It's not over 5 -平子場-

 大音量の流行の音楽、隙間にチラチラ潜り込む騒がしい電子音を聞き流しながら平古場は格闘ゲームに興じるクラスメイトの後ろでぼんやりしていた。
 背後にも並ぶ同じようなゲーム機の上に座って椅子に足を置き、プレイを眺めている甲斐がはしゃいだ声を上げるのも右から左に筒抜けて行く。

 ゲームは嫌いではない、下手でもないし、そこそこ楽しい、やっていれば夢中になって寝不足にもなる。
 けれど長く熱中できるほどではない、追いかけるほどではない。
 一瞬の楽しみ、ただそれだけだ。

 どれだけゲームの中のヒーローが敵を倒しても、平古場の心を駆り立てるものではない。

「あー!!また負けた!」
「次俺!代われって!」
「んじゃ次対戦しようぜ」
「やだよ、甲斐すんげー弱いじゃん」

 ゲームオーバーの文字に沸き立つ彼らが口々に言い合うのも、音楽に邪魔されて遠くに聞こえる。
 振り返った甲斐がお前もやるかと声をかけたが、平古場は手を振ってそれを断った。

 まるで気泡のように浮きあがっては消えていく、今日の出来事と道場での思い出。

 握り締めた拳はあの時と違ってもう帯を締める事も型を構える事も出来ないのに、うずうずと腹の底に残る高揚感だけは今でもはっきりと覚えている。
 冷たくさえ感じる緊張の中、知らない対戦相手と対峙して号令がかかるまでの刹那。
 試合が終わっても残る言いようのない興奮は、清々しさを引き連れてゆっくりと鎮火していく。

 平古場にとってそれはいつだって、夕暮れと一緒だった。
 単純にそれは、丸一日かけて行われる空手のトーナメント試合の終了時間が夕方になる所為だが。
 勝った日も負けた日も、暑い夏の日に冷たい水を全身に浴びたような爽快な気持ちになる。
 勝って嬉しいとか負けて悔しいとか、そう言うのとは別次元の心の動きだった。
 感動にも似た気持ちを抱えながら、夕暮れの道を歩いて帰る。
 それが平古場にとっての空手だ。

「っは、アホらし」

 鼻で笑い飛ばして思考を振り切ったはずなのに、すぐ傍から再び考える。

 今でも道場に戻りたいとは思わない。
 規律と伝統に縛られた沖縄武術は窮屈だと思っているし、自由に戦えるなら喧嘩の方が伸び伸びできる。
 ただ、試合の後の気持ちにだけは、何をしてもなれなかった。
 廊下の出来の一喝で、心の底に沈んでいたその感覚が浮かんできてしまった。
 忘れていたはずなのに思い出してしまった。
あの高揚感を。

「平古場クン」
「あ?」

 ふいによく通る声が平古場の耳に届いた。
 大音量の音楽も電子音もすり抜けて、平古場の鼓膜を震わせる。

 そちらに視線をやると、制服姿のまま腕を組んで立っている少年がいた。
 平古場を余計な思考の渦に嵌らせた張本人がそこにいて、チラリと外に視線を流してついてこいと促している。

 へぇ、優等生でもこんな所に来るのか。
 意地の悪い考え方で持ってそう思った平古場は、自分の命令が聞き入れられないはずがないと思い込んで既に背を向けている木手を睨みつけながら歩き出した。

「凛?あいつ木手だろ。
何の用だよ」
「知らね」

 傍にいた甲斐に声を掛けられ、平古場は肩を竦めて短く答えるだけに留める。
 一緒に行くかとの問いには、再び手を振って断った。




 人通りの多いゲームセンター前から、少し離れた裏路地へ向かっていく木手の後ろをポケットに手を突っ込んでタラタラ歩きながらついていく。

 学校でも有名な問題児の自分を連れて、自ら人気のない所へ行こうとするこの優等生が何を考えているか分からなかった。
 それで無くともこの生徒の前で、平古場は二度も問題を起こしているのだ。

「何の用だよ。説教だったらいらねーぞ」

 良く分からない事がどこか平古場の不安を煽り、出した声は思っていた以上に不機嫌に鋭かった。
 立ち止まって振り返った木手が先程の自分のように肩を竦め、何でもない事のように言い放つ。

「説教なんかしませんよ。どうせしたって聞きやしないでしょう」
「だったら何」

 斜に構えて睨み上げると溜息を洩らされ、まるで教師や親のようなその態度に苛つく。
 同じ年のくせに、まるで自分を子供扱いしているようだと思った。
 だから今度は、意図して威嚇する声を出す。

「馬鹿にしてんのかお前」
「いえ、そうじゃありません。ただ、まるでチンピラだと思ったものだからね」

 カッとして繰り出した拳は木手の左手で受け止められ、反撃が来ると咄嗟に感じて距離を取ろうと蹴りの動作に入る。
 けれど、蹴りが放たれる前に包まれていた手を呆気なく離した木手が、自分の方から数歩後ろに下がって距離を取った。
 見下すような視線に苛立ちは募るものの、これまで何度か接した間に一度もこの男に対する攻撃が成功していない事に内心奥歯を噛み締める。

