「ふぁ〜…あ〜ぁ…だりぃ、さぼるかぁ」
「朝から何言ってんだよ」
「だってよー、学校言っても2・3年に文句付けられるだけだろ」
「あー…まぁ、それが刺激なんじゃん?」
ポケットに手を突っ込んでだらだらと歩く登校時、平古場は甲斐の言葉に軽く首を捻る。
平古場にとって喧嘩は、単純に自分が上位に立つための手段だ。
年齢や身長、見た目などでは無く、よりダメージを与えて最後に立っていた方が勝つというシンプルなルール。
だから勝たなければ意味が無い。
売られた喧嘩は必ず勝つし、負ければ時間が経とうが日が変わろうが自分が勝つまで喧嘩を仕掛けて行く。
けれど一緒にいる甲斐にしてみれば、自分は喧嘩を日々の刺激にして楽しんでいると言う。
勝ち負けは正直関係なく、ただゲームのように楽しめればいいらしい。
だから甲斐は相手に適わないと思えば逃げるし、喧嘩をする気分で無ければヘラヘラと笑ってあっさりいなしたりもする。
そう言うとこよくわかんねぇな、二度目の欠伸を噛み殺しもせず大口を開けながら平古場はそう思う。
甲斐から言わせれば、自分も十分喧嘩を楽しんでいるらしいがその理屈もまた自分には良く分からない。
後ろから駆け寄ってくるクラスメイトが口々に挨拶をしては側を歩く。
それにいちいち答えるのも面倒で、平古場はいつもあーとかんーとか適当な返事をしていた。
気が付けばクラスの男子が5・6人連れ立って歩いていて、校門が見えるところまでやってきた頃そのうちの1人が声を上げる。
「あれ、水泳部じゃねぇの」
正門にもたれてこちらを見ていた集団がこちらに気付くと、中心で座り込んでいた大将格らしい生徒が立ち上がりまっすぐに平古場だけを睨みつけてくる。
その視線に、自分より先に気付いた甲斐が口笛を吹く。
集団は8人、こちらの方が数では少しばかり劣っていたが元々クラスメイトを頭数に入れない平古場は、チラリと甲斐を見てから睨みつけてくる視線に対抗して睨み返した。
「あらら、やる気だね」
「朝っぱらから元気な事で。1人4人な」
「いやいや、手伝ってもらおうよ。クラスメイトにさ」
大将格の生徒が頭を傾けて付いて来いと示すのを、平古場と甲斐、そしてクラスメイトが続く。
水泳部の歩く後を目立つ平古場と甲斐が付いて行く様を、生徒達は好奇心を多分に含んだ視線で見送っていたがその険悪な空気に誰一人声をかけはしない。
教師への告げ口も、その後の報復を恐れているためほとんどないのがこの学校の常で、平古場はプールの方へ向かう彼らの背中をぼんやり見つめていた。
「凛、やるのか?」
「あちらさんがやるって言ってんだから」
「お元気ですこと」
「おかげさまで。…おい、ちょっと持ってろ」
平古場が甲斐に鞄を持たせたのは、水泳部の面々が更衣室を出てプールサイドに出た途端だった。
まだ更衣室の中にいた平古場はそこから駆け出し、クラスメイトが甲斐の受け取った鞄を見て平古場の背中に視線を移したときにはもう地面を蹴って宙に浮いていた。
次の瞬間、平古場に背を向けていた大将格の生徒は背中に思い切り飛び蹴りを受け、プールサイドに倒れこむ。
「うわあっ!!」
追いかけてきた甲斐が平古場の降り立ったすぐ隣に立っている別の生徒の腹へ、ボディブローを叩き込んだ。
いきなりの事に呆然としていたその生徒は思い切り急所に入って咳き込む。
「てめぇ、汚ぇぞ!!」
「っは、喧嘩に汚いもクソもあるか。勝てばいいんだよ」
先制攻撃に色めき立った水泳部の面々は、平古場を囲んで構えた。
