It's not over 1 -平古場-

 幼い頃、平古場はごめんなさいが言えない子供だった。
 近所の女の子の髪を引っ張って泥の中に転ばせたり、気の弱い男の子を仲間はずれにして泣かしたりしていたが、その子たちが親に言いつけて怒られる事になっても決して謝ったりはしなかった。

 唇を噛み締めて目を吊り上げ、ただじっと怒っている大人を見上げるだけだ。
 それが更に生意気だと時には叩かれる事もあったが、彼はそれに屈しないほどには芯が強かった。

 悪い事をしている自覚は勿論平古場にもある。
 けれどどうしてそれを大人が怒るのか、小さい頃から理解が出来なかった。

 嫌なら自分で言いに来れば良い、面と向かって嫌だ止めろと言えば自分だって止めてやる。
 それくらいの分別はあったし、何より対等な子供社会の中に大人を召喚する行為が何より嫌いだった。

 けれど近所に平古場ほど強い子供はおらず、泣きながら大人の胸へ逃げ込み、結果平古場は大人にばかり怒られていた。


 けれど当時一人だけ、平古場に面と向かって自分の意思を示した子供がいた。
 

 正確な年月は思い出せないがまだ幼稚園にも上がらない頃、周りの子供よりもひょろりと背の高い少年が少し離れた公園の側に住んでいたらしい。
 らしい、と言うのは平古場が会ったのはその日一日きりで、それ以降は全く顔を合わせなかったからだ。

 周りの皆があいつは化け物だ、言葉が喋れないんだというから、どんな奴か見てやろうと好奇心に背中を押されて遠くの公園へ行っただけだ。

 確かにその少年は無口で、円になって彼を囲む中でただじっとしていた。
 泣く事も声を荒げる事も無く、ただ黙っていた。

 強い奴もいるじゃないか、そう思ったのは覚えている。

 けれどその後の自分の記憶は、幼いながらにものすごい衝撃を体に受けたことと、やけに青い空の映像、自分の右目の上から真っ赤な血がボタボタと零れ落ちる様だった。

 通りかかった大人に救急車を呼んでもらって病院に向かった平古場は、ベッドの上で母親や医者に事情を聞かれても何も答えられなかった。
 今回ばかりはただ単に他の子に苛められている少年を眺めていただけだったから、何と言っていいのか分からなかったのだ。

 その内に、平古場の友人の母親が、自分の子供から聞いた事を平古場の母親にし始めた。

『どうもね、みんなと馴染めない子がいて…その子が急に凛くんを突き飛ばしたらしいの』

 嘘ではない、嘘ではないが真実でもない。
 違うと否定しようと起き上がったら貧血気味の頭がぐらりと揺れて、そのままベッドにひっくり返った。

 その後、怒り狂った母親が平古場を連れて相手の少年の家に乗り込み、散々怒鳴り散らし治療費を払わせた。

 申し訳なさそうに何度も頭を下げる両親の後ろで、少年はぼんやりとその様を見ていた。
 あまりにボーっとしたその表情に何も考えていないのかとも思ったが、自分の母親が言った心無い台詞に一変した。

『この子、何処かおかしいんじゃないんですか!?』

 それは子供ながらに酷い言葉だと分かる。
 平古場の母親も自分の大切な子供が傷を負わされたのだから我を忘れているのも頷けるが、それにしても人に言うべき言葉ではない。
 その言葉を聞いた瞬間、それまでボーっとしていた少年の瞳にありありと怒りと悲しみの表情が浮かんだのを平古場は気付いた。 

 顔こそ何も変わらないが、その目は雄弁だった。
 平古場の母親もそれには気付いたのか、最後に治療費の事を吐き捨てるように言い放って少年の家から立ち去った。

 決して平古場だけが悪かった出来事ではないが、ごめんなさいが言えなくて後悔したのはそれが最初で最後だった。



 その後も悪戯を繰り返し喧嘩を繰り返しする平古場に、母親は業を煮やして道場へ放り込んだ。
 平古場が小学校へ上がる前の頃だ。
 週に一回、土曜日の5時間。 

 母親はそこで精神統一や武人としての嗜みを覚えて欲しかったらしいが、平古場は喧嘩の方法と手加減の仕方を学んだ。

「凛、手合わせしようぜ」

 平古場はそこで甲斐裕次郎と会った。

 誰にも怒られずに人と殴り合いをするのが楽しい平古場はメキメキ上達して行き、同じ練習時間で小学校へ上がる前の子供達の中では一番になった。
 けれどその中で、唯一平古場に対抗できるのが甲斐だった。

「お前とやると面白いよ」
「俺も」

 自分に面と向かって対抗してくる彼が、誰よりも一緒にいて楽しいと思えた。

 小学校へ上がると、甲斐が同じクラスになり二人はいつも一緒にいた。
 喧嘩も強く明るい二人の周りにはいつも取り巻きがいたけれど、平古場は強いからと言うだけで媚びてくるような友人は要らなかった。
 それは甲斐も同じらしく、二人は学校内ではたくさんの友人と遊んでいたけれど、放課後はたった二人で遊んでいた。