「本当の事を言われて怒るのは子供っぽいですね。
みっともない」
「ケンカ売りに来たのかよ」

 だったら買ってやると言いかけた口は、木手の言葉に驚いて喉の所で止まってしまった。

「いいえ、テニスに誘いに来ました」

 てにす、余りの意外さに認識が遅れるほどに驚いた。
 自分で口に出してやっとそれがスポーツの名前なのだと理解し、その滑稽さに腹の底から笑いが込み上げてくる。
 我慢せずにぶちまけてやれば、通行人が路地裏で笑う学生を怪訝そうな顔で見ながら通り過ぎていく。
 それには木手も居た堪れないのか、困ったような顔を見せて自分の髪を右手で撫でつけた。

「テニスって……!何言い出すかと思ったら、お前そんな事言いにここまで来たのかよ」
「えぇ、テニスです。
俺達と、君と……」
「と?」
「それから知念クンと一緒に」

 その名前が出てきて、ふと思考が逸れる。
 何だか分からない内に喧嘩になって、有耶無耶のまま目の前の少年に引き離された。
 元はと言えば自分が彼に仕掛けていったのだが、相手だって好戦的に応じていた。
 自分と同じぐらいの力量で戦えるのは、甲斐を除けば知念が初めてだ。

 でも知念は、降りかかる火の粉を払っただけなんだろうと冷静になってから思った。
 そして恐らくもう、自分と喧嘩をする事はない。
 平古場が難癖をつけて絡めば相手をするだろうが、ただそれだけだ。

「君は運動神経はいい方だ。
初心者で頭が悪い事はこの際置いておきます。
それは練習で何とかなる」

 思考が現実に引き戻される。
 今こいつ凄く失礼な事を言わなかったかと平古場は考えたが、完全には聞き取れなかったのでとりあえず流して別の質問を投げる。

「テニスして何になるんだよ」
「日本一です。日本で一番テニスが強いことを証明するんです。
俺は全国大会を制覇します」

 ルールのある競技で一番を決めて何が面白いのか、平古場には良く分からない。
 大会での一位、そんな物はその時一瞬だけの事だ。
 公式だからと決めた日に運良く勝った奴が一番だなんて、次の日にもう一度やったら、今度は別の奴が勝つかもしれないのに。

「嫌だね。
テニスも、アイツと一緒にやるのも」

 小さな頃はそれでも、規律と伝統に縛られた武術が面白かった。
 勝って褒められるのも、負けて励まされるのもだ。

「あいつとは決着が付いてねーし、テニスやるぐらいなら喧嘩してる方がましだ」

 そう言ってゲームセンターの方へ歩き出してしまう平古場に、木手は声を張り上げる。

「楽しいですよテニスは!」
「…………」
「君はいつも面白くなさそうな顔をしますね。
そんな顔する暇も無いくらい楽しいですよ。
テニスは」

 あぁ、と落胆した。
 そう思うと言う事は多分、平古場は少し木手に期待していたのだろう。
 何だって人は、他人の事を勝手に決めたがるのか。

 振り返った平古場は、何の気なしに髪の毛に手をやってこれも原因の一つだとさらに苛立たせた。

「俺の事をお前が勝手に決めんな」

 金髪だから、だらしのない格好をしているから、そんな小さな事で己の全てを決められては困る。
 確かに自分は勉強にも興味はなく学力も低いが、他人から金を奪ったり弱い物を苛めたりはしない。
 苦い顔をする教師や大人たちの顔を思い浮かべて、それを木手にぶつけた。

 いつ俺が今の生活を面白くないとお前に言った、テニスが楽しいと思うかどうかなんか分からないじゃないか。
 子供じみた反発心だと気付かないまま、平古場はゲームセンターへ足早に戻る。
 しかし戻った先にあるのは騒がしい音楽と電子音だけで、一瞬の楽しみ以上にはなれないそれらはとてもではないが胸を張って楽しいと言えるものではないと自覚させられた。

 テニス、木手はそう言った。
 武術では無くテニス。
 ルールに縛られたスポーツと言う、平古場にとっては甘く思えるその競技が目の前のゲームよりも楽しいと言い切った。

「凛!あいつ何だったんだよ」

 平古場が帰ってきたのに気付いた甲斐がこちらに駆け寄って、木手は一体何の用だったんだと問いかけてくる。
 けれど問いかけてくる割に対して興味も無さそうだったので、平古場も踵を返しながら適当に答えた。

「知らね」
「え、おい!帰んの?」
「帰る」

 ゲームセンターの薄汚れた自動ドアが開いて、外の世界がクリアに映った。

2010/08/20:完成
2012/04/04:up