しかし遅れて加勢に来たクラスメイトが割り込んできたために喧嘩は2対8ではなく乱闘になり、目に付いた知らない顔の生徒をとにかく打ちのめすだけが目的に変わる。
水泳部の面々が攻撃を止めた頃、平古場は唇の端を切り甲斐はシャツのボタンが弾け飛んで下に着ていた派手な黄色のTシャツが見えていた。
けれど負けた彼らの方はプールサイドの地面に這いつくばって息を切らし、各々痛む箇所を押さえながらこちらを見上げている。
座り込んで鼻血と口から血を流す大将格の生徒は、片目を腫れ上がらせてはいたが未だ気丈にも平古場を睨んでいた。
「クソッ、これで勝ったと思うなよ…卑怯な手使いやがって」
「仕掛けようとしたのはそっちだろ。先手必勝だよ」
座っているその生徒の制服の襟を掴んで引きずり上げ、プールの方へと歩いて行く。
足元が覚束ないその体をプールの縁に立たせると、間髪入れずに脚の裏で背中を思い切り蹴飛ばした。
未だプール開きなどされていないため水は緑色に濁り、温度も冷たいその中に学生服のまま生徒が沈む。
大きな水音を立てた瞬間クラスメイトから爆笑が湧き上がり、平古場が振り返ると甲斐がデッキブラシを持って立っていた。
「先輩、水泳部でしょ。プールの掃除くらいしてくださいよ」
「何…」
「ほら、上がってこないで」
「やめっ…ゲボっ…っ!…うぇ…っ」
プールの底は汚れと苔でヌルヌルと滑るのか、プールの中で立ち上がった生徒を甲斐がデッキブラシで突付くとすぐにまた沈んでしまう。
一度立たせてからわざわざそれを何度も繰り返す様を見て、クラスメイトがまた笑う。
彼らの囃し立てる声を聞きながら、平古場はどこか釈然としない物を感じていた。
自分達では集団にならないと喧嘩もできないくせに、平古場や甲斐の側にいて勝者の優越感だけを味わうクラスメイト。
平古場には、今自分の仲間が手酷い目にあって悔しそうな表情をしている水泳部よりも彼らの方がよほど惨めに見えた。
不意に始業のチャイムが学校中に鳴り響き、甲斐はデッキブラシをプールへ放り込む。
「おーっしゃ、行こうか」
「あー…俺やっぱサボるわ」
「あそ?じゃ、俺教室で寝てる」
「平古場サボんの?じゃ、俺も一緒に……」
甲斐の台詞に適当に頷いて更衣室へ向かった平古場の肩を、クラスメイトの1人が親しげに叩いた。
あーぁ、と甲斐が声を上げるより先に平古場がその手を振り払って、クラスメイトの肩を突き飛ばす。
「勝手に触んじゃねーよ。誰がお前とつるんでサボるって言ったよ。サボるなら1人でやれ」
「あ……」
「あ〜ぁ、凛サボる時は機嫌悪いって決まってんだから放っとけって」
明るく流した甲斐が平古場を追い抜いて教室へ向かうのに、クラスメイト達は気まずそうな表情をしながら彼に続いて教室へ帰って行く。
大きくため息を一つだけ付いた平古場は、側にあったベンチを蹴り上げ更衣室からプールの外に出てそのまま校門を出た。
登校の時と違って後ろには誰もいなかったが、それは平古場にとって心地よい物でしかない。
自分の隣に堂々と隣に立てないような友人は、いらないと思っていた。
「知ってるか?隣のクラスの知念」
彼の話題が出たのは、プールでの件があってから数日後昼休みに教室で昼食を取っている時だった。
クラスメイトがファストフードまで買いに行くついでに自分の分も買ってきてもらっていた平古場は、ジュースをストローで吸い上げて聞き返した。
「知念て?」
「ほら、いるだろ。背の高い…」
思い浮かぶのはひょろりとした印象の生徒。
何となく覚えている程度の生徒を頭に浮かべ、あぁ、と声を上げた平古場がハンバーガーにかぶりつくと同時に再びクラスメイトが口を開く。