 自転車を飛ばして校区外へ行ったり繁華街へ行ったり。
 そんな事をしている間に週一回だった道場は二週間に一回になり月に一回になり、五年生になった頃には全く行かなくなってしまい、母親が勝手にやめると連絡を入れていたらしい。

 小学校を卒業する頃には中学生に目を付けられて危ない目にも何度かあった。
 その度に道場で教え込まれた技が役に立ち、二人は卒業間近で中学生にも顔を知られているようになった。




「凛、俺脱色しようと思うんだ」
「はぁ?何で?」

 平古場が金髪になったのは卒業式を終えた日の夕方、甲斐が突然そう言ったのが発端だ。
 彼は既に脱色剤を購入していて、平古場に液を塗ってくれと頼む。

「別の小学校からも上がってくるんだろ?目立たないとな」
「あー…」
「だから、髪染めて」
「おー。後で俺にもやって」
「おう」

 結果、髪質の所為か液を浸透させる時間の違いか、平古場は金髪になり、甲斐はオレンジがかった赤い髪になった。
 春休み中、金髪とオレンジ頭は繁華街で色々やらかして噂になったが、それは概ね甲斐の計画が成功したといってもいいだろう。

 予想外だったのは入学式を迎える頃、比嘉中に「今年の新入生は目立つ金髪とオレンジ頭さえ潰せばどうにかなる」という噂まで流れていた事だ。
 その噂の所為で、生意気だと印象を持たれた二人は上級生から事あるごとに付け狙われるようになる。

 そんな事も知らず、二人は親から買ってもらった少し大きめサイズの制服に袖を通し、学校までの道のりを歩いていた。

 詰襟の前を開け、ベルトは腰の位置。
 新品のローファーは既に踵を踏んで履き潰し、平古場の尻のポケットにはブランド物(偽物)の財布、甲斐のベルトには髑髏のウォレットチェーン。
 新入生らしからぬ制服の着こなしと、何よりその奇抜な頭の色で二人は注目を集めていた。

「お、裕次郎。アレが比嘉中か」
「あぁ、さすが3つの小学校が集まるだけあって大きいな」
「よし!記念写真撮ろうぜ!」

 校門が見えてきた頃、平古場は駆け出して前を歩く生徒を何人か抜かした。
 『比嘉中学校入学式式場』と書かれた看板に手をかけ、振り返ってまだたらたら歩いている甲斐に声をかける。

「裕次郎!裕次郎!写真撮れって!」
「はぁやぁ、カメラなんか持って来てねーさ」
「はぁ〜?お前…まぁいいや俺が持ってきてるから」
「持って来てんのかよ!」

 駆け寄ってくる甲斐にケラケラ笑っていると、自分の横を通り抜けて学校へ入って行く少年がいた。
 詰襟の第一ボタンこそ外しているものの、そこそこちゃんとした制服の着こなしで鞄を肩にかけポケットに手を突っ込んだまま無表情で歩く少年。
 その表情からは、入学の緊張も期待も何も伝わってこない。

 ただ機械的に歩くその少年の肩が自分達の目線にあると気付き、二人は彼の背中を見送った。

「すげぇ、でけえな。あいつ」
「おー。ま、いいからいいから。ほら撮れよ。はい、シーサー!」
「シーサーって、お前」

 カメラを手渡した平古場は、そう言いながらも構える甲斐に向かってポーズを作り写真を撮ってもらう。
 入れ替わりに甲斐の写真を写し、二人で校門をくぐると体育館の方から太った生徒が歩いてきていた。
 身長は高いが、その代わりに横幅も大きい少年だった。

「うっわ、裕次郎見ろよ。すんげーデブ」
「おい、凛。声がでけーよ」
「いいじゃん、デブはデブなんだよ」

 声を落とそうとしない平古場に甲斐はニヤニヤ笑いながらも一応は制止するが、その表情は決して本気ではない。
 少年の方も自分が言われているのに気づいたらしく、眉を寄せて平古場たちのほうを見た後自分の背後を振り返る。

「そういう言い方よしなさいよ」
「はぁ?」

 太った少年の後に付いてきた眼鏡の少年にきつく諌められ、眉を寄せて睨みつける。
 詰襟のボタンはきっちりと閉じられ、制服はおろか一見するとオールバックのようにも見える髪も丁寧に纏められまさしく優等生の風貌だった。
 彼は腕を組んで小首を傾げ、睨みつける平古場の視線を受け止めて平然と視線を返し軽く顎を上げて見下す。
 そうして、構っていられないとばかりに背を向けた。

「田仁志クン、早く行かないと入学式に間に合いませんよ」
「あ、そうだな」

 先を急ぐ二人は最早平古場に注意も向けず、校舎のほうへ歩いていってしまう。

「何だよ!あいつら!」
「変な奴らだなー」
「すげぇむかつく!!」

 そう言いながらも平古場の表情は楽しそうだった。
 小学校とは違い取り巻きのような友人ではなく対等な友人になれそうな人間がいる、そう思うだけでこれからの生活に期待が湧き上がってくる。

「行くぞ、裕次郎」
「あぁ」

 金色の髪を無雑作に掻き上げて、平古場は体育館へ向かっていった。


2007/08/08:完成