It's not over 4 -平古場-

「凛!起きろって、もう授業終わったぞ」

 昨夜ゲームに夢中になって深夜まで起きていた平古場は、満腹になって眠気の増す5時間目から意識を失い、気が付けば終礼代わりのホームルームが終わるまで眠りこけていた。
 肩を揺すられるまで甲斐が近づいてきていることにも気付かなかったぐらいだから、相当深い眠りに落ちていたのだと自分でも思う。
 ぼんやりと霞がかったままの頭を欠伸で何とか目覚めさせながら掃除の始まっている教室から追い立てられるように出ると、廊下で違うクラスの友人が数人座り込んでいる。

「何してんだよ。もう授業終わりだろ」
「トランプ」
「はぁ?トランプ?」

 輪の中心を覗き込めば、友人が行ったとおりトランプが伏せて置かれている。
 ポーカーでもやっているのか、友人の手札はフルハウスになっていた。
 その手札を注視した平古場は、口の端を歪めてその場にしゃがみ込む。

「何だよこれ」
「押入れから出てきた。ヌードトランプとか箱に書いてた」

 その名の通り、トランプの札は白人女性のヌード写真が絵柄になっている。
 相当古いものなのか、それともこう言ったグッズはみんなそうなのか金髪の美女は真っ赤な口紅を引いて挑発的な表情をしていた。

 隣の甲斐が大笑いしながら伏せたトランプを拾い上げて、一枚一枚女性の絵を確認していく。

「すげー、全部裸」
「親父に聞いたら、米兵の忘れもんだって」
「へぇ。あぁ、お前の家レストランだっけ」

 いつだったかだらだらと駄弁っている合間に聞いた友人の家業を思い出し、客が料理の来る間にカードゲームに興じていたんだろうと考えた。
 足元に落ちている箱を拾い上げると、やはり説明書きは全て英文で書かれている。

「凛もポーカーやろうぜ」
「お前らよー、外はあんなにいい天気なのに中学生がポーカーかよ」
「一番弱かった奴が一番強かった奴の晩飯奢り」
「よし、やろうぜ」

 晩飯を賭けた勝負にあっさり乗った平古場にまた笑いが起きて、友人が皆の手札と甲斐の持っている束を手元に集める。
 カバンを廊下の隅に放り出して友人たちの間に座り込むと、手馴れた仕草でトランプを切っていた友人が手札を配り始めた。
 全員にカードが回り、中心にトランプの札が伏せて置かれる。

「晩飯何食う」
「ファミレス」
「エンダーで良いんじゃね」
「何だよ、お前負けること気にしてんだろ」
「馬鹿、違うって。お前らが負けたら可哀想だろうと思ってよ」

 軽口を叩き合い、笑いながらカードの交換しお互いが顔色を伺い合う。
 平古場の役はスリーカード、大して強い役では無いものの周りの表情を見ていれば一番弱い役ではないだろうと思われた。

「じゃ、せーのでな」
「あ、凛」

 不意に名前を呼ばれて顔を上げると、正面に座っていた友人の一人が口をぽかんと開けて自分の後ろを見ている。
 何なんだよ、そう思いながら振り返った平古場の目に映ったのは人工的な青色だった。

 次の瞬間、ガツンと衝撃が走り、その拍子に手札が廊下に落ちる。

「痛っ!!」

 思わず発した声に青い何かが少し後退し横にずらされ、それがポリバケツだとようやく気付いた。
 ポリバケツが退けられた向こうにあるのは黒いスラックスに包まれた二本の足で、辿るように上を見上げるとこないだの知念とか言う生徒がこっちを見下ろしている。

 身長が高い所為と平古場が座り込んでいるために、彼の顔は遥か頭上にありそれが平古場の癪に障った。
 じっとこちらを見下ろすだけの知念に、謝れよと心の中で思いながら睨み上げていると彼がようやく口を開く。

「あぁ、いたのか。低くて見えなかった」
「なっ…!!」

 その唇から出た言葉は謝罪などでは毛頭無く、暗に平古場の背の低さを揶揄しているように聞こえた。
 もちろん平古場が冷静であればその口調にそんな感情が含まれていないことなどすぐに気付いたのだが、生憎ポリバケツをぶつけて謝りもしない奴に対して冷静な態度を取るほど平古場は温厚な人間ではない。

 立ち上がってもさして身長差は変わらないが、それでも威圧するように腕を伸ばして彼の襟元を掴んで自分のほうに引き寄せた。
 背後に居る友人たちの気配が途端に好戦的なものに変わり、ザワ、と廊下の雰囲気が変わるのが分かる。

「喧嘩売ってんのかよお前」

 知念の手から離れたポリバケツの底が、廊下とぶつかって音を立てた。
 低く凄んで見せるが、臆した様子も無く視線をまっすぐに合わせてくる。
 ほんの瞬きの間に、茫洋とした瞳は挑発的な強い光を宿らせていた。

「離せ」
「あぁ!?」
「離せよ。お前らがこんな所に座ってるからだろ」

 ボーっとして、何を考えているか分からないような、一日に一言喋るのかも怪しいような無口な人間の癖に。
 こうして誰かに危害を加えられそうになると、途端に好戦的な一面を見せる。
 今までの誰とも違うタイプの知念に、平古場は興味を持った。

「凛、やっちまえよ!」

 後ろの野次が鬱陶しいが、喧嘩を吹っかけないなら始めから胸倉を掴んだりはしない。
 あとは知念が乗ってくるか逃げるかだ。
 腕に力を込めると、知念は睨み合った視線を逸らさないまま片手で平古場を突き飛ばしてきた。