「あいつがさ、野球部の3年と喧嘩したって」
「へぇ、でもあいつ。怪我して無くね?」
「それが、3年の方がやられたらしいんだよ。今朝見たらみんなあちこち包帯してんの」
「何、じゃぁ知念1人で3年全員ボコったわけ?」
その会話を聞くともなしに聞いて、平古場はチラリと甲斐を見る。
甲斐は半ば身を乗り出しそうな体勢で話を聞いており、好奇心を丸出しにして目を輝かせていた。
「手だかアバラだか折れたって」
「容赦ねーな」
「でも知念って普段物静かな奴だろ」
「普段はな」
それまで話を聞いていただけの一人が割って入り、皆がそちらへ顔を向ける。
苦い物を食べたような表情をしている彼は、自分が以前知念に怪我をさせられたと言った。
「元々あいつ友達1人もいなかったんだよ。だから仲間に入れてやろうと思ったんだけど…、あいつがさ、急に殴りかかってきて」
「ふぅん…急に、ね」
「っでさ、やたら強いんだよ。何人かで止めようと思っても無理なぐらい。あいつ昔道場通ってたらしいし」
歯切れの悪い言い草に引っかかった平古場が呟くように言えば、クラスメイトは平古場から視線を外す。
周りの意見は概ね知念を悪者にした方へ傾く中、食べ終わったハンバーガーの包み紙を丸めながら平古場が立ち上がった。
それに続いて甲斐も食べ終わった弁当を片付けて立ち上がり、教室を出ようとする自分の後に付いてくる。
「凛、どこ行くんだよ」
「便所」
「じゃ俺連れション」
扉を開けて廊下に出ると昼休みのために生徒達が行き交っており、二人はトイレのある方向からは逆にある知念の教室へ同時に足を向けた。
「りーん、便所後ろ」
「お前もな」
隣の教室の入り口から中を覗くが、背の高い生徒はいない。
見覚えのある数人の女生徒がこちらに気が付き、パタパタと足音を立てて近づいてきた。
「平古場、甲斐」
「んー?知念は?」
「知念くん?さっきお弁当持って出て行ったよ。それよりさ、水泳部との話聞かせてよ」
「あー…いや、用事あるから」
えー、なんて言うやかましい女生徒から廊下へ顔を向けると、甲斐は既に歩き出していた。
引き止める彼女らをあしらって彼に追いつき、頬にかかる髪の毛を後ろへ掻き上げる。
「どう思う?あの話」
「さぁなぁ、知念ってやつから聞いてみねーとわかんね。でもどっちでもいいけどな」
時折廊下の窓から見えるグラウンドに視線をやる甲斐は、お、と声を上げて立ち止まった。
つられて立ち止まった平古場が窓を覗くと、渡り廊下に背の高い生徒が立っているのを見つける。
「あれか?」
「あれじゃね?何か、絡まれてるっぽいな」
こちらには背を向けて渡り廊下の手摺に凭れて知念に何事か話している後姿を、二人は見たことがあった。
一瞬顔を見合わせて再び歩き出した平古場は、楽しそうな笑みを浮かべる甲斐の姿を横目に捉える。
甲斐がこんな表情をする時は、大抵悪ノリする。
そして大抵、自分もそれに乗る。
渡り廊下へ出る扉を開けて外に出ると、知念に話しかけている上級生の声が聞こえてくる。
見覚えのあった背中は、つい最近自分と甲斐がプールに突き落としたあの背中だった。
どうやら知念は上級生の鬱憤晴らしに使われているようだ。
「先輩の前通るんだから挨拶ぐらいしていけって」
「なぁ?」
「だったら挨拶してやろうじゃん」
無表情で水泳部の上級生を見下ろしている背の高い生徒を見ながら、平古場は彼らに近づいていく。
隣の甲斐が、声に笑みを滲ませて呟いたのが聞こえてきた。
知念を挟むようにして二人で上級生の前に立つと、一瞬自分達を睨みつけた彼らの視線が途端に泳ぐ。
