親に、どうせ向こうは知らないはずだと答えながら学ランを脱いでリビングのソファに放り投げ自分はキッチンへ向かう。
冷蔵庫の中の麦茶を取り出しながら、あの日公園にいたあの少年はあいつだったのかと思い返していた。
「…髪の色変わってたからわからん」
向こうも気付いていないようだったし、思い出話をするような間柄ではない。
殴られた左頬を擦ると疼くような痛みが残っている。
幸い唇が切れるほどでは無かったものの、腰の入った威力のあるパンチだった。
自己流の型にも見えたが、よく見知った構えだったような気もする。
「空手…かな」
「ちょっと寛!制服のボタン一つないじゃないの!」
息子が投げ捨てた学ランをハンガーに掛けようとしていた母親の声に見つからなかったと一声かけて、知念は麦茶を持ったまま二階へと逃げ出した。
2008/10/12:完成
2008/10/14:UP