 思ったよりも強いその力に体が傾ぎ、つい片手に掴んでいた彼のシャツを思い切り引っ張る。
 ブツリ、と糸の切れる音がして弾け飛んだボタンが廊下に落ちる微かな音が平古場には聞こえた。

 乗ってきた。
 そう思ったら自然と右手が出ていて、全力で知念の頬に拳を叩き込んでいた。

「調子乗ってんじゃねーぞ!」

 骨と骨のぶつかる鈍い音がして周りで見ていた生徒が息を呑むのが分かる。
 数人が身を翻して廊下を駆け出していくのが視界に入って、教師を呼びにでも行ったんだろうと思った。

 けれど正直これでもう終わったと平古場は思い込んでいた。
 沖縄武術仕込みの腰の入ったパンチは思いの他衝撃がある。
 手ごたえから言えば大抵の人間は、脳に衝撃が伝わって立っていられないはずだった。

 思った通りに知念も膝を崩して平古場の肩に持たれかかるように手をかけてくる。
 しかし平古場が勝ったと感じた次の瞬間には、肩から引きずられるように床へと叩き付けられそうになっていた。
 手を突こうと両手を前に出したら視界に黒い影が過ぎって、咄嗟にそれを捕まえる。
 勢いは多少弱まったものの腹部に思いの他強い衝撃を受け、息が詰まった。

「っぐ…!」
「…?」

 どうやら捕まえた黒い影は知念の膝だったらしい。
 不意打ちを食らって膝を付かないどころか反撃してくる彼を見上げれば、向こうも少し驚いた表情をしていた。
 気付いたらにやりと口の端が持ち上がっていて、眉間に皺を寄せた知念がもう一度自分の腹を蹴飛ばして距離を取った。

 こいつは何を考えているのか全く分からないけれど、とにかく面白い。
 そう思った。

 さぁ反撃だと利き足で踏み込んだら目の前に真っ白いものが飛び出してきて、平古場の体を易々と遮る。
 体ごとドンとぶつかっても微動だにしないそれは、次に平古場の腕を掴んでしまった。

「やめなさいよ、君たち」
「何だよテメェ!邪魔すんな!!」

 聞いたことのある声に顔を上げると、そこには木手とか言ったメガネの優等生が立っている。
 思ったよりも筋肉の付いた腕で自分を押さえ込みながら、振り返って知念のほうを見ていた。
 つられるように視線を向ければ、太った生徒に知念の体も押さえ込まれている。

「田仁志クン、ちゃんと押さえておいてくださいよ」
「あぁ」

 こちらのほうへ向き直った木手は、呆れた、と言わんばかりの表情で自分を見下ろしていた。
 まるで何かやらかした時の母親のようだと平古場は思う。

「やめなさいよ。こんな廊下で」
「お前には関係ねーだろ」
「皆さん見てますよ。その内教師が来ます。長ったらしいお説教が聞きたいんですか」

 ヤバイと言う気持ちが確かに過ぎった。
 母親のような木手ではなく、このままでは本当の母親が召還されてしまう。

 だがせっかく面白い事になったのを、逃すのも惜しい。
 大きく息を吸い込んで高揚した気分をいったん鎮めた。

「わーった、わーったから離せよ」

 落ち着いた声を出すのには成功した。
 少し疑っているような顔をしつつも、木手がゆっくりと手を離す。
 その隙を突いて、平古場は身を翻して知念の方へ向かっていった。

「平古場!!」

 全身の毛が逆立つような気がして、思わず足を止めた。
 この感覚には覚えがあった。

 自分が胴着に身を包んでいた頃、組み手でテンションの上がった平古場を諌める時の声。
 道場に響くその声と、発した後の静寂に平古場の上がりすぎたテンションを落として気持ちを引き締めてくれる。
 そうなったら喧嘩やいい争いなどする気分では無くなり、残るのは純粋に試合へ取り組む気持ちだけ。
 対外試合などになると途端に興奮しすぎて周りが見えなくなり、冷静な判断が出来なくなる自分を当時の先生は名前を呼ぶだけで静めてくれていた。

 だがそんなものは平古場にとって今は全く必要ない。
 けれど刷り込みの所為か効果だけは抜群で、平古場はすっかりやる気を失せてしまった。

「平古場クン、いい加減になさい」
「……、あ〜あ、何か白けた。行こうぜ」

 ばつが悪くなって髪の毛を掻き毟ると、廊下に放り投げていたカバンを拾い上げると成り行きを見守っていた甲斐たちに一声かけて廊下を歩き出した。
 後から追ってきた甲斐が隣に並び、ポケットに手を突っ込みながら覗き込んでくる。

「いいのかよ」
「何かやる気失せた」
「あ〜、何かあいつの声な。似てる」

 甲斐も同じ事を考えていたらしく、珍しく忘れていたはずの空手の型を構えていた。
 そういえば胴着はまだ押入れの中にあったっけと思い出した平古場は、既にそれが小さくなっているのに気付いて苦笑する。

 自分だってすっかり忘れていたと思っていたのに、意外と忘れていないものらしい。
 窮屈だと思っていた割には楽しかった思い出として残っている記憶に、平古場は自分の手を見下ろす。
 ゆっくりと握りこんだ拳は、あの頃より大きくなっていた。


2008/05/11:完成
2008/05/13:UP