「せんぱーい、こんにちわー」
「どーもー、制服乾いたんですねぇ」
「掃除する前のプールの水ってぇ、どんな味ですかぁ?」
わざとからかう口調で声をかけ、軽く頭を下げた状態で下から上級生を掬い上げるように見た。
知念が自分と甲斐の方へ一度ずつだけ視線をやって首を傾げたが、すぐにまた上級生へ視線を戻す。
「あ、いや…その…」
うろうろと視線を飛ばしながら意味の良く分からない事を口走る上級生を眺めていた二人の間から、不意に知念が歩き出した。
どんどん歩いて行く背中を唖然として見送ったものの、平古場がそれを追いかける。
「あ、おい。知念知念」
「ちょっと待てって」
さっきと同じように知念の両脇から顔を見上げると、甲斐がぽんぽんと彼の肩を叩いた。
無表情のまま振り返る知念に、平古場が口火を切る。
「お前、知念だろ」
「こないだ3年生ぶちのめしたって」
「…………」
「お前強いんだな。骨折したって聞いたぞ。アバラとか手とか」
返事のない知念に気付いているのかいないのか、甲斐はぺらぺらと喋り続ける。
黙って甲斐を見下ろしている知念の顔を、平古場は何となくどこかで見覚えがあると思っていた。
彼の変わらない表情を、どこかで見たことがあるのに知念という名前は初めて聞く名前だと感じる。
思い出そうと記憶を探っていたが、不意に知念の腕が甲斐の手を払ったのに気付いてハッとした。
「でさ、俺らも…」
「悪いけど」
声変わりはもう終えたのか、他の生徒よりも低い声があたりに響く。
一瞬にして他の音が遠くなり、それからすぐにいつもの喧騒を取り戻したような気がした。
それは単なる勘違いではなく、渡り廊下をすれ違う生徒達がこちらを気にしていない素振りを見せながらもその実神経をぴりぴりさせて自分達を伺っていた証拠だった。
そのため、滅多に喋らない知念が口を開いた瞬間、時間が止まったように皆が足を止めた。
けれどすぐに動き始め、気にしていなければ分からないほどほんの少しの間だけだったが。
「昼飯、まだだから」
「あ、じゃあ一緒に食わねぇ?」
「お前ら煩いから」
いらない、人にそう言われたのは初めてだった。
嫌いだとも好きだとも言われた事はある、それは言われ慣れている。
人気があるように見せながらも平古場や甲斐という人間は、目立ちすぎるが故に人の不評を買ってしまう事だってあるのだ。
だが彼は、いらない、と言った。
自分の生活に、平古場と甲斐は必要がないのだとそう言い切ったのだ。
「っへ、何だよ」
「…折角助けてやったのに」
衝撃から抜け出した平古場の口を付いて出た言葉はたったそれだけで、別に頼まれたわけじゃないのに、そう思う。
知念が絡まれているところに勝手に割って入って、勝手に自分達の方へ注目を向けさせただけだ。
結果的に知念が絡まれなくなっただけで、別に助けてくれといわれたわけじゃない。
案の定、彼は歩き出しかけた足をわざわざ止めて振り返る。
きっと振り返ったからには彼の中には自分達に対する反発の感情があるんだろう。
しかし全くと言っていいほど、表情には出ていなかった。
「別に、助けて欲しいって言ってない」
「なっ…」
「はぁ?」
自分で思うのと他人から言われるのは違う。
苛付きはそのまま表情と険のある声に含まれるが、知念はもう振り返ることなく渡り廊下を歩いていってしまう。
残された二人は釈然としない物を感じながらも、お互い同時にため息を漏らすしかなかった。
渡り廊下を通り過ぎる生徒達だけが、それを見ていた。
2007/10/17:完成
2007/10/24